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運び屋ヨン  作者: SPICE5
第14章<異世界編>
41/41

14-4.少年達は邂逅する






 時を遡ること、半日前。


 ツキツキ達はホームセンターでの調達を終えて藤岡の自宅へと戻っていた。

 飛び石付きの庭園でジャージ姿の少女達が掛け声に合わせて屈伸をする。


「イッチニィいいかー、サンッシーお前らはー、ゴーロク身を守ることにー、シッチハチ集中しろー。気配を感じたらぁー、隠れるー。見つかる前にぃー、逃げるー」


 吉備北の声をBGMに生徒二人は身をねじる。 


「あーあ、チェーンソー、使いたかった、なっ」


 両足を揃えて跳ぶツキツキの隣で「仕方、ないよっ」と與野木がなだめる。


「上村さんが、総重量7キロをっ、持ち歩くのは、無理がある」

「分かってる、分かってるけどさぁ。ほら、映画でもJソンが持ってるし、なんか無敵って感じしない?」

「Jソンはチェーンソーを使ったことないよ」

「あれ、そだっけ」

「――丁度良い布がありましたよ」


 縁側から下りてきた藤岡が少女達に袋を渡す。中にはそれぞれオレンジと青の光沢ある布が入っている。


「奈々枝が分けてくれました。キュプラという素材でドレープが綺麗にでます。向こうに着いたらいつでも取り出せるように畳んでポケットに忍ばせてください。そうですね、一度着けてみましょうか。こうして右頬からぐるりと頭を覆って、顎下より少し横の位置で安全ピンが見えないようにこうやって……そう、そんな感じです。二人とも女性の参拝者に見えますよ」

「お前らアレみたいだな、ほら、ロシアの人形のマト……マトリョーシカ!」


 布を巻きつけた二人を見て、吉備北が笑いだした。 


「わははは! ……あー、上村睨むな、褒めてんだぞ。それだけ微笑ましく見えるってことだ。呑気、平和、人畜無害!」

「見た者を油断させるのも策のうちですから」

「俺もそれが言いたかった。舐めてかかられているうちは相手も本気を出さないからな。いざという時はそこを突け、躊躇するな」

「武器を持たせてもらえないのにどうやって戦えっていうんですかー! あたしもチェーンソー持ちたい、チェーンソー!」

「んな物騒なもん生徒に持たせられるか。怪我したらどうする」

「それ言いだしちゃったら何も持てないじゃないですかー! 別に戦わなくたって、音にビックリして逃げだすかもしれないのに」

「構わず向かってきたらどうする。武器として使いこなせるのか」

「ッ……練習、するし」

「言っておくが、基本構造から覚えておかないと動力工具は使いこなせないぞ。上村、お前チェーンソーの知識はどれくらいあるんだ。デプス量や目立てくらいは説明できるか」

「え……でぷす?」

「そもそも。150cmも無いお前がチェーンソー持って逃げようとすれば大きさと重さがネックになるだろ」

「その時は捨てて」

「なら最初から持っていくな。奪われでもしたら徹底的に調べ上げられて正体もバレる。中途半端に立ち向かっても藤岡のような腕ならともかくお前みたいな子供じゃ負ける」



 ――イベント会場での一閃の煌き。ひりつくような気迫。



 刀を振るう藤岡を思い返し、ツキツキは唇を噛み締めた。


「……でも、先生。それじゃ、何のためにみんなで行くの? 唯一戦える藤岡さんが酷いことをされている状況で、どうやってあたし達だけで助けて脱出するの? もしかしたら、戦うことになるかもしれないんでしょ? あたし……あたし、みんなの足手まといにだけはなりたくない」

「ばーか」


 広い手がわしわしと短い猫っ毛を掻き回した。


「そういう面倒臭い事はな、全ー部大人に任せときゃいいんだ。だいたい上村がいるおかげで藤岡を助けに行けるんだぞ? 変なことは考えずいつも通りに寝ろ。

 ああ、それから與野木」

「はい」

「向こうに着いたらマッピング頼んでもいいか」


 吉備北がスマートフォンを取り出し、與野木に渡す。


「カメラの無音アプリを落としておいた。無理のない範囲で大丈夫だからな」

「分岐点毎に全体と選択路をそれぞれフラッシュオンで撮っていく感じでいいですか」

「助かる。藤岡の嫁さんが目印をつけているらしいから、見かけたらそいつも入れておいてくれ」

「分かりました」


 ナイロン製のネックストラップに、スマートフォンが取り付けられる。幅広のナイロン紐には二つの金属製のリングが通っていて、そのうちの一つには十得ナイフや小型のLEDライトといったごつごつしたものばかりがぶら下がっていた。


「いいか、安全パーツが付いていないから首には掛けるなよ。いつでも効き手が入れられる方のポケットに突っ込んで、出す時は何も付いてない方のリングを指二本で引っかけながら取り出す」

「こう、ですか」

「もっと早く出せるか」

「練習します」


 眺めるツキツキの肩に手が置かれた。


「上村さん、大丈夫ですよ。ああやって吉備なりに考えがあるようですから」

「でも……」

「代わりに、あなたに覚えてほしいことがあります」


 空色の雨傘が、ツキツキの前に差し出された。 








 --------


 ------


 ----


 --


 :


 ・









 遠くにそれを目にした瞬間、ツキツキの周りから音が消えた。與野木が青布を持ち上げながら、眼鏡の奥で目を細める。


『あの部屋って……鳥籠? ゴッホの絵画のような渦巻き模様に、趣味の悪いミラーボール……煙が充満しているし、幻視や幻聴を誘発するための洗脳部屋ってところかなぁ……』

 

 確かに鳥籠のようにも見えた。けれども、そこに入っていたのは。


『えっ。ちょっ、ちょっと、上村さん?』


 駆けだしたツキツキの後ろを與野木の声が追いかけてくる。


 足がもつれる。息ができない。


(どうして……)


 間違いない、あれは。あの姿は。


 ツキツキは格子に飛びつき、力いっぱい揺すった。一見脆そうに見えるのにびくともしない。

 クッションに座る少年は、重く溜まった煙越しでもひどく顔色が悪かった。妖しく瞬く極彩色がとぐろを巻いて蠢く様に、見ているだけで吐き気がする。

 白と紺を基調とした清潔感ある寺院の中で、この部屋だけが異質だった。




「  ワ  ジ  ! !」



 少年僧が瞼を上げる。ふらふら彷徨う虚ろな瞳は、やがて、ツキツキを捉えて吃驚した。


「何故、ここにいるのです……! 出ていきなさい、早く!」

「いや!」

「行きなさい!」

「行かない!」

「言う事をききなさい! ツキツキさん!」

「 ば か !!」


 足を踏み鳴らしてツキツキは怒鳴った。ザヤックで子供達から教わった、愛しいひとをなじる言葉を彼女はもう知っている。

 

「ばかばかばか、ワジのばかっ!! どうしてこんな目に遭ってんの!? なんでこんなとこに入ってるの!? ねえ、早くここから出よう、こんな気持ち悪い場所、一秒だっていちゃだめ!!!』  


 途中から日本語になっていることにも気付かずに、中華鍋を振り上げる。ガンッ! ガインッ! 力いっぱい打ち付けても扉はびくともしなかった。


 こんなにも脆そうに見えるのに。

 こんなにも、目の前にいるのに。


『――上村さん落ち着いて』


 振り回す腕を掴まれ、耳元で囁かれる。


『やみくもに騒いだって目立つだけだ。一旦冷静になろう』

『だって……だってワジがいる……』

『ワジ? あそこに座る人のこと?』


 滑らかな青布がツキツキの頬を滑った。


『あれが……』 

『ねえ與野木君どうしよう、早くワジを助けないと、このままじゃ』

『うん。分かった、彼を助けよう。だから上村さんは落ち着いて。僕の言う事をちゃんと聞いて。まずは、ゆっくりと手を下ろすんだ』


 震える指から持ち手が滑り、派手な音を立てて中華鍋が回った。


「……ワジ?」


 おそるおそる呼びかければ、細い肩が小さく揺れた。


「ねえ、どうして……牢屋に入れられてるの……?」


 ――ここは、牢屋ではありません。

 ――自分の意志で、入っています。


 ツキツキへの返答にワジはそう答えた。あまりの美しさに惚れ込み、ここに泊まることを願い出たのだ、と。


 少年僧が立ち上がり、ゆっくりとこちらに近付いた。


「大丈夫ですよ」


 格子越しの笑顔が、どこまでも遠い。


「私は、大丈夫です」

「…………だいじょうぶじゃ、ない……」


 滲みだした視界の奥で土気色の笑顔が固まる。


「ツキツキさん本当に大丈夫ですよ、心配するようなことは何も」

「大丈夫な人は大丈夫って言わないっ!!」


 ツキツキは叫ぶと格子を掴んだ。


『與野木君、ボトルクリッパー!!』

『了解』


 全長90cmもの巨大なペンチが與野木のリュックサックから引き抜かれる。少女達は片側ずつ持ち手を握ると、目の前の縦棒を両側から咥え込んだ。鉄筋すら切り離すそれで「せぇ~のっ!」の掛け声と共にぎちぎちと力を込めていく。

 ややあって、小柄な少年であれば脱出可能な縦穴が生まれた。


「ワジ、行こう!」


 勢いよく差し伸ばした指先を、しかし相手は取らなかった。

 騒ぎを聞きつけた足音と声が、回廊の向こうから聞こえてくる。


『上村さん、反対側からも来てる! 間に合わない、中に!』


 少女達は穴を潜って鳥籠へと入った。少年僧の両肩を掴み、積み上げられたクッションに向かって勢いよく放り投げる。体力が落ちてフラフラな身体だ、これでしばらくは起き上がれないだろう。

 ツキツキはウエストポーチに指を伸ばした。ジッパーが動かない。四つの影が扉に群がるのを目の端で捉えつつ、何とかチャームを戻そうとする。布を噛んでしまっているようだ。ぎちぎちと手前に引っ張ってから、もう一度試す。動かない。だめ。怖い。やらなきゃ。怖いよ。もうだめだ。ううん、諦めない。絶対に、絶対にワジは守る。連れて帰る!



 ――上村さん、やっつけるつもりで向かっては駄目です。



 藤岡の言葉を思い浮かべ、ツキツキは大きく息を吐いた。隣では與野木がストラップを取り出し、LEDライトのスイッチを入れてからポケットに戻している。

 落ち着いて深く息を吸い、もう一度チャームを引っ張ってみる。今度はなんとかジッパーが動いた。開け口からステンレス製の棒を取り出し、T字状の握り手を指が白くなるほど固く持つ。



 ―― 一瞬でもいい、怯ませるんです。



「ワジはそこから動かないで!」


 キュプラの下で隠れるようにマスクと防塵眼鏡を装着すると、ツキツキ達は飛び出した。




 扉が開き、四人のうち二人の僧が順に一人ずつ入ってくる。顔をしかめて文句を言いながら、僧達は亡国の王子がぐったりと横たわっているのを確認した。前方には参拝用のヴェールをつけた少女と子供が寄り添うように立っている。こちらに背を向ける格好で肩を震わすその姿に、僧達はこの騒ぎを迷い込んだ参拝者のいたずらだと判断した。


「人騒がせな……」

「おいっ、何を勝手に入っている! どうやって柵を壊した! こっちへ来い!」

 

 ずかずかと大股で近付いた一人の僧が手を伸ばす。子供の腕を掴もうとした瞬間、がっ、と短く声が上がった。



 ――狙うのなら掴まれやすい場所よりも頭部です。喉に当てるのが効果的ですが、外れやすいので顔を突きなさい。どこに当たっても損傷します。



「躊躇するな、躊躇するな」


 ワンタッチで柄が伸びるアイアンステッキを構え持ち、ツキツキは震え声で繰り返す。先端には金属片が仕込まれているためツキツキのような子供でも突けば簡単にダメージを与える。

 隣では與野木が動いていた。ポケットの中でリングを掴み、胸元に向けて寄せるように引き回す。ライトを付けた金属リングがナイロンを滑り、スマホと重なり一塊となった。



 ――與野木、こめかみを打たれると脳への酸素供給が一瞬途切れるのは分かるな? つまり、ここを狙えば一時的に相手の視野を狭くしたり失神させたりすることができる。今から、俺を敵だと思って練習しろ。ライトを点ければ照準が合わせやすくなる。



 びゅうぅうっっ! 狙いを定め、與野木が手首の力を効かせながら回すようにして打ち込めば、残った僧のこめかみに簡易ブラックジャックが炸裂した。



 外にいた僧達は、呆然としたのち激高した。仲間は護身用のスタラト棒を持ってはいたが、よもや怯えた女共が歯向かうとは思わなかったのだろう。顔を覆ったり倒れたりとそれぞれに痛手を受けている。あのような、見るからに貧相な相手に。

 怒声と共に男二人が鳥籠の中へ入ってきた。怒りに目を燃やしながらスタラト棒を突き付けて逃げる二人を追いかける。と、棒を振り上げた一人の僧が突如ぐるん、とひっくり返った。與野木がクッション裏に先回りして頭から剥いだキュプラを敷き、片足が入った瞬間に思いっきり引いたのだ。身を起こそうとした僧の顔に魔法瓶から熱々のほうじ茶が注がれる。ぎゃあぁっと叫んで悶える足を、與野木はダクトテープで巻いていった。


 はあっ、はあっ。


 幸い逃げ足は速いためちょろちょろと動けているが、やはり身体を鍛えていないと長時間は戦えない。唸るような息遣いがすぐ後ろに迫ってくる。

 ツキツキは立ち止まるとステッキのT字グリップを下にして僧の足元をすくった。藤岡を相手にしての雨傘を使った訓練のおかげで、ちゃんと身体が動いてくれる。手を伸ばすことに気を取られていた僧は派手な音を立ててすっ転んだ。

 藤岡が教えてくれたツキツキの武器は、人一倍小柄な体型と素早さだ。

 意表を突け。容赦はしない。構造を知り尽くした日用品を武器にしろ。

 ツキツキはステッキを振り上げると男の踵を突いた。伝わる感触に逃げだしたくなる衝動を堪え、反対の足も傷つける。これで、追跡時の機動力が落ちた。

 

 はあっ、はあっ。


 少しでも気を緩めれば、張り詰めた糸が切れそうになる。滴る汗を拭いながらツキツキが振り返ろうとした瞬間、朱塗りの風が耳をかすった。


「この……ッ、修行位ワジ! 何故私の邪魔をする!」


 寸前でスタラト棒を弾かれた僧が怒鳴る。切り取った柵棒を持ち構えながら、ワジがツキツキの前に立った。


「行きなさい、ツキツキさん」

「やだ」

「行きなさい!」


 ワジは僧に向かって柵棒を突き出した。スタラト棒が旋回し、打ち込んだ棒を受け止める。そのまま数度打ち合った直後にワジの体が僅かに傾いだ。

 朱塗りの棒が振りかざされるのを、ツキツキは見た。


 はあっ、はあっ。


 喉が渇く。どくどくと鼓動の音がする。無我夢中でポーチを探る。


「ぜったい、」


 バーナー缶のスイッチを捻り、点火する。


「絶対、」


 殺虫剤の缶を掴む。

 

「連れて帰るんだからあああぁッ!」


 ボオオオオオオオウゥッ! 噴射した霧が火と交わり炎弾となった。絶叫と共に男が顔を押さえて床に転がる。毛の燃える、嫌な臭いが漂った。


「行くよ!!」


 呆然とする少年僧の手を掴むと、ツキツキは引っ張るようにして駆け出した。

 






『良かった……ちゃんといた……』


 庭園内の木影に隠れていた二つの人影を発見し、與野木は胸を撫で下ろした。


『ごめんなさい……勝手に先に出たりして』

『ううん。はぐれたらここにって最初に決めていたし、全員にダクトテープを巻いていたからどちらにしろ一緒には行けなかったよ』

『與野木君って、凄いね。そういう、ちゃんとしておかないと後で困るって事、あたしはすぐ頭から抜けちゃうから……』

『上村さんはちゃんと藤岡さんの指導通りに戦えていたよ。それってすごいことなんだよ。それから……はい、これ。こっちのスポドリが上村さんで、栄養ドリンクも付けるのはワジさん』

『わあっ、助かる。ありがとう、與野木君』


 カラカラになった喉にスポーツドリンクが染み渡る。小さなビニールに包まれた羊羹も配られ、三人は体育座りの恰好で水分と栄養を補給した。


「……ヨン殿の……仰る通りでした……」


 食べ終わった羊羹のフイルムとペットボトルを眺めながら、ぽつりとワジが呟いた。


「ツキツキさん、あなたは…………常世の人ではないのですね」

 

 こけた頬が、苦し気な息をつく。


「……こんな、力のつく物も、ここまで衛生的な瓶や包装も、見たことがありません。いきなり噴き出す炎の術も、全く消えない強い灯りも、触れると絵の出る黒板も……」

「ワジ……」

「――何故、私を連れだしたのですか」

「えっ」

「どうして、あのままにしておいてくれなかったのです」

「あの……だって、あんな酷いところにいたら、おかしくなっちゃうから、だから」

「私はあの場所にいなくてはならなかったんですっ!!」


 握りしめたペットボトルが形を変えていく。


「どうして約束を守れなかったんですか! あなたは連れて行かないと、最初にそう言ったじゃありませんか!!」

「あ、あの、ワジ聞いて、あたし」

「あなたはどれだけ大変な事をしでかしたのか分かっていますか!? 今更私が戻ったところで、もう、もう……っ!」

「……ごめんなさい」


 蚊の鳴くような声でツキツキは謝り、俯いた。



 恥ずかしかった。助けたら感謝されるものだと思い込んでいた。

 ワジが、本気で怒っている。

 どうしてだろう。どうしたらいいんだろう。

 

『上村さん。ワジさんは、何て言っているの?』

『……どうして助けたんだって。大変な事をしてくれたって。……あ、あたしのせいだ……どうしよう……、どうし、よ……』


 揺れだした視界を堪えるため、ツキツキは顔を両膝に埋めた。 


『――僕がなんとかする』


 目をしばたたかせて顔を上げれば、與野木が眼鏡の奥からワジを睨みつけていた。


『上村さんは、僕が守る』



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