第4章閑話1-3(肉が食べたい!3)
元々オレは自律神経が弱りやすく、酔いやすい体質だ。シューティングゲームはおろか、手振れの酷いカメラ映像もまともに見る事ができない。典型的な3D酔いをする人間の特徴だろう。
そんな人間が超速で動くレイラさんに抱かれながら、超特急の車窓から眺める景色も驚きの目まぐるしい緑色の暴力を受ければ、オレの脳がK.O.するのも無理のない話だ。
(おぇ…酔った)
そんなオレの無茶なオーダー通り、過剰な負荷がかかる事なく教会を飛び出し、あっという間に森の深い場所までやってきた少女と大きな荷物が一人。えっと…オレまで連れ出される意味、ありました?
どうにか吐き気を堪えつつ周囲を軽く見渡すと、巨大な穴がいくつか地上に顔を出しているのが見えた。もう既に嫌な予感がする。
それだけではない。普段から鼻が詰まりやすいオレでもひん曲がるような獣臭さが立ち込めており、この場に留まり続ける事を心の底から拒絶していた。
ーー不意に、鼠ハウスに出入りしていた大学時代の苦い思い出が蘇ってくる。当時嗅いだものよりも濃密な臭いは、オレの酔いと嫌な予感を更に悪化させていた。
「カケル様、ご不便をおかけしました」
80キロを超える重量の荷物を運んだにも関わらず、少女は息一つ乱す事なく、鼻歌交じりに身につけている黒い手袋を嵌め直している。
彼女の浮かべる表情に拒絶の色はない。むしろ、ワクワクと期待に胸を膨らませているようだ。…こういう時、獣臭さすら浄化できるであろう彼女の恩恵が羨ましく思えた。
「カケル様はこの場でお待ちください、数分もかからず終わりますので」
「えっと…。終わるって、何が?」
「勿論、ボロア狩りです」
追跡者たちがオレたちに追い付くのは当分先になるだろう。稼げた時間は数分どころの話ではない筈だ。
それに対し、「狩りに時間を掛けるほど悠長はしていられません」とでも言いたげな様子で、レイラさんの足がリズミカルにステップを踏み始める。まるで、既に目の前に獲物が潜んでいる事を知っているかのような動きだ。
…ところで。あまりにもテキパキと展開が進んでしまい、一体オレはどこに運ばれたのか分かっていないのですが。
いやまぁ、何となく想像はつきますけども。今一番考えたくない答えが脳内で控えてますけども、一応間違っている可能性もあるし。できれば、レイラさんの口からしっかり説明してもらいたいのですが。
「巣穴の前に弱そうな人間が立てば、自ずと彼らから顔を出すというものです。…あぁ、今のはカケル様の事ではありませんよ。ボロアにとって、人間は弱者という認識なのです」
「す、あ…な!?」
待って、ちょっと待ってくださいレイラさん!今、巣穴って言いましたか!?
じゃあ何ですか、今のオレたちが置かれている状況って、空腹で今にも暴れそうな獣の目の前に人参をぶら下げている状態って事!?控えめに言って命の危機に瀕しているのでは!?
「ちょ、レイラさーー」
抗議をしようと口を開きかけ、眼前の大きな穴から生ぬるい向かい風が吹いた事で急いで口を閉じる。獣の臭いを体全体で受け止めてしまい、気持ち悪さが一気にこみ上げてきた。
吐き気をどうにか堪える間に、地面と空気は徐々に大きく揺れていく。いよいよ二本の足で立ち続ける事が困難になった頃、ソレは現れた。
「ブォォオオオオオオッ!!」
「っ!?」
人間男性の平均的な身長の3倍は優にありそうな巨体、その鼻からは立派な牙を二本構えている。現実世界で言う「猪」が、目の前の生物を端的に言い表すのに相応しいだろう。
だが猪と言い表すには異質すぎるその見た目は、もはや魔物だ。魔物の猪、魔猪と呼んだ方が現実のものと分別できて良いかもしれない。
ところで、オレはこの魔猪を初めて見た訳ではない。かつてレイラさんが食糧として、背中に抱えて運んできたものと瓜二つだった。つまりオレは、コイツが食卓に並んだ時の味を知っている。
正直、当時の話題が話題だっただけに何も味が思い出せないのが悔やまれるが、知っているものであれば、容姿の驚きもある程度は抑えられるというもの。何だったら解体現場も見ていたしな。
下手な得物では肉にすら届かないであろう剛毛に守られている巨大なその獣は、人間ごときの力で太刀打ちできる訳がない。ましてや格闘職が相手であれば尚の事、重量で勝る巨大な魔猪が地面を舐める要因はないだろう。
魔法こそが彼らに効率よく致命傷を与える唯一の武器であり、獣たちは恐らくその魔法使いを嗅ぎ分ける本能を持ち合わせている。天敵が近くに立っていれば、彼らは巣穴から顔を出す愚を侵さなかっただろう。
「大物ですね。これは、日頃の私の行いが良いからでしょう…か!」
しかし今回ばかりは相手が悪かった。ご馳走を求めて自ら巣穴に潜り込むこの格闘姫の恩恵には、獣たちの常識など通用しない。
常識外への対策なんて獣たちが持ち合わせている訳がなく、知恵の足りない彼らは愚直にも、唯一にして最大の手札を切っていく。
「ブォオッ、ブォオオオッ!!」
巨体を砲弾にした突撃、体格の良いプロレスラーが繰り出すタックルなんかが可愛く見えてくるような圧を、正面から浴びせんとする。
竦んで動かないヒトの足、回避なんてさせないと言わんばかりに地を蹴る獣の脚力が合わさり、数秒後に複雑骨折を起こした上で血塗れになるのは、その動線に立つオレの筈だった。
だがレイラさんはその間に割って入り、左手だけでその殺人タックルを軽々と受け止める。彼女との体重や体格の差など歴然である筈なのに、防ぐどころか逆に少し押し返している始末だ。
毎度の事ながら、彼女の細腕のどこにこんな腕力があるのだろうと思う。…言わぬが花、触らぬ神に祟りなし。藪蛇を突いてまで、痛い思いはしたくない。
それでも猪は諦めない。尚も地面を蹴り続け、いつかレイラさんを轢死させてやると奮闘し続ける。ーーその猪の顎骨を粉砕する、小さな拳が振り抜かれるまでは。
「せいッ!!」
「フブォッ!?」
光を纏った一撃は猪の脳を激しく揺さぶり、興奮し口の中で溜め込んでいた消化液を折れた牙と共にその場に撒き散らした。
人間相手なら間違いなく、失神どころの話では済まない威力であろう。ソレイユたち黎明旅団の面々も同じ拳を何度も受けている筈なのだが、彼彼女らが生きているのはやはりレイラさんによる恩情だったのだと、改めてオレは思い知った。
「ブォ、ォォ」
視界が揺れているのだろう、力の入らない四肢が次第に地面へと吸い込まれていく。人間で言う所のグロッキーな状態が今の獣を指し示すちょうど良い言葉なのだが、それでも中々倒れる気配がない。
野生の意地だろうか、それとも少女が尚も剛毛を掴み離さない為か。どちらにせよ、少女の左手が獣にとっての命綱である事には変わりない。
「では、落ちてくださいね」
その命綱が不意に離され、命を刈り取る踏み込みが力強く地面に突き刺さる。先の力が入りきらない態勢からの打撃ではない、文字通り腰の入った一撃を見舞う予備動作に、魔猪は死神を見たのだろう。
動きを塞き止められていた身体は唐突に堰を外され、魔猪の思惑通りに前方へと身体が流れていく。しかし獣の想定通りの動きだったか否かは、その猛り具合とは裏腹に覚束ない脚を見れば明らかだろう。
せめてもの抵抗のつもりか、牙で刺し貫かんと顔を逸らしている。もしくは、牙で拳を防がんとしたのだろうか。
どちらにせよ、その程度の防御でレイラさんの拳が止まる訳がない。弧を描いた拳の軌道は、的確に獣の命を打ち砕いた。
ゴキリと骨がへし折れる嫌な音が周囲に響き渡り、魔猪の全身から力が抜け落ちる。断末魔が上がらなかったのは、この一撃で意識も一緒に吹き飛んだ為と捉えて幸いと言うべきか、仲間に自らの死と無念を伝えられなかった不幸と言うべきか。
「これで当面のお肉問題は解決ですね、カケル様!」
「そ、そうなんですね…はは、は」
魔猪が相手とはいえ、殴り殺すという表現を目の前で披露されて正直コメントに困っています。人間相手に絶対しないでくださいね…?
でも確かに、果物ばかりの食卓になるよりはマシだろう。果たしてこのお肉がどんなメニューになるのか期待しよう。
「ところでレイラさん、この巨大な猪…ボロアってどうやって村まで運ぶんですか?」
「…あ」
期待早々、不安茫々。果たしてオレは、どこかも分からないこの場所から無事にフローア村まで辿り着けるのだろうか。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
森が騒がしい、そう聞いた人物は手頃な山の頂からその様子を窺っていた。
武器に頼らず超巨大な魔猪を打ち倒す手腕、その魔猪を片手で持ち上げながら器用に小脇に何かを抱え、太陽の国にほど近いラーファン山脈の麓からいそいそと脱出する白と青の法衣ドレスを纏う少女を注視する。
「今時の下界の人間って、素手で獣を斃すのねぇ」
誰の耳に届かせる訳でもない、緊張感の欠片もない女の声は、静かに風へと消えていく。
これから起こる事を考えれば、あの少女を強襲すれば今後楽ができるのは明白だ。女の主人もまた、それを望むだろう。
だが、それ以上に女が興味を持ったのがーー。
「何の力もないのに戦場に立たされる人間がいるなんて、可哀想にねぇ」
法衣ドレスの少女が小脇に抱える、今にも吐きそうな表情を浮かべる情けない男。およそ戦場に立つべきではない一般人だ、いつ命を落としてもおかしくない。
あるいは、戦場に立つ意志なき弱者に苛立つ者もいるだろう。特に女の上司は、その手の不安要素を極端に嫌っている。
「戦巫女の報告は必要だけどぉ…その付属品の報告は要らないわよねぇ?」
だが女は、逆だった。情けない男を見るとつい手を差し伸べ庇護下に置きたくなる。独占欲が強く出てしまう。
可能であれば今すぐにでも保護したい。お腹いっぱいに食べさせてあげたい。心を調教して、女無しでは生きられない身体にしたい。
でもまだ我慢だ。もう少し、もう少しだけ待とう。戦巫女を強襲するのも今は我慢しよう。
十分な我慢を経てご馳走を貪る時間ほど美味なものはない事を知っている女は、近い将来訪れるであろうその瞬間を想像し、舌舐めずりをするのだった。
閑話、完結しませんでした。
でも逆に考えるんだ、1ヶ月丸々使って書く閑話があったって良いじゃないかって。…え?ダメ?
次話はちゃんと完結させます。本当です、信じてください!
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●ヒロインちゃんタクシー
終点、ボロア巣穴前~ボロア巣穴前~。…え?そのアナウンスはバス?
主人公君を教会に置き去りにする選択は、この時点でのヒロインちゃんにはありません。ただでさえ(いつの間にか)「永誓の契り」を交わした主人公君に、プリシラがベタベタとくっつく様を目の前で見せつけられ、ヒロインちゃん的に悶々としているのです。「私のカケル様にくっつかないで!」と独占欲が出てしまっている状態ですね。
ならば一番自分の近くに置いた方が安心安全、と考えた訳です。外敵を排除できて想い人とデート気分が味わえる一石二鳥な一手だぜ!フゥー、冴えてるぅー!
…尚、主人公君は「出掛けるつもりはなかったのに」と気分が落ち込んでいます。デートは相手の気持ちも考えて計画・行動しましょう。
●相手の体格差をものともしないヒロインちゃんのパンチ
…え?猪って素手で仕留められるの!?
主人公君が見ている手前、スプラッタな光景にならないよう(これでも)加減しています。お陰で殴りが甘くなり、仕留めるのに2発必要になってしまったとの事。
返り血も浄化の恩恵により浴びる事はなく、獣臭も常時カットとやりたい放題です。本当、ヒロインちゃんの身体能力どうなってるの?
尚、現実の猪に生身で向かっていくのはやめましょう。然るべき場所に連絡する事、それが大事です。
●(山の頂から)ナズェミテルンディス!?
ヒロインちゃんを監視する謎の女、一体何ロットなんだ…。
この怪しい女がいるのは、太陽の国の国境線が目と鼻の先にあるラーファン山脈の頂。見回りの兵士に気付かれれば大事になる筈ですが、どうやら巧くやり過ごせたとの事です。
…勿論、ヒロインちゃんは遠くから監視されている事を察知しています。敢えて気付かないフリをしたのは、主人公君に悟られ、巻き込むのを嫌がった為だとか。




