152 隠れ家の日常 2
白雪牛はエルフたちにも好評だった。
「魔族領で牧畜に適した環境というのはなかなか得難いのです。このような美味しいお肉は十分な価値があります」
「それは嬉しい事実だ」
ラーナの褒め言葉にルアンドルはほっと胸をなで下ろしたようだ。
「今度はエルフの果物料理をご馳走しましょう」
「楽しみにしています」
そんな社交辞令のやりとりも食事が片付けられ、お茶が並んだところで一段落した。
ここから語られるのは国同士の交渉という名の闘争だ。
なにができ、なにができないか。
なにをやりとりするのか。
自分の手札をどれだけ高く見せることができるか。そしてその逆にどれだけ挑戦できるか。
そういう戦いだ。
凄まじく退屈な光景となったので、俺とニドリナは茶菓子をいただくと早々に退出することにした。
誰も俺たちを止めたりはしなかった。
ただ一人、ハラストだけが苦笑めいた表情でなにかを示している。
なにが言いたいのかわかるので、俺は頷くだけで済ませた。
「どうする? 参加する?」
「暇だからな。しかたない」
ニドリナもちゃんとわかっている。
「じゃあ、俺は東側の四人やるから、そっちは西側の三人な」
「なにを言っている? 西は二人だ」
「お? じゃあ賭けるか?」
「……いいだろう」
少しばかり表情をしかめさせたが、最後には頷いた。
さっきから俺たちがなにを言っているか?
答えは簡単、密偵だ。
いまこの建物を探りに来ている密偵が七人いる。
ニドリナは六人だと言っているがな。
資材をこんな僻地に運んだり、国の偉いさんが厳選した警備でやって来たりすればさすがに誰かの目に止まろうというものだ。
建物への侵入を許したりはしないが、それでも、ここになにかがあることは知られてしまったわけだ。
それも仕方ないことだろう。
すでに国際的に悪者扱いされているのだし、そんな国がなにをしているかを調べようというのは当然の考えだ。
そしてタラリリカは現在、情報戦という裏側の戦いでかなり押されている、ということでもあるのだろう。
それもまた、しかたがないことか。
なにしろ世界中に敵視されていると考えるべきだしな。
しかしそれでも、人魔の戦争を続けて国を疲弊させるよりは大魔王を味方に付けるという選択を選ぶのが正しいと俺は思う。
おかげで俺がいちゃこらできるわけだしな。
そして、そう考えるなら俺はこの国を守るために色々とがんばらなければならない立場となってしまった……ということでもある。
この国を守ることが即ち、ラーナと会う場所を守るということにも繋がるからだ。
「やれやれ……これがしがらみが増える、ってやつなのかね?」
ニドリナと二人、誰にも気付かれぬまま建物の外に出ると、それぞれ別行動となる。ニドリナは影に消え、俺は建物の屋根に登った。
「黒号、弓だ」
思いつきで腰に吊るした黒号に命じると生体金属の剣は素直に命令に従い、一張りの弓と矢筒へと姿を変えた。
【変幻盾】で練習させたからか、俺の要求への対応が早くなった気がする。
良い兆候なんだろう。
黒い弓となった黒号を構え、一度に四本の矢を番える。
弓ではあまり戦っていないが、《武聖》の称号による補正のおかげであまり苦労はない。それどころか隠れた四人の密偵を一度に射る手段も手に入れている。
【貫影矢】×四
放たれた四本の矢は解放された弦の音とともに影に消えた。
次の瞬間、命中の実感が腕と耳に届いてくる。
標的の影から飛び出して襲いかかる【貫影矢】を避けることができず、密偵たちはその場で矢傷を受けて行動不能となる。
尋問は騎士たちに任せるとしよう。
俺は屋根から下りると、警備をしている騎士に密偵が隠れている場所を教えるのだった。
さて、あっちはどうなっているかな?
†††††
暗殺者として《死神》の称号を持つニドリナは、その業界において頂点に近い位置にいる。
その彼女が潜んでいる者の気配を見逃すはずがない。
影に潜み、闇から襲いかかる。
その分野においてニドリナはルナークよりも抜きんでているという自信があった。
「まったく……どうしてくれよう」
賭けに勝ったときのことを影の中で考える。
なにしろいまのルナークは、弛んでいる。
もとより表情はだらしない男だったが、今はもう最悪だ。ラーナとかいうダークエルフに骨抜きにされて溶けてしまうんじゃないかというぐらいににやけている。
ちょっと前までの憂鬱そうな表情はどこへ行ったのか……。
「まったく!」
と、心の中で吐き捨てる。
今のニドリナは【潜闇】によって身を隠して建物の様子を窺う密偵に迫っていた。即座に背後に立つと【麻酔針】を打ち込んで相手の動きを奪い、さらにもう一人へと向かっていく。
その人物にも【麻酔針】を打ち込み、さらに念のために周囲への警戒をもう一度しておく。
やはり、いない。
「ふん。賭けは勝ちだな。まぁ、当たり前か」
気配察知で負けるわけにはいかない。
それはニドリナの矜持のようなものだった。
これまで暗殺者としての技術を極めてきた。たとえそれが目的を達成するには叶わないと見極めて違う道を模索している最中だとしても、それで暗殺者として磨いてきた技術が失われるわけではない。
「さて、あいつになにを要求してやろうか」
滅多にないルナークへの勝利に心が緩みそうになったそのとき……まさしくそのときだ。
暗殺者であったニドリナであれば、まさしくその瞬間を狙うであろうそのとき、首筋を凍らせる空気に体が勝手に動いた。
迷うことなくその場から退避する。
静かなる一撃はさきほどまでニドリナがいた場所を通り過ぎた。
「あれは……」
【影刃】
視線の裏を掻いて襲いかかる不可視の刃。
暗殺者たちの得意とする特殊攻撃だ。
それだけならば格段珍しくもない攻撃だ。
ニドリナが驚いたのは別のもの……一瞬だけ感じた殺気だ。
その感じ方には覚えがある。
「さすがはニドリナ様。かわされますか」
「貴様っ!」
その言葉、その後に続く細い笑い声にニドリナは緊張した。
やはり、知っている。
二人目が隠れていた木陰。その木に茂る葉の隙間から、それは逆様に顔を覗かせた。
「傀儡のドルトアンテ、か」
「ええ、その通りで」
「貴様、まだ現役とは」
「ニドリナ様がそうであるのに、儂が引退せねばならぬ理由はありますまい」
「ぬかせ」
ニドリナは不老の呪いを受けている。
だが、ドルトアンテはそうではない。
木の葉から覗く白い顔は確かに若い。
若いが……あれは人形だ。
傀儡のドルトアンテ。その名の通り傀儡……人形を操る暗殺者。類い希なる称号《魔繰人形師》を持つ者だ。
「……貴様がいるということは、差し向けたのは」
「ご推察の通りかと。ただ、このような役立たずどもと同輩などと思われるのも迷惑。我らがお嬢様より命を受けたのはドルトアンテただ一人ですな」
人形の顔は若い女性だが、そこから響く声は枯れた老人のそれだ。
その違和感に顔をしかめながら、ニドリナは周囲を探る。
ドルトアンテの人形が目の前の一体だけとは限らないだろう。
ならば眼前のそれに気を取られている間に致命的な失敗を犯すことになるかもしれない。
そんなニドリナをドルトアンテが笑う。
「くふふ……ためらっておいでか?」
「…………」
「いまさらお嬢様に逆らう愚を理解したところでもはや遅し……と言いたいところですが、お嬢様より言づてを預かっております」
「聞かなくとも内容はわかるな」
「ええ、その通りでしょう。『タラリリカ王の首を持参すれば許す』だそうです」
「ルナークの首、とは言わなかったんだな」
「ははは、魔王殺しの首をあなたに期待するほどお嬢様も夢見がちではありませんよ」
ルナークが魔王を殺したという情報は公式には喧伝されることはなくとも、こうやって各国で共有された情報となっているのだろう。
それだけ侮りがたい存在だとドルトアンテも思っているに違いない。
だが、まだ甘い。
「では、いいことを教えてやろう」
「なんですかな?」
「あいつはとっくにお前がそこにいることを知っていたぞ」
「なっ!?」
次の瞬間、逆様の人形の額に矢が突き立った。
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