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庶民勇者は廃棄されました  作者: ぎあまん


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207/265

207 氷炎姫は想う


 オウガン王国の北には人類領最大の大河ホーンズバーン河がある。

 その河の上に、いまセヴァーナは立っていた。


「…………」


 静かに意識を集中する。

 河面は静かでセヴァーナの足がある一点を中心に波紋が定期的に立つのみだ。

 水面に対して爪先立ちしているような格好だが、セヴァーナが自然の摂理に従って水の中に沈む様子はない。

 その非常識を美に変えているのは彼女の生まれついての容姿もあるが、その装備にもある。

 セヴァーナの身を飾り、守るのは極光水晶の鎧と幻翼のマントという伝説級の装備だ。極光水晶の鎧に備わる虹光の守護が周囲の水気に反射して彼女を彩り、一人ではためく幻翼のマントは彼女に翼を与えたかのような錯覚を見る者に与える。


 そしてその通り、その姿にため息を吐く姿がある。


「はぁぁぁぁぁぁ……美しい」

「お嬢様、お下がりください!」


 大河の南岸から【遠見】の魔法が込められた筒を使ってセヴァーナの様子を夢中で眺めるあまり護衛の騎士に窘められているのはエンセア・ドミネアス。オウガン王国のドミネアス公爵の娘だ。

 王太子と結婚し一児を儲けていながら離婚。その後子供とともに生家のドミネアス領へと戻ってきている。

 帰る際に一悶着あり、そのときにセヴァーナの助けを得た。

 そんなセヴァーナはエンセアの後釜として王太子と結婚させられそうになり、それを拒否して家出をしたばかりだというのだから縁というのはおかしなものだ。

 それ以来、セヴァーナはエンセアに誘われてドミネアス領で食客となっている。


 今日、ホーンズバーン河の水上で曲芸のようなことをしているのはそんな食客生活が原因だった。


「…………」


 セヴァーナの爪先を中心に広がる波紋の間隔が徐々に狭まっていく。集中した意識の先でそれが餌に食いついたのを察知すると目を開けた。


【氷蜃夢】


 修行の成果を解き放る。

 次の瞬間、静かだった水面が一気に乱れ、大きく波打った。

 安定を失ったセヴァーナはつま先立ちを続けることができなかったが、それでもやはり水の中に沈むことはない。


 その正体は彼女の足下の変化にある。

 足を置いた先の水面が白く凍り付く。彼女の足が着いた先は瞬く間に分厚い氷となりその体を支えていた。

 ただ表面だけが氷の板となるだけでは波に耐えうる理由とはならない。

 つまり、セヴァーナの放った【氷蜃夢】の氷はすでに深く大河の内部に浸透しているということであり、そしてその魔法は解き放たれたそれだけで終わるものではないということを示してもいる。


 荒れ狂っていた大河の表面が、やがて耐えきれぬとばかりに破裂した。

 巨大な水飛沫をはね除け、大河の腹を破って現われたのは巨大なサメ……グレイジョーだ。

 本来なら外洋へと出た漁師たちに襲いかかる凶悪な魔物のはずだが、なにを間違えたか近海にやって来るだけでは飽き足らず、このホーンズバーン河に入り込んでしまった。

 淡水であることもお構いなしに遡上を続けてオウガン王国の領域にまでやって来たグレイジョーは、漁や運送、渡し守などの大河で生活する者たちを次々と襲い、領を接するドミネアス領の人々を困らせるに至り、セヴァーナの出番がやって来たというわけだ。


【氷蜃夢】の氷はセヴァーナの足を起点に大河の底にまで届いて根を張り、あらかじめ撒いておいた餌に引寄せられたグレイジョーを見つけるや襲いかかったのだ。

 グレイジョーを追って水を割って現われた【氷蜃夢】のそれは獲物を絡め取ろうとする軟体動物の足のようであり、グレイジョーはそれをはね除けようと空中で身をよじり、その名の由来となった灰色の巨大な歯列で噛みつく。


 だが、一度自ら追い出したサメを水に戻してやるほどセヴァーナは優しくない。

 蛸やイカの足のようにうねってサメを宙にたたき上げた氷のそれは、次から次へと水を割って現われ、大きく枝を広げた氷の大樹となった。

 グレイジョーは大きく広がった氷の枝に掴まれて身動きが取れなくなる。

 だが、それだけであればグレイジョーは生存本能を極限に高めた身体能力で破壊し脱出したことだろう。


【溶落炎】


 逃がすことなくグレイジョーに死を与えたのはセヴァーナが次に放った魔法だった。

 この魔法は生物から熱を奪い、凍結させる。

 どんな生物にも体温は存在している。生きている限りその体は運動し、運動することで熱を発するからであり、そして活発な生命活動には熱が必要だ。

 セヴァーナはその熱を奪った。

 見えない手で抉り取るように体温だけを奪い取られたグレイジョーは、急激な温度の変化に耐えきれずにショック死する。


 太陽神の試練場で得た炎の聖霊の力を公に使う気はないが、しかし眠らせておくのも惜しいとセヴァーナが苦心の末に編み出したのがこの魔法だ。

 氷と炎……相性が悪いと思えた二柱の聖霊だが、本質的にはどちらも熱の操作に関する存在であると気付いた途端、扱いがとても簡単になった。


 激しく短い痙攣の後でグレイジョーは動きを止めた。

 それを確認したセヴァーナは幻翼のマントの効果を確かめるように高く舞い上がると、ゆっくりエンセアの前に降り立った。


「お疲れ様!」


 うっとりとしたエンセアが飛びついてきて、セヴァーナは苦笑して彼女を受け入れる。


「危ないですよ。エンセア様」

「あら、別に妊娠中なわけでもないんだから」


 そんな風に笑うが、いまだ彼女の立場はそれほど気楽なものではない。護衛の騎士がこっそりとため息を吐いている姿を見ると申し訳ない気持ちになる。

 見た目と違い、本当のセヴァーナは小心者なのだ。


 この時代、離婚というものはそれほど気軽にできるものではない。王族となればなおさらだ。

 さらに二人の間には子供がおり、しかもその子はドミネアス領で保護されている。


 円満な離婚であれば……そんなものが存在するのであるとすれば……エンセアの父であるドミネアス公爵は娘を説得し、子供を王家に託したであろう。

 だが今回、王太子はやりすぎた。

 そもそも問題は、第二王子派閥の離間の計に引っかかった王太子が怒りに任せて公爵が秘匿していた鉱山の存在を暴露してしまったことにある。

 非は法を犯していた公爵にあるものの、計略に踊らされた王太子の暗愚さにも嫌気が差した公爵は娘の離婚を後押しし、その子を王家へ返却することも拒否、現在全面対決の姿勢を見せている。

 ただの内紛であればセヴァーナは知らぬ顔をしただろう。

 しかし、そういうわけにもいかない事情というものがある。


 エンセアとの離婚の後、オウガン王は息子の次の妻であり後見人としてセヴァーナと彼女の実家であるカーレンツァ家を指名したのだ。

 勇者になることでさえセヴァーナの本質から外れた行為だったのに、その上で好きなわけでもない上に暗愚な事が確定している王太子の妻になれなど飲めるわけもなかった。


 そんなわけでエンセアの味方をすることになった結果、国王と王太子側は武力衝突へ移行することに躊躇を見せる結果となり、現在は内乱という名の静かな睨み合いが続いている。


 これを好機と第二王子派が暗躍を続けているようだし、娘の独断にカーレンツァ家は中立を主張しているものの信じてもらえず苦しい立場に追いやられている。

 すでにセヴァーナの父のノイバンスルには素直な気持ちを手紙で記しているのだが、色よい返事はない。


 王位継承に関する暗闘であり、公爵家の醜聞であり、王太子夫婦の離婚闘争であり、そして侯爵親子の親子喧嘩でもある今回の騒動の結果、人類領会議より発されたタラリリカ王国への討伐招集に応えることはできなかった。


(タラリリカ王国……アストが肩入れしていたな)


 エンセアを馬車へと導きながらセヴァーナは考える。

 戦いがどのような状況になっているのか、グレイジョーが荒れ狂っていたせいで輸送船がほとんど動けなかったために情報が届いていない。


 どうなっているのかと思ったところで、はたと思考が急展開する。はたして自分はアストのことをどう思っているのか?

 なにをバカなことを考えているのかと思うのだが、屋敷に戻ったエンセアが子供を可愛がっている姿を見ていると、また同じように考えてしまう自分がいるのだった。


 そんなセヴァーナの元に届いた情報に、彼女は驚くことになる。


「ユーリッヒ、なにを考えている?」




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