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運び屋ヨン  作者: SPICE5
第8章 <異世界編>
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8-3.青年達は走り出す





 暗闇の中、一人の男が歩いていた。

 手には日本刀を持ち、背にはナイロン製の大きなリュック。その頭には探索用のヘッドライトがついている。

 ぶすぶすと煙が立ち込め、残り火が揺れる。墨になった人々や殺された死体をライトで照らし、探し人でないのを確認する。


 こめかみから顎までだらだらと伝うものが、汗か血なのかは分からない。考えない方がいい事は分かっている。

 自分が今考えるのは、彼女の元へ行くことだけ。


 ずっと、優しいと言われ続けてきた。だが本当はそうでないと今にして分かる。

 だがら、ほら。ああして助けを求めてすすり泣く声を聞いても、彼女ではないと知れば振り返らずに進めるのだ。


 視界が揺れているのは炎のせいだけではなかった。

 身体が泥沼に沈んでいくように感じる。痛みはもはや痺れのようになっている。

 

 だが死ねない。

 まだ倒れてはならない。


 視界に紗がかかりだし、喘ぐと喉に熱風が入った。


 ヨジェリアン……。


 ひび割れかけた唇が愛しい名を紡ぐ。


 ヨジェリアン……。


 よろけかけた足元を刀で支え直したが、片膝をついてしまった。

 身体の水分量が限界にきていた。リュックに入ったスポーツドリンクを飲むべきか逡巡したが、彼女に使える可能性がある限り摂取はしないと決めている。


 沁みる目周りを袖で拭い、藤岡隆二は立ち上がると、再び奥へと進んでいった。





 * * *





 藤岡隆二はK市に生まれた。

 歴史的価値のある建物に城跡、郷土資料が多くある観光地の一角で彼の両親は窯元を持っていた。そのモダンなデザインや美しい釉薬の使い方は観光客のみならず固定ファンがついていたため、祖父の稼ぎも入れると彼の家はそこそこ裕福な部類に入る。


 隆二は大人びた子供だった。礼儀作法に厳しい祖父と床を共にしていたため言葉使いも丁寧で、その為同級生から喋りをからかわれることが多々あった。

 隆二の日々は本を読み、祖父と共に身体を鍛え、両親の元で土を捏ね続けることにある。

 明け方に起床し、乾布摩擦の後、竹刀を持って素振りをする。彼の祖父は日本刀集めを趣味としていたが、時折郷土資料館に展示貸し出しをしているほど彼が所有する刀の質は高かった。


 本物の日本刀はテレビの時代劇で出てくるものとは全く違うのだと、隆二は身を持って知っていた。職人が身を清め魂を込めるようにして打ち続けたその刃は、すらりと抜かれただけで思わず息を呑んでしまう程恐ろしく、そして曇りの一つもなく美しいものだった。

 丹精込めて作られた日本刀には魂が宿ると彼の祖父は隆二に伝えた。物としてぞんざいに扱わず、敬意をもって接しろ。刀には魔が宿る、魅了されるのは良いが決して取り憑かれるな、と。



 隆二は不思議な言動が多い子供であった。時折家族になんとも奇天烈な言葉で話しかけてくるのだ。何でも彼の夢に毎回出てくる国があり、そこで覚えてきた言葉だという。


 最初は家族も笑っていた。空想の世界、微笑ましくていいじゃないかと。

 だから、あちらでできたという家族の話を出されても、御伽噺のようなものだと楽観視していた。

 だが小学校に入り、数年経っても彼の見る夢は終わらなかった。


 睡眠は、身体と心を休めるためにある。なのに身体は休んでいても、心は忙しく動き回ったまま。

 眠っても眠っても、訪れるのは闇でなくもう一つの世界の朝。

 二つの人生を繰り返す日々はじわじわと隆二の心を蝕んでいった。


 やがて、げっそりと濃いクマのできた顔で彼は母親に訴える。



「――僕にはもう、どちらの世界が本物なのか、区別がつきません」


 

 隆二はカウンセリングを受けた後、精神病棟に入院することが決まった。





 数年後。隆二の両親は彼を全寮制の私立高校に入れた。

 知り合いが一人もいず偏差値も高かったため、中学までのように彼に噂を立てたりいじめようとする者はいない。それどころか寮部屋が同室の吉備北幸助や行院ぎょういん律といった初めての友人もできた。


 彼は物静かで世離れした雰囲気を持っていたが、目の下の濃いクマを覗けばひどく顔立ちが整っていたため、時折女子生徒から呼び出しを受けていた。

 だが毎回、彼はこう言って断るのだ。


「好きな人がいますから」



 

「お前の好きな子って誰なんだ?」


 寮の風呂に浸かっている時、幸助にそう訊かれた事がある。


「この世にはいない方ですよ」


 そう答えたらすまんと言われ、以来、幸助が恋愛について口出しをしてくることは無くなった。


 隆二には変わった習慣があった。眠る前に必ず何かを手に縛り付けるのだ。始めこそいぶかしがっていた幸助達も、それが日課であると分かれば『そんな性癖だろう』と気にもしなくなった。

 それどころか、時折大きなもの――例えば寮中の生徒のレインコートを詰め込んだゴミ袋であったり、自転車であったり――に手を縛りつける時は「お前、変態過ぎるだろ!」と爆笑しながら手伝ってくれたりもした。




 そうして卒業間近となった、ある日の明け方。



 *



 ベッドでまどろんでいた吉備北幸助はごそごそという物音で目を覚ました。見ると、暗闇で藤岡隆二が出かける準備をしている。


「どうしたあ?」


 寝ぼけ眼で問いかけたものの、豆電球の明かりの中、振り向いた隆二の手はがたがたと震えていた。見るからにただ事ではないその雰囲気に、幸助は一発で目が覚めた。


「何かあったのか?」

「――いや、何でもないです」


 弱弱しく答えるその声はどう見ても何かあったとしか思えない。


「おい、何か手伝えることがあったら言え」

「何でもないと言っているでしょう……」

「ばっかやーー」


 思わず大声をあげそうになったが、律達が寝ていることを思い出し、幸助は小声で隆二を叱った。


「お前、そんな死にそうな顔で震えやがって、何が何でもないだ。

 何処に行くつもりか知らねえが、俺もついていくからな」


 ごそごそと起きだしたルームメイトに隆二は苦し気な声を出す。


「……吉備さん」

「何だ」

「私、あなたが初めての友達なんです」

「そうか」

「……だから、ここにいてください」

「はあ?」

「もう、失うのは嫌なんです」

「お前、何言ってるのか分っかんねえ」

「――私もです」


 はは、と隆二は悲し気に笑い、そのまま部屋を出ていった。慌ててスウェットのままで幸助は飛び出し、廊下を急ぐ友人の横についた。


「おい、マジで意味分かんねえ! どうしたんだ藤岡」

「分からなくていいです。私は頭がおかしいのです。そう診断されていますから」


 ブツブツ言う友人は今まで彼が見てきた藤岡隆二ではなかった。瞳はぎらつき、血走っている。


「おいっ、藤岡隆二!!!」


 学生寮を出て走り出した彼に幸助は叫んだ。けれど彼はもう振り返ることなく坂を下り走っていく。


「くそっ!」


 歯ぎしりすると、幸助も全速力で後を追う。門を乗り越え全速力で走る友人を息を切らして追いかける。

 見た目は背高ですっきりしているのに、藤岡隆二の身体能力は非常に高い。それを知ってはいたのだが、全力疾走で15分の後、駅の発券機で息を乱すことなく切符を買う姿を見た時は、化けモンかと思った。


「――しつこいですよ」


 ぜえっはあっ、と言いながら裾を掴んできた幸助を見て、隆二が呟く。


「しつこくて……結構だ……俺はなあっ、熱血教師に、なるって、決めてん、だ!

 ……困った生徒がいたらっ……ほっとけねえ、だろっ、……予行練習だっつー、のっ!」


 はあ、と隆二はため息をついた。そうしてピ、とボタンを押すと、切符を吉備北に渡した。


「乗りかかった船の代償は、大きいですよ」

「分か……って、るっ……て!」


 本当には意味が分かっていないのだろう。

 だが、もしかして。彼が話を信じ、力を貸してくれるなら。


「――これから私が話すことを、吉備さん、あなたは信じてくれますか?」

「おう」


 息を乱しつつ笑う親友を見て、隆二は少し心が落ち着いた。

 一人じゃないというのは、そして相手が明るい心の持ち主というのは、ありがたい。


 始発電車を待つまでの間、隆二は幸助にもう一つの世界の話をしてきかせた。

 

 そうして最後に、もう一度訪ねてみる。


 ――今置かれている状況を手助けしてくれるか? と。



「おう、やってやる!」


 拍子抜けするほどあっさりと幸助は信じてくれ、隆二は思わずぽかんとしてしまった。

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