14-3.鳥籠は開かれる
外から見ればこの部屋は鳥籠のようにも見えるのだろう。
十三鉱石を組み込んで紋様を描く円床に、重なり合った刺繍布団が極彩色の山をなす。色付き硝子と鏡でできた縦長格子が丸く囲み、双月光を透かしては虹の飛沫を幾つも生んだ。吊られた巨大な香炉からは、くゆる煙が重たく溜まり、徐々に頭が空虚となる。
――おそらくは、色と匂いの相乗により思考に弊害が及んでいる。
少年僧は瞼を上げ、銀盆に置かれた水差しを取った。煙がもたらす喉への痛みは、甘苦い中身で舌先を湿らす程度にとどめておく。
菓子盆に手を伸ばすふりをしながら、少年は辺りに目を配る。人けが無いのを確認してから、懐を探り紙片を出した。
あ りが と う
だい すき
たどたどしく書かれたそれを、何度読み返したことだろう。貰った菓子も文具の類も早々に奪われてしまったが、事前に破いて隠せたおかげで唯一無二はここにある。
―― ワ ジ
不意に聞こえた高い声に、瞼を下ろして視界を閉じる。
たとえそちらに目を凝らしても、けぶる視界の向こう側に望みを見ることは叶わない。既に五度目の幻聴だった。
書かれた文字を目にする度、空耳が自分を呼ぶ度に、湧き上がってくる衝動を息を止めてやり過ごす。
(離れたばかり、だからだ)
そうだ。
懐いていたチピタに似ていて、だから、庇護欲をそそられて。
見る度に違う表情で、だから、ついつい姿を探して。
笑った顔が太陽花のようで、だから、いまだに焼きついていて。
だから――、だからだ。
妹のような存在が急にいなくなったせいで、感傷的になっている。それだけだ。
それだけだ。
ワジは座禅を組み直した。
余計事に気を捉われては影児としての資格はない。贅を凝らした部屋にいるのは、諸処への誇示も含めている。
レナーニャと呼ばれるヨルダムの教えは、単一の世が素地である。
今ある肉の器が砕けて二度と補修ができなくなれば、『宿り気』はそこで潰えて終わる。気は零れて砂地に浸み込み、地神ゼラチェの御傍にて昏い安らぎを経た後に大地の一部と溶け消える。
つまりは今生を悔い無く生きよとの、簡潔で明快な教理であった。
だが。いや、だからこそ、根源恐怖を畏れる人は救いを求めて導きをせがみ、僧は経典を紐解いた。
古来の教えの言の葉の間より、知者は枝葉を伸ばしては安らぐ木陰を随所につくる。狡猾者は実を染めて渇いた喉元に見せつけた。
レナーニャ教には死後世が無くも、循環的な教義がある。
宿り気の円環と呼ばれるそれは、高い功徳を積み上げた気は祝祭月に目を覚まし、新たな器に灯れるという生き返りに似た観念だ。
功徳とは敬虔であり、その差異により環が決まる。善事や祈りは勿論のこと、僧院への参拝や寄付寄贈がそれとなる。信者は円環に加わるべく、熱心に祈り寄付をした。
そうして間も無く訪れるのが、年に一度の祝福月。
慈愛を注ぐ二つの月が歓喜に赤らみ膨れる夜に、地神ゼラチェを迎えるための盛大な祭りが開催される。共に上がった宿り気たちはあらたな器を探して回り、子を望む夫婦等が高い功徳にあやかろうと睦まじく過ごす夜ともなる。
大祭での神への供物は祭り終われば下げられて、信者の口へと入っていく。神具を燃して残った灰は守り袋に詰められた。
数ある神への捧げ物で最も上級で不可欠なのが、人の新鮮な臓物だ。
生贄は石台にて、四肢を縛られて割り裂かれる。神力を封じた十三鉱刃で臓器を全てくり抜かれ、部位毎に分けられては奉迎の儀にて使われた。
その容姿が美しいほどに、立場や品格が高いほどに、そうして信心深いほどに豊穣と水への恩恵が約束されると言われている。
――大勢の捕虜を盾にして改宗迫られたあの瞬間。定めは既に決まっていた。
亡国の王子が敬虔な徒となり自ら血肉を捧げれば、僧院権威を国内外へと知らしめる誘因となるだろう。人身供犠にて鉱刀振るう、剛将デぺも来たと聞く。
敬虔な徒を演じていても、真から染まりはしなかった。だからこの部屋に入れられた。
幻覚作用の飲薬に酔えば籠の鳥は箍外れ、神への渇仰を囀るだろう。
刃先が胸を突き破るまで酩酊状態を保てれば、怖れからは解放されよう。
されども自分は影である。ワジェライル殿下の影である。
最期を迎えるその時までは、矜持を保つと決めていた。
ワ ジ !
六度目となる幻聴に少年僧は瞼を上げた。未練がましい己の頭に、現を教えてやろうとした。
――揺らめく煙の向こう側で、柑橘色のヴェールが揺れる。
――暗褐色の眼差しが、こちらに向かって瞬いた。
「何故ここにいるのです!!」
身を乗り出して激昂すれば、手首が擦れてじゃらりと鳴った。
顔のほとんどを覆っていても彼女なのだとすぐ分かる。
「出て行きなさい、早く!」
「いや!」
「行きなさい!」
「行かないっ!」
「言う事をききなさい!! ツキツキさん!!」
「ばか!!」
少女は足を踏み鳴らして怒鳴った。
「ばかばかばか、ワジのばかっ! ●。〇◎◎、。●●、〇● ◎◎●~~ッ!!」
がんっ! がんっ! 持っていた大鍋を、ツキツキは格子に向かって何度も何度も叩きつけだした。
「止めなさいツキツキさん、人が来ます!」
「〇。、●◎ ◎●――! 〇●◎ッ!」
「音を立てては駄目です、見つかってしまいます」
「〇●◎! 。●◎ ●!」
「ツキツキさん!」
「 ―― 〇」
青いヴェールに眼鏡を着けた娘が、振り下ろす腕を押さえていた。聞き取れぬ言葉を交わし合ううちにツキツキの唇が震えだす。……くわん、くわん。力を失った指先から、丸い大鍋が地に落ちて揺れた。
「……一体どうやって、ここに入ったのです」
「ねえ、どうして……牢屋に入れられてるの……?」
問い返されて言葉に詰まる。
「私、は……私の意志で、ここにいます。私がそう望んだのです。それにツキツキさん、ここは牢屋ではありませんよ。ほら、とても素晴らしい細工でしょう? あまりの美しさに、そうです、この部屋に泊まらせていただくことを上層に願い出て、そうして、叶えていただいたのです……」
苦し紛れの言い訳に少女は何も答えなかった。ただ黙って、自分を見ていた。
……沈黙が、苦しい。息の仕方を忘れてしまう。
ワジは布団で両手をくるむと立ち上がった。ふらつかないよう慎重に、床を踏みしめ近付いていく。
自分がここにいる理由を、彼女はまだ知らない。ならば間に合う。寝静まっている今なら、まだ。
「――ツキツキさん」
格子越しに片膝をつく。
明るい色のヴェール姿が、思っていた通りよく似合う。
やはり太陽花のようだなと思いつつ、ワジは安心させたくて微笑んだ。
「私は、大丈夫です」
途端に少女の顔が歪んだ。
「…………ぅく、……うっ」
――あなたが泣くことは、ないというのに。
伸ばしかけた指先を、布団の下で握り直す。彼女にこんな顔をさせておきながら、拭ってやれない自分が情けなかった。
「……だいじょうぶじゃ……ない……」
「ツキツキさん本当に大丈夫ですよ、心配するようなことは何も」
「大丈夫な人は大丈夫って言わないっ!!」
少女は叫ぶと格子を掴んだ。
「ヨノギ◎〇◎●◎!」
「〇」
眼鏡の娘が頷き、背負い袋を床に下ろす。鋏にも似た鉄製の大器具が格子の縦棒を咥え込み、二人がかりでの渾身の力が加わりだした。一回。二回。三回。顔を真っ赤にしながら抑え込むこと四回目、バツンという音と共に上方の一端が切断された。次いで下方も同様に、器具が開いてあてがわれる。
やがて呆然とするワジの前に、痩身であれば何とか通り抜けられるであろう隙間が完成した。
「ワジ、行こう!」
意気込んで差し出された手を、しかしワジは取れなかった。
「……行けません」
首を横に振りながら、じりじりと後ずさりだす。
「私は……やることがあります……」
突如手元を包んだ布団を掴まれ、強い力で引き剥がされた。布団を掴んだ青い少女が柵隙間から入ってくると、眼鏡の奥から睨みつける。
隠すものが無くなった少年僧の手首に、鎖と枷が現れた。
「……私がここを出ていけば、代わりに犠牲となる人が出ます」
ワジは下手に誤魔化すことを諦めた。彼女達はこの状況を打破できるものだと思っている。けれども女性二人と今の自分が逃げたとて、待ちうけるのは絶望の縁だ。ましてや元の自分は助けるに値しない影であり、光の威を借り逃亡するには失う物が多過ぎる。
「ですから、どうか私の事は捨て置いて一刻も早く離れてください。現状を見られてしまえば何を言っても許されません。今のうちに――」
「其処で何をしている!」
鋭い怒声が後方より飛んだ。スタラト棒を小脇に抱えた見回り僧が怒りを顕わに駆け寄って来た。後方からも光が二つ、揺れながらこちらに向かってきている。
「逃げなさい!!」
ワジはツキツキに向かって叫んだ。
「早く!! 外へ!!」
「ツキツキ◎、●。◎!」
青い娘の呼び声に心得たように頷くと、隙間からツキツキが肩を捩らせ入ってきた。
「な……っ!? そ、外ですよ!? 外に出るのです!」
「〇●●〇、〇●●、〇●●ッ、〇。●!」
「〇◎! ワジこっち!」
少女達は同時にワジの肩を掴むとぐいぐいと押し、積み上げられた布団に向かって勢いよく放り投げた。それぞれのヴェールを剥がし広げるように床に敷くと、荷物から器具を取り出した。
「ワジはそこから動かないで!」
口元を白い布で留め、頭にも着けていた巨大な眼鏡を下ろすと、少女達は駆け出した。
「つ、キツキ、さ……、っ」
起き上がろうとした瞬間、血が下り、視界がぐにゃりと歪んだ。幻覚煙と薬のせいでうまく身体が動かない。投げ出されたことも手伝ってか、強い眩暈と吐き気がする。
前方で、争う声と悲鳴が聞こえる。
助けねば。彼女は弱い。助けねば。
(…………焦るな……)
ワジは目を閉じ、呼吸した。
――窮地では揺るがぬ心にて鎮静するが近道。
ゆっくりと唱えつつ、低く頭を下げていく。血と呼気が脳天まで回らないために、めまいや吐き気を引き起こし意識を無くそうと働くのだ。ならば胸よりも低く、低く、静かに呼吸を整え……そうやって、血が天辺まで行き渡るのを確認した。
身を起こしながら瞼を開き、足元回りを確認する。薬の入った水差しに葡萄の載った銀製の盆、足元に積まれた布団の海。ワジは銀盆を手に取りながら、次いで顔上げ視野を広げた。
檻の扉は開かれている。入り込んだ僧は四人。くしゃくしゃになったヴェールの傍で一人の僧が手足をぐるぐる巻きにされている。反対側では顔を押さえて叫んだり気絶をしている僧がいる。残る一人は少女を相手に戦っている最中だった。
……戦って、いる。
『 アリガ、トウ 』
盗賊に襲われる緊張の中、ぎゅっと僧衣を掴んできた小さな手。
恐怖にしがみつく頭を撫で空いてやった、あの日の記憶。
ワジが信じられない思いで見ていると、気絶していた男が起き上がり、よろめきながらスタラト棒を掴んだ。
ワジは狙いを慎重に定め、銀盆を力いっぱい横投げした。呪術効果補助と自傷行為の防止のため、部屋にある小物の類は全てが丸く作られている。透かしの入った丸盆はこめかみへの狙いを外し男の肩にバシン! と当たった。怒りに燃え上がった目が、こちらを向く。
ワジは男に片手を上げ、注意を引き付けながら牢獄の中を見回した。足元に積まれた布団を持ち、迫るスタラトの一撃を受ける。そのまま返すようにして手放すと、力の入りきれない足で檻に向かって駆けだした。
実戦の経験は皆無である。
それでも、彼女達を逃がすために今の自分が取る道は一つ。
格子隙間より手を伸ばすと、ワジは切断された縦棒を握った。




