第二話 地方での革命とターニャ
「リーナばっかり、ずるいですわ!」
着替えてから宿屋の食堂に向かうと、ピンク色の髪の女性がぷんぷんと怒りながら、私の腕にしがみついた。
「ターニャ、おはよう」
「おはようございます」
ターニャの反対側の腕には、リーナがしがみついている。
私は両腕を引っ張られながら、ぼんやりとした。まだ少し眠い。二人とも胸が当たっている。やわらかくてふかふかした胸に、私はうんざりした。
セクシャル・ハラスメントだろう、これ。
「ご飯、食べたいんだけど」
「それなら、わたくしが食べさせてあげます。……はい、あーん」
木のスプーンでスープをすくって目の前に差し出してきたターニャに、私は絶句した。
「いや……自分で食べられるから」
「そうだそうだ! ミトは猫舌なんだよ!」
「リーナよりは、猫舌じゃないけどね」
「ほほほほ! 言われてますわよ、猫人間! ミトさま、お熱いのでしたら、ふーふーして差し上げますわ」
私は両腕にしがみついたままの二人を振り払って、自分でスープを飲んだ。
元の世界には、お酒を飲ませるアルコール・ハラスメントというものがあったけれど、これもちょっとしたハラスメントではないだろうか。
「ああミトさま、わたくしの『あーん』を、受け取ってくださらないのですね……」
「自分のペースで食べたいからね。早過ぎたらわんこそばみたいになるし、遅すぎたら、おあずけを待ってる犬みたいになる」
「ワンコソバって、なんですの?」
「そういう食べ物」
「さすがミトさま、博識ですわ!」
私がパンをちぎって食べる横で、リーナはパンを丸かじりしている。大きく口を開けてパンを押し込む様子を見ていると、喉に詰まらないのかなぁと心配になる。
「んにゃっ」
リーナが目を白黒させていたので、そっと水を差し出した。水をごくごくと飲み干す。
「ぷはーっ! ミト、ありがと!」
リーナの満面の笑みには、純粋な思慕が散りばめられていて、私は「そういうんじゃないんだけどな……」と視線を逸らした。
私はこの異世界では男性の身体をしているけれど、意識は女性のままなのだ。
リーナの好意は伝わってくるけれど、それに応えられるわけではない。
「ちょっとおバカなんじゃありませんこと? 猫人間。一気に食べたら喉に詰まるなんて、わかりそうなものですのに」
「ふーんだ。ターニャのエセお嬢様」
「なんですって!? わたくしは没落したとはいえ、地方領主の……」
いつものやりとりだ。放っておくと、つかみ合いのケンカになる。
私はスプーンを少し雑に机の上に置いた。
「そこまで」
私の声に、二人はしょんぼりとして、目の前にある食事に手を伸ばした。
***
リーナはこの異世界で倒れていた私を、助けてくれた恩人だ。
一方ターニャはというと、断罪されているところを助けたのがきっかけで、旅の仲間になった。
ターニャは地方領主の娘だったが、革命が起きたようだった。
私はこの世界に来て間もないし、旅人だから、ターニャの両親がどのような統治を行っていたかはわからない。
あとからターニャに聞いたところによると、他の領主が内紛を仕掛けたのではないか……ということだった。
私はファンタジー世界のことをなんとなくしか知らないけれど、革命軍の装備を見るに、誰かしらのバックアップを受けているのは明白だった。革命を起こすにも資金が必要だろう。
革命軍が「殺せ!」と物騒なコールを続けている中、私は一計を案じた。
ターニャの両親は残念ながら革命で亡くなってしまったが、「親の罪は子の罪」とばかりにターニャにまで詰め寄る革命軍を、私はコンプライアンス上の問題ありと判断した。子供にまで罪を負わせるのは人道的に間違いだろう。
「われわれの生活をおびやかした領主どもを、許さないにゃー!」
リーナの演技は棒読みだったが、革命の熱気にあふれた民衆は、特に気にしなかった。
革命軍に混じったリーナが、真っ先にターニャに峰打ちを喰らわせる。
「川に放り込んでしまえ! にゃ!」
意識を失ったターニャを、そのままリーナは川に放り込んだ。
領主の娘であるという理由だけでターニャの命まで奪うのは……、自分の手は汚したくない……そんなふうにどこかしら良心の呵責がある革命軍は、先陣を切ったリーナに従った。
革命の熱気に浮かされていても、保身は考えているらしい。誰かに責められたなら、旅人であるリーナがやったと言えばいいのだから。
旅人ならば、深い付き合いがあるわけでもなし、先祖代々の縁があるわけでもなし、スケープゴートにちょうどいいとでも考えたのだろう。
そうして意識を失ったまま川に流されたターニャを、私が助けた。
以来、ターニャはリーナにツンケンしているし、ターニャは私と行動を共にしている。
リーナも結構危ない橋を渡ったのだから、仲良くして欲しいのが本音だ。
***
私たちは旅をしている。
旅と言っても、特に目的地があるわけではない。元の世界に戻ったとして、きっと私は死んでいるのだろうし、ならばこの世界で生きて行くしかない。
どちらかというと、コンプライアンス上の問題の少ないエリアを探している……というのが正確だろう。
ターニャも元いた領地に戻ることはできないから、私の旅に付き合ってくれている。
でもリーナはというと、なぜ私の旅に付き合ってくれているのか、よくわからない。
おそらく私への思慕だとは思うけれど、私は元いた世界で女性だったし、今も心は女性のままだから、リーナの気持ちに応えることはできない。
元いた世界で、私は人事課に所属していた。社員のさまざまな事情を聞いてきた。中には、遠距離恋愛で恋人のいる地方への転勤を希望して、結局破局し、元いた支社に戻りたい……という社員もいた。
リーナを見ていると、そんな前世の記憶が蘇る。私はリーナと恋愛するつもりはないが、リーナがもしも私をあきらめたり、愛想を尽かしたりしたら、彼女はその社員と同じようなことになってしまうのではないか。
ときに恋は、人生を狂わせる。
だから私とリーナの間には、ちょっとした距離がある。リーナはお構いなしに、ぐいぐい距離を詰めてくるけれど。
高原の街道を歩いていると、さわやかな風が吹いた。空でピーヒョロロロロ……とトンビの鳴く声がする。
考え事を洗い流すかのような、のどかな景色に、私は目を細めた。
「ミト! こっちこっちー!」
荷物を抱えていても、リーナはさっさと道を進んでいる。
彼女が無邪気に飛び跳ねるたびに、大きな胸がぼよんぼよんと動く。
額に浮き出た汗を拭って、私はようやくリーナに追いついた。
「リーナ。クーパー靭帯って知ってる?」
「なにそれ?」
「それが切れちゃうと、胸が垂れちゃうんだって。将来のためにも、ちゃんとサラシを巻いて、胸を固定しといた方がいいよ。あんまり揺らすと、切れちゃうから」
「……ミトは、そっちの方がいい?」
首をかしげるリーナを見て、私は内心悲しくなった。
私が言ったのはお節介で、今の男性の身体ではセクハラに当たるかもしれない。けれど、誰かがいいとか悪いとかではなく、リーナ自身のために考えて欲しかった。
「お二人とも、足が早いですわ……」
ターニャがふうふう言いながら、ようやく私たちに追いつく。
風が、高原に生い茂る草をざわめかせていった。




