25.No.007 おかん系ヒロイン×オーロラ②
ノエル殿下に手を引かれ、庭園内をゆっくりと散歩する。
夏の日差しがまぶしいので、日傘をさす事にした。
花畑には白、ピンク、黄色、オレンジ色の百合が咲いている。
「どの子もとても綺麗に咲いていますね。こぼれ落ちそうなくらい大きくて、風に揺れる姿から季節を感じられます」
「専門知識を持った庭師たちが、毎日、手入れしてくれているからね」
ノエル殿下の視線の先には、法被を着た男性と、頭にほっかむりをしているメイド服の女性がいた。
ほっかむりの御方は、先ほど廊下で、マニュアルについて語り合っていたメイドの一人だ。
「捨てるなんて、もったいないです! ぜひわたくしに下さいな!」
ほっかむりのメイドは、法被を着た男性と、なにやら交渉しているみたいだ。
そのメイドが手に持つカゴには、バラやパンジー、コスモスやタンポポなどが入れられている。
植物たちの栄養不足防止のために、間引いたものなんだろう。
「はぁ。まぁ、どうぞ⋯⋯」
庭師は困ったように頭をかいている。
「ありがとうございます! あっと驚くようなものを作ってみせますから!」
メイドはそう言い残して、従業員出入り口に向かって走って行った。
「珍しい組み合わせですが、花瓶に生けるんでしょうか? あっと驚くような作品なら、わたくしも興味があります」
「彼女が生ける花も、華やかで綺麗かもしれないけど、一番美しいのは君だよ。僕だけのアンジェリカ」
突然、ノエル殿下の手が伸びてきて、両手で頬を包み込まれた。
切なそうな目で見つめられると、心臓が跳ね上がる。
「ありがとうございます⋯⋯」
左手を殿下の手の上に重ねると、殿下のお顔がゆっくりと近づいてきた。
⋯⋯⋯⋯え? これって、まさか。
もしかして、キスのモーションに入っている?
そんな。全然、心の準備ができていないのに。
このような丸見えの場所でも、するものなの?
日傘で隠せばいいのかしら。
焦っている内に、殿下の美しいお顔が目の前に迫っていた。
ドキドキで、キャパオーバーになり、固く目を閉じていると、おでこがそっと触れ合った。
「アンジェリカ、君は僕の宝物だよ。それは、君が美しいからってだけじゃない。特別で大切なんだ。誰にも触れさせたくない。傷つけられたくない。本当は、あの原石たちみたいに、大切にしまい込んでおきたいくらいなんだ⋯⋯」
ノエル殿下の声は、少し辛そうに聞こえた。
先ほどサヴァラン殿下にキスされた場所を、手の平で撫でるように拭われる。
その一連の言動に、胸が甘く切なく締め付けられる。
「ノエル殿下⋯⋯わたくしも貴方のことが、特別で大切です。貴方が傷つくと、わたくしまで苦しいです。他の女性と触れ合われるのは⋯⋯想像するのも辛いです」
このような気持ちが芽生えたのは、きっと、ノエル殿下が、いつも私に真っ直ぐな愛情を与えて下さるから。
私のことを見放さずに、人を好きになるということを、時間をかけて教えて下さったから――
「ありがとう。アンジェリカ、安心して。僕がこんなことをするのは、君だけだよ」
右頬に優しくキスされると、胸に温かな気持ちが広がっていく。
「ありがとうございます。嬉しいです」
頬にキスされるだけで、こんなにも幸せに感じるのなら、唇同士だと、どうなってしまうのか。
「アンジェリカ⋯⋯」
私の頬を包む殿下の親指が、唇に触れる。
その瞬間、さらに胸がきゅんと締め付けられる。
私はノエル殿下となら、キスしたい。
どれだけの時間、見つめ合っていただろう。
ノエル殿下の青い瞳が、愛おしそうに私を見ているのが分かる。
私の瞳はどんな風に、この御方を見ているんだろう。
この想いは、きちんと伝わっているのかな。
風が吹いて少し乱れた髪を耳にかけてもらい、再び顔が近づいて来た。
その時⋯⋯
「食中毒だ! 調理場の従業員たちが、新作料理の味見をした直後から、胃の不快感を訴えている! 顔色が悪い! すぐに陛下に報告を!」
男性の使用人が、大声で叫んでいるのが聞こえてくる。
「それは大変だ。助けに行こう」
「はい。力になれるかもしれません」
私たちは急いで王宮内に戻った。
従業員食堂に入ると、使用人たちが床にへたり込んでいるのが、目に飛び込んできた。
真っ青な顔をして壁にもたれている者、バケツを抱えている者、お腹を押さえて、うずくまっている者⋯⋯
部屋の奥に料理長がいたので、事情を尋ねる。
「食中毒だと聞いたけど、何が原因なんだい?」
「治療を試みたいと思います。体調が悪いのは、ここにいる方だけですか?」
「ノエル殿下! アンジェリカ様! 実は、異国の料理、食べられる花なるものを試食したところ、使用人たちが次々と体調不良を訴え始めたのです。症状は、吐き気、気分不良、腹痛などです。試食をしたのも、体調不良なのも、ここにいる七名のみです。どうか皆をお救い下さい!」
料理長は床にひれ伏した。
食堂のテーブルの上には、綺麗な花びらが生のままサラダにされたものが乗っている。
バラやパンジー、コスモスやタンポポ。
これって⋯⋯
「どうしよう。どうしよう。ごめんなさい。ごめんなさい」
部屋の隅には、先ほど庭園で庭師から花をもらっていたメイドが、ガタガタ震えながら立っていた。
あの花を料理に使ったんだ。
「ノエル殿下。庭師の方に、この花を育てるのに薬品を使ったのか、どのような種類なのかを確認された方がよろしいかと。今のところ全員意識もあり、神経も侵されていないようですが、今後の経過を予測するためには、必要な情報です」
「そうだね、アンジェリカ。そこの君、庭師を呼んで来てくれるかな?」
ノエル殿下は近くにいた使用人に指示を出す。
「はい! 直ちに呼んで参ります!」
使用人は庭園の方に走って行った。
「手分けして治療しよう。僕は一番辛そうな彼を」
ノエル殿下は、呼吸を荒くしながらお腹を押さえて、うずくまっている使用人の元へ向かう。
「はい。わたくしは、その次に症状が重そうなあの方を治療します」
私は、先ほどからひっきりなしに嘔吐しているメイドの元に向かった。
「辛いですね。すぐに治療しますから」
手をかざして治療を試みる。
嘔吐のせいで、水分も電解質も体力も奪われている。
早く毒素を消し去らないと。
「俺も手伝います」
誰かが助けを求めたのか、サヴァラン殿下が駆け足で入って来られた。
すぐに壁にもたれている使用人の治療に取りかかる。
良かった。
内科疾患の治療が得意なノエル殿下はともかく、私は一人一人を治すのに、時間がかかってしまいそうだったから。
その後、夕方になって私が一人を治療し終えるまでに、サヴァラン殿下が二人を、ノエル殿下が四人を治療して下さり、事件は幕を下ろした。
「さすがです。ノエル殿下、サヴァラン殿下」
「アンジェリカとサヴァランが、重症の者たちから順に手分けしてくれたから。ありがとう。助かったよ」
ノエル殿下は、私とサヴァラン殿下に頭を下げた。
「いえいえ、とんでもないです。みなさん快方へ向かって良かったです」
「別に、兄上にお礼を言われる筋合いはありません。学園で学び、実力を評価されているというのは、どうやら本当のようですね。俺だって来年には入学しますから、今よりも、もっと実力をつけてみせます。今日のところは、お見事でした」
サヴァラン殿下は、ノエル殿下に頭を下げて、食堂を出ていった。
その背中を見送るノエル殿下の表情は、昼間とは打って変わって、穏やかなものだった。




