29.No.008 トラブルメーカー系ヒロイン×ソフィア②
ノエル殿下が事故に遭ったと聞いた私は、先生の後ろをついて走った。
実験室にたどり着くと、教室内は騒然としていた。
先生たちが、床に倒れ苦しむノエル殿下を取り囲み、治療を施している。
「アンジェリカ⋯⋯アンジェリカ⋯⋯」
ノエル殿下は目を閉じ、辛そうに眉を寄せながら何度も私の名前を呼んでいる。
「ノエル殿下! アンジェリカです! わかりますか?」
周囲を見守る学生たちをかき分け、駆け寄りその手を握る。
「アンジェリカ⋯⋯あぁ⋯⋯」
ノエル殿下は苦しそうにつぶやく。
どうしてこんな事に⋯⋯
「先生! ノエル殿下はどういう状態なのでしょうか? 事故というのは、何が起きたのですか?」
「ミスター・ノエルは、未知の薬を飲んだ状態で、正直、何が起こっているのかは、我々、教師陣にも分かりません。薬草を煎じて『健胃薬』という、胃もたれを治す薬を作っていたはずなのですが⋯⋯ミスター・ノエルのペアだった、ミス・ソフィアの話では、完成した薬を飲んだ途端、ミスター・ノエルは倒れてしまったとのことです」
近くの机の上のビーカーに残された液体は、他の学生のものと違い、ピンクがかっていて、とても薬草を煎じたものには見えない。
「ソフィア嬢は、なんともないのですか?」
あごに手を当てながら、困った顔をしているソフィア嬢に尋ねる。
「ええ。わたくしは、なんとも⋯⋯」
またソフィア嬢か。
疑いすぎるのも良くないけど、あまりにもソフィア嬢が関わっているケースが多い気がする。
「あぁ⋯⋯僕の愛しのアンジェリカ⋯⋯もっと近くに⋯⋯」
ノエル殿下は、目を閉じたまま、苦しそうにしながら私を呼んだ。
「はい、殿下!」
殿下の口元に耳を近づけると、ギリギリ聞き取れる大きさで、なにやら、つぶやいている。
「アンジェリカ⋯⋯そこは⋯⋯いけないよ⋯⋯」
「はい。どこでしょう?」
「もっと⋯⋯強く⋯⋯激しく⋯⋯」
「ん? なんの話を⋯⋯⋯⋯⋯⋯!!」
これは、私が長期休暇中に読んでいた、大人のロマンス小説の一幕。
フライア嬢がノエル殿下にも、その内容を見せていたけど、どうしてうわ言で、こんな事を言うのか。
「なんて、甘美なんだ⋯⋯」
「いやーー!! お静かに願います!!」
大慌てで殿下の口を手のひらで塞ぐ。
不敬だけど、そうも言ってられない。
殿下の口から決定的なワードが飛び出す前に、なんとかしないと。
「先生、どうにか殿下を救う方法はないのでしょうか? このままだと大変な事になります!」
駆けつけたトルテに口を塞ぐのを交代してもらい、先生方に助言を求める。
「見たところ、ミスター・ノエルは昏睡状態というわけではなく、夢を見ているような状態と考えられます。この学園の裏の洞窟に生えているという、『万能草』を摂取すれば、回復する可能性も⋯⋯」
「しかし、あそこには、数年前から獣人が住み着いていて、洞窟内は複雑な迷宮に改造されていると聞いた」
「獣人⋯⋯ですか⋯⋯」
この国には大昔、人間の特徴と動物の特徴を併せ持った種族が暮らしていたという記録が残っている。
けれども、もう何百年も目撃されていないから、今となっては絶滅してしまったとされているけど⋯⋯
まだ存在していたんだ。
「分かりました。その方と話をして、お願いしてみます」
「お待ち下さい、アンジェリカ様! わたくしも一緒に行きます。お一人では危険でしょう。殿下がこうなったことに、責任を感じておりますので」
声をあげてくれたのは、ソフィア嬢だ。
腕に自信がある男性の先生方と、護衛のクグロフも、ついてきてくれることになった。
洞窟の入り口は、鉄製のドアで閉鎖されていた。
ドアには貼り紙がされている。
なになに⋯⋯
『この先、聖域につき、乙女以外の立ち入りを禁ずる』
「ふざけた野郎だ。勝手に学園の敷地に住み着いた挙げ句、こんな貼り紙まで⋯⋯」
怒った先生は、貼り紙を破り捨てて、ドアノブに手をかけた。
――ビリビリ
「うわぁ! 痛い! 電流だ!」
先生は手を押さえてうずくまる。
「大丈夫ですか?」
外傷は無さそうだから、害獣避けの電気柵みたいな仕組みなのかもしれない。
「わたくしが触れても、なんともありません」
ソフィア嬢は、ドアノブにいとも容易く触れていた。
続いてクグロフがドアノブを握ると⋯⋯
――ビリビリ
「うっ⋯⋯」
再び電気が流れ、クグロフは膝をつく。
「クグロフ! 大丈夫?」
「はい。これくらいなら問題ありません」
クグロフは首を振りながら立ち上がった。
私の場合はどうなるんだろう?
恐る恐るドアノブに触れるも⋯⋯何も起きない。
どういう仕組みなんだろう。
本当に乙女しか入れないようになっているみたい。
「ここから先は、わたくしとアンジェリカ様の二人で進むしかないようですね」
そんな⋯⋯
中の迷宮とやらが、どんな仕掛けか分からないのに不安だ。
けれども、ノエル殿下を救うためなんだから、戸惑っている場合じゃないよね。
「では、行って参ります。ここまでありがとうございました」
先生方とクグロフに頭を下げる。
すると、クグロフが私に近づいて来た。
「アンジェリカ様、ちょっと⋯⋯」
クグロフは突然、私の手を引いて物陰に連れ込んだ。
「どうしたの?」
「少し失礼いたします。これは魔除けになりますから」
話がよく分からずクグロフを見つめていると、彼はいきなり私をがばりと抱きしめた。
「え? クグロフ? ちょっと!?」
逞しく引き締まった身体で、力強く抱きしめられると、心臓が飛び出しそうになる。
彼の身体からは、ラベンダーのようなハーブ系の爽やかな香りが漂ってくる。
クグロフは、固まる私に頬ずりした。
その仕草はまるで犬みたいだ。
「これで大丈夫です。どうかお気をつけて」
クグロフは、私からさっと離れてひざまずいた。
「はい⋯⋯ありがとう⋯⋯」
クグロフの村の習慣なのか、なんなのか、よくわからないけど⋯⋯
「さぁ、アンジェリカ様、早く行きましょう!」
ソフィア嬢に手を引かれて、ドアをくぐり、洞窟の中に入った。
洞窟の中は、暗くジメジメしていた。
見慣れない植物やキノコが、壁や地面から生えている。
ソフィア嬢が持っているランタンの光を頼りに進むと、やがて分かれ道に行き着いた。
左が赤い扉で、右が青い扉だ。
「どちらに進めば良いのでしょうか?」
「よく分からないので、ここで二手に別れましょう。アンジェリカ様が赤い扉で、私が青い扉にしましょう。そうしましょう。ささっ! アンジェリカ様!」
ソフィア嬢は早口で、まくし立ててきたかと思ったら、赤い扉を開けて、私の背中を押した。
「え? ちょっと!」
ドアがバタンと閉まり、辺りは真っ暗になった。
「ソフィア嬢!?」
急いで振り返りドアノブを探す。
え? まさか、内側からは開けられない仕組み?
ドアを叩いて大声で叫ぶも、扉は開かない。
何も見えないのに、どうしよう⋯⋯
ドアに背を向け、まずは伝っていける壁を探そうと一歩踏み出した瞬間。
「いやー!!」
そこには床がなく、私は真っ逆さまに落ちていった。




