167 国境異変 6
歓楽都市ザンダークは人類領会議という人類最大の国際組織における重要な所有地であり、対魔族戦略における重要な物資集積地であり後方支援都市である。
その都市を長年統治しているのは魔導王シルヴェリア・サーベイナス。
《勇者》より昇華した《王》位を持つ者であり、バラグランズ王国にて大公の地位を持つ者でもある。
永遠の若さを維持するほどに強大な魔力を持つと言われる彼女は、人類領会議からの絶大な信頼を得てザンダークを任されている。
この都市は魔導王の都市であると言う者は少なくない。
人類の希望の象徴である《勇者》より昇華した者であり、現在の《勇者》たちからの敬意を得てもいる。
ザンダークは大要塞が破られたときのための予備的な防衛線として、シルヴェリアが長年その防備を担当していた。
魔導王によって構築された様々な魔法的防御装置は複雑怪奇を究め、多くの魔法技師たちがそれらの維持・改良に努めているが、それらの全てを把握できているのは魔導王当人のみであるとも言われている。
そういう意味でも、ザンダークは魔導王の都市であると言われてもいる。
その彼女の姿が中央塔宮殿から移動しているのは非常に珍しいことである。
では、彼女はどこにいるのか?
そこはドーム状の空間だった。
それほど広くはない。
血を吐く熊のぬいぐるみを引きずりながら歩く黒髪の少女は、かつてルナークが見たときと同じく不健康な様子のままで、空間をぐるぐると歩いていた。
散策と呼ぶには空間は無機質で味気ない。
なにかの儀式に興じているのだとしたら、その表情に緊張感がない。
少しむくれてさえいるかのようなシルヴェリアの態度に変化が訪れたのは、空間に音が響いた時だった。
一部の床が動き、左右に滑って開くと剥き出しの地面が現われる。
そこには大きな穴がある。
ただ土を掘り返しただけのような穴なのだが、そこからなにかが姿を見せた。
黒い外殻の鎧に覆われた人型のなにかだ。
普通の人間と同じように太い手足を持ちながら、脇腹から生えているのは虫の脚だ。それらは胴体に付いた土を払うように動くと腹の前で腕を組むような形で収まった。
兜を飾るようにある黒い二つの半球は虫の複眼だ。
その外殻は、決して鎧ではない。
鎧ではあるのだが、それは後付けされたものではない。生来の身を守る物だ。
つまり、ここにいるのは蟲人だ。
ルナークの前に現われたそれとは明らかに姿が違う。
だが、これは蟲人だ。
「蟻杖王。遅い」
「クハハ、すまんすまん」
シルヴェリアはそんな蟲人の出現に驚くわけでもなく、逆に唇を尖らせて蟲人を詰った。
そしてそれを蟲人は当たり前のように受け入れ、快活に笑ってみせる。
軋むような音が混ざってはいるものの、それはちゃんと人に聞こえる声だった。ハサミのような大顎の奥に人間に似た口があり、言葉はそこから紡がれているようだ。
「とはいえ、要請を受けた兵力は所定の場所に送りつけたぞ」
「ええ、それは確認している」
「ならば問題なかろう」
「でも、待たされるのは嫌いなの」
「我が儘よの。我が女王でもあるまいに」
「女王ではないわね。でも、同盟者なの。いい加減、この概念を受け入れなさい」
「虫にも利用し、利用される関係というのはある。侮るなよ人間」
「では、相互理解の努力をしましょう」
「ふん」
蟻杖王と呼ばれた蟲人はつまらなそうに息を吐くと、太い腕を組む。
それを見て、シルヴェリアは引きずっていた熊のぬいぐるみをクッション代わりにして腰を下ろした。
「さっそく例の人物と衝突したようだけど、どうだった?」
「どうと言われてもな。兵士の十や二十を倒されたぐらいではなんとも……な。百や二百で倒すのは難しいだろう。あるいは巣の一つや二つ潰す覚悟で当たらなければならんかもしれんな」
「それだけ?」
「それだけだ。むしろ目標数にはまるで足りん。少なくとも巣を十は潰さねばならんのだぞ」
「そうね。任せて、必ず消費させてあげるから」
「頼むぞ。同族同士の潰し合いは不毛だからな」
人類同士の殺し合いに対する皮肉を混ぜられたのか、それとも単純に我が身を嘆いただけなのか。
はるか深き地下に蟲人と呼ばれる勢力が存在していることは知っていたが、いままで接触を持つことができなかった。
それがある日突然、蟻杖王と名乗る眼前の蟲人が接触を図ってきたのだ。
独特な交信魔法を解読するのには時間がかかった物の、いまでは普通に会話ができるほどに親密な関係となることができた。
そして蟻杖王が望んでいることが、いまシルヴェリアが望んでいることと合致したので手を組むこととなった。
その、望んでいることというのが……。
「それにしても、地上に出てこようとは思わないの?」
「広すぎる。……というのは冗談だ。冗談というのはこういうときに使うのだろう?」
「ええ、面白いわね。それで?」
「ふん。前にも説明したが、神気の強い場所を我らは好まぬ。地の奥深く、大地母神の神気すら届かぬ世界の核の側こそが我らの安息の地よ」
「でも、その場所ももう窮屈なのでしょうに」
蟻杖王の話が本当ならば、彼らは自らの世界を蟲人で満たしすぎ、窮屈な思いをしているというのだ。
その話を聞いたとき、シルヴェリアは狭い空間に虫がびっちりといる状態を想像し鳥肌が立ったのは言うまでもない。
その状況を改善するための自主的な間引きを行うために、蟻杖王は地上世界へと上がってきたのだという。
侵略の意図などない。
居住空間確保のための間引きという理由で人類世界に混乱をもたらそうというのだ。
一歩間違えればシルヴェリアが蟲人の相手をしなければならなくなるところだった。
それをなんとかタラリリカ王国への作戦に利用することができたのは僥倖だと言えるだろう。
「あなたの存在はとてもありがたいわ。だけど蟲人の考え方は理解できない。間引きのために戦争をするぐらいなら自分たちで殺し合えばいいじゃない」
「同族殺しをしないわけではないが、同族殺しでそんな大規模なことをしてしまえば、それこそ恨みや癒えぬ傷を一族の中に残すことになる。それでは未来に禍根を残すではないか。そのような愚かなことはできん。蟲人と人間は、本来生息圏を交えない間柄。故に恨みがあろうがなかろうがどうでもいいではないか。故にちょうどよい相手なのよ」
「……迷惑」
「なんとでも言うがよい。我らからして見れば、同族で殺し合うことを当たり前にしているお前たちの方がよほど狂っている。これほど広大な世界を持っているというのにな。なにがそんなに憎いのだ?」
「あなたたちが拒む神気が故よ」
「はっ! やはりか。神の道筋に躍らされる愚か者どもよ。やはり殺し殺されるにはちょうどよい相手よ」
「……迷惑」
だけど、ある意味でこれは究極の数の暴力が成立することになるだろう。
……で、あるならば、さすがの奴もここで終わるに違いない。
《勇者》アスト。
死に損ないの庶民勇者。
古代人の遺失魔法を知り、神への階梯に足を踏み入れた者。
シルヴェリアが届かなかった《天》位の称号を持つ者。
知らないとでも思っていたのだろうか?
気付かないとでも思っていたのだろうか?
シルヴェリアが手に入れられなかったものを持つ存在を許すわけがない。
シルヴェリアを選ばなかった存在を許すわけがない。
神を殺すことこそがシルヴェリアの最終目標なのだ。
「……策は他に用意していたのだけど、使う必要もなく死んでくれるならそれでけっこう」
その前段階として、神となる前の者を殺す。
そのためにこの戦いはあるのだ。
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