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運び屋ヨン  作者: SPICE5
第10章 <異世界編>
28/41

10-4.三十三番の影児



***



その大商人は慈善事業を積極的に行った。

 中でも幼子への篤行は大きく、年の瀬になると馬車を出し国中にいるみなしごを自ら集めて屋敷に戻った。

 連れて来られた子供らは年明けまでの数日を好きなだけ自由に遊んで過ごす。石鹸付きの広風呂にテーブルいっぱいの温かな食事。好きな玩具を弄るうちに瞼が重くなったなら柔らかなベッドが待っている。夢のようなひとときは新年祝いの夜まで続き、やがて土産の袋と共に子達は故郷に返してもらう。帰宅を拒んで留まりたがれば孤児向け施設が紹介され、実際毎年何人もの子が帰郷を拒み残るのだという。

 ここまでが、慈善事業の表向きの話だ。

 

 商人という生き物は儲け話に敏感である。奇特な事業に手をつけるのは見返りの旨味が強いため。

 そう、心象の良いこの話にも勿論のこと裏がある。


 薄汚れた幼児の中には獄稀にだが見目が良く賢い子供が混じっていて、そういった子のほとんどは泊まった翌日に姿を消した。


 表向きには孤児向け施設へ。

 種を明かせば真夜中のうちに屋敷の外に連れ出され、人里離れた施設にて教養を高め、洗脳される。


 影児かげごと呼ばれる彼らの価値は、極々僅かな層にしか知り得ることなき存在だ。

 命の危機にさらされる者は自分に似せた影を持つ。平時は人目につかぬよう奥傍にて控えさせ、有事には身代わりとして表舞台に立たせておく。

 光として散るこそ使命だと、表舞台に立つことなかれと厳しく教えを受けた影児達は、主に代わって死ぬことこそが誉れなのだと信じ込む。

 彼らは名前を持たずに育つ。名に潜む性質が溶けて交わり個となって邪魔となるのを防ぐためだ。首から下げた通しの数が呼び名代わりに使われた。




 『三十三』と書かれた札を首から下げた子供もまた、そうして育った一人である。

 夜明け前に止まった馬車が黒塗り扉をキィと開く。緊張の面持ちで降りようとした少年の足は地を踏む前にもつれてしまう。数日の間暗闇で俯きっぱなしの首を上げれば、黒い相貌に映ったのは目にも鮮やかな大御殿。


(ここに、私の光となられるお方が……)


 何でも自分はこれまでの中で最も高値がついたという。

 ならばそれに見合うだけの立派な影にならねばと、三十三は緊張と期待で身体を震わせ誓ったものだ。

 だがどれだけ意気込み覚悟を決めたところで、実際に主の拝顔を賜る機会は一度たりとて持てなかった。

 敷地最奥にある貯水池よりも更に奥の雑木林。その中に建てられた庭師道具を入れる小屋に影児はひっそりと住み隠れた。日中は決して表には出ず、夜の僅かな散策の際は高貴な身分の証となる艶やかな長髪を帽子で隠し、庭師見習いの服を着て木束を背負い外に出た。部屋に篭って勉学に励み、主となる方の口調や仕草は訪れる講師に教わった。香りの良い長箱には煌びやかな衣装と冠の他に宝剣の写しが仕舞ってあり、影児は毎日手入れをした。

 知られてはならぬ存在ながら訪れる者も数人いた。主専属の教師が一人、主専属の使用人の頭、それからドルタス・タタールという将軍だ。


「あなたを知る者は最小限に留めております」

「立派に仕上がるよう励め。今はまだ殿下すら存じない段階だからな」


「――私はヨジェリア王国第一王子、ワジェライル殿下」


 衣装に腕を潜らせながら、三十三番の影児は呟く。

 これが、光となる方の御名前。





 ある夜、三十三番の元に主の母であられるエヴァリア妃が訪れた。

 ドルタス将軍に連れて来られた彼女は、影児を目にした途端、「まあ」と口元に手を当てた。


「ここまで似ているとは思わなかったわ……タタール、この子は本当に王家と血縁関係が無いの?」

「はい。身寄りの無い影児です」

「信じられない……ワジェライルの弟とでも言われたら、きっと誰もが信じてしまうに違いないわ」

「これの存在を知るのは王とエヴァリア様の他に使用人のゼネッタに教育係のヒュエム、それから私の娘以外におりませぬ」

「ふぅん……いらっしゃい、もう一人のワジェライル」


 エヴァリア妃の手招きに、頭を下げたままそろそろと影児は近付いた。

 恐れ多くも王妃の御前だ。とても顔を上げることなどできない。

 身を固くして低頭していた彼の身体を、ふうわりと柔らかな衣が覆う。


「今夜は冷えるでしょう。被っていなさい」


 優しい声が頭上より降る。

 ――エヴァリア妃が、自身の衣を自ら被せてくださった。

 事の大きさに恐れおののき、三十三はますます低く頭を垂れた。


「そんなに緊張しなくていいのよ、ここには私とタタールしかいないから。

 さあ、頭を上げて。もっとよく私にその顔を見せておくれ」


 王妃の言葉におずおずと三十三は顔を上げた。緩やかな黒い巻き毛の美しい女性が優しい瞳で自分を見ている。


「まあ。近くで見ても、そっくり」


 可笑しそうな声で呟くと、王妃はそっと影児の頬に手を置いた。


「もう一人のワジェライル。私を本当の母と思って、かあさま、と呼んでごらん」


 恐れ多さに全身からどっと汗が噴き出した。だが王妃はきらきらとした瞳でこちらを見ている。

 御期待に、応えなければ。


「あの、か……か、か、か」


 そうしてひとしきりどもった後で、


「かあ、さま」


 小声ながら、何とか呟くことができた。

 エヴァリア妃は満足気に頷くと、優しく頬を撫でてくれた。


「ワジェライルの影児……いいえ、そんなつまらぬ呼び方はやめましょう。あなたを私はワジと呼びますから、あなたもワジェライルと同じように、これから私をかあさまと、そう呼びなさい。そうしたら、こうしてまたここへと遊びに来てあげましょう。

 ワジ。しっかりと励みなさい」


 この瞬間、三十三番の影児は『ワジ』へと生まれ変わったのだ。








 燃えさかる城の中、多くの人々が殺されていた。遠くで悲鳴と泣き声、怒声が飛び交うのを聞きながら、ワジは王子の衣装を着て冠を被り、宝剣を差して飛び出した。

 今こそ、自分が動く時だ。


「おお! 無事だったか!」

 

 宮殿に入り長い廊下を駆け抜けているとヨルダムより戻ってきたドルタス・タタールと鉢合わせした。既に幾人も切り捨ててきたのだろう、その巨体は返り血を浴びて紅に染まり、錆びた匂いを放っている。


「タタール様、ワジェライル様は」

「おそらくはこの先にいらっしゃる筈だ。影、ここでお前がやられても意味が無い。来い!」


 頷くと、ワジはドルタスと共に駆け出した。


 ぶすぶすと膨れる煙が肺に入り、息が止まりそうになる。目が霞む。次々と火の手が上がる中、回る炎より恐ろしいのは黒煙だった。

 ドルタスは出会った敵を片っ端から大剣で切り捨てていった。血糊と脂で切れが悪くなる度倒れた敵から武器を抜き、ワジが拭布で大剣を拭う合間に拾い武器で切りつけ喉笛を破り止めを刺す。巨体から繰り出される流れるような剣捌きは、成る程『ヨジェリアに武神有り』と言わしめた惚れ惚れするような動きであった。


 やがて、二人は裏口にある地下通路へと繋がる隠し扉の前に辿り着いた。

 ドルタスはびっしりと生えた蔦を掻き分け、入り口に侵入跡があるのを確認してから慎重に石扉をずらした。


「王! ドルタス・タタールが参りましたぞ!」


 ややあって、中より反応があった。どうやら、エヴァリア王妃を初めワジェライルと数人の王族は、無事ここまで逃げる事ができたらしい。


 ――国王はいらっしゃらない。


 それがどういう意味なのか、ワジに尋ねる事などできなかった。


 ドルタスはワジに見張っているよう言いつけて、中へと入っていった。

 敵兵を警戒しつつワジが辺りを伺っていると、


「……ワジ?」


 石扉の奥より、そっと声がかけられた。


「か」


 いつものように応えかけ、慌ててワジは口をつぐむ。


「――影よ、聞こえるか。将軍として令を出す」


 ドルタスの力強い声が響く。


「これより私は王族の方々をお守りしながら通路を抜け、国外へと脱出を図る。

 お前はできる限り離れた場所にて人目につくようにして逃げろ。王子と分かれば即座に殺されはしないだろうから、なるべく時間を稼いでから、役目を果たせ。

 できるか」

「はい!」


 ワジの返事に迷いは無かった。


 その為に自分は呼ばれたのだ。

 影児としての役目を果たす今こそ、己の名誉となる時だ。


 外側より石扉を閉じようとしたワジに、


「――ありがとう」


 エヴァリア妃が礼を言った。


「お任せください!」


 なるべく安心してもらえるよう、努めて元気な声でワジは答えた。

 エヴァリアは少し間を空けたあと、ためらうように続けた。


「……生きなさい、ワジ」


 ともすれば聞き間違えとも思えるほど、小さな声。


「――御無事を祈っております」


 扉を閉め終え封印をすると、ワジは上から蔦を被せた。

 身を翻して向かうのは、再び宮殿の中だ。




 はあっ、はあっ、はあっ。


「いたか!」

「いや、あっちを探せ! おれは藪を見る!」


 兵士達の喚き声がだんだんと近くに迫る。


 震える腿を思いっきりつねり、それだけではたりなかったので頬も叩く。しゃらしゃらと手足に付けた細い金の飾り輪が擦れて軽い音をたてた。

 ごうごうと燃える炎の中、金色の装飾品に身を包み、冠を付けた髪の長い少年が煌びやかな衣をまとい城の中を走っていく。


「おい、いたぞ!」

「捕まえろ! 生け捕りだ!」


 怒鳴り声と共にひゅううん! と矢が耳傍をかすめた。


『身代わりになることを名誉だと思え』


 そう教わり、その通りだと思っていた。覚悟はできているつもりだった。

 だが、実際はどうだ。

 怖い、と震える足が叫んでいる。

 死にたくない、と乾いた呼吸が訴える。


「かっ、かあさま」


 本当は呼びたくてたまらなかった言葉が、ワジの口から飛び出す。


「かあさまっ、かあさまかあさまかあさま」


 どこまで逃げおおせられたでしょうか。

 わたくしはお役に立てましたでしょうか。


 震えてもいい、転んでもいい。ただ決して、泣く事と喚く事だけはしてはならなかった。

 それが、王子の影である自分の矜持。


 ぐい、と乱暴に髪が掴まれた。どすん、と転び、もがこうとしたその手足をぎりぎりと踏みつけられ、


「―― つぅかまえたぁ」


 下卑た笑い声が遥か頭上より降ってきた。


(これまでか)


 舌を噛み切り死のうとした、刹那。


『……生きなさい、ワジ』


 頭に響いたその言葉が、自決の衝動を押さえ込んだ。


 

(――かあさま)



 そう呼ぶ事を許してくれた、誰よりも愛しい方。


 ワジは顔を上げると、覗き込んできた兵士に唾を吐きかけた。

 こうして生きて抵抗する間は、こちらに目が集まるだろう。



『生きろ』と、そう仰ってくださったのだ。



 怒声と共に頭を掴まれ、引きずられるようにして衣装が破かれた。結わえた飾り紐が解け、長い黒髪が広がる。



 そうして、地獄が始まった。


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