第三話 路地裏とソアラ
森の中を歩いていると、女性が倒れていた。地面にはカゴが転がっていて、中にいくつか、薬草やキノコがある。
あわてて駆け寄って、呼吸を確かめる。息がある。外傷はなさそうだ。
「ターニャ、気付け薬とか持ってる?」
「ありますわよ! 少々お待ちくださいませ!」
ターニャはごそごそと荷物を探って、気付け薬を取り出した。
倒れている女性の口に、薬を含ませる。唇の端からこぼれる薬をぬぐって、少しずつ飲ませると、女性は「ううん……」と声をあげた。気を失っていたようだ。
「リーナ、この子、背負える? 医者に連れて行こう」
「わかった!」
「リーナは私たちより足、早いでしょ? 先に行っててくれていいから」
「うん」
リーナはすばやく女性を背負うと、森の中の木々をかき分けるように、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら走り出した。
さすが猫耳が生えているだけある。
「大丈夫かな……」
「……さすがミトさま、お優しいですわね。慈悲の心をお持ちです」
「倒れてる人がいたら、助けるのは当然じゃない?」
私の言葉に、ターニャは自分の人生を変えてしまった革命のことを思い出したのか、少し寂しそうに、くしゃっと笑った。
「……そういうミト様だから、わたくし、ついて行くことにしましたのよ」
声が震えている。
ターニャは私の肩に頭を預けると、一粒涙をこぼした。
革命が起こるまでは毎日丹念に手入れしていたであろうターニャの頬に、今は泥がついている。
伏せられたまつ毛に乗った涙と泥汚れを拭って、私はそっとターニャから距離をとった。
リーナの思慕に応えられないように、ターニャの想いにだって、私は応えることができない。
***
街について、真っ先に病院に向かった。先にリーナが、倒れた女性を運び込んでいる。
「どう?」
「お医者さんが診てくれてるから大丈夫!」
リーナは心配そうに耳や尻尾をぺたんと伏せていたが、私の姿を見ると、表情がパッと明るくなった。
医者が隣の部屋から出てくる。
「もう大丈夫です。早く連れてきてくれて、本当によかった」
「リーナ、ありがとう」
「うふふふー」
リーナは顔を上げて、にこにことうれしそうにする。
猫耳がぴょこぴょこ動いていて、うっかり頭を撫でてしまいそうになるのだけれど、身体が異性である今、勝手に触るのはハラスメントになりかねない。
思わず手を伸ばした私に、リーナはちょっとだけ頭を前に出した。手を引っ込めた私に、リーナはふにゃっと眉尻を下げて笑うと、指でV字を作って、にっかりと笑いかけた。
「……お手柄だね、リーナ」
「わーい! ミトに褒められたー!」
リーナは笑顔だったけれど、私のぺたんこになった胸には、小さなトゲが突き刺さったような気がした。
***
「で、なんでついてくるんですの!?」
「ん……」
ターニャの叫びにも、ソアラは表情を変えなかった。
森で倒れているのを助けてから、何度かソアラのお見舞いに行った。後遺症がないか心配だった。
ソアラ本人によると、すぐに回復したそうだけれど、彼女は表情に乏しいから、本当なのかわからない。
そうこうするうち、ターニャいわく「懐かれた」──らしい。
私たちが再び旅に出ても、そっとあとからついてきている。振り返るといる。
「ソアラ、何か用事?」
「ん……」
声をかけてみても、ソアラはいつものように小さくうなずくだけで、何を考えているのかよくわからない。
付かず離れずのソアラも加えて四人で旅をするうち、少し大きな街についた。
大きな街だから、何がどこにあるのかわからない。私たちはすっかり迷子になってしまって、路地裏に迷い込んだ。あまり治安はよくないようだ。
やっと大通りに出たとき、後ろを振り返ったら、ソアラがいなかった。
「あれ、ソアラは?」
「きっとどこかに行ったんですわ。でも正式な旅の仲間というわけでもないですし……」
私は不安に駆られた。
ソアラは背が低いから、治安の悪い路地裏で迷子になるのは危ないだろう。
ターニャもちらちらと路地裏に視線を向けて、気にしている。
「リーナ、ソアラのこと、探せる?」
「いいよー!」
一気に塀に登って駆け出して行くリーナのあとを、私も追いかける。まるで猫だ。
「……そういうところですわよ、ミトさま」
ターニャは肩をすくめて困ったように笑ってから、私とリーナについてきてくれた。
不安というのは、ときに的中するもので、暴漢にソアラが囲まれているのが見えた。
「待ちなさーい! あなたたち、何してるの!」
私が声をあげたのとほぼ同時に、塀の上にいたリーナの飛び蹴りが暴漢の腹にめり込んだ。
コンプライアンス的にダメだろう! という言葉が喉元まで出かかったけれど、暴漢は剣を構えているから、これは正当防衛だ。
うめき声をあげて倒れた暴漢を見て、ソアラはようやく事態を察したようだ。
「これ……追い剥ぎか」
ソアラは瞬時に身をかがめて腰に装備していたナイフ二本を一気に引き抜くと、暴漢に向かって投げた。
ナイフは暴漢をかすめ、けれども服を壁に縫い留めた。暴漢の動きが鈍る。ソアラは身軽に跳躍すると、暴漢の後頭部を鷲づかみにして手前に引き倒す。同時に膝で暴漢の顎を強打した。
顎を打ちのめされた暴漢は、ふらふらと倒れた。
「コ、コンプライアンスー!」
「……正当防衛」
思わず叫んだ私に、ソアラは淡々と返事をして、一仕事終えたように手をぱんぱんとはたいた。
***
こうして、ソアラも一緒に旅をすることになった。
ソアラは背が低いから、小さい子供に間違えられて、危険な目に遭うこともこれまでに何度かあったようだ。
巻き込まれているうちに、すっかり腕っぷしが強くなっていたらしい。
「まあ……よかったのかもしれませんわね。旅をする上で、腕の立つ者のいる方が安心できますから」
ターニャはちょっとだけツンケンしていたけれど、内心ではソアラの合流を歓迎しているようだった。
きっと、この前のようにヒヤヒヤするのは嫌なのだろう。
なんだかんだ優しいんだよねと、私はターニャを遠くから見て微笑んだ。ターニャはそんな私に気付いたのか、頬を染めて視線を逸らした。
「……リーナの猫パンチだけでは、心配ですもの」
「ふーんだ! ターニャ、私の猫パンチで気絶してたじゃん! 爪引っ込めてたのにさ!」
「それは……まあ……そうですけれど……」
「……猫パンチ、ふかふか?」
三者三様に好き勝手に話すので、私としてはちょっと困る。けれどもリーナとソアラは、割と仲良くなれそうだ。今も肉球をソアラに見せている。
「おお……ここ押すと、ニュッと爪が出てくる……」
ソアラが感嘆の声を上げたとき、私はふと、奇妙なことに気がついた。
「え、肉球? リーナって普段は、人間の手……だったよね?」
「自分で変えられるんだよー。戦うときだけ、こっちにするの!」
にゃーんと見せられたリーナの猫の手に、私はこわごわと触れた。ふかふかしていて、気持ちがいい。
……コンプライアンスを守るのは大切だけど、これは握手みたいなものだと、自分に言い聞かせる。
リーナがくすぐったそうに笑った。




