10-2.運び屋達は到着する
乾いて冷たい星空の下、二匹のラクダが砂地を渡る。
前方にはツキツキを乗せたヨン、後方にはワジと丸めた布や食料品を詰め込んだ荷袋が下がっている。
真夜中でも明かりを灯さず歩けるのは二つの月と砂質のおかげだとツキツキはヨンに教わっていた。ユビ砂漠の砂質はさらりとして白っぽい。
冷えと孤独でともすれば心細い思いに捉われそうになる度に、ふと顔を上げれば二つの月が静かにこちらを見降ろしている。
(ヨルダム人が月を信仰する気持ちが分かる……)
ツキツキが空を見上げていると、澄んだ双眸が覗き込んだ。涼し気なこの瞳は昼間よりも夜半が似合う。
『ヨンの目って宝石みたい』
日本語で話しかけると運び屋の目元がふっと緩む。
『昔はそんな事を言われたりもしたな』
『もしかして、リュージンさんから?』
『まあ、そんなところだ』
『緑の目ってこっちじゃ珍しいよね。あたしの国でもそうだけど』
『母の出身が西方でね。この目のおかげで良くも悪くも覚えられることが多かったよ。
ユビ砂漠周辺の人々は黒っぽい髪や瞳が多いし肌もよく焼けているからね。ツキツキもあとひと月もすれば、ヨルダム人に混じっても分からなくなるだろう』
『顔立ちが全然違うよー。こっちの人達と違ってのっぺりしてるもん』
『まあ、要は早くこの世界に馴染めってことさ』
『リュージンさんの半分でいいから彫りが深かったらなー』
『あいつは整い過ぎだから別の意味で目立ちがちだったよ。仕事中は二人とも日除け布でできるだけ顔を隠していたもんだ』
『あ、そっか。リュージンさんもヨンと同じで運び屋なんだ』
『ああ。情報仲間は作らずに小さな組合一つに属し、目立たないように気を付けながら夫婦で運び屋をやってたよ。
だが私が仕事を探しに出た隙に、夫は宿で眠りについたところを昏睡状態でさらわれた。それっきり、あんたが見つけてくれるまで行方不明のままだったんだ。
これまで一体何人の異世界人がここに迷い込んだかは知らないが、リュージンは教団に目をつけられてから三年で探し当てられてしまった。消息を絶ち、用心していたにも関わらずだ。
おそらく同類とみなされれば、同じ運命を辿るだろうよ』
だから彼女は絶対に一人で行動するなと言っていたのか。
確かにこちらの世界で寝ると、ふつりと意識が途切れてしまう。
寝ている間は必ずヨンが傍にいてくれた事をツキツキは思い返していた。たとえそれがラクダの背の上であろうとも、眠くなればコトンと落ちる自分を、ヨンは一度も咎めたことがない。
次からはもう少し気を付けて寝るようにしよう、とツキツキは反省した。
『ヨンって凄い』
『何だい、いきなり』
『だって、傍にいてくれるだけで大丈夫って気になるんだよね。旅慣れてるし落ち着いてるし、強くて優しくて日本語だってペラペラ話せて博識だし。それから、背が高くてかっこいい!』
『私はどちらかといえば醜女の類だと思うんだが』
『かっこいいって! 女子高だったら絶対モテてる!』
『じょしこう』
『女の子だけの学校だよ』
『ほう。ニホンにはそんな施設もあるのか』
『こっちにはないんだ?』
『ないね。あるとすれば金持ちの娘を相手にした嫁入り教室くらいのものだ』
『お料理を習ったりするの?』
『そうだ。あとは裁縫や礼儀作法、化粧や場面に合わせた装いの講習、好印象を与える仕草や誘惑の仕方……ああ、夜伽の手管もか』
『よとぎ?』
『男を寝屋で喜ばす技だよ』
数秒経って理解したツキツキは、「ひえぇ」と素っ頓狂な声をあげた。
『そ、そんな事も教えるのおぉ!? 学校で!?』
『ニホンではしないのかい?』
『するわけないじゃん! そんなこと!』
『何故』
『なぜ、って……えっと、だってそんな、おかしいよ! 恥ずかしいじゃん!』
『大切な事だから学校で学ぶんじゃないか。その辺りが原因で離縁される女もいるくらいだからね。
料理なら使用人にさせればいいからと、むしろそれだけを学びたがる子が多い』
初恋すらまだなツキツキはすっかり目を丸くして真っ赤になり、そんな少女をヨンは微笑ましそうに見つめた。
『娘がいたらこんな感じか』
『ぶっ! む、娘ぇ!? 何言ってんの!? 妹ならともかく娘っておかしいから! おかしいから!』
『私はもう32だ。ツキツキと同い年の子がいてもおかしくない』
『は? こっちって、そんなに早くに赤ちゃんを産むの?』
『出産適齢期が大体16前後だな』
『うっはあぁ……』
『だからね、ツキツキ。男にはよくよく気を付けておくことだ。特にああいう大都市になれば、尚更……ああ、そろそろ見えてきたね』
砂丘向こうを指さされ目を凝らしてみても、ツキツキには何も見えなかった。
『どこ? どこ?』
腰を浮かして目を凝らしても、さっぱり分からない。
「ワジ! 見えてきたぞ」
ヨンが振り返り後方に声を掛ける。頷いて、ワジは晴れやかな笑顔になった。
『……もしかして、あの光?』
やがてだんだんとツキツキにも、その光景が見えてきた。
夜だというのにびっしりと揺らめく小さな明かりの大群は、これまで少女が見てきたどのオアシスよりも桁違いに大きなものだ。
風がざあっと流れて白い砂粒が霧のように舞う。
その向こうにちらちらと光る火の星は幻想郷のようにも見えた。
『あのオアシスが目的地だ』
いつも淡々としていたヨンの声が、心なし高揚しているようにも聞こえる。
『運び屋の依頼ってのはね、本来登録している組合を経由して話が入るものなんだ。補償金だの何だのといった面倒な契約のやり取りが短縮できて、身元も信用できるからね。
だが、今回の依頼は直接私に舞い込んだ。
――だから、初めから疑っていた』
ヨンはツキツキの手を取ると、中指に輝く月色の指輪を上からなぞった。
『付加価値というのは厄介なもんだ。金を持つ輩の多くはそこに意味を持ちたがる。
これだってヨジェリア王国の王より賜る品だと知られているから、本来つけられるであろう値の数十倍……いや、亡国の品だから数百か、下手したら数千倍……まあ、つまりはそれだけの取引値が付けられているわけだ』
ぎょっとしてツキツキは指輪を眺めた。そんなに貴重なものだとは今まで思いもしなかった。
『考えてごらん。そういった輩にとって【異世界】という付加価値が、一体どれだけ刺激的なのかを。
リュージンが持ち込んだ刀は切れ味もさることながら、その芸術性が非常に高く評価された。武人と富豪がどちらも競い、うず高く金を積み上げたと聞く。
レナーニャ教団はワジのように真面目な僧や信者ばかりじゃない。組織は巨大になるほどに水が淀んで腐れだす』
『それじゃ、ワジの護送って……』
『十中八九罠だろうね。
おかげで堂々と乗り込めるから、こちらにとっても好都合だよ。せいぜい騙されたフリをしてリュージンを探すことにしよう。
大丈夫、こっちにはツキツキがいるからね』
『あたし?』
『異世界から来た少女について、まだ誰も知り得ていない。ワジは端から信じちゃいない。
この事実は、大きいよ。その分、ツキツキにはこの先大変な目に遭わせてしまう可能性がある。
それでも――、手伝ってくれるかい?』
巨大オアシス都市が遠くその姿を見せていた。
白い砂地の奥に浮くその様は、まるで海に浮かぶ孤島のようだった。いくつもの高台の上にびっしりと連なった何重もの塔。信じられないほど多くの人が生活しているだろうと分かる、たくさんの明かり。
眺めているうちに喧噪や幻聴が自然と耳に届いてくる。
あれが首都ヨルダム。
リュージンが囚われているレナーニャ大僧院も、そこにある。
『もちろん! ヨンのためなら何だってやるよ!』
元気な返事に、指輪に重なった手に力が籠った。




