24.No.007 おかん系ヒロイン×オーロラ①
大人の小説を読んでいたことを、フライア嬢に暴露された私は、恥ずかしさと罪悪感で、今すぐにでも逃げ出したい状況に陥った。
ノエル殿下は微笑み、お兄様は真剣な表情でうなづき、クグロフとトルテは顔を赤くして俯いている。
「では、わたくしは、これで失礼いたします⋯⋯」
「そうかい。それではお休み、アンジェリカ」
「色々あったが、こちらは大丈夫だ。ゆっくり休むといい」
「アンジェリカ様、お休みなさい」
「お休みなさいませ、アンジェリカ様」
ノエル殿下、シトロンお兄様、クグロフ、トルテと挨拶を交わし、自室に駆け込んだ。
翌日。
フライア嬢がお帰りになり、いつもと変わらぬ朝を迎えた⋯⋯はずだったのに。
「アンジェ、大変な役目を引き受けてくれて、ありがとう。これで、シュトーレン侯爵家との関係は、より強固なものになるだろう。フライア嬢に辱められたと聞いたが、何も恥じることはない。人間なら誰もが、当たり前に持っている感情なんだから」
「そうよ、アンジェ。母は、ありのままの貴女を愛しているわ」
⋯⋯⋯⋯いったい、誰があんな事を報告したのか。
優しいお父様とお母様にフォローされたことにより、余計に辱められる羽目になった。
長期休暇が後半に突入した頃。
ノエル殿下のご厚意で、王宮に招待して頂けることになった。
建国記念日や陛下の生誕祭など、催しでパーティーホールに入ったことはあったけど、なんでもない日にプライベートで訪れるのは初めてだ。
侍女のシフォンと護衛のクグロフと共に、馬車に乗っていると王宮が見えて来た。
真っ白な大理石で造られた、左右対象の巨大な建物で、真っ赤なドーム型の屋根が特徴的だ。
その見た目はまるで、苺が乗ったケーキみたい。
室内は、ブラウン系統のタイルカーペットが敷き詰められていて、クッキーやチョコレートのように見えて美味しそうだ。
内心、浮足立っていると、メイドたちの話し声が聞こえてきた。
「なんと、もったいない! この雑巾はまだまだ使えます! 黒ずみがあるなら、漂白すれば良いだけのこと。それさえも取れなくなれば、トイレやお風呂の掃除に使えばいいんですから!」
「わたくしがここに配属された時に、マニュアル通りにするよう、説明を受けましたから⋯⋯」
「マニュアルというのは、使用人たち全員が、同じ水準で仕事をできるようにするためのものです。改善すべき点は、マニュアルから書き換えることで、全体の作業水準も向上しますよ」
「なるほど、そこまで考えていませんでした⋯⋯」
なにやら二人のメイドが、熱心に仕事について語り合っている様子だった。
◆
ノエル殿下の執事に案内され、応接室に通された。
カフェオレ色の本革のソファに腰かける。
今日はどんな風に過ごすのかな。
ワクワクしながらノエル殿下の到着を待っていると、ノックの音が聞こえてきた。
「僕の愛しのアンジェリカ、よくここまで来てくれたね。あまりの嬉しさに、全速力で駆けつけたい衝動を抑えるのが大変だったよ」
ソファから立ち上がって会釈をする私を、ノエル殿下は抱きしめた。
「本日は、お招き頂きありがとうございます。わたくしも楽しみにしておりました」
「そうか、アンジェリカ。だったら僕たちは今、同じ気持ちだね」
素直に思いを言葉にして伝えると、ノエル殿下は、それはそれは嬉しそうに笑ってくださった。
それからは、ノエル殿下の一番の趣味だという、原石のコレクションを見せて頂いた。
「これがエメラルドで、これがサファイア、これがルビーだよ」
コレクションボックスには、たくさんの原石が一つ一つ、仕切りの中のスペースに収められている。
中には他国との取引で手に入れた、希少なものもあるのだとか。
「原石って、こんなにも色の濃淡があるものなんですね。同じ種類の原石でも、形や色合いが違って、味わいがあります」
確かに、これは夢中になって、眺めてしまう気がする。
「殿下は他にも、乗馬やアーチェリー、ヨットもされるんですよね? 原石集めは他の三つと雰囲気が違いますが、一番お好きなんですね」
その三つの趣味も、かなりの腕前だと聞いたけど。
「そうだね。石たちを見ていると、この星の長い歴史を感じとることができて、知的好奇心を満たされるね。他の三つも好きだけど、誰かと比べられたり、勝ち負けが決まったりしない趣味の方が、気楽かな」
ノエル殿下は静かな声で言ったあと、表情を曇らせ、長いまつ毛を伏せた。
その悲しそうな顔を見ると、自分の胸まで締め付けられるように苦しくなる。
殿下は、その高貴なお生まれゆえ、常に注目され、完璧を求められるお立場。
その重圧は計り知れない。
「ごめんね。君にまで、そんな顔をさせるつもりじゃなかったんだ。そんな事よりも、僕の寝室には、小柄な人の背丈ほどのアメジストドームがあるんだ。アンジェリカが僕の妃になったら、見せてあげるからね」
ノエル殿下は、少年のように笑いながら言った。
「そんな大きいものがあるんですか。それは、楽しみです」
今は婚約者の立場だから、王宮の奥には入れないけど、結婚すれば寝室にも入れるんだよね。
ノエル殿下と結婚か⋯⋯
顔を赤くしながら俯いていると、突然ドアが開いた。
「仲睦まじくてよろしいことですね。兄上」
そこに立っていたのは、第二王子のサヴァラン殿下だった。
ノエル殿下と同じ、銀髪蒼眼の整ったお顔立ち。
私たちよりも一歳年下の十七歳で、ノエル殿下と私の間くらいの身長だ。
ノエル殿下と違うのは、切れ長の吊り目で、発言にもキレがあるところ。
「サヴァラン殿下、ご無沙汰しております」
「会いたかったよ、愛しのアンジェリカ」
サヴァラン殿下は、自然な流れで私の左頬にキスをした。
いつも身構えてしまうけど、これがこの御方の通常運転だ。
以前までのノエル殿下と同様に、公の場でしかお会いしたことがないのに、こんな調子だから、ノエル殿下の言葉も、社交辞令として捉えてしまったのよね。
「サヴァラン。二人きりの時間を邪魔した上に、僕のアンジェリカに、ちょっかいを出すなんて、いったい、どういうつもりなのかな?」
ノエル殿下は私の肩を抱き寄せたあと、サヴァラン殿下を鋭い目で見た。
「これくらいは、ただの挨拶ですよ。何を怒っていらっしゃるのか。父上にも言われたのでしょう? あまり入れ込みすぎないようにと。異性に夢中になると、判断を誤り、守るべきものを失いかねないと。妻の故郷の小国を救うために、無謀な戦を起こして、大量の兵士を失った王がいたとか」
「その話を今、アンジェリカの前でする必要はないよね。大切な人を傷つけようとする人間を警戒するのは、当然のこと。君にもそんな存在が出来れば、理解できるはずだよ」
「そうですか。まぁ、一年早く生まれたってだけで、さっさと自分好みの婚約者を決めて、弟より能力が低くても、王になれる人の気持ちなんて、俺には到底、理解できませんから」
サヴァラン殿下は、ノエル殿下を睨み返した。
先ほどから張り詰めていた空気が、さらに緊張感を増す。
確かに、医術の素質だけで言えば、サヴァラン殿下の方が上だと囁かれている。
もちろん素質だけで成果を出せる世界ではないから、私たちは学園に通っているけど、サヴァラン殿下からすれば、面白くないのかもしれない。
陛下のご意向で、兄弟同士で何事も競い合って高め合うよう、発破をかけられているというのは、有名な話だ。
「じゃあね、愛しのアンジェリカ。兄上を見限るなら早い方が良い。いつでも俺のところにおいで」
サヴァラン殿下は微笑みながら、後ろ手を振り、部屋を出ていった。
ノエル殿下も、サヴァラン殿下も、いつも同じように甘い言葉をおっしゃると思っていたけど、その本質は違うのかもしれないと、今になってようやく理解できた。
サヴァラン殿下は、ノエル殿下を怒らせるために、私に優しくしてるんだ。
「ごめんね、アンジェリカ。見苦しい兄弟喧嘩に巻き込んで。気分転換に、庭園を散歩しよう。今は百合が見頃なんだ」
ノエル殿下は申し訳なさそうに眉を下げた。
「百合の花ですか。それは、ぜひ見たいです。お願いいたします」
笑顔で返事をすると、殿下はうなづき、私の手を取り、庭園までエスコートしてくださった。




