第4章49「女教皇と死神は天の調べに吊るされる7」
武術においても魔術においても、人間に劣る物は何もないと言われる白翼族は優秀な種族である。
ただし性格まで優秀かと言われれば、実はそうでもない。優秀であるが故に他者を見下し、理解しようとも思わないような選民思想が強い種族としても知られており、仲間に引き入れようと考える他種族は誰もいなかった。
レイラの目の前に立つ白翼族もその一人だろう。
自分の実力に絶対の自信を持ち、他者を屈服させる事に快感を覚える異常者…というのが、彼女の立ち振る舞いを観察して結論付けたレイラの性格判断だった。つまるところ、レイラにとってはごく一般的な白翼族Aなのである。
確かにプリシラを下した事を考えれば、レイラと対峙するのに最低限の実力は保証されていると考えて良い。普段のレイラであれば、新しい強敵候補の発見はとても喜ばしく歓迎されるものの筈だった。
「楽に床を舐められると思わないでくださいね。カケル様とプリシラ様を痛めつけた以上の拳を、貴女様には受けていただかなければなりませんので」
光の速度で放たれる拳が顔と腹についた肉を余さず穿ち始めてから、白翼族の態度が一変した。
鼻が陥没する湿った音も、内臓を抉り上げる潰れた音も、適度で許容量過剰な痛みが残る程度に傷を浄化しては再び同じ威力で殴るを繰り返す拳の嵐。距離を取る事も、腕を上げて防御する事すらも赦されない戦巫女の沙汰は、息を切らす事なく戦闘の優等生を追い詰めていた。
「う、ぐ、あ」
せめて顔は守ろうと、重く上がらなくなった腕でなく躰の一部のように扱える軽い翼で隠すようにガードを固める白翼族。
人間の身体にはない第三の武器は、常人であれば傷つける事も、触れる事も叶わない。羽のように軽いながらも、その強度は高名な勝利を約束された魔剣や一撃で全てを刺し貫くとされる呪槍ですら難しいと自負している。ましてや人間の拳など、複雑骨折に全ての筋繊維断裂のオマケまで付けられる自信がある。
「邪魔ですね、その翼」
「そ、んなーーぶびゅッ」
種族の特性を活かした、この場における最善手だ。最善の中の最善を尽くした一手であると、白翼族も考えた事だろう。
しかし白翼族の最善手は、木っ端微塵に殴り砕かれた。人間は乱雑に小突いた拳が白翼族の躰を包んでいた翼を無理やり広げさせると、守りを失い驚愕と絶望の表情を浮かべる顔に弧を描く軌道で拳を打ち付けたのだ。
「もぎ取られなかっただけマシとお考えくださいね。次は翼ごと打ち抜きますし、そのつもりで今も殴らせていただいています」
人間ごときが触れて無事でいられる筈がないと、もう一度翼で躰を護りたい理性。しかし言葉の通り翼をもぎ取られるかもしれないという恐怖が、白翼族の思考を漂白した。
思考が止まれば脚も止まるし、身を守る為に構える気力も一瞬失せてしまう。
ーーその一瞬を、戦の巫女が逃す事なく光の速度で距離を大きく詰めてくる。
「ボディががら空きです!」
大きな胸の中心にある窪みに突き上げられたレイラの拳が、白翼族の躰をくの字に折り曲げて宙に浮かせた。
逃がしきれない衝撃を肺に溜め込んだ空気と一緒に吐き出す。同時に堪えきれなかった鮮烈な紅の一輪花をレイラに叩きつけるが、白と青の法衣ドレスが穢される事はなかった。
荒い息遣いの中、「こんな筈ではなかった」と表情に書いて訴えている白翼族が、ガクガクと身体を震わせながらレイラを見上げている。
悪戯を働いた幼子が、大事なものを取り上げられる時に泣いて縋りつくような必死さに、思わず目元がピクリと動くレイラ。
常人であれば攻撃の手を緩める寛容さを見せる場面だが、しかしレイラは逆に拳を強く握り締めた。白翼族が隠している感情を、見抜いたのだ。
「今更そんな表情で訴えられても赦しはありません。私の中ではカケル様の安全が第一、その他諸々は正直おまけに過ぎないのです。私も無益な殺生はしたくありませんが、人には超えてはならない一線というものがあります。…貴女様は、私の中で引いている絶対の一線を大きく踏み越えてきました」
貴女様にかける慈悲はもうないと、嘘の感情の源である白翼族の脚をレイラは力強く踏みつけた。
踏みつけた衝撃は凄まじく、蜘蛛の巣状に破壊の跡が伸びていく。闘技場参加者がどれだけ暴れても崩れないように厳選したであろう高級な石造りの床は、どこにでもあるただの砂利になってしまった。
予備動作のない、文字通り一瞬の出来事に思考が固まる白翼族。同時にやってきた硬い筈の骨が砕けた音を一拍遅れて認識し、踏まれた衝撃で埋められた脚の激痛を意識した直後、ようやく一切の打算なく自らの命の危機を訴える気になったらしい。
「ああああああああああッ!!」
「本気で私に赦しを請うという事は、貴女様の命を私に預けていただけるという事。ならばその命を、私がどう使おうと文句はない筈です。何故今更になって、死にたくないと声を上げるのです?…あぁ、貴女様から答えていただかなくて結構ですよ。その答えは、先ほど私に向けた感情に嘘がある証拠…隙あらば私に一矢報いんと刃を隠し持つ者の感情だから。違いますか?」
生殺与奪の権利を不用意に相手に与えたらどうなるのか、その答えが今のレイラの態度だ。
弱者が強者をどのように嬲ろうが、辱めようが、強者の意見に弱者の意志は反映される事はない。命乞いを聞き入れてもらえるかどうかも、レイラ次第なのだ。
つまり。白翼族の訴えをレイラが聞く耳持たない以上、拳の沙汰が止まる道理もない。
「さて、ご覧の通り貴女様の軸足は陥没させておきました。引き抜きたければご自由にどうぞ。尤も…引き抜ければの話ですがね!」
目に涙を溜めた白翼族の顔が、暴力によって蹂躙されていく。
純潔だった白いアオザイに滴る赤は、彼女の誇りを穢す汚泥の如く。純白の翼に赤い斑点が散る様は、真っ白なキャンバスに鮮血を吹き流す芸術の如く。
脚を文字通り床に縫い付けられた白翼族は、その場で倒れる事すら叶わず一方的に光の拳の餌食となっていく。
砕いた頬骨を浄化し、今度は鼻梁を陥没させ、垂れた赤い液体はそのままに女の顔立ちを元の通りに浄化される。
下手な金属製の鎧よりも硬く魔力で護られている筈の腹を穿ち、衝撃で破れた内臓を浄化し。その矛盾による気持ち悪さと痛みを残して引き抜かれた拳を、今度は違う急所を狙って光速で叩き込む。
いくら「浄化」の恩恵を極めた者と言えど、自らの魔力貯蔵量と消費量を正確に把握しつつ、卓越を超えて異次元な格闘センスが無ければ成し得ない奇跡の業。その域に達している事こそが、戦巫女と呼ばれる所以である。
「ぶふっ、ぅぇ…」
倒れるに倒れられない不安定な姿勢のまま殴られ続けてきた白翼族に、最早戦意は微塵も残っていなかった。残っていようものなら、レイラが見逃さす筈がない。
だからこそ、一層の「浄化」を籠めた拳が最後に顔の中心に叩きつけられた。
「私としてはまだ物足りない節はありますが、ひとまず根競べの区切りとしましょう。まだ向かってくる気力があるのなら、お付き合いいたします」
引き抜きたくても引き抜けなかった脚を、いとも簡単に引き抜く拳を浴びた白翼族は。床に何度か不時着しながらも、その勢いのまま縦回転に吹き飛んでいき…ついには床のない夜の空へと投げ出されていく。
その光景を、レイラは止めなかった。止める理由もなかった。
「理解し難いこの催しを開いた黒覆面様から与えられたであろう、例のカードを未だ使っていない貴女様の再挑戦。お待ちしておりますね」
白翼族の背中にくっついた、種族の名前の由来である自慢の翼は満足に動かす事はできず、重力に従って闇の中へと吸い込まれていった。
戦巫女の名に恥じない圧倒的な戦力差をもって、レイラは勝利を掴み取ったのであった。




