140 光の帝国へ 20
嫌な予感が体を動かした。
檻を出たアストを見たとき、なにか違うと感じたのだ。
歓楽都市ザンダークで再会したときからあった軽薄な笑みがぎこちなかった。
無理に作ったような表情で、まるでアストではないようにさえ思えた。
思い返してみれば、ここに来てから彼はずっとおかしかったとも言える。
大要塞で見せたような、そして太陽神の試練場で彼の仲間たちに迷惑げな顔をされながら見せつけていた強さはなりを潜めていた。
魔法が使えなくなったと言っていたし、戦う度にひどい傷を負って、地面を血で汚していた。その血はいまだに乾くことなく檻の周辺に残り、もはや血の池のような不吉さを生みだしている。
平気な顔をしていたので考えないようにしていたが、血みどろの中で当たり前に佇んでいる彼の姿は不気味だった。
まるで、もう生きていないかのような……。
そしてなにより、セヴァーナに与えたこの装備。
伝説級の装備なんて、国の宝物庫に秘蔵されるような品物だ。
そんなものをどうして持っているのかも気になるが、そんなものをセヴァーナに与えたという事実も気になる。
アストはセヴァーナを嫌っていたのではなかったのか?
それなのに、どうして?
アストに許されたから?
そんな希望を抱きたいのに、セヴァーナの心にはもっと暗い理由が姿を見せる。
まるで、形見分けのような?
そこまで考えた瞬間、セヴァーナの手には氷炎の剣が握られ、檻を切り裂いていた。
「アスト!」
通路に控えている兵士たちは駆けるセヴァーナを止めることはなかった。
入退場口を閉ざす檻をも切り裂いて闘技場に乱入する。
しかしそのときにはもはや、運命は決していた。
†††††
「やった!」
その瞬間、ユーリッヒは歓喜に叫び、同時に大量の疑問符に押し潰された。
(おれはなにをやっている?)
大要塞から撤退後、魔族の戦力が人類側を凌駕したという事実と、アストと大魔王の絶対的な強さを見せつけられたユーリッヒは絶望感に打ち倒されながらも打ちひしがれることなく、自らを鍛える道を選んだ。
そんなユーリッヒにザルドゥルも呼応し、失った片目や醜く残った傷跡の治療を放棄して、ともに太陽神の試練場に挑んだ。
属性的な苦労はあったものの、難なく攻略に成功し肩透かしを食らったような気分になっていた……その時だ。
『条件を達成しました。太陽帝国へ移動します』
突然に世界が止まったような感覚に襲われ、ユーリッヒはその声を聞いた。
そして気が付けば、闘技場の主人として、皇帝陛下と呼ばれるようになり永遠に続く戦いを傍観する者となっていた。
眼下で行われる戦いとその後に続く不可思議な力の流入に最初は戸惑い、この場所の謎や脱出方法を探るために動き回りはしたものの、気が付けば玉座に引き戻されるこの世界の不可思議さに吞まれていった。
そして気が付けば、他者の勝敗を搾取する存在となることを受け入れていた。
気が付けばアストやセヴァーナがこの世界に入り込んでいた。
だがもうそのときには、ユーリッヒはなにもできなかった。
流れ込んでくる力が自分を強くしてくれていることは理解していた。ならばそれでいいではないか、と思っていた。
セヴァーナは自分の隣に座り、アストは剣闘士となっていた。
セヴァーナは状況を従順に受け入れ、アストはこちらに対して挑発的な態度を取りながらも剣闘士の苦難を受け入れる。
なんだ、あのときのままじゃないか。
戦神の試練場にいた時と同じだ。
貴族の令嬢として生きることができていれば社交界の華となっただろうセヴァーナと、勇者として見出されなければ農村の悪童程度で済んだだろうアスト。
なにかの間違いで勇者になってしまった二人と、ただ一人、選ばれるべくして選ばれたユーリッヒ。
それが正しい事実だ。
だから、セヴァーナは華としてそこにいればいい。アストは戦いに赴くユーリッヒを支える存在となればいい。
二人が現われたことでユーリッヒはこの場の意味を理解した。
悪しき過去は修正され、正しい事実が歴史の本道へと立ち返るために、太陽神はこの場所を用意したのだ。
それならば……この場での結末はアストの死によってその力がユーリッヒに捧げられることによって終わるはずだ。
本来ユーリッヒにあるべきであるその力をこの場で捧げることで、世界は正しい流れへと戻るのだ!
それなのに、なぜだ?
どうしてセヴァーナは、華でいることを止めた?
どうしてセヴァーナは、ユーリッヒを責める?
こここそが世界の正しい形を示しているのだと、なぜわからない。
貴族が負うべき高貴なる義務はこの形が存在するからこそ果たされるのだと、どうして理解できない?
強者が頂点に存在できずして、どうして世界の形が保たれる!?
悪童のまま世界に見向きもしないアストにそんな力など必要ないのだと、どうして理解できない!?
どうしてそれで、ユーリッヒを臆病者だと誹るのか!?
……まぁいい。
理解できないならそれでいい。
華になりたくないのならそれでいい。
それでも世界は変わらない。
空に太陽があるように、この世界の法則が揺らぐことはない。
その証拠にアストはいま、死んだのだから。
黄金の巨人……陽天審判者の戦斧に胴体を断たれ、惨めに地面を転がっているのだから。
さあ、勝利だ。
大量に浮かんだ疑問符は勝利の歓喜によって瞬く間に流されていった。
表情の曇りは一瞬で吹き払われ、満面の笑みとともに玉座から立ち上がる。
せめてもの手向けだ。アスト、お前の力は立ち上がって受け止めてやろう。
両腕を広げ、そのときを待つ。
観客たちは静まりかえり、この世界の支配者である皇帝ユーリッヒの決定的瞬間を待っている。
だが……。
いつまでも、それは起こらなかった。
当たり前のように流れ込んでくる力の奔流はいつまでも、ユーリッヒに注がれることはなく。静寂が寒々しくその身を撫でていく。
「……どうした?」
いぶかしさに目を開けたときだ。
パチ……パチ……パチ……パチ……………………。
ゆったりとした拍手が観客席から届いた。
すぐ近く。ユーリッヒの一段下の席からだ。
見れば観客の一人が、手を打っている。
その人物は日除けの布を頭から被り、ユーリッヒからでは誰かわからない。
いや、観客に『誰か』なんてものはないはずだ。
ならば、これは……誰だ?
「いや、お見事お見事」
「なっ!」
その声にユーリッヒは絶句する。
「勝利の確信を空回りさせる場面っていうのは、なかなか面白い。しかもそれがこっちの仕掛けた通りだっていうんだからなおさらだよな」
「アスト!」
立ち上がったその男は日除けの布を脱いで振り返る。
それはやはり、アストだった。
しかも、ここ最近の血に汚れた姿ではない。
革製の服という……この場には全くそぐわないがユーリッヒたちの本来の場所でならそう目立つものでもない格好をしている。
ユーリッヒは知らないが、それはアストが冒険者をしているときの格好だ。
「いまはルナークだって言ってんのに。お前らって学習しないよな」
「どうして、ここにいる? あれは!?」
「仕込みだよ」
そう言ってアストは指を鳴らす。
その音ともに闘技場で変化が起きた。
上下に分かれて転がっていたアストの死体が突如として崩れ、黒い鎖のようなものとなって陽天審判者の腹に食らいついた。
二体の陽天審判者は抗うこともできず、黒いなにかに体を侵蝕されその場に崩れ落ちる。
「なかなか苦労させられたが、ようやくお前にこの光景を見せられる」
謎の鎖に巨人が喰われていく図を背景にアストは笑い、鳴らした指の形をそのままに空を差した。
「いつまでも昼飯の時間にいさせるのも悪いと思わないか? いい加減、晩飯を食べようぜ」
指の先にあった太陽が傾き始めた。
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