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17.アストとリンド

「ただいま、リンド」

「お帰りなさいませ、ご主人様」


 俺が疲れた様子で帰宅すると、リンドはいつもの笑顔で出迎えてくれた。だが、その笑顔の奥に僅かな緊張が見え隠れしているような気がした。


「今日はどうでしたか?エルトリンデ様の視察は…」


 リンドの声には微かな震えがあった。俺は上着を脱ぎながら深いため息をついた。


「色々あったよ…話したいことがあるんだ。少し座っていいかな?」

「もちろんです。お飲み物をお持ちします」


 リンドは慌ただしく台所へ向かい、すぐに温かい紅茶を持って戻ってきた。俺たちはリビングのソファに向かい合って座った。


「それで…どんなことがあったのですか?」


 俺は紅茶に口をつけ、今日の出来事を整理しながら話し始めた。


「エルトリンデが学校に来たんだ。そして、アーノルド先生との魔法対決があって…」


 俺は一部始終を話した。アーノルドの傲慢な態度、彼が召喚した炎の精霊の暴走、そして俺とエルトリンデが協力してそれを止めたこと。リンドは黙って聞いていたが、俺がエルトリンデと目が合った瞬間の話をすると、彼女の手が僅かに震えた。



「それで…エルトリンデ様はどんな様子でしたか?」

「冷たかったよ。でも……なんだか、昔の彼女を思い出させるような瞬間があったんだ。俺が教えた『基礎を学び、極めるのが最強への近道』という言葉を彼女が口にした時は、正直驚いた」



 俺が言葉を選びながら伝えるとリンドの目が微かに潤んだように見えた。



「それは…素晴らしいですね。きっと、あなたの教えが彼女の心に残っていたのでしょう」

「そうかな……でも、なぜ彼女が俺を追放したのか、余計わからなくなったんだ。

今日、彼女の目に浮かんだ感情は…憎しみではなかった気がする」



 リンドは息を飲んだあとに静かに紅茶を置いた。



「もし……彼女に何か理由があったとしたら、知りたいですか?」

「ああ、恨んではいないんだ。ただ、彼女の苦しみを理解したいだけなんだ」



 俺が躊躇なく答えるとリンドの表情が一瞬揺れた。彼女は何か言いかけたが、言葉を飲み込んだ。



「それから、明日の郊外実習にもエルトリンデが同行するらしい。だから、その時になんとか話す機会を作ろうと思うんだけどうかな?」

「え? それはどういう……」

「せっかくのチャンスだからね。俺は彼女の真意がききたいんだ。答えてくれないかもしれない。だけど俺はエルトリンデを伝えたいんだよ」

「ご主人様……本当にあなたっていう方は……」



 リンドが感嘆の吐息を漏らしながら熱くうるんだ瞳でこちらを見つめてくる。なぜ、こんな目で見つめてくれるかはわからないがどこか蠱惑的でドキリとしてしまう。

 


「本当にお優しいんですから……さぞかしおモテになるでしょうね。いつぞやの同僚の先生とか……」

「ロザリー先生のことなかな。あの人は確かに仲良しだけどエルトリンデの熱狂的なファンなんだ。異性とかにも興味がないんじゃないかな?今日も彼女を見て大興奮していてね。それに、俺の肩に手を置いて……」

「なるほど……肩に手をですか……」



 言いかけて、リンドの顔が微妙に変わったのに気づいた。何かを思い出したかの後に彼女の目からハイライトが消え、唇が一文字に結ばれている。



「そうですか…ご主人様とロザリー先生は本当に親しいのですね」

「いや、そういうわけじゃ…」

「それから、女子生徒さんとも親しそうで……確か、テレサさんとおっしゃいましたね」


 リンドの声は静かだったが、どこか冷たさを帯びていた。



「ああ、彼女は熱心な生徒で、よく質問に来るんだ。今日も授業後に……」

「いつも頭を撫でられていたのですね」

「え? どうして知って…」



 リンドは小さく微笑んだが、その笑顔は目に届いていなかった。確かになでた光景は見られたがそれはお見舞いに来た時の一度だけだったはずだ。



「想像です。ご主人様はいつも優しいですから…女性に対して」


 彼女の言葉には微かな棘があった。



「リンド、もしかして…嫉妬してるの?」


 俺が真正面から問いただすとリンドは顔を真っ赤にして、慌てて首を振った。



「そ、そんなことありません!私はただの奴隷ですから、そのような感情を持つ資格は…」

「資格なんて関係ないよ」



 どこか切なそうな顔をする彼女に俺は思わず手を取った。



「リンド、君は俺にとって大切な人だ。奴隷だからとか関係なくね」

「ご主人様……?」

「正直さ、仕事もやりがいはあるけど残業ばっかりだったし、つらいこともあったよ。だけどさ、リンドが美味しいご飯を作ってくれたり家を綺麗にしてくれたから頑張れたんだ。ただの奴隷なんて言わないでよ」



 本心から感謝の言葉をつげるとリンドの目に涙が溢れた。



「ご主人様……そこまで想ってくださったなんて……」

「だから、正直に言ってほしい。ロザリー先生やテレサのことで……気になった?」



 リンドは小さく頷くと可愛らしく頬を膨らます。



「はい……少し。ご主人様が他の女性と親しげにしているのを想像すると……胸が痛くなります」



 彼女の素直な告白に、俺は思わず微笑んだ。



「ありがとう、正直に言ってくれて。でも心配しないで。俺にとって大切なのは……」


 

 言いかけて言葉を飲み込んだ。今はまだ、その言葉を口にする時ではないかもしれない。少なくともエルトリンデの事を解決してから告げるべきだろう。だって、彼女はエルトリンデの関係者……もくしはエルトリンデ本人かもしれないのだから……



「とにかく、君を大切に思っているよ」



 リンドは頬を赤らめ、小さく微笑んだかと思うとぎゅーっと抱き着いてくる。その感触と甘い匂いにくらくらしそうなるが……



「はい、ありがとうございます、ご主人様」

「ああ、これからもよろしく……いつ!!」



 俺は痛み出した左腕の黒い模様を無意識に撫でていた。リンドの目がその動きを追った。



「その腕……痛むのですか?」

「ああ、時々ね。特にエルトリンデが近くにいる時に」



 リンドの顔から血の気が引いた。



「いつから…その模様が?」

「追放された頃からかな。気にするほどのことじゃないよ」



 リンドは突然立ち上がり、窓際へ歩いた。月明かりが彼女の水色の髪を銀色に染めているように見えた。



「ご主人様……もし、エルトリンデ様があなたを追放したのは、あなたを守るためだったとしたら……どう思いますか?」



 俺はその言葉に驚いた。


「守るため? 前も言っていたね。それはどういう…」



リンドは振り返らなかった。彼女の肩が小刻みに震えているのが見えた。



「ただの……想像です。でも、人は時に大切な人を守るために、その人を遠ざけることもあります」



俺は立ち上がり、リンドの背後に立った。



「リンド、君は何か知っているのか?」



 リンドはゆっくりと振り返った。彼女の青い瞳には、言葉にできない感情が溢れていた。


「私は…ただの奴隷です。何も……知りません」


 俺は思わず彼女の肩に手を置いた。



「君を疑っているわけじゃない。ただ…もし何か知っているなら、教えてほしい」



 リンドは俺の目をまっすぐ見つめた。一瞬、彼女の瞳が緋色に輝いたように見えた。

 彼女の声は小さく、だけど、確かな決意が感辞される言葉を発した。



「申し訳ありません、私は何も知りません。知らないのです」

「リンド……君は一体?」


 リンドは俺の言葉を遮るように微笑んだ。


「ご主人様、遅くなりました。お風呂を準備しますね」


彼女は素早く話題を変え、部屋を出ようとした。俺は彼女の手首を掴んだ。



「リンド、待ってくれ。君は本当に……」


リンドは俺の手に自分の手を重ねた。その手は温かく、少し震えていた。


「ご主人様……申し訳ありません。私は何も言うことができないのです」


 彼女の目には涙が光っていた。俺は何も言えず、ただ頷くことしかできなかった。



 彼女が部屋を出た後、俺は窓際に立ち、夜空を見上げた。エルトリンデの真意、リンドの正体、そして自分の左腕の黒い模様の意味……一気に色々なことがおきて頭がごちゃごちゃしてくる。



「なあ、エルトリンデ…お前は一体何を考えているんだ…」



 月明かりの下、俺の左腕の黒い模様が微かに光を放った。



★★★

 その夜、リンドは再び姿を変え、エルトリンデとして王宮の隠し部屋に戻っていた。彼女は窓辺に立ち、左腕の黒い模様を見つめていた。模様は以前よりも広がり、今では肩まで達していた。


「エルトリンデ様、明日の準備は整いました」


アンビーが静かに部屋に入ってきた。


「ありがとう、アンビー」

「今日の行動は危険でした。あなたがアスト様を助けたことで、彼は疑問を持ち始めています」


 エルトリンデは静かに微笑んだ。


「知っているわ。でも、誰かが怪我をすればお兄様は悲しむし正体がばれることはのぞんでいないもの……」


 彼女は左腕の模様に触れた。黒い線が脈打つように光った。


「お兄様は私に会いたいと言ってくれたのよ。恨んでいないって……」


 彼女の目に涙が浮かんだ。


「エルトリンデ様、計画を変更するのですか?」

「いいえ、予定通り進めるわ。私はこの秘密を守り通す。お兄様に会うのは明日で最後にするわエルトリンデとしても……リンドとしてもね……」


 エルトリンデは決意の表情で窓の外を見つめた。


「お兄様に別れを伝える時が来たのよ。私としても、リンドとしても……」


 彼女の声は静かだったが、その瞳には強い決意が宿っていた。


「それにしても…」


 エルトリンデは突然表情を変え、拳を握りしめた。


「ロザリーとかいう女……お兄様の肩に触れるなんて…何様のつもりかしら」


 アンビーは小さくため息をついた。


「エルトリンデ様、彼女はただのファンです。それに、あなたが彼女を呪ったら、アスト様は悲しむでしょう」

「わかってるわよ!でも…」


エルトリンデは唇を噛んだ。


「あの女子生徒も気に入らないわ。お兄様に頭を撫でられて……幸せそうな顔をしたんでしょう」

「エルトリンデ様、あなたも先ほどだきしめてもらっていたではありませんか」

「あれは違うの! 私は…私は…」


 エルトリンデは言葉に詰まり、顔を赤らめた。


「とにかく!明日、お兄様に別れを告げるわ。そして…お兄様を守るために、最後の決断をする」


 彼女は窓辺に立ち、月明かりに照らされた街を見下ろした。その瞳には、愛と決意と、そして微かな嫉妬の炎が宿っていた。



★★★


 街外れの薄暗い酒場で、アーノルドは一人、杯を傾けていた。彼の目は充血し、服装は乱れていた。


「このままでは私は終わりだ……全てあいつのせいだ……」


 彼は呟きながら、再び酒を飲み干した。そのとき、一人の逞しい男が彼のテーブルに近づいてきた。


「あんた、アーノルド=ファフニールだろ?」


 アーノルドは顔を上げ、男を見上げた。


「誰だ、お前は?」

「俺はガゼル。『終焉の宴』のメンバーだ」


 ガゼルは椅子に腰掛け、アーノルドを観察した。


「聞いたぜ、あんたもアストとかいう奴に恥をかかされたって」


 アーノルドの顔が怒りで歪んだ。


「あの男……私のキャリアを台無しにしたのだ。エリートである私のキャリアも、エリートである私への生徒たちへの尊敬の念も!!」

「俺もそいつには恨みがある。俺はあいつのせいで冒険者ギルドを追放されたんだ!! だからあいつを拉致って目の前で大切にしている奴隷を可愛がってやろうと思うんだよ」


ガゼルは低い声で言った。彼の目には復讐心が宿っていた。



「そいつは明日課外授業をするらしいな」

「なっ……なぜ、そのことを知っている?」

「アストの事をよく思っていないのはお前さんだけじゃないってことだよ」


 にやりと笑うガゼルにアーノルドは急に興味を示した。


「なるほど……何か考えがあるのか?」

「ああ、あいつを痛い目に合わせる方法を知ってる。だが、そこそこ腕が立つらしいからな、魔法をつかえる人間も欲しいと思っていたんだ」

「ほう……それでエリートである私の力を借りたいと?」


 二人は意味ありげな視線を交わし、ガゼルは邪悪な笑みを浮かべた。



「協力しないか?あのアスト先生とやらに復讐するために」

「面白そうだな。話を聞かせてもらおうじゃないか」

「ああ、明日の課外実習で……」


 そうして、ガゼルによるアスト襲撃計画をアーノルドは聞きにやりと笑うのだった。



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