11-1.少女は恋を自覚する
シャワシャワシャワシャワ……。
相変わらずなセミの声。カーテン越しに朝日が透けて枕元まで届いている。
今が夏休みで本当に良かった。
疲れが全く取れていない。
あたしは寝転んだまま格好のまま腕を上げ、握った手のひらをゆっくりと開く。
『て。つないでも、いい?』
朝がくればお別れだからと、昨日は寝る前にそう誘ってみた。
ややあって重なった温もりに、安心して眠りへと入る。
『ワジ……だいすき……』
暗転間際に呟けば、そっと握り返された気がした。
ワジは優しい。お兄ちゃんみたいだ。
暇さえあれば毎日必ずヨルダム語を教えてくれた。覚えるまで何度も何度も一緒に発音してくれた。
砂漠に盗賊が出た時は、自分だって怖かったはずなのにあたしを守ろうとしてくれた。一人で外に出た時には、びっくりするくらい心配された。
まっすぐにこちらの目を見て話すから、あたしの方が恥ずかしくなって途中で目を逸らしてしまう。
ご飯の支度が丁寧で、食材毎に切り方を変える。
服を畳む指の動きが綺麗で、いつまででも見ていたくなる。
同い年のはずなのに、あたしの世界での男の子達とは何だか全然違うなと思う。
確かについさっきまで、ここに温もりを感じてた。
ワジと手を繋いでいた。
(藤岡少年がおかしくなるはずだよ……)
最近ではどちらの世界にいるのかが、すぐには分からなくなってきている。
「トモー、起きなさーい! 味噌汁冷めちゃうわよー!」
「はぁーい」
夏休みであろうとも、決まった時間に食卓を囲む。たとえその後に二度寝しようとも、家族揃って食卓を囲むのが上村家でのルールだ。
のろのろとベッドから降りようとして、何かが足首に当たったのに気付く。
「これ……」
金属製のアンクレットが鈍い光を放っていた。表面に刻まれたそれなんなのかは分からない。
指先でしばらく表面をなぞってから、パジャマ代わりのTシャツに手を掛けた。
「ツキツキぃ、なぁんか今日、変」
ルシャーペンを上唇と鼻の間に挟んで頬杖をついたまま、ルビちゃんが尖り口で言う。
「えっ、そう?」
慌ててシャーペンを握り直し、英語のプリントに取り掛かった。
今日はあたしの家に集まって夏休みの課題を解いている。勉強ができる七村にも縋りつこうとしたところ、
「今ねっ、水族館にいるんだ! お土産買ってくるね!」
と、ウキウキした声で報告されてしまった。
ルビちゃん曰く、「あの声のトーンはデート」らしい。
デートかあ。七村の相手って、一体誰なんだろ。
與野木君は違うって否定されたばかりだし、ちょっと、いや、かなり気になっている。
「ふっふっふ。やっぱ恋してたら勉強なんて手につかないよねぇ~、ツキツキ♡」
ルビちゃんに同意を求められ頷く。そうそう、手につかないよね、恋なんてしてたら――、って。
「……へ?」
あたしはぽかんと口を開けて、ルビちゃんを見た。
「なあにぃ、ツキツキその顔変~」
きゃっきゃっとルビちゃんが手を叩いて笑う。
「あ、の。今、何て?」
「『その顔変~』」
「その前」
「何か言ったっけ?」
恋。
恋って言ったよ! ルビちゃん!
「うっそ……こ、い……って、恋? は? ち、違う、違うもん! だってお兄さんみたいだし、それに……」
パニックになったあたしに、ルビちゃんは不思議そうな顔で「違うの?」と尋ねてきた。
「だってツキツキ、ぼーっとしたり、ニヤニヤしたり、泣きそうになったりして、ずっと上の空だもん」
「……えっ、そんな顔、してたの? あたしが?」
「うん」
「ずっと?」
「うん。ずーっと」
「うっそ……」
挙動不審っぷりを教えられて血の気が引く。
待って、ちょっと待ってよ! 恋ってさ、もっとルビちゃん達みたいに、甘酸っぱくてふわふわしてるもんじゃなかったっけ!? だってあたし、ラクダに乗って旅して言葉教えてもらってただけだよ!? 何ら特別な思い出無いよ!? そりゃ盗賊に襲われた事もあったけど! 恐ろし過ぎてドキドキどころじゃなかったんだってば!!
誰に対してだか分からない言い訳を心の中で絶叫しながら、わしゃわしゃと頭を掻き毟る。
「そんな、あ、あ、あ、う、うそ……」
「ツキツキ? あの、落ち着いて」
ルビちゃんが若干怯えている事に気付き、あたしは慌てて落ち着こうと深呼吸をした。
すうーっ、はあーっ。
ふう。
息を付いた途端、ワジの顔が、ぼわん、と浮かぶ。
「っひぃゃあああっ」
突然の自覚にどうしていいか分からず、あひゃあおひゃあ叫びながら顔を覆いだすあたしを見て、ルビちゃんは止める事を諦めたらしい。
「――落ち着いたら、ここの問題教えてねぇ」
そう言って、一人課題に取り組みだしたのだった。




