第4章11「歓待の後始末」
教会に幽閉していた自動人形が脱走した、という話が黎明旅団の中で広がっていた。
内容がそれだけであれば別に気にも留めないが、「月の国の賢者がそれを手引きした」という与太話まで付いてきたら流石に無視を決め込む訳にもいかない。
身に覚えのない罪を被せられるより前に、光の紋様が刺繍された法衣ドレスを身に纏う少女は地面を、あるいは壁を蹴り続けて疾走する。
髪を振り乱しドレスが翻るのも気にせず、追走してくる黎明旅団の面々には目もくれず、しかし少女の思考は穏やかにーー。
「どこの誰が流布した噂かは存じませんが、良い迷惑です。後で締めてさしあげましょう」
片手間に、犯人捜しをした上でこの拳で裁く事を決めた。勿論この場で全員を黙らせる事も出来るが、今は無駄な戦闘を避けたい思いもあるのでここは我慢。
大丈夫、しっかり拳を握っていれば多少の気は紛れるーーおっとうっかり地面に巨大なクレーターが。
それに戦闘を避けるのは、暗殺者たちの長との取り決めを少女が律義に守っている為でもある。あるのだが…、追走者たちはそんな少女の事情など知る由もない。
よし、ついでに教育が不足している団長も締め上げるとしよう。恩知らずな部下の尻拭いは上司の仕事、異議は受け付けないーーおっと手が触れただけなのに壁が砂粒に。
ところで少女の思考の大半は、追走者たちへの裁量ではなく何に割かれているのだろう。
どうやって追走者たちを振り切るか?否、少女はいつでも追走者たちの心をへし折る自信があった。自信がある以上、つまり手段は考えるだけムダ。
何故自動人形は脱走したか?否、むしろ自分の影武者と再度接触する可能性があるので、このまま泳がせておくのも悪くない。結果を期待する以上、つまり過程は考えるだけムダ。
依頼主の安否について?是、今の彼女にとって依頼主の安全は、いついかなる時も最重要事項に位置付けられている。外敵が闊歩している以上、早急に手の届く範囲に留める必要があるのだ。
「…見当たらない?」
おかしい、と口の中で言葉を転がす。村全体はこの追走劇を利用して見回った筈なのに、どこにも依頼主の気配を感じない。…ただ村の中を走り回るだけでは意味がないのだろうか。
一定間隔で通り抜けた痕跡を残している少女に対して、そろそろ何かしらのアクションがあっても良い筈なのだが、それすら無いのは気掛かりだ。
周囲の建物を伝って、村を一望できる教会の屋根へと足を運ぶ。ここなら見落とした景色も見つかるかもしれない、と希望も籠めて。
トラブルの可能性を考えるなら、認識を阻害する魔法罠の設置は必須だ。だが今回は、その可能性を否定できる。
一部でも魔法に関する罠に触れていれば自動的に浄化の恩恵が砕いてくれる筈だが、その気配すらなかったのだ。まだ触れていない極小の魔法罠が設置されている可能性はあるが、その程度であれば人体や血の認識を阻害する事はできない。
となると考えられるのは建物の中に避難しているか、動きたくても動けない状況に陥っているかのどちらかだろう。
…正直、建物に依頼主が隠れている可能性は考えたくなかった。こちらは一人分しか目も手もないのに、人海戦術で探されたらそれだけで数手分のハンデが生まれてしまう。
かと言って建物を壊しながら探す訳にもいかない。依頼主が生き埋めになってしまう可能性があるからだ。
「…いえ、弱気になってはいけません。いざとなれば私の恩恵でお怪我を浄化すれば良い事です。それよりも、カケル様と早く合流しなくては」
可能性こそ少なく見積もっているものの、仮想相手は連携の優れた敵国の暗殺集団。前回の襲撃こそ足並みが揃っていない箇所を突いて戦況を御せたが、二度は通用しない。
なので先ほど却下しようとした建物破壊案を再考する。多人数を相手取る時は如何に思考の隙を突くのかが勝負だからだ。大丈夫、命さえ繋がっていれば何とか浄化できます。
「居たぞ!教会の屋根だ!」
「嬢チャーン!少シ話をすルだけダかラー!コッチに降りテこーイ!」
「ていうか、屋根にスカートで登るな戦巫女ー!パンツ見えるぞー!!」
…女性の下着を覗き見ようとした不埒者がいた気がするが、今は声を覚えるだけで勘弁しておこう。次に声を聞いた時が貴方がたの命日ですと、心の閻魔帳にメモをする。
そろそろ、後ろにくっついてきている追走者たちの存在意義も失ってきている。こんなに穏便に済ませようとしているのに、何故丁寧に防壁を何重にも仕込んでいる地雷だけを的確に踏んでくるのだろうか。
いっそ、ここで間引いても良いでしょうか。…いいや、間引くつもりなら当の昔にやっている。これ以上の思考に発展しないよう、まだ感情を自制できているのだ。
けれども何事にも限度はある。溜め込んでしまった鬱憤を発散させる機会がほしい。できれば今すぐほしい。
…そうだ、追いかける事を諦めたくなるほど力の差を今一度見せつけてやれば良い。何を当たり前な事を思い出さなかったのだろう。
とはいえこのフローア村は小さい、他の村と比べたら大きい方ではあるのだが。つまり単純に距離を引き離すだけでは意味がない。
一見して無茶難題な題目は、しかし少女にとっては至極簡単な行動の延長で事足りる。
「炉心解放」
一言呟くと少女の両脚に光が溜まり、そこに熱が帯びていく。変化はこの一瞬だけで、白い脚はあっという間に元の肌色へと戻っていた。しかし見た目が元に戻った後も、少女の中に莫大な魔力が溜め込まれている感覚だけはしっかり残っている。
逃走の準備はこれで整った、あとは溜まった魔力を爆発させるだけで全てが終わる。
勿論、魔力を溜めたこの状態で拳を振るえば血肉すら浄化してしまう。それは避けなければならない。
なのでこの技を使用する時は、誰も進行方向にいない事を未来予知染みた気配察知で確信するよう自らに枷をかけている。
(…見つけました)
その過程で、異変はすぐに見つかった。村の入口の一つ、その付近で風の流れが不自然な区域があるようだ。
ちょうど巡回ルートにその場所を組み込んでいたのが幸いした。これならルート案を絞るだけで良いから気が楽だ。
「マイティ様、もし火急の用があるのでしたら手短に。今必要のない話題でしたら後で伺います」
「いヤ逆! 嬢チャンからこちラに話ヲしてホシいんダケド!?」
「それと…私はこれから4時の方向に向かいます。私を追いかけるおつもりでしたら止めはしませんが、相応の覚悟を持っていらしてください」
「ちょッ!? 俺ノ話聞いテル?!」
半ば強引に話をつけ、地上でぎゃいぎゃいと騒ぐ雑音は以降シャットアウト。精神を研ぎ澄ませて目的地までの安全な走行ルートを割り出していく。
ルートA、最短直線ルート。残念ながら着地予定地点に放牧されている動物たちの歩行ルートと被るので却下。
ルートB、右回りルート。建物の屋根や壁を利用して進む為、比較的安全性の高いルートだ。もれなく建物を粉砕する為、人的被害も多少出るのが難点だ。
ルートC、左回りルート。村の外周を利用した、建物・人的被害をゼロに抑え込めるルートだ。ただし外周を利用する分、到着予定時間は他ルートよりも長い。
当然、考えるまでもなくルートCを少女は選んだ。拠点をしばらくこの村にする以上、これ以上建物を壊す訳にはいかない。人的被害などもっての外だ。
そうと決まれば後は最適なタイミングを図るだけ。…どうやら幸運な事に、直近の出立が一番タイミングが良いらしい。
「3、2、1…」
おもむろにカウントを数え始め、それが終わると少女は今まで抑えていた脚を解放する。
それは青白い稲妻だった。地面を、宙を足場にしてフローア村を囲う柵に向けて駆ける少女の姿を、この暴力の嵐の中でまだ意識が保てる者がいたらこう例えた事だろう。
地面が抉れ、一拍置いて音が後から追い付いてくる。ヒトが超えて良い境界を容易く超えた衝撃がたちまち追走者たちを襲い、一人残らず二本の足を地面から引き剥がしてみせた。
稲妻はそのまま村を出ると、囲いの柵を舐めるように伝っていく。爆ぜる衝撃で柵がへし折れる音が数度するが、それを咎めたり嘆く声は聞こえない。あったとしても少女は聞く気がなかった。
出発から約2秒、多少の回り道と思考で動きが鈍り予定より1秒ほど多く時間を要したが無事目的地へと辿り着いた。
現場を見た少女はまず、目の前の巨大な結界に何故気付かなかったのかと自責の溜息をつく。
「…なるほど、道理で見つからない訳です」
どうやら中では戦闘が行われているようだが、しかし外には一切音も魔力も漏れていない。先ほどのように気配で察知するか、至近距離で現場を抑えるしか発見の術がない時点で厄ネタ確定だ。
また、教会で捕らえていたという自動人形は、先日少女が殴り倒した『風刃』の偽物…今を時めく下手人だ。
風術の使い手である以上、属性の一致する結界を張った最重要容疑者として名が上がらない方がおかしい。
それに、依頼主があの場に居たら生死を彷徨う怪我をしているかもしれないのだ。これだけの条件が揃っていて、結界内に入らないという選択肢は少女には無かった。
「失礼します!」
光を纏った拳で結界を殴り抜くと、中で留めていたらしい刃を載せた暴風が一気に吹き荒れる。
ゴウと音を立てて少女に襲い掛かるが、残念ながら彼女の白い肌に傷がつく事はなかった。
拳と同じく、彼女の身体には魔法魔術を打ち消す恩恵が常時纏われている。半端な暴風程度ではダメージを与える事すらできないのだ。
「カケル様ー!いらっしゃいますか、カケル様ーー」
『オルァ!一欠片たりとも逃がすか風の魔力よォ!!』
暴風を浄化しながら第一声を張り上げる少女の耳に、思わず塞ぎたくなるような不快音が混ざる。どうやら一足先に“悪魔”が現場に入り込んでいたようだ。
得体の知れない力には触れない事、と依頼主にも説教を呈したい所だが、当人が居ないのであれば話にならない。
あの”悪魔”を放置するのは好ましくない。依頼主が召喚した”悪魔”が今は食事中らしいが、ここで魔力をたっぷりと溜め込ませる訳にはいかない。
なので浄化の恩恵を纏った拳を開いて宙を掴むと、背負い投げの要領で風に化けていたそれを地面に叩きつけた。『ふぼぉッ!?』と変化を解きながら情けない声が聞こえてくるので、どうやら初手で当たりを引いたらしい。
『せ、背骨が粉々になりそうなこの感触…。もしかしなくても嬢ちゃん、女教皇か!?』
「私はレイラです。それと今の貴方様に背骨があるとは思えないのですが」
スライムに背骨なんて無いだろ、と依頼主が突っ込む様を想像しながら言葉を返していく。
さて、こんな村の外れまで足を運んだ目的を忘れてはいけない。事情を知っていそうな“悪魔”から早速情報を引き出さなくては。
「カケル様がここにいらっしゃると思うのですが、何かご存知ですか?」
『おぉ、そうだった。脱出の為とはいえアレを取り込んでいたのを忘れていた』
取り込んでいた?忘れていた?と感情が刺激される。…つまり少女が指摘するまで、この”悪魔”は依頼主を胃袋に閉じ込めておくつもりだったのか。
むんずと元の軟体生物の姿に戻って掴みやすい形になったのを良い事に、5本の指が軟体生物を鷲掴みにする。
『痛、いだだだだ!?脱走した自動人形を壊したというのにこの仕打ち、酷くない痛い痛い痛だだだだ!!?』
「今すぐカケル様を吐き出してください。さもなければこのまま握り潰します」
『“悪魔”に脅迫とは良い度胸痛だだだ!分かった、分かったから手を離して痛だだだだだ!!』
…このやり取りから実に10分。『でも吾輩の中で二人とも治療中だしぃ』と尚も駄々をこねてきた“悪魔”の身体を殴り潰す事で、ようやく要求を勝ち取る事に成功した。
●このヒロイン、めっちゃ村の建物壊してるよ…
元々は主人公君に「私は近くに来ています」と端的に伝える為の手段だったのですが、どうも私情も入ってしまっている様子です。たとえ誰が相手だったとしても、この状態で下手な言葉は選ばない方が吉です。
特効薬である主人公君を見つけるまではこの状態なので、黎明旅団の面々からしたら早く合流してほしい所。ですが、黎明旅団側からしてもヒロインちゃんの放置はできない訳で。
果たして、上手い落とし所は見つかるのでしょうか。
●スカートなのに屋根に登るヒロイン
自分たちの命に関わる為、本人たちはちゃんと見ていません。あくまで親切心です。
ただし言葉を受け取る側が、その親切心をどのように解釈するかは別問題。(ヒロインちゃんにしては)優しい事に執行猶予付きですが、勿論ギルティです。
こうしてマイティ団長の胃に更なるダメージを与えていくヒロインちゃん。上に立つ人たちは部下が暴走しないよう、ちゃんと教育・監督を徹底しましょうね。
●「炉心解放」
光焔を纏い、繰り出す打撃すべてに光属性が付与されるだけの、ヒロインちゃんの身体強化技です。
第1章で超速の果物+猪狩りをしていましたが、あちらはこの技によって移動能力を爆発的に高めた成果となります。
勿論、この状態で格闘戦を挑むなど言語道断。灰すら残らず浄化されます。…何でそんな怖い技を習得しているんですか賢者様…。




