第4章50「女教皇と死神は天の調べに吊るされる8」
土兵たちの壁の外側で思わず耳を塞ぎたくなるような打撃音が響く中、内側でもその打撃音が響きそうな睨み合いが続いていた。
レイラさんの様子を見に行きたい欲は、正直に言えばある。けれども彼女が全力を出すには土兵たちの壁から動かない事が肝要だと言われてしまったら、オレもそれに従うしかないだろう。
だが、その話が反故にされかねない状況になっていた。土で作られた剣を背後から首筋に当てられ、身動きが取れないオレの処遇を勝手に決められそうになっているからだ。
ピッタリと背中にくっつく柔らかい感触、耳朶を撫でる荒い呼吸、汗ばみ土埃に塗れてもなお香る甘く誘う匂い。
ザラリと首筋を滑る乾いた感触、オレの肩に時折落ちる大小様々な砂粒、その砂粒に混じった冷たい鉄の臭い。
どれか一つでも平時を有事に変えてしまうドキドキイベントの筈なのに、液晶越しから飛び出た途端に意味合いが180度変わる心拍数急上昇イベントに早変わりだ。全イベントの特盛とか胃もたれするんだよ加減しやがれチクショウめ。
「裏切り者、返事をまだ聞いてないわ。カノンの気が変わらない内に答えてくれる?今この場でカノンに屈して月の国でウルスラ様の沙汰を受けるか、この男の首を斬られる所を指を咥えて眺めるか!」
耳朶を撫でる呼吸の主が、童話から飛び出てきたかのようなピンク髪の赤ずきん少女を威嚇した。
当人は自覚していない上に言葉を選んだつもりかもしれないが、本音がだだ漏れだ。要は「ボコられた借りを返すからちょっと面貸せよ」である。
ご丁寧にプリシラが武器を手にするのを待つ淑女っぷりまで見せてくれているので、本気で交渉する気があるか?とつい勘繰ってしまう。
さて、プリシラの操る水は大鎌などの武器に形を変える事ができるのだが、生憎ここは土兵たちが壁になってくれている内部。大物を振り回すだけのスペースは無いし、仮に土兵に当たってしまってレイラさんの全力戦闘の邪魔になろうものなら目も当てられない。
故に、プリシラの武器の選択は篭手。奇しくもレイラさんと同じ得物を構え、周囲に水の珠を浮かばせながら戦闘態勢を取った。
「じゃあこたえてあげる。いくさみこほどじゃないけど、あたしもこぶしのうちかたにはじしんがあるのよ。あんたをほねなしになるまでぶんなぐって、そのひとといっしょにここをだっしゅつするくらい、わけないわ」
「カノンの選択肢聞いてたァ!?元奴隷ごときの夢物語はお呼びじゃないんだよ、ウルスラ様の思い通りにならない欠陥品がさァ!!」
軍服女の猛る言葉にプリシラの拳に集まる水が波打つ。感情をあまり表に出さない彼女の怒りが、ぶつける先はどこだと荒れ狂っている。
プリシラの被る赤ずきんがテンポよく揺れ、ブーツが今か今かと地面を蹴るタイミングを計り始めていく。一撃で決めると言わんばかりにプリシラが気合を入れているのを、羽交い絞めされているオレからも見てとれた。
勿論活躍の場を提供したいのは山々だし、どうせならその方がオレも痛い思いをせずに済みそうだから諸々任せたい。何だったらこのまま待っていれば、渾身の右ストレートが軍服女の鼻柱をへし折りながら土兵の壁に追い込んで、文字通り筋肉も内臓も二度と使い物にならなくなるまで殴り抜いてくれるだろう。
先の二人の戦いの一部始終を見届けていた戦闘素人から見ても、二人の戦力差は一目瞭然。相性やらの問題もあるかもしれないが、こればかりは天地がひっくり返らない限り覆らないだろう。
ーーけれど。今の軍服女の言葉選びだけは聞き捨てならなかった。
オレの感情の雷管に刺激が走り、生み出された爆発的な行動力が、戦闘のプロに任せるという最善手を自ら放棄させた。
「おい、軍服女」
ブツリと首筋で何かが斬れる音をさせながら、オレの首がグルリと回転する。
まさか自分から首を斬られに来るとは思っていなかったのだろう。動揺を隠しきれない軍服女は、これ以上首を斬らないよう剣を引いて距離を取った。
「ハ、ハッ!人を外見だけで判断する男とか終わってんですけど!それと今の自分の立場を弁えなさい、すぐ死にたくなかったらね!」
傍から見れば追い詰められているのは軍服女の筈なのだがと、今もどこかでこの場を視ているであろう“ヤツヨ”なら気の利いた言葉を投げてくれたかもしれない。
だが残念ながら、起爆スイッチが押されたオレに言葉を選ぶ優しさはない。
「あ、あなた!くびからちがでてる!」
「ーー悪いプリシラ。止血、後で頼む」
想定していなかったらしいオレの動きに、思わずプリシラが駆け寄ろうとする。それを、オレは目で制した。
勿論、すぐにでも駆けつけてもらいたい。痛いものは痛いし、首から垂れる液体が服を濡らして気持ち悪いったらありゃしない。
だが、今から行う“悪魔”の呼び出しにプリシラを不用意に応じさせたくなかった。何よりも、今から行う事を後ろから見ていてもらいたかった。
不承不承といった表情だが、命に関わりかねない止血という大役を任されたとなれば頷くしかないプリシラ。「悪いな」と小さく礼を重ね、改めてオレは問題の女と向き合った。
「オレは人の名前、覚えるのめっちゃ苦手なんだ。今更アンタの名前を覚える気にもならないし、容姿で区別されるくらいは受け入れてほしいモンだけどな。それより元奴隷とか欠陥品って、誰の事を指して言ったのか教えてくれよ」
「アンタもカノンの話聞いてたァ!?そこの裏切り者以外の誰がいるって言うのよ!」
ダメ押しの起爆スイッチ二度押しに、抵抗のあった“悪魔”の使用もやむなしと判断した。
もう後には戻れない。オレの一時の感情に任せた選択が、今後どのように転がるのかはオレにも分からない。考える時間と心の余裕があれば、もっと違った選択肢もあったかもしれない。
「そうかそうか、ならもう一度確認するぞクソ女。上司に裏切られて、散々嬲られて死ぬ目に遭って、それでも生きたいと敵に縋りついたプリシラの事を…助けた人間に恩返しをしたいと言ってくれた健気な女の子の事をお前はなんと言った!?」
エゴの押し付け合い、大いに結構。たった一回ぶつかって不要な角が取れるのなら万々歳だ。
「月の国に連行する?逆だ、お前がオレたちと一緒に来るんだよ。今からプリシラの代わりに、お前が押してきた烙印に震える事しかできない立場にしてやるよ!」
下手に振り返れば後ろからついてくるタラレバを振り切るように、“悪魔”のタロットカードを掌に乗せてオレは吼えた。
「願いよ届けーー!!」
思い浮かべる顔は一人、仕事の時間だ女神様。
最近全く姿も声も聞いてないんだ、少しくらい自分も仕事しているって事くらい証明しに来やがれ!




