109 竜の国へ 8
そこにあったのはさきほどまでの雪と剥き出しの岩と空という光景ではなかった。
噛み合わさった石材は床を広く形成し、それを遮るように高い壁が聳えている。はるか視線の先に高いアーチを描く門があった。
城壁だろうそれの先は見えず、かなりの広範囲を囲んでいることが見て取れる。
おそらく、王都タランズよりも広いのではなかろうか。
視覚を遮る魔法的ななにかが展開しているのだろう。壁の向こうの光景は霞んでよく見えなかった。
だが、高い建物が幾つも連なっている姿が朧気ながら見える。
それと、空を動く幾つもの影も。
「……ふうん、たいしたもんだ」
携帯食の干し肉を齧りながらおれはそんな感想を漏らした。
転移の類でも使われたのか。
招かれたのか、あるいはここに来れば自動的にそうなるのか。
それも、あの門に近づいてみればわかるだろう。
「……あの、驚かないんですか?」
ハラストがおれを信じられないという顔で見ている。
「いや、驚いてるぞ?」
「まったく、そう見えないんですけど」
「そりゃ、絶景に目を奪われている間に命を狙われたことがないからじゃないか?」
「え?」
太陽が容赦なく地面を焼く砂漠の先に浮かぶ水の都。
溺れるほどの湿気に満ちた密林の先に広がる黄金の宮殿。
気が遠くなるほどに長い螺旋階段に囲われた逆様の都市。
青く澄んだ凍土の下から見つめる巨人像。
目を奪われる非常識的な光景は幾つも見てきた。
だがそれらは往々にしておれの命を狙って気もした。
蜃気楼の都市は水を求めるおれに毒に染まった水精霊の乙女を刺客に差し向け、黄金の宮殿からは黄金の騎士が軍団をなして襲いかかってくる。逆様の都市は自らの意思を持っておれを住民にせんと手を伸ばし、凍土に封じられた巨人像はおれと入れ替わろうと必死に誘惑してくる。
「目の前の光景がどれだけ素晴らしかろうと、非常識だろうと、美しかろうと、そこにおれへの悪意や害意がないとなぜ言える?」
「それは……」
「美しいものを美しいと、素晴らしいものを素晴らしいと感じる感性はおれにだってあるさ。ただ、心を奪われている暇はないがね」
「そ、そうですか」
「もちろん、悪意に誘われた先にこそ道がある場合も多い。きれいなお姉さんからの誘惑なんてまさしくそれだな」
最後のたとえが気に入らなかったのか、ハラストは困った笑いを浮かべた。
それでも笑みを浮かべるぐらいの余裕はできたということだ。
焦ることなく休憩を済ませ、火の始末をすると改めて門へと歩き出す。
足下に現われた床は時の経過をしめしてほどよく風化しており、滑ることはなかった。
それなりの早歩きでしばらく進んで、ようやく門の前に辿り着く。
門は閉じられていなかった。
その代わり、門にはまり込むかのような巨大な存在がそこに居座っていた。
竜だ。
山のような竜が扉のない門を塞いでいる。
あの場所でも竜にはあまりお目にかかれなかったので、じっくりと観察してみる。
蛇のような胴体だが腹の部分は巨大樽でも呑み込んだかのように膨らみ、巨体に比べれば短い四肢を備えている。
翼はない地竜という類の竜だ。
長い首の先にあるのは蛇の額に一本角を生やして厳つくしたかのような頭部で、大きな目がじろりとおれたちを見た。
「なに用か、人間」
その頭部からは想像できないぐらいに流暢な言葉で問いかけてきた。
「ここは竜の聖地。竜か、それに連なる者以外は入ることは許されぬ」
「探しものがあってやって来た」
「探しものだと? なんだ?」
「タラリリカ王国の建国物語に出てくる竜と、ここでしか手に入らない花だ」
「花の名は?」
「玉霊華だ」
「なに?」
「玉霊華だ」
もう一度繰り返すといきなり地竜が高笑いをした。
「ふは……はははははははは!!」
「なんだ?」
「なるほど……そういうことか。はっははははははは!!」
「感じ悪い奴だな。で、入れるのか? それともこの場でもらえるのか?」
「ふう……いいだろう。ならば我を倒すことができるなら特別に許可しよう」
言うや、地竜の姿が変化した。
その巨体がかすんだかと思うやみるみる縮んでいき、なんと人の姿となった。
顔は竜のまま、鱗はこの辺りではあまり見ない意匠の鎧となり、おれよりも二回りほどでかい。
手には装飾の凝らされた金属の棒が握られている。
「倒すとか、そんなのでいいのか?」
「そんなのとは簡単に言うな。これでも我は地竜族一の猛者を自認しているのだがな」
「自認してるだけじゃなぁ……」
「はっはっ、言ってくれるな。だが、その傲慢はいかにも人間らしい。さあ、来い!」
「よし行け!」
「はっ!?」
そう言って背中を叩いてやるとハラストが驚いておれを見た。
「え? 僕ですか!?」
「ああ」
「煽ったのはルナークさんじゃないですか!」
「いや、おれがやるとすぐに終わるだろ? だからちょっとは華を持たせてやらないと」
「なんですかそれは……」
おれのむちゃ振りに爽やかに困った顔をするハラストだったが、やがて覚悟ができたのか地竜の前に立った。
「はっはっ、口だけの主人を持つとはお前も不幸だな」
「……主人ではありませんよ」
さすがにむっとした感じでおれを睨んでから剣を抜く。
「ほうっ……」
その構えに地竜が感心した声を漏らす。
そこから空気が一変した。緊張感が周囲を張り詰めさせ、二人の間で収束していく。
引き絞られた弓が矢を放つ寸前に近い空気の中、人と地竜が睨み合い、そして動き出す。
鉄棒で地面を打った地竜が空を飛んだ。
鎧を着ているとは思えない身軽さで地竜は宙を舞い、ハラストの頭に鉄棒を振り下ろす。
あの勢いで放たれた鉄棒の勢いは鎧では受けきれないだろう。
頭に当たれば即死。それ以外でも肉が裂け骨が砕けるだろうし、歪んだ鎧が動きを阻害し、体を痛めつけることになる。
そんな状態でその後の戦いに生き残れるはずもない。
この一撃を避けられるかどうかが、地竜に相応しい相手かどうかの試金石だろう。
ハラストは……避けた。
鉄棒は彼のすぐ側を通り抜けて地面を破砕する。
着弾と同時にハラストはがら空きになった地竜の脇に突く。だが、地竜はまるで猿のように身を捻って剣を避けると、鉄棒の勢いに乗って離れていく。
重そうな体格のくせに身軽な戦い方をするものだ。
そしてハラストは挙動の全て堅実だ。
大きな勝負に出ることはなく、そのときの最適解の動きを素早く力強く行っていく。体力の損耗は少なく、しかし強力な一撃を着実に与えようという意図が見られる。
対して地竜の方は強力な身体能力を武器に軽業的な動きでハラストを翻弄しつつ、鉄棒による当たれば勝ちという攻撃を繰り返している。
その動きの奇抜さは目を引くが、ハラストに比べれば洗練さが足りない。
しかし、総合的な実力でいえば地竜の方が上なのは確かだ。
いまのあの体は元々の強大な肉体を人間大に圧縮しているような状態なのだろう。
そして、あの鉄棒の素材もただの鉄ではないはずだ。
普通の人間には遠く及ばない膂力と弾力性のある金属。
ハラストにとっては裸で戦っているのと変わらない状況……いや、役に立たないのなら鎧はむしろ邪魔か。
うん、不利だ。
だが彼はおれに助けを求めたりはしない。戦いに集中する顔に焦りはなく、むしろ必勝の好機を狙っているようにさえ見える。
なにか奥の手でもあるのか……?
そのとき、ハラストがおれをちらりと見た。
視線を外す余裕があるとは思えない。実際、地竜はその隙を逃さず、突きを放った。
いままでの軽業的な攻撃とは真反対の堅実な突きはまっすぐにハラストの頭を狙う。
完全に虚を突いた攻撃だ。一撃は痛いだろうが、避ける間がまだあった攻撃から、ハラストのお株を奪うが如くの最小限の動作で放たれた突きは必殺の一撃となって彼の頭部を破壊する……はずだった。
その瞬間、ハラストの動き……いや、速度が変わった。
目立って大きな変化はなく、ただより早く動いたのだ。
それによって突きをかわし、さらに地竜との距離を詰める。
突然の変化は見ていたおれも驚いたぐらいだ。すぐ近くにいた地竜にとっては消えたに等しいのではないだろうか。
しかし地竜もやはり普通ではない。
人間ならば不可能だろう状況でも地竜の反射神経は対応して見せた。首の皮一枚でハラストの剣を交わすと、鉄棒を捨てて瞬く間にハラストを組み伏せたのだった。
「っ……まいった」
「見事な戦いだった」
ハラストの降伏宣言に地竜は満足した様子で離れ、鉄棒を拾う。
惜しかったが、地竜の言う通り見事な戦いだった。
ハラストの実力は普通の騎士だけでなく、大要塞の戦士たちさえも凌駕しているだろう。
おれの予想以上だ。
それが見られて、おれはとても満足した。
「よし、それなら真打ち登場だな」
「はぁ? ダメに決まっているだろう」
おれの言葉に、地竜が予想外なことを言った。
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