第4章52「力の強襲盛り、運命を添えて1」
ゴーレムの壁の向こう側でも強烈な打撃音が響き、決着がついたと思われる。赤ずきん少女が周囲を気にせず、水の恩恵を使ってボクの首筋を流れる血を止める作業を続けている事からも間違いはないだろう。
壁に徹していたゴーレムたちですら、危機は去ったと言わんばかりに縮めていた各々の身体を伸ばしているのだから、こちらの戦力が欠ける事なく山場を乗り越えられた事実には安堵するべきだ。実際に赤ずきん少女も、戦闘時に見せていた殺意はすっかり引っ込んでしまっている。
ーーだからこそ、超越物質に頼ってまで女神を呼んだ彼の選択に違和感を覚えた。
赤ずきん少女に馬乗りにされ、武装した拳を落とされ続けた軍服女は大した脅威でもなかった。
辛うじて息はあるようだが未だに意識が戻る様子もないので、過剰戦力が出向かなくても二人の元々の戦力差は大きかったと思われる。…つまり、戦力増強が彼の意図ではないと思われる。
更に言えば、この辺りをウロウロしている幾つかの反応は感知できるが、しかしそれらはボクたちの様子を伺っているとは思えない動きを各々している。戦闘していたボクたちの状況を把握していないような動き、と言い換えても良いだろう。
ならばこの幾つかの反応たちは、少なくとも意識をボクたちに割けない状況下にあるという事だ。であれば現状、懸案ではあるが多少の放置は些事だろう。
いくら戦闘素人の立場に立って考えを巡らせても、超越物質という禁忌肢に触れるまでもない状況だったのではと思えてならない。
いくら戦力を分断され、首元に刃を当てられパニック状態に陥っていたのだとしても、まさか何の考えもなくデメリットしかない超越物質を起動させたなんて思いたくない。
…いや、それとなく伝えたつもりだったデメリットの話を思い出してくれなかっただけとも考えられる。現状、この思考が一番彼の思考パターンと酷似しているだろう。そうであってほしい。そもそもキミが何故超越物質を持っているんだ、経緯を教えてくれ。
「しけつがおわったわ。くびをはげしくうごかさなければ、しばらくはとまったままだとおもう」
「ありがとう。…相手の力を抜く事も、こうして血の流れを操る事もできるなんて、キミの恩恵は優秀だね。特に治療ができるような恩恵を持つ人間が、女教皇ちゃん以外にも居るなんて思わなかったよ」
「ちをとめられたのは、あなたにあたしのみずをたいりょうにしこんでいるから。ほかのひとのちだったら、ながれるちのりょうをかえるのがせいいっぱいだとおもう」
大量の水を体内に仕込んでいるって、つまり「お前はいつでも内側から破裂させられるぞ」って事かな?彼、そんな自分の死に直結しそうな契約をボクに黙って彼女と交わしてたの?
思考が固まることコンマ数秒。他にも仕込まれている契約はないか、後で精査しようと心のメモ帳に付箋を貼りつけて一旦聞かなかった事にする。
「こちらも終わったようですねーー」
考える事が多すぎて一度情報を整理しようと思い立った矢先、もう一つの爆弾がボクの足元に放り込まれた。
未だゴーレムたちの壁が取っ払われていないにも関わらず、女教皇ちゃんが暖簾をくぐるような気軽さで飛び越えてきた事にはもう驚かない。たとえ女性の平均的な身長にも満たない壁と天井の隙間を縫って跳躍してきたのだとしても、最早驚く気にもなれない。
問題は、超越物質を使用した理由探しが急務になった事だ。女教皇ちゃんの眼から感じる気持ちの温度が急激に冷え込み、絶対零度を迎えるまでに正解を探せなければ、彼女の拳がいつボクに叩き込まれるか分かったものではない。
「やぁ、女教皇ちゃん。久しぶりに会ったね」
「…“ヤツヨ”様がその姿でここに居るという事は、私が白翼族を追い返している間にカケル様に危機があったという事ですね?」
「らしいね。けど、彼女が活躍してくれたお陰でボクの出番はあまり無かったよ」
女教皇ちゃん相手に嘘は禁句だ。意図して嘘をついたが最後、ただでさえ急な温度勾配が直角に落ちて絶対零度だ。
故に、受け答えは慎重にならざるを得ない。女神とて命は有限、下手に刺激して理不尽に折檻されるのは真っ平だ。
「“ヤツヨ”様、つかぬ事を伺います。カケル様と代わってから、どれくらい経ちましたか?」
「そろそろ3分、超越物質の効果が切れる時間だ。心配しなくても身体は彼に返すよ」
「…それであれば問題ありません」
早く代われ、と視線で訴えられても困る。何せ超越物質に呼ばれたのは良いが、一体何のタロットを彼が起動させたのか解らない。
そもそも起動中の超越物質が、全く情報をボクに開示してくれない事に驚きを隠せない。せめて起動している大アルカナさえ判れば、ある程度の力の傾向は読めるのだが…。
っと、余計な思考をしている間に3分が経ったらしい。やれやれ、おっかない女教皇ちゃんのご機嫌取りは彼に任せてボクは退散するとしようーー。
しかし、秒針はまだ止まらない。確かに超越物質の活動限界である3分を迎えた筈なのに、ボクの意識はまだ留まったままだった。
「おかしい」
「“ヤツヨ”様、おかしいというのは?」
冷たい表情ながらも、こちらの表情の機微に気付いた女教皇ちゃんが言葉の続きを促してくる。後ろに控えていた赤ずきん少女もまた、こちらを不安そうに見つめてくるのが分かった。
「彼が持っていた超越物質が発動してから3分が経った筈なんだ。けど、一向に効果が切れる気配がない。力が反転している様子はないのが唯一の安心材料だが、この異常事態は早々に解決しておきたい」
「カケル様の意識が、戻ってこないという事ですか!?」
「今のままなら、恐らくね」
超越物質と言えど、使用者の命を簡単に刈り取る機能は備えていない。むしろ長く、多く使用してもらう為に、敢えて時間や放出する力の制限を個々に設けている事が多いくらいだ。
ボクの“女帝”もそう。3分間だけ力を貸そうと彼に言ったのは、この時間が超越物質の上限だったからだ。“法王”の彼だって、設けられていた制限時間は同じだったと考えられる。
制限された時間や力を超えて自ら超越物質を求めたなら話は別だが、戦闘へ積極的に参加したいと思わない人間はむしろ忌避行動を取るだろう。彼が使い、ボクを呼んだ超越物質がまだ正位置のままである事、これが何よりの証拠だ。
つまり、超越物質の発動は彼の意志に反して意図的に継続させられている。ーー恐らく、彼が発動した超越物質の仕様を詳細に知り尽くしたモノによって。
「女教皇ちゃん、そして赤ずきんの少女も、とにかく情報がほしい。今のボクはフローア村で忍者ちゃんと話をした時から情報が止まっている。当時から現時点まで、何でも構わないから彼に関する出来事をなるべく詳細に教えてもらえるかい?」
彼が手にした超越物質が判れば最上だが、そうでなくとも構わない。たとえ不要な情報でも一度は目を通しておきたい。
そんなボクの意図を汲み取ってくれた女教皇ちゃんは、困惑した表情を浮かべていた。
「今の“ヤツヨ”様の言葉には特大の矛盾があります。ですが、先ほどの言葉に嘘はなかった。これは一体ーー」
「待てって、おい待てって!」
「いぃぃぃやぁぁぁああああッ!!」
女教皇ちゃんの言葉は最後まで続かなかった。傍にいた赤ずきんの少女もまた、脅迫めいた言葉にご立腹らしく眉間に皺を寄せている。
ボクの反応も同じだった。情報収集の邪魔をされたという苛立ちもあるが、この荒立ち始めた感情の波をすぐに鎮めて思考を冷やすには充分な魔力の塊が2つ。ボクの置かれた状況を無視して急接近してくる。
「良いだろ、ちょっとオレの盾でお前の顔を挟んで焼くだけだからさ!痛いのは最初だけだから、逃げんなっておい!」
「やだやだ人間サンドイッチされるの怖いぃぃ!!」
物騒な物言いに目を細めながら視線を遣った先にあったのは。必死な形相を浮かべながらこちらに向かって全力疾走する素朴な村娘が、自身を軽く覆い隠せる程の大きな盾を両腕に構えた巨躯に追われている様だった。




