第20話
再び闘技場内に耳をつん裂く甲高い金属音が鳴り響く。
音源へと視線を向ければ今し方、燈が振るった一刀を視線を向けずに背中に剣を回して受けたロークの姿があった。
いや、正確に言えば放たれた斬撃は一度だけでは無いとロークは僅かに時を置いて二度三度と渡って腕に伝わってくる衝撃を感じながら理解する。
どうやらあの一瞬で数撃分の斬撃を叩き込んでいたらしい。防いだ腕に痺れが残るほどの斬撃を放たれて戦々恐々としながらロークが燈へと視線を向けると彼女は嬉しそうに微笑んでいた。
「流石」
「お褒めの言葉は素直に受け取るけど……本当にどういうつもりなんだ?月影さん」
———今、完全に終わる流れだったじゃん。何で斬り掛かって来たの?
比較的穏便に話を終わらせようと思ったのに彼女の放った一撃によって再び場が不穏な雰囲気に包まれた。というか後輩を助けに入ったは良いが完全に燈の実力を見誤ってしまった。
霊術なのか精霊の力なのかは知らないが燈は二人に分身している。加えて先程のジルとの戦闘を見ている限り、分身体の実力も本人との差異はほぼ無いと言って良い。
非常にマズい。これなら他に任せて出てくるんじゃ無かった。
さっきは運良く防げたが、先程の一撃を放てることを考えれば油断すると次の瞬間には首が地面に落ちているなんてこともありそうだ。
「誰が来るかと思ったけど、真っ先に出てきたのはやっぱり先輩だったね」
「お前…」
———気付いていたのか。
燈がジルに剣を振り下ろそうとしたタイミングでカバーに入ろうとしていた人物は実はローク以外にも教員を含めて何人もいた。
ただ教員を除いた生徒たち、ミーシャを筆頭とした学生たちがカバーに入ると今度は燈たちの命が危うくなるのではと思い、他の学生たちより素早く動くことにしたロークだったが、今の状況を考えると逆に良くなかったかも知れない。
「良かった。どうせなら先輩とは一度こうして剣を交じえてみたかったんだ」
「……何故?」
「学位戦の記録とか見たけど先輩くらいだからね。契約精霊も呼ばない、学院内で本当に底が見えない人は」
今この後輩にそれは契約精霊がいないからだよと教えたらどうなるのだろうか。実は今、君が見ているものが底ですと言った時に燈はどんな反応をするのか僅かに好奇心が湧く。
言ってみたいとは欠片も思わないが…。
「で、呼ばないの?」
「逆に呼ぶと思ったの?」
ニコリと感情の読めない笑みで尋ねてくる燈にロークはヤベェ奴に目を付けられてしまったかも知れないと冷や汗を流しながら言い返す。
「なら呼ばさせてあげる」
「そうなるの?」
燈が宣言すると同時に背後で控えていたもう一人の燈も刀を構え始めた。どうやら彼女は本当にやる気らしい。
本当に勘弁してくれと内心で嘆きながらロークも剣を構えようとしたところで二人の間に刃の如く鋭い水流が走り、境界線を示すかのように地面に一本線を刻んだ。
「はい、二人ともそこまで。まだまだ力が有り余ってるかもしれないけど、後ろがつっかえてるから試合終わったなら出てった出てった」
そんな一触即発の雰囲気を散らすようにパンパンと手を叩きながら現れた学位戦の審判の役割を担っている教員の一人、カイル・マディソンだった。
煙草を口に咥えながら呟く彼の背後には契約精霊であろう水色の鱗に覆われた細長い胴体をくねらせる蛇とも竜とも取れる姿をした水精霊が控えていた。
恐らくはこちらの様子を見て止めないとマズいと判断して出てきてくれたのだろうが正直助かった。
思わず安堵の息を漏らすロークを一瞥したカイルは煙草を口元から離して灰色の煙を吐き出すと吸殻を地面に投げ捨てながら未だ臨戦態勢を解かない燈へと視線を向ける。
「ほら、さっさと行った行った。これ以上、騒ぎ起こしたら色々と面倒になるのはお前だぞ?」
「…………失礼しました」
カイルの背後では水精霊が「俺は戦うぞッ!」と言わんばかりに唸り声を上げている中、数秒程の逡巡の後に燈は刀を納刀して臨戦態勢を解いた。
「まぁ、俺も昔は弾けていたし気持ちは分かるけど程々にな?」
「……はい。先輩もまたね」
燈は踵を返してもう一人の自身が立っている場所へと接触するとそのまま一体化するように片方が消え、一人に戻った彼女は出口へと向かって歩く。
「…………」
別れの挨拶を口にすることなく出口へと消えていく燈の小さな背中を眺めるロークはできるだけ彼女とは関わりませんようにと心の中で静かに願った。
「ふぅ、大人しく行ってくれたか」
「先生、ありがとうございます」
「いやいや、にしてもアイツはなかなかのバトルジャンキーだな」
助けてくれたことにロークが感謝を述べるとカイルは困った様子で苦笑いを浮かべながら呟いた。
「アイツ、俺を見て最初にどうやって俺を斬るか考えてやがったぞ」
「クソ武闘派ですね」
先生に注意されて最初に考えることが倒し方ってどういう神経してんだ。学院に戦争でも仕掛ける気なのか。
まるで嵐の如く暴れて去っていった後輩に思わずロークはため息を漏らしながら剣精霊を依代へと戻す。それを横目で見ていたカイルが懐から一本の煙草を取り出して口元へと持ってきながらふと気になった様子で口を開いた。
「にしてもお前さんは相変わらず契約精霊呼ばんのな?」
「呼ばなきゃいけないルールも有りませんからね」
「カッカッカッ!生意気言いやがって。まぁ、それで実際勝てるんだから誰も文句は言えんわなぁ」
ケラケラと楽しそうに笑いながら火を探そうとしたカイルにロークは微精霊と契約をして霊術で煙草に火を着けた。
「おっ、気が利くな。サンキュー」
「いや、というか今更ですけど煙草吸ってて良いんですか?」
「講義中はともかく審判くらい吸っててもできるし、問題ねぇだろ」
カイルは口から煙を吐き出しながらどこか他人事のように呟く。こんな不良教師のような態度だが彼の精霊神話論は意外と人気があり、いつも与えられる講義室は満員になっている。
まさに人は見かけによらないの代名詞とも言える先生だ。
「さて、それはそうとジル立てるか?」
「あ、はい。大丈夫です…」
「うし、それじゃ悪いが次の試合もあるからお前らもそろそろ退場してくれ。このままだと減給されちまう」
「分かりました」
最後の方は割と切実な様子で頼み込んでいたカイルの指示に従い、ロークはジルを伴って出口へと向けて歩き出す。
「…………大丈夫?」
「…………はい」
その途中、どう見ても大丈夫じゃない様子のジルが気になって声を掛けてみるが案の定、返事にまるで覇気がない。やはり先程の敗北が余程ショックだったようだ。
「ま、まぁ、あまり気を落とすな。たかが一回負けたくらいでそんな成績は落ちないさ。寧ろこれからだよ」
「……ですけど、どんな相手が来ても良いように色々とシミュレーションしたのに……こんな無様で……何もできませんでした」
「いやぁ、アレは無理だろ。流石にあのイレギュラーな動きに初見で対応するのは無理だって」
自身のことを棚に上げながらロークは燈の精霊師の基本的な戦術からあまりにも逸脱した戦い方を指摘する。そもそもロークたちからすれば彼女が最後まで精霊を呼んでいたのか定かでない。
恐らくは精霊だとは思うが、それすら擬態が完璧でどちらが本人か判断をすることさえ碌にできなかった。正直、相手が悪かったとしか言えない。
「けど……ッ!すみませんッ!!」
「えっ、ちょっ……あっ」
耐え切れなかったのかジルは顔を俯かせると謝罪の言葉を残して出口へと走り去ってしまった。反射的にロークは声を掛けようとしたがどんな言葉を掛ければ良いか判断ができず、結局中途半端に情けない声を漏らすだけになってしまった。
「なんだ、後輩いびりかい?」
「失礼な、寧ろ俺は慰めようとしてたんだぞ」
その光景を眺めていた試合終わりのガレスが揶揄ってきた為、ロークが言い返せば彼は「だろうね」と苦笑いを浮かべた。
「まぁ、一番最初の試合だからね。真面目に挑む学生ほどショックは大きいものさ」
「そういうもんか……俺はもう敗北前提だったからなぁ」
ロークに関しては精霊と契約できないまま学位戦の当日を迎えることになったので、これは勝てないと開き直って挑んだためショックは少しも無かった。寧ろ当然だと思いながら負けた。何なら棄権しなかっただけ偉いとローク自身は思っている。
「ロークは事情が事情だからね。君みたいに記念すべき最初の試合を負けることを当然と思いながら戦う人間は珍しいよ」
「言われてみればそれもそうか…」
そう考えるとさっきのジルへ掛けた言葉は配慮に欠けていたかも知れない。今度彼に会ったら謝っておこうとロークは密かに決めた。
「ところでガレス、月影についてどう思った?」
「初めて君の戦い方を見た時と同じかそれ以上の衝撃を受けたよ」
ガレスはロークの質問にそう答えると燈が出て行った出口へと視線を向ける。
「剣の筋も良かったし、気は合いそうだなと思ったよ。ただそれはそれとして不気味だね。正直、あまり戦いたいとは思わない」
「まぁ、そうだよな」
ガレスの意見にロークは全面的に同意した。自分のように何かしらの事情があるなら分かるが、仮に何も問題が無い上であのような戦法を取っているのだとしたら流石に異様と言わざるを得ない。
「今年の一年は豊作そうだし、これは大精霊演舞祭も荒れるね」
「ガレスは参加するのか?」
「勿論。ロークはしないのか?」
「俺は……迷い中だ」
正直、今の状態のままでは一定の成績こそ残せても自分の素性を全国に晒すリスクの方があまりにも高いため、積極的に参加したいとロークは思っていなかった。
「勿体ない……と言っても君の今の戦績だと学院に強制出場させられるのがオチだとは思うけど」
「ですよね」
大精霊演舞祭。開催時期に若干のズレはあるが基本的に二年間に一度の頻度で開催される、国境を跨ぎ複数の精霊師育成機関の間で行われる精霊師同士による大会である。
出場できること自体が誉とされている大会で大精霊演舞祭に出場することを目標にして修行に励む学生も多い。それこそ入学する前はロークも憧れていた筈なのに今となっては寧ろ辞退させて下さいと懇願したくなるレベルなのだから時の流れとは残酷なものだ。
「最近は学院から優勝者を出せていなくて焦っているらしいからね。成績上位者は問答無用で出場させられる羽目になると思うよ」
「そう言えば前回も最後の最後で負けたんだっけ?」
「いや、あれは試合中に不正疑惑が出て審議の結果、失格になったらしいよ」
「マジか」
前回の大精霊演舞祭には当時の学院最強と謳われていたニ年生が出場して最強の名に恥じない活躍をしたらしいが決勝戦でまさかの失格扱いになってしまっていたらしい。当時の二年生が何者かは知らないが、わざわざ決勝まで勝ち進む実力をありながら最後に不正で失格とは勿体無い。
「まぁ、とりあえずは目の前の学位戦を越えることに集中するさ」
「そう言えばオーフェリア、君を倒すために鍛えているらしいよ」
「うわぁ、やめてくれよ。ただでさえ強いのに……」
ロークは彼女と直接戦ったことこそ無いが、それでも彼女の実力は学位戦を通してよく知っている。精霊師としては典型的ながらも堅実な試合を行う相手で強敵であることは間違いなかった。
「なぁ、なんか手っ取り早く強くなる方法無い?」
「そんなの僕が知りたいよ。というか君はさっさと精霊と契約しろよ」
「誰もしてくれないんだ」
「真顔で悲しいことを言わないでくれ」
真顔ながらも切実な様子で語るロークにガレスはため息を漏らす。本当に何故この友人は精霊と契約できないのだろうか。
「精霊とさえ契約していればありきたりだけど精霊を理解する為に交流しとけとか言えるけれど…………」
「俺には縁の無さそうな話だな……」
ガレスの話を聞きながらどこか達観した表情でロークはここ一年間の記憶を振り返る。契約の儀を始めとして精霊と契約する為の儀式や方法を色々と探しては試してみたが結局、何一つ成果を得ることができなかった。
自身のことを好いてくれる精霊がいても契約の上で一番重要な要素である真名を知ることができず、いつも最後まで辿り着くことができない。
結果、気付けば精霊と契約することから学位戦で相手に勝つ為、如何に精霊を上手く使うかの方に視点が向くようになった。
「はぁ、無いものねだりをしても仕方ないか」
ロークはそう割り切るとその場を後にして後輩たちが待っているであろう席へと向かって足を動かし——ふと脳裏にオーウェンの言葉が脳裏を過ぎった。
精霊師としての在り方。その正解について皆目見当もつかないが、今の自身の精霊師としての在り方は少なくとも入学当初に自分が望んだ在り方ではない。
そんなことをボンヤリと思った。




