12-2.再会
恰幅の良い門番僧の視線がじろじろと二人の頭から爪先までを往復した。その迫力に負けまいとワジは声を張り上げて名乗った。
「ラピド僧院より指令を受け参りましたワジと申します。こちらの運び屋と共に入門の許可をいただきたく存じます」
「――暫し待て」
門番の一人が門の奥へと入っていき、ややあって、黄僧衣に冠を着けた男を連れて戻って着た。
「書状は持ってきておるか」
ワジが懐から巻物を取り出し渡すと、男は広げて目を通しながらヨンの顔をちらりと見た。
「……よかろう。両名付いて参れ」
石畳の外廊下を男の後に続きワジとヨンは歩いた。廊下の白柱には砕いた鉱物が網目模様に貼り付けてあり、中央の大庭園には生茂る緑の合間を瑠璃色の鳥が羽ばたくのが見えた。
延々と続く石畳の道を幾度も曲がった末、男は奥にある扉を開くと「中で待て」と言い残して去っていった。
丸窓から射す光がざらりとした白壁と水差しの花を照らす。座椅子に円卓、水差しと椀がいくつかある以外は特にこれといった特徴の無い部屋だ。
「大変立派な建物で……」
ヨンに話しかけようとしたワジは、彼女が入り口傍に小さな青い何かを貼り付けている事に気付いた。
「それは……」
尋ねようとすると、くい、と親指で戸口を指された。外に見張りが立っているらしい。
ヨンはワジの傍に立つと袖を捲り上げ手首を見せた。そこには細長い四色の三角模様が交互に組み合った革製の腕輪が通っていた。
彼女は荷物から大学ノートを取り出すとボールペンで走り書きをした。
『緑→右へ、黄→左へ、青→危険無し、赤→警告
壁と柱に貼り付ける。戻る時は矢印の逆へ向かえ』
ヨンは荷物を探って同じ腕輪を取り出すと、ワジの袖をめくり手首に通した。試しに爪先で三角模様柄を弄ってみると簡単に剥がれて指先にくっついた。
さらさらとペンによる走り書きが追加される。
『単独行動の際は使用しろ。
色の意味を頭に叩き込め』
ワジは黙ってノートを眺め、書かれた言葉を覚えた。
その間、ヨンは荷物から四色のつるりとした細布が巻かれた塊を取り出して先を摘んで引っ張った。ハサミを使って交互に切り込みを入れ、腕輪の隙間に新たな三角柄を貼り付けていく。
やがて、『覚えたか?』と確認するようにトントン、とノートがつつかれた。
ワジが頷くと、ヨンはハサミでその箇所を切り取ってくしゃりと丸めた。それから準備していた銀の小皿の上に置き、懐から小さな箱を取り出して中に詰まった楊枝を抜いた。楊枝の赤い先が箱に当たると一瞬で火が点り、メラメラと丸まった紙が燃え上がる。炎が完全に消えてしまうとヨンは懐から小箱を取り出し、残った灰を慎重に移して蓋をした。
そうやって、使用したものを全て荷袋にしまい込むと、
「喉が渇いたな」
とのんびりした調子で呟いたため、ワジは慌てて水差しと椀を掴み、彼女に給仕をしたのだった。
* * *
「おお、そうか……ようやく着いたか」
暗い部屋に舞い込んできた知らせは、男を喜びに震えさせた。
「長かったぞ……この日をどれだけ待ち望んでいたことか」
呟きと共に、ぎちり、と何かが軋む音がする。
「なあ? お前も聞いていたよなあ?」
ぎちぎちぎち。
軋み続ける音にぽたぽたと水音が混じりだし、男は手にした杯でその雫を受けた。
「が、ぁ……ッ」
堪らず漏れた呻き声の主を見て楽しげに笑うと、その男は杯をぐびりと飲み干し、錆びた匂いの篭る拷問部屋から出て行った。
* * *
「――修行位ワジ。面を上げよ」
低頭していたワジが顔を上げると、冠に長い白髭の人物が高台の椅子に座り見下ろしているのが見えた。
金糸の経文交じりの裾がワジの近くまで垂れ下がり、この国にただ一人しか纏えない大僧正の地位を表わしている。額から髭周りまで深い皺が刻み込まれており、目の上には長く白い眉が覆い被さっている。遠く離れても分かる威厳に身体が緊張で固まってしまう。
「よくぞ運び屋一人でここまで到達した。さぞや道中難儀した事だろう。
しばらくはゆるりと身体を休め、旅の疲れを取るが良い」
横に立つ補佐官が大僧正の口となり話しかけてくる。
「恐れながら、大僧正様にお願いしたい事がございます!」
ワジは顔を上げ、遠くまで届くよう必死で声を張り上げた。
「私は生涯レナーニャの徒でございます! 大僧院の門を出る事は二度と無いと誓います!
ですからどうか、どうかお願いでございます! いまだ捕らえられているヨジェリアの捕虜達を全て解放してはいただけませんでしょうか!」
周りに並ぶ高位僧達が驚き呆れたような顔をしてワジに侮蔑の視線を送る。最も低位置にある修行位が大僧正に願い立てなど、とても許されぬ行為であり、即座に退出、厳罰処分ものだ。
だが、顔をしかめて睨みつけながらも、僧等は黙って成り行きを見守るしかなかった。目の前にいるこの少年僧がただの修行位で無い事は誰もが知るところであったためだ。
資源と人材に恵まれていた、今は亡き隣国ヨジェリア。
目の前にいる少年は、元第一王位継承者ワジェライル王子である。
大僧正が口を開くまで暫く間があった。
ワジが握り締めた掌は汗でぬめり緊張に震えていた。発言が却下されれば失態の罰として自分だけではなく捕虜達まで酷い目に遭う可能性もある。
だが、それでもここで約束を取り付けておかねば、捕らえられた者達はおそらく死ぬまで牢の中だ。
徳と位が最も高い大僧正に対しての、ワジのいちかばちかの賭けであった。
「――お前には、その身を捨てる覚悟があるか」
僧正の言葉を補佐がゆっくりと伝える。
「はい」
ワジは即答した。偽りでも、今はヨジェリアの王子としてこの場にいるのだ。
王子として、民を守る為にはどう答えるべきであるかは分かっていた。
「この身はヨジェリアの民の為にあります。
如何なる処遇も受ける所存です」
同時刻、ヨンは荷袋を背負ったまま報奨金を受け取るため別所へと案内されていた。
黄僧衣の男の後ろを歩きながら辺りの光景を目に焼き付け、ビニールテープの矢印を要所要所で気付かれぬよう素早く貼り付けていく。
幾度目かの角を曲がり、豪華な朱色の彫りが入った扉の前で案内の男は立ち止まった。
「こちらで報酬を受け取るがいい」
部屋に入るのを見届けようと男が立っているため、ヨンは扉を開くと一人中へと入った。
逃げ出そうと思えば何時でも突破できる自信はある。だが夫であるリュージンをここから見つけて助け出すまでは目立つ行動はすまいと決めていた。
逆光により、木の皮で編んだ網の衝立の向こうで座る影が透け見えた。
扉を開いたその瞬間からヨンは僅かに血の匂いを感じていた。マントの隙間に手を伸ばし、そっと柄に触れておく。相手からの殺気は感じないものの、いつ攻撃を受けても反撃可能な間合いは取っておく必要があった。
「運び屋だ。今回の報酬を受け取りに来た」
ヨンの台詞にガタリ、と勢い良く椅子がずれる音がした。
「――その声を聞きたかったぞ」
衝立を引き出てきたその姿を認め、ヨンの顔が強張った。
「……何故……あなたが、此処にいる」
「迎えに来たのだ」
逞しく鍛え抜いた身体に艶々と光る甲冑を身に着けたその大男は、両手を広げながらゆっくりと近付いてくる。
「もう二度と離さないぞ、ヨジェリアン。
我が妻よ」
エメラルドの瞳がぐらりと揺れた。




