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運び屋ヨン  作者: SPICE5
第6章 <異世界編>
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6-1.少年僧は少女を探す




 丸二日近く寝ていた少女は、大きく嘆息すると同時にゆっくりと瞼を開けた。身じろぎすると背と腰がぎしぎしと痛む。

 顔を上げ、部屋を見回す。誰もいない。

 支え木から漏れる窓の光は眩しいほどに明るく、うだるような暑さにまだまだ午後も半ばだと知る。


(この時間なら、まだ午睡中のはず……)


 今までは、必ずヨンかワジがいつも自分の傍にいた。こうして誰もいないのことなど初めてで、ツキツキは少し不安になった。

 だがそう思ったのは僅かな間で、すぐに持ち前の好奇心がむくむくと顔を出す。何もすることなく部屋でじっとしているのも暇なため、外を散策してみることにした。


 作りのよく分からない服にもそもそと袖を通し、足元に置かれていた草履に似た履物を手に取る。入口にかかった色鮮やかな暖簾をしゃらしゃらと音を立てて潜り抜け、石畳の廊下を歩いて抜けた。

 裸足の足に冷たい感触が気持ちいい。日本の公園にある砂場の砂とは全く違う、粒子の細かいサラサラと黄味がかった砂が宿の廊下のあちこちに零れている。


(こういう所が日本と違うよねぇ……)


 もしもここが日本ならば、廊下はピカピカに磨き上げられ塵一つ落ちていないだろう。もてなす側のサービスの中に徹底した清潔感を当然としているからだ。

 だがこの国ではゴミが落ちていようが砂が入り込んでいようが、特に誰も気にしない。邪魔ならば足で払いのけ、日に一度の掃除までずっとそのままが普通だった。従業員らしき女性と廊下ですれ違っても会釈一つなく無視される。


 郷に入っては郷に従え。


 ツキツキの脳裏に日本の諺が浮かぶ。

 こうして昼と夜とでころころと変わる生活環境に身も心もすっかり馴染むことができるのは、一体いつになるのだろうか。


(リュージンさんは、どうだったのかな……)


 この世界にもう一人いるという日本人の名前を思い出す。それから、昨日会った黒い服の男性の顔も。



 指先が触れ合った瞬間、体に電流が流れたような錯覚がおきた。


 見上げるほど背が高くて、その顔は眠たげで、クマがはっきり残っていて。

 丁寧な物腰と口調で、人をあまり寄せ付けない感じで。


『ヨンという名をご存知ですか?』


 そう訊いた時、彼は確かに目を開いて反応した。

 けれど。


『――いいえ。存じません』


 そう答えて一礼すると、藤岡さんはすぐにその場を去っていってしまった。



(ヨンに何て言ったらいいんだろう。

 『リュージンさんっぽい人に会ったけど、知らないって言っていたよ』って?)


 気が重いのは、なんとなく分かってしまったからだ。


 きっと、彼がヨンの探している人で間違いない――まさか探し始める前に出会えるとは思ってもみなかったが。


 だが『リュージン』こと藤岡さんは、おそらく自分に正体を知られてほしくないと思っている。


 一般的な家族関係であるなら、はぐれていれば会いたいと思って当然だ。

 だが、見つけたと報告したところで、相手が自分を拒否していると知ったら。


 藤岡さんから名刺は貰っている。

 夏休みももうすぐだ。


(まずは元の世界で藤岡さんにコンタクトを取ってからだよね。

 ヨンに報告するのはいつでもできるし)


 ツキツキはそう結論を出すと、一人大きく頷いた。




 受付の男性がやる気なさげにココカの葉であおぐ横を、お辞儀しながら扉に向かう。

 一歩外に踏み出した途端、カッと目に刺す日差しの強さにツキツキはぎゅっと眉根を寄せた。服の背についていた長い二本布を引っぱり出し、ぐるぐると交互に頭に巻きいて余り布が顔周りに日陰を作るように差し込んでいく。服を買ってきてもらった際にヨンに教わった着用法だ。頭に何もつけないままで日中ふらりと出歩くのは馬鹿の所業だと聞いてはいたが、なるほど確かにこの陽の目では簡単に倒れてしまうだろう。


 ツキツキはきょろきょろと辺りを見回しながら見知らぬ通りを散策した。ザヤックは規模こそ小さな町ではあるが大抵のものは揃うと聞いた。どんな店が出ているのだろう。

 大通りに辿り着く前に、ツキツキは小さな広場に出た。分厚く巨大な長布が建物の上を交互に重なるように張られていて、日陰の下では幼子達が棒で地面に絵を描いたり駆けまわったりして遊んでいる。


(公園みたいなものなのかな?)


 世界は違えども子供特有の可愛らしさに変わりはない。微笑ましく思いながらしばらく眺めていると、服の裾をぐい、と引っ張られた。見れば、前歯の欠けた幼い少女がこちらに笑いかけている。遊ぼう、ということなのだろう。


『いいよ、何して遊ぼっか』


 屈み込み日本語で話しかけると、少女はヨルダム語で何か言いながら床に線を引き、ぴょんぴょんと飛んだ。


『ごめんね。お姉ちゃん、まだ言葉が分からないんだ』


 申し訳なさそうに言うと、言葉は通じないながらも意味は分かってくれたらしい。少女は首をかしげた後、


「ニャリスィ?」


 と尋ね調子でツキツキに言った。猫が甘えるような可愛らしい響きだ。


「ニャリスィ」


 ツキツキが真似れば、ぱあっと少女の顔が明るくなった。うんうん、と嬉しそうに頷き、ニャリスィ、ニャリスィと唱えながら木の棒を拾ってくると地面に何かを描き始めた。

 

『あ、猫』


 たどたどしく描かれた絵を見て呟くと、


「チェイニ!」


 少女が描き上がった猫の絵を見て言った。


「チェイニ」


 真似すると、こくこくと何度も頷かれた。


『ふうん、猫ってこっちじゃチェイニっていうんだ』


 何気なく口にした後、ツキツキはハッとした。


『ねえねえ、それじゃこれは何て言うか教えて?』


 一本の木切れを拾うと、彼女はがりがりと熱心に地面に絵を描き始めた。





* 





 沐浴を終えたワジが部屋に戻ると、ツキツキの姿はどこにも無かった。


「ツキツキさん? ツキツキさん!」


 慌てて宿中をを探し回り、受付の男性から出ていったと教えてもらう。ワジは一旦部屋に戻ると、靴を履き日除け布を被ってから水筒を持って外に出た。


 何処かで迷子になっていやしないだろうか。

 脱水症状か日射病にでもなって、倒れていたら。

 彼女は女性で、しかも言葉の通じない外国人だ。もしも柄の悪い輩や人さらいにでも見つかったら――。


 どの可能性も十分にあり得る。ワジは早足で通りを抜けながら丹念に少女の姿を探し回った。


 この捜索行動には覚えがある。

 脱走したチピタを探していた時だ。


 小さくて方向音痴なくせに、チピタはすぐに僧院を抜け出した。こうして自分がそこら中を探し回り、ようやく見付けた時にはすっかり怯えて震える身体をぎゅっと抱き締めてやったものだ。


 ああ、今頃あの子もどこかで泣いていやしないだろうか。


 守らねば、と思った矢先にこれだ。

 ワジは己の管理の甘さを悔いた。


 これからは勝手にうろつかないようによくよく言い聞かせておかなければ。

 いや、しかし言葉が通じない相手にどうやって言い聞かせるのだ?


 焦りながらもそんな事を考えていたワジの耳に、聞いたことのある声が入った。少し癖のある、歌うような抑揚を持つそれは――。


「ツキツキさんっ!」


 声のした方に走り出す。

 入り込んだ広場に探していた彼女の姿があった。

 もどかしい思いで駆け寄り、小柄な身体をすくうようにして抱き締める。


「良かった……! どこにいるかと心配していました」


 安堵の溜息と共に胸に抱いた相手の顔を覗き込み、そうしてそこでようやくワジは、探していたのが犬ではなく女性であったことを思い出した。


 抱き締めたその身体はあまりにもふわふわと柔らかく、温かだった。


「し、失礼、しました。安心してしまい、思わず――」


 口ごもりながらパッと身体を離す。顔を逸らしかけたワジの裾を、ツキツキはぐいぐいと引っ張った。


「わじ、おはな!」


 たどたどしい言葉に顔を上げると、少女は手にした木の棒で地面の一点を指していた。


「わじ、おはな」


 木の枝で描かれたのは、花弁がいくつも付いた、


「――花、ですね」


 呟くと、


「花? おはな?」


 と首を傾げて不安そうに繰り返された。


「『おはな』は幼児言葉です。正しくは『花』といいます」


 説明した後、広場一面にたくさんの絵が描いてあることにワジは気が付いた。

 それは犬であったり猫であったり、太陽や雲、人の姿であったりした。一見すると何を描いたものなのか分からないものも多い。


「わじ、ねこちゃん!」


 ツキツキが猫の絵を指して得意そうに言った。


「ねこちゃん、にゃーにゃー」

「わじ、わんちゃん!」

「おつきさま」

「ざーざー、あめ!」


(ああ、ヨルダム語を学習していたのか)


 教わった先生はここにいる子供達なのだろう。そのため多くが幼児言葉になってしまっている。

 

「ありがとう、彼女に言葉を教えてくれたのですね」


 ツキツキに代わり子供達に礼を言うと、


「おねえちゃん、おにいちゃんのおよめさん?」


 と脇にいた少女に尋ねられてしまった。


「な……っ」

「およめさん?」


 言葉を覚えようと必死なツキツキが、真似をして繰り返す。黒目がちの瞳にあどけなく見つめられ、ワジは思わず身じろぎした。


「ち、違いますっ! そもそも私はレナーニャ僧ですから婚姻関係は結べません! それに彼女は外国の方で、我々は旅をしている途中でっ!」


 そこまで言って、子供相手に何をむきになってなっているのだと気を取り直し咳払いをする。


「――ともかく、私達はそのような関係ではありません。では、これで」

「おねえちゃん行っちゃうの?」

「またあそぼうね、おねえちゃん」

「ばいばい」

「ばいばい」


 子供達の言葉に、何となく意味が分かったのだろう。ツキツキは頷き、「ばいばい」と真似をした。

 ワジは彼女の手を掴むと、広場を出た。


「ばいばい」

「ばいばい」


 歩きながらブツブツと繰り返す少女に、言葉が通じないと知りつつも一言言ってやらねば気が済まなかったため、ワジは立ち止まるとツキツキに言い聞かせた。


「いいですかツキツキさん、今後絶対に一人でふらふら外を出歩いたりしないでください。あなたは言葉も通じないし、何もご存知ないんです。大変な目に遭ったらどうするんですか。

 ヨン殿がいらっしゃらない間は必ず私の傍から離れないように。いいですね?」


 何となく言いたいことは伝わったらしい。

 少女はこっくりと頷き、ワジの顔を見上げた。


「わじ。ありがとお」

「…………はい」


 また素っ気ない返事になってしまった。

 あまり礼を言われなれていないと、どうも反応に困ってしまう。



 少女の手をずっと握ったままであったことに気付いたのは、宿に戻ってからだった。


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