第96話
「うぷっ」
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ」
湧き上がってくる吐き気を堪えながらロークは返事をする。
クレープに盛られた膨大なクリームによる甘ったるさが口の中に残っている上に単純にボリュームも多かったせいでロークは現在進行形で凄まじい気持ち悪さに襲われていた。
「………」
「どうかしましたか?」
「……いや」
———同じ物を食べた筈なのにどうしてこうも差があるのだろうか。
きょとんとした表情を浮かべるレイアを見つめながらロークはそんな疑問を抱くが、聞いたところで仕方ないかと話題を変える。
「そういえば、サラマンダーは?」
「そこの屋根の上にいます」
サラマンダーの行方が気になっていたのでそう尋ねると、レイアが近くの屋根の上を指差しながら答える。
レイアの指差した方へと向けると、確かに屋根の上にちょこんと座っているサラマンダーの姿を確認することができた。
「サラマンダー、戻ってきなさい」
『…………』
「サラマンダー?」
レイアはサラマンダーに戻ってくるように呼び掛けるが反応が無く、どこかをジッと見つめている。
「どうした?」
「いえ、サラマンダーが何か気になっているみたいなのですが……」
「何かって……」
何が気になっているのだろうかと思いながら何気なくロークもサラマンダーが見ている方向に視線を向ける。
一見する限りでは街の様子は普段と特に代わり映えしないように見えるが、果たしてサラマンダーは何が気になってきるのか。
『グォオオッ!』
そんなことを思っているとサラマンダーが突然、咆哮を上げる。
「いきなりどうしたんだ!?」
「何かが来るって……」
突然のサラマンダーの咆哮にロークが驚いているとレイアが念話から送られてきた警告に困惑する。
一体、何が来るのかと思っていると前方から轟音が鳴り響く。
その音に驚く間も無く、次いで誰かの悲鳴が上がったかと思えばこちらに向かって突進してくる犀のような姿をした精霊が視界に入った。
『ブォオオッ!』
「先輩ッ!」
「分かって……うぷっ」
こちらに突進してくる精霊を前にして素早く回避行動を取るレイアに続き、ロークも回避行動を取ろうとするが、直後に迫ってきた吐き気によって身体が硬直してしまう。
———ヤべッ!
『ブォォッ!!』
「ぐふぉおッ!?」
結果、回避が遅れたロークは精霊の突進をもろに受けて宙を舞い、そのまま近くの店の壁に激突する。
「先輩ッ!」
「お、俺より精霊を……」
慌てて駆け寄ってくるレイアにロークはそう叫ぶ。
咄嗟に肉体強化を施したのでダメージは軽い。それよりも精霊が問題だ。突進してきた精霊の瞳は明らかに正気を失っている、このままあの精霊を放置していたら危険なのは火を見るよりも明らかだった。
「サラマンダーッ!」
『ガァアアッ!』
レイアが屋根の上にいるサラマンダーに指示を飛ばすとその小さな口腔から小さな火球が放たれる。
『グゴッ!?』
宙を駆ける火球は寸分違わず、暴れる精霊に直撃すると瞬時に炎が全身に広がってその身体を焼き尽くし、送還させることに成功する。
「ナイス……うぷっ」
ロークはえずきながらレイアに向かって親指を立てると彼女はサラマンダーを連れて側に寄って来る。
「先輩、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ、ありがとう」
レイアの手を借りながら立ち上がったロークはたった今、送還された精霊がいた場所に視線を向ける。
「今のは何だったんでしょうか?」
「分からん。分からんが、あの精霊は普通の様子じゃ無かったな」
一体、今の精霊は何だったのか? その疑問について思考を巡らせる間もなく、再び轟音と悲鳴が耳に入ってくる。
『ギィイイッ!』
『グォオオッ!』
まさかとロークが嫌な予感を覚えた直後、先程の精霊と同様に我を失った様子の精霊たちがこちらに迫ってくる。
「マジで一体、何なんだッ!?」
「来ますッ!」
迫ってくる精霊たちを前にしてロークは依代から剣精霊を取り出して簡易契約を結び、レイアは霊術を発動させるべく術式を組む。
迫ってくる精霊たちはどれも霊位は低く、倒すことは難しく無いが場所が悪い。周囲への被害を抑える為に広範囲の技が使えない上に素早く鎮圧する必要がある。
「迅速かつコンパクトに行くぞ」
「はいッ!」
そのまま二人が攻撃を仕掛けようとしたところで、上空から銀色に染まった剣や槍といった武器が精霊たちに雨あられの如く降り注いだ。
「なッ!?」
「っと、これは」
予想外の出来事に二人は驚きで手を止めるが、銀色に輝く武器を見てすぐに誰の仕業なのかを察する。
見間違える筈もない。この銀色の武器は間違いなく———。
「何だ、一般人かと思ったらお前たちだったのか」
「風紀委員長……」
「やぁ、助かったよ。割とマジで」
ロークはそう言って屋根の上から降りてきたロクスレイ・ヴォーバルトに感謝を述べる。
その隣に向ければ彼の精霊である銀騎士の姿があり、放った武器が液体となってその手元に吸い込まれていた。
「それにしても何があったんだ?」
「店で売っていた封霊石の中の精霊たちが暴れて外に出たみたいだ」
「おいおい、冗談だろ」
ロクスレイの話を聞いたロークは訝しげに尋ねる。
封霊石はそう簡単に破れる代物じゃない。百歩譲って高位精霊ならまだしも、今回の精霊はその殆どが低位精霊だ。
正直、信じ難い話だと言わざるを得なかった。
「疑うのは勝手だが、俺は実際に精霊が封霊石から解放されるところは確認した。まず間違いない」
「マジか……」
ロクスレイはこんな嘘を言うような人間じゃない。ともなれば彼の言ったことは全て事実なのだろうが、だとしても尚も信じ難い。
「どうして、そんなことが……。封霊石に何か問題があったんですか?」
「それは分からないが、ここ最近、同じような事件が何件か起きているらしい」
「何?」
「他の委員会メンバーから報告が上がっている。てっきり愉快犯が勝手に封霊石の精霊を解放して暴れさせているだけかと思っていたが、この感じからしてそう簡単な話という訳でもないらしい」
確かにロークも最初は誰かの悪戯かと考えたが、それにしては精霊の様子が普通じゃなかった。単純な悪戯の一言で片付けてしまうのは危険だろう。
「とりあえず、俺はこれから封霊石を売っていた店主に話を聞いて——」
「うわぁあああッ!!
」
ロクスレイの話を遮って再び大市場内に悲鳴が響き渡る。
「あっちか」
「俺たちも行くぞ」
「はい、先輩ッ!」
素早く駆け出すロクスレイと銀騎士に続いてロークとレイアも悲鳴が聞こえた方向へと向けて走る。
「クソ、一体何なんだよッ!?」
『ガァアアッ!』
『ォォオオオッ!』
やがて三人の視界に倒壊した露店と地面に尻餅を突いて混乱している男性、そして我を失った様子で暴れ回る精霊たちの姿が入った。
暴れている精霊と周辺に散らばっている封霊石を見るに先程と似たような状況だと判断したロクスレイは銀騎士に霊力を流し込んで男性の保護を命令しようとするが、先んじて加速したロークが暴れる精霊の一体を斬り裂いて男性の保護を行った。
「流石に速いな」
ロークの動きに感心しながらロクスレイは男性の保護から周囲の精霊への攻撃に命令を切り替える。
「銀装剣舞二式」
『———ッ!』
両腕に剣を握った銀騎士は一歩大きく踏み込んで加速すると素早く双剣を振るい、暴れる精霊たちを次々に送還していく。
「うわッ!?」
「ひぃッ!」
「サラマンダー、みんなを守ってッ!」
『ガァアアッ!』
そして銀騎士が討ち漏らした精霊たちの一部が逃げる人々に向かって襲い掛かろうとするのを、巨大化したサラマンダーが前脚を振り下ろして倒す。
そのまま三人が戦闘を続けること数分、店の周辺で暴れていた精霊たちの送還させることに成功し、場に落ち着きが戻り始めた。
「ふぅ、大丈夫ですか?」
「ええ、お陰様で。ありがとうございます」
ロークが助けた男性に安否を確認するとそう頷きながら感謝を述べる。
「ローク、そっちの男性は無事か?」
「ああ、お前の方はどうだ?」
「問題無い。強いて言えばヴァルハートがファンに捕まっているくらいか」
そう言われて視線を向けると助けられたらしい人々に囲まれて困惑しているレイアの姿が視界に入る。
「凄い人気だな」
「大精霊演武祭で活躍していたのを見てファンになったらしい」
「なるほど……」
ロークはその説明に納得しながら先程感じていた視線について思考を巡らせる。
考えてみたら視線はどちらかと言うと自分よりもレイアの方に集中していたいように思うが、もしかしてアレ全部、レイアのファンだったのだろうか。
「貴方もありがとうございます。服装からして皆さんはユートレア学院の生徒さんでしょうか?」
「はい、お怪我が無いようでなによりです」
ロークがそんなことを考えるとロクスレイと男性が話し始めたことに気付き、意識をレイアから目の前の二人に戻す。
「一体、何があったんですか?」
「それが私にもよく分からないんだ。ここで仕入れた封霊石を売っていたらいきなり精霊が出てきて……」
その男性の言葉にロークとロクスレイは互いに顔を見合わせる。
「封霊石に何か問題があったんですか?」
「いや、商品は仕入れた時に全てしっかり確認しています。破損などは無かった筈です」
そう呟きながら男性は暴れていた精霊たちが入っていた空の封霊石を拾って二人に見せる。二人は封霊石をジッと見つめて確認してみるが特に変なところは見られない。
「だとしたら何でいきなり精霊が……」
「…………」
原因不明の精霊の暴走。二人は険しい表情を浮かべていると騒ぎを聞いて警邏隊が駆け付けてきた為、ロークは事情を説明すると後を引き継いでその場を後にする。
「何が原因だと思う?」
「皆目見当も付かないな」
ロークとロクスレイが精霊暴走の原因を話していると、ようやくファンから解放されたらしいレイアが疲れ切った表情を浮かべながら二人の下にやって来る。
「すみません、お待たせしました」
「いや、全然構わないけど……」
ロークはそう呟きながら視線をレイアの背後に向ける。
そこにはどこか名残惜しそうな様子でレイアの背中に視線を向けているファンらしき男性の姿があった。
「どうやら熱烈なファンができたらしいな」
「ファン……なんでしょうかね?」
「違うのか?」
「いえ、凄く一生懸命に何かを喋られていたんですけど、早口過ぎて正直何を言っていたのか分からなくて……」
そう言ってどこか困った表情を浮かべるレイアにロークは「あー」とどこか納得した様子で苦笑を浮かべる。
恐らく憧れの人に偶然出会えたものだから緊張してしまったのだろう。
「話の途中で悪いが、俺はもう行くぞ」
「学院に戻るのか?」
「ああ、この件について少し調べてみる」
「俺も何か分かれば伝えるよ」
「ああ、期待はしないで待ってる」
そう言うとロクスレイは足早にその場から去り、その後ろ姿はあっという間に消えてしまった。
「何だか、疲れました……」
「まぁ、色々あったからな」
尤もレイアの疲労はファンの対応による気疲れもありそうだが。
「けど、本当に何が起きているでしょうか?」
「分からん……けど、もしかしたら師匠なら何か知っているかもしれない」
自分で原因を突き止めることは難しいだろうと考えたロークは少し悩んだ末に師であるオーウェンを頼ることを思い付く。
「師匠って、ローク先輩の師匠ですか?」
「ああ。丁度、あの人の仕事場も近いし今から話を聞きに行こうと思うが、一緒に来るか?」
「私も行って良いんですか?」
「ああ、勿論。それにこの件についてレイアも気になるだろ?」
ロークの問いにレイアは頷くと「それなら……」と付いて行くことを決める。
「よし、それじゃ付いて来てくれ」
レイアの返事を聞いたロークは早速、オーウェンの職場を目指して大市場の移動を開始する。
「ローク先輩の師匠ってどんな方なんですか?」
「そうだな……。凄い優秀だけどズボラな人って感じだな」
「ズボラなんですか」
「ああ、と言っても仕事はしっかりやる人なんだが、身の回りについてがな……と、着いたな」
話している内にオーウェンの職場がある建物に到着したロークは入り口の扉をノックする。
「……あれ?」
「返事がありませんね」
暫くの間、待っていても特に出てくる様子もない為、再びノックをしてみるがやはり反応が無い。
「お出掛け中でしょうか?」
「いや、どうだろう。前は中で餓死しかけていた時もあったし、ここはもうドアを破壊して中を確認するのも一つかもなぁ」
「餓死!?」
驚くレイアのロークは頷く。
尤もあの時は玄関のドアの鍵が掛けられてなかったのでどうに気付くことができたが、もし鍵が掛かっていたらと考えると恐ろしい出来事ではある。
「そ、それならすぐに確認しないとッ!!」
「とはいえ、マジで扉を破壊するのもなぁ……」
慌てるレイアの横でどうしようかとロークが頭を悩ませていると突然、ガチャリと音を鳴らしながら扉が開き、カボチャ頭が顔を出した。
「ぴやぁああああああッ!? オ、オバケェエエッ!!」
「誰がオバケですか、失礼なお嬢さんですね」
「ジャック」
「おや、ローク君じゃないですか」
オーウェンの契約精霊ことジャック・オ・ランタンはロークに視線を向けると少し驚いた様子を見せる。
「今日はどのような用で?」
「ちょっと師匠に話があるんだけど、今大丈夫?」
「問題ありませんよ、まずは救出作業をする必要がありますが……」
「救出作業?」
一体、何のことだとロークが首を傾げていると「まぁ、とりあえず入って下さい」とジャックは扉を開けて二人を中に向かい入れる。
「……あの、レイアさん?」
「…………」
「ジャックはオバケじゃなくて精霊だから。そんな怯えてなくて大丈夫だよ」
腕を掴んでガタガタと震えるレイアにロークはそう安心させるように告げるが、最初のショックが大きかったらしく一向に離れる気配が無い。
「えーっと、いたいた。あそこです」
「えぇ?」
ジャックが指差す方向に視線を向けると周囲の本棚から落下したであろう本の山が積み上がっており、ロークはどうしてこんなことになったのかと困惑の声を漏らす。
「いやぁ、主が本を取ろうとした時に外で何かあったらしく見ての通り、衝撃で落下した本に飲み込まれてあの様なんですよ」
「……」
ジャックの説明を受けてロークの脳裏に先程の精霊騒ぎが脳裏を過る。
「とりあえず私がコツコツ本を片付けていたんですが、如何せん量が多くてですね。面倒になって燃やそうかとも思ったんですが……」
「絶対に止めろ」
「ひぃいいッ!?」
ジャックの発言を聞いて本の山からホラー感満載の雰囲気を放ちながら顔を出したオーウェンに、レイアは悲鳴を上げながら後退る。
「おや、ローク君。客人は君だったのか」
「お邪魔しています、師匠。それと俺の後輩をあまり怖がらせないでくれませんか?」
「え、後輩って……」
弟子の言葉にオーウェンは本の中に埋まった状態で視線をレイアに向ける。
「おやおや、これはヴァルハート家のご令嬢じゃないか。これはとんだ失礼を」
「い、いえ、こちらこそ失礼な反応を……」
オーウェンの言葉で我に返ったレイアはそう言って謝罪の言葉を述べながらその顔を確認して驚きの表情を浮かべる。
「貴方、もしかして……」
「僕はオーウェン・リブリア。しがない歴史研究家兼、一応そこの少年の師匠を勤めてます。よろしくね」
「やはり《踏破者》オーウェンですか!? まさか学院都市にいたなんて……」
「前にガレスと会わせた時から思ってましたけど、やっぱり師匠って有名人なんですね」
「そうだよぉ、僕は凄いんだよ~。だからローク君も僕に敬意を持ってこの本の山を片付けるのを手伝ってくれ」
「今、凄い勢いで俺の敬意が薄れていますよ」
レイアが驚く隣でロークは呆れた表情を浮かべながらオーウェンを助けるべく本の山に手を掛けていく。
「レイア、悪いが本を片付けるのを少し手伝って貰っていいか?」
「は、はい。是非、ご協力させて下さい!」
「それと師匠、そこに埋もれてないでさっさと這い出て下さい。自分だけ片付けサボるのは無しですよ」
「アハハ、流石は僕の弟子だね。お見通しか」
ロークの指摘にオーウェンは苦笑を浮かべながら本の山から這い出てくる。
「そういえば師匠、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
「ん? 何だい?」
「精霊が封霊石の中で暴れて外に出ることって、よくあることですか?」
「いや、シグルムとか格の高い精霊を入れない限りは基本的にはないね。そもそも、そんなことが頻繫に起こるようなら世に封霊石がこれほど出回ることは無いよ。あ、レイアさん。その本はあっちの棚で」
オーウェンはロークの質問にそう答えながらレイアの持つ本をしまう棚を指差す。
「けど、師匠。今日、俺は封霊石から勝手に外に出て暴れる精霊たちを見ました」
「ふむ、誰かが解放した訳ではなく?」
「はい、店で売られていた封霊石に封じられていた低位精霊たちの一部が勝手に暴れたと……。この本、こっちで良いですか?」
「あの揺れはその騒動の揺れだったのか。ああ、その本がそっちで大丈夫だよ」
説明を聞いて本が棚から落ちた原因の衝撃がその騒動だと察したオーウェンが憎々しげに呟くと、改めてロークの疑問に意見を述べる。
「まず前提として封霊石やその巻物も含めて依代には精霊を中に封じ込める為の術式が刻まれている。その術式を破って精霊が自ら外に出て暴れようとすることは基本的に無い。勿論、高位精霊ともなれば話は変わってくるが、低位の精霊程度ならまず破れないし、そもそもそこまで暴れようとしない筈だ」
「なら原因は……」
「まず疑わしいのは封霊石の問題だね。破損などは無かったかい?」
「はい、店主から封霊石を見せて貰いましたが特に変なところは。とはいえ、細かい傷とかはあったかも知れませんが……」
「ぱっと見で分かるほどの傷が無ければ封霊石の性能にそこまでの影響は無い。君の言う通りなら依代に問題は無さそうだね」
オーウェンは封霊石に原因が無いと判断すると聞きに徹していたレイアが「あの……」と遠慮がちに口を開く。
「それなら店主の方が嘘を吐いていたという可能性はありませんか? 大市場にパニックを起こす為に封霊石から精霊を開放させたけど、私たちに邪魔されたから誤魔化したみたいなことはないでしょうか?」
「可能性が全くないとまでは言わないけど、露店で売買できるような封霊石に封じている精霊でそこまでの騒ぎを起こせるようには思えないな。そもそも店主に騒ぎを起こすメリットも無さそうだし」
レイアの考えにオーウェンはそう言って首を横に振ると付け加えるように話を続ける。
「更に言うとね、似たような事件が既に何件もこのガラテアで起こっているんだよ」
「……そういえば、委員長もそう言ってました」
風紀委員から報告が上がっていたと話していたロクスレイの言葉を思い出し、ロークが呟くとオーウェンは「なら話が早いね」と地面に転がっていた一冊の本を手に取る。
「大体、一週間前辺りからかな。今日、君たちが遭遇したような事件が頻発していてね、実は僕も調査はしてみていたんだけど……」
そこまで話したところでオーウェンは匙を投げるように肩を竦める。
「分からずじまいってことですか?」
「残念ながらね」
そんな師の動作の意味を察したロークが確認するようにそう尋ねると案の定、ため息混じりの肯定が返ってくる。
「本当はこの騒動に関してもう少ししっかり調査したいんだけどね、現状そうもいかなくてね」
「何かあるんですか?」
首を傾げるレイアにオーウェンは告げる。
「ちょっとこれからビブリア廃神殿の方に行かなくちゃならなくてね」
「ビブリア廃神殿の方って、もしかして王国精霊師団の結界を張る作業のお手伝いですか?」
「いや、少し違うって、それよりどうして結界のことを知って……いや、ゼルさんの娘さんがいるんだから知っていてもおかしくはないか」
オーウェンはロークがビブリア廃神殿に結界を張ることを知っていることに驚くが、レイアと一緒にいることから事情を知っていてもおかしくは無いかと思考を改める。
「今日、ヴァルハート様と少し話す機会があってその時に聞いたんです」
「え、ゼルさんと話したの? もしかしてお付き合いの挨さ———」
「「違いますッ!!」」
「おお、息ぴったり」
「随分と仲が良いみたいですねぇ」
同時に否定の言葉を叫ぶ二人を見てオーウェンとジャックが揶揄うように笑う。そんな彼らの反応にロークは不満を抱きながらも話を先に進める。
「なら師匠は何のためにビブリア廃神殿に?」
「僕が受けた依頼はここ最近、ビブリア廃神殿周辺で目撃情報が上がっている高位邪霊たちの討伐さ。まぁ、つまりは結界班が安全に結界を張る為の露払いといったところかな」
そう言うとオーウェンは「僕はあくまで歴史研究家なのに参っちゃうよね~」と嘆きながら同意を求めてくるが、ロークは邪霊の目撃情報が気になってそれどころでは無かった。
「邪霊の目撃情報が上がっているって、どういうことですか?」
「少し前からゴーン王国各地で邪霊の姿が確認されていてね、どうやら邪霊の活動が少し活発になっているみたいだ」
その説明を聞いて、ロークの脳裏にホーンテッドやユーマといった邪霊契約精霊者たちの姿が浮かび上がる。
「それって、まさかあの邪霊の一味が原因ですか?」
するとレイアも同じことを思ったらしく、不安げな表情を浮かべながらオーウェンは尋ねる。
「情報が少ないからまだ何とも言えないね。邪霊も目撃情報が増加しているだけでそれ以上、何が起こっているという訳でもないし」
「けど、可能性があるなら……」
「可能性があるからこうして先に手を打つんだよ、手遅れにならないようにね」
その言葉を聞いてロークはゼルも同じことを言っていたなと思い返す。
———みんな、最悪の事態にならないように動いてくれてるんだな……。
頼もしい大人たちにロークが希望を抱いているとオーウェンが暗い表情を浮かべていることに気付く。
「まぁ、この件に関しては僕だけじゃなくてゼルさんも参加するんだ。何も心配することは無いよ。それよりも……」
オーウェンはぐるりと周囲を確認するとため息を漏らす。最初の頃に比べれば随分と綺麗になったが、それでもまだ本が転がっている。
「よくよく考えたら僕、もうすぐ出掛けなきゃなんだけど、これ片付け終わるかな」
「どうしましょうねぇ」
絶望した表情を浮かべるオーウェンの隣でケラケラと他人ごとのように笑うジャック。
そんな対照的な主従の様子を眺めながら、ロークはゼルがこれからビブリア廃神殿の下見に行くと言っていたことを思い出す。
———あれ、これ思ったよりヤバいんじゃね?
「師匠、猶予はあとどれくらいあるんですか?」
「うーん、サンダーバードに乗れば合流地点まで一瞬だから……あと二十分くらいかな」
「二十分……」
今の人手だと割と絶望的な制限時間だ。
「もし、お父様と会うのなら私が遅れるかも知れないって伝えてきましょうか?」
「いやいや、流石にゼルさんを待たせる訳にはいかないよ」
不憫に思ったレイアがそう提案を述べるが、オーウェンは苦笑を浮かべながら断る。
レイアは自分の親なのであまり自覚は無いかも知れないが、ゼルは家柄もさることながら現役の宮廷精霊師勤める王国の重役である。
失礼を働くなど持っての他だ。
「うーん……」
とはいえオーウェンの言うようにこの惨状を放置して出掛けることに抵抗感を覚えるのも理解できるロークはどうするべきか頭を悩ませる。
「……そうだ、師匠ッ! 封霊石、封霊石を貸して下さいッ!!」
「封霊石……そうかッ!!」
意図を素早く汲み取ったオーウェンじは棚に入れてあった封霊石の一部を手に取ると片っ端からロークへ放り投げる。
「ちょ、投げないで下さいってッ!!」
「細かいことは気にするなッ! それより頼むッ!」
ロークは封霊石をキャッチできたことに安堵しながら中に封じられていた精霊たちを片っ端から呼び出していく。
小鬼の姿をした精霊のゴブリンや二足歩行のトカゲを彷彿とさせる精霊であるリザードマン、それに小柄な人狼を彷彿させる精霊、コボルドを始めとして様々な種類の精霊たちが姿を現す。
「お前たち、俺たちと共にこの本の山を片付けるんだッ!」
ロークはそんな精霊たちと片っ端から簡易契約を結ぶと彼らに床に散らばる本の片付けを命じる。
『ゴブッ!』
『キィイイ!』
『グルルッ!』
いきなり呼び出されて片付けを命じられたことに精霊たちから不満の声が漏れるが、ロークは多量の霊力を分け与えることで納得させると早速、片付けに移る。
「その本はそっちで。ああ、待て! それは神霊学の本だから違う! おい、こらお前、届かないからって諦めて床に置くなッ!!」
『ゴァアッ!?』
単純に人手が増えたこともあり、床に散らばっていた本はみるみる消えていく。
けれど今、ロークが従えている精霊たちは低位の精霊であることも相まってそこまで知能が高くない。故に本を棚に戻すという指示だけを淡々と行い、ジャンルごとの分別を完全に無視した結果、オーウェンの悲鳴が響き渡るのだった。
結局、片付け自体は時間内に終わったが本の分別は滅茶苦茶になってしまった為、オーウェンは後日、再び本の整理をする羽目になるのだった。




