第4章閑話2-4(初めて太陽が月に敗けた時4)
連れられた闘技場は、非常に快適な場所だった。
清潔で広い個人部屋、暑すぎず寒すぎない適度な気温湿度、出来立て料理を食べたい時に出してくれる大きな食堂。太陽の国にある最高級宿場と比べても遜色ない施設の充実っぷりに、思わず溜息が漏れる。
“審判者”…いや黒覆面を被った外道は、腹違いの兄弟姉妹たちもお忍びでこの闘技場に何度か訪れた事があると口を滑らせていたが、それも納得できるというものだ。
⦅月の国と睨み合っている最中だってのに呑気な話よね。戦場をまともに知らないのに無意味な指示を飛ばすだけで、自分たちは戦火を被らないこんな秘境で物見遊山だなんて…⦆
事実、他の兄弟姉妹たちが戦場に立ったという話は一度も聞いた事がない。兄様ですらソレイユと比べて戦闘力は劣るし、調薬活動と称して戦場となる眠りの森に野草を摘みにいく程度しか、国を離れる用事…民と会話する機会はなかったのだ。
そうなれば『王族、実は弱いのでは?』と噂が立つのもある種自然な話だろう。兄様以外の兄弟姉妹がいくら巻き込まれようとも、ソレイユの知った事ではないが…。
⦅あーッ!思い出しただけで腹が立つ!!⦆
勿論、そんな庶民の噂に例外など設けられる筈もなく。ソレイユも同じく戦闘能力のないお荷物王族であると、一括りにされるのはごく自然の流れだった。
まだソレイユだけなら良い、いや良くないが。自分に掛かる泥なら「ソラ」として暴れれば済む話なので多少なら問題ない。いや良くないが。
だが当然のように兄様にも同じ噂が立つとなれば話は違ってくる。
民の為に動いてくれる心優しい兄様、「焔帝」と呼ばれる実力を持つ兄様を、よりにもよって他の兄弟姉妹どもと同列に並べてくれたら御礼参りも当然セットで付いてくるというもの。勿論その噂の出所は…木の棒がどこに落ちているのかと聞かれるのと同じだ。
だから国の中で反乱の火種が燻るし、ソレイユの暗殺が無くならないのだ。今すぐ兄様にその首を差し出して反省しろ、と思わず壁を何度も拳で突き上げる。パラパラと何かが崩れる音がしているのは気のせいだろう。
⦅ま、それを言ったら何もせず食っちゃ寝できる、こんな贅沢環境を用意できたあの外道も大概だけど…⦆
『あの闘技場の主人、苦手なんだよね』と兄様が言っていた理由の一端が、理解できた気がする。
よりにもよって他の兄弟姉妹どもと面識がある、という一要素だけで百度参りモノだが、それ以上に赦せない事がある。あの男には、放置癖があるらしい。
この広い闘技場にはソレイユが当てがわれたような個人部屋がいくつか存在しているが、その部屋から中央に向けて会場が一望できるようになっている。要は貴賓席だ。
なので誰かが試合をすれば部屋から観戦できるし、その試合に出た者の顔だって見る事ができる。相対するより前に、手の内を窺い知る事ができるのだ。
ところが…ソレイユがこの闘技場に来てから数日というもの、会場をいくら眺めようとも、誰ひとりとして舞台に上がる者はいなかった。
自分たちの手の内を知られたくない思いがあるのかもしれないが…そうなれば当然、激しく叩き合う金属音など聞こえてくる筈もなく。闘技場としての役割は、果たしてどこへやら。
楽しみはいつでも温かい食事が出てくる事と、誰にも邪魔されない睡眠のみ。ソレイユの目的である武者修行も、何も起こらず状況が静かだと、退屈を通り越して虚無感すら覚えてしまう。
闘技場の管理者を名乗っておきながら、実態は試合も組まず闘士を集めるだけ集めて部屋に押し込んだだけ。他の闘士に自然と顔を合わせる機会がなければ、戦闘を始めるキッカケも起こらないというものだ。
何日もお預けを食らう身になれば、腸が煮えくり返るのも止む無し。壁のヒビを増やす八つ当たりくらい許されて然るべきだろう。なお、隣人への騒音やら物損被害諸々の迷惑は考えないものとする。
⦅今日こそ誰か試合するんでしょうねぇ…?ていうか、試合しないんだったら他の闘技場に行きたいんだけど!?⦆
休ませてもらえたお陰で、眠りの森で消耗しきった魔力は充分に回復できた。
そも、一度の食事である程度魔力なんて回復できるのだから、数日分の食事回数も重ねれば貯める蔵も十二分に満ちるというものだ。
影の苦無の出し入れも万全、奇襲用の影移動も問題なくこなせる。弧を描いて宙を薙ぐ脚も、思い通りに動いてくれる。
改めて自身の強みを思い出し、向かってくる相手に脚をぶち込む脳内トレーニングで気持ちを高めていく。
近接格闘に持ち込めれば、誰が相手であろうとも負ける気がしない。敗北の二文字を知らない少女は、自信をどこまでも膨らませていく。
『綺麗な蹴りですね』
『ッ!?』
数度目の蹴りが宙を切ったその時、不意にかけられた声にソレイユは身体を思わず硬くした。誰かが部屋に入ってくるとは思わなかったのだ。
慌てて声がした方に視線を向け…そこでソレイユは思わず『は?』と声を漏らした。視線を向けた方向が、外にある会場だったのだから。
そこにいた人物が、「戦巫女」と呼ばれる月の国の狂戦士だったのだから。
『随分荒れていそうな音がしていましたので、窓から失礼しました。…いつ呼ばれても良いように服まで着こまれている所から、溜め込んだ感情も相当かとお見受けします』
急遽抜けた前任者の穴を埋める新しく据えられたという月の国の最高権威の一人。その証である光の紋様が刺繍された白い法衣を身に纏い、淡い水色の髪を揺らすーーソレイユとあまり歳が変わらないように見える少女。
何という偶然。国を挙げて討ち取りたいと願い、誰もそれを叶えられず血と汗と涙を流し、探し続けている大物が今、ソレイユの目の前にいる。
相手として不足なし、それどころか主戦力を失った月の国を落とす足掛かりになるお土産を持って帰ったとなれば、釣銭だけで一生分の名声が得られるだろう。
『私も身体を動かしたくて仕方がないんですよ。一戦、お付き合いいただけますか?』
『良いわよ、「戦巫女」。アンタみたいな血の気の多そうな相手を探してた所だったし』
柔らかな笑みを浮かべる白い少女と、不敵な笑みを浮かべる忍ぶ少女。高まっていく二人の戦意を止められる存在は、この場には居ない。
静かな空間に緊張感が走る中、ただ一つ…壊されかけていた壁だけは安堵の音をガラリと立てて見守っていた。




