シーラの母、シェルム
エルフの村へ向かいはじめて、三日目になった。
道のりは、順調過ぎるほどだ。
途中何度かモンスターに襲われたけれども、皆手傷を負うこともなく追い払えた。
ブラックウルフ、バーサークホーンといったディーン王国でも見かけるやつらだ。
対処法はわかっていたし、大地が痩せてるためか数も多くない。
ヴァンパイアも、追ってきてはいなかった。
王都から離れて三日も経つ。
いくらなんでも、大騒ぎになっているはずだ。
それでも追跡されているようには思えない。
僕たちを見失ったのだろうか?
そうならありがたいが、油断は禁物だ。
エルフの居住域を越えれば、ディーン王国は近い。
逆に言えば、そこまでは追われてもおかしくないのだ。
ぐらり、と馬に乗るイライザの身体が揺れる。
一通りの訓練を受けているとはいえ、宮廷魔術師だ。
荒野を駆けたり数日ずっと馬に乗り続けることは、想定外のはずだった。
それに王都の脱出からここまで、イライザは働きづめだ。
今日は早めの休憩をした方がいいだろう。
「みんな、あの茂みで休もう!」
僕は大声をあげて、近くの茂みに腕を向けた。
「しかし、今日はまだ先に進むのでは……?」
イライザが案の定振り返って、声をかけてくる。
「いや、追手の気配もない……エルフの村にも長居はしないんだ。今日は、休もう」
僕はちょっと強めに言った。
フードを被ったイライザが、ちょこんと頭を下げる。
「わかりました……申し訳ありません」
「いいよ……気にしないで」
夕焼けが地平線にかかり、荒野をあやしく照らす。
どこまで行っても不毛の大地だ。
僕が知るディーン王国のどの地方よりも木は少なく、水も乏しい。
唯一の救いは、モンスターが換金性の高い種類ばかりということだ。
しかし、王都を離れ実際に走ると、生活は非常に厳しいと実感させられる。
僕は兜を脱いで、シーラの様子をうかがった。
見た目には、なんの変わりもない。
でも僕にはそれが少し不気味だった。
エルフの事情は、シーラやアエリアを通してしかわからない。
僕やイライザは、それを聞くだけだ。
エルフのヴァンパイアに対する感情は、良くはないだろう。
ディーン王国の基準でいえば、人が住むには値しない土地だ。
煙のない焚き火にあたりながら、僕はイライザの様子を横目で確認する。
やはり、イライザはぐったりと仰向けになっていた。
息を深く吸っては吐いて、胸が上下している。
目は閉じていないが、体力に余裕がないのは一目でわかった。
僕は、イライザの隣に腰かける。
手には焚き火で温めた、カップがある。
カップの中は、どろどろに溶けたチョコレートだ。
「これ、飲んで」
「……残り少ない、栄養のある食べ物です」
イライザが小さく、手を振る。
僕はカップをぐいいっと、イライザの口元に持っていく。
「いいから、飲んでよ」
僕は意図的に眉をつり上げ、押しつけた。
イライザは、無理をするきらいがある。
仕事には忠実で頼りになるけど、自分のことは二の次にしてしまう。
「……はい」
しずしずと受け取り、イライザがチョコレートを飲んでいく。
携行食料だ、味はそれほど良くない。
それでも干しパンや干し肉ばかりの数日のなかでは、ごちそうと言える。
少しでも気分転換、体力回復に繋がってほしいものだった。
ふっと見ると、僕の前にシーラが立っている。
なんだろう、雰囲気が違う。
すがるような、わずかに泣きそうな声だ。
「お願いがあるのです……村に寄るときなのですが」
シーラが言葉を切る。
言おうかどうか、迷っているようだ。
それだけだけれど、少しわかってしまった。
家族とのことだろう。
「……言ってみて」
「村長に……母上に、一目でいいから会いたいのです」
膝を曲げて、僕に目線を合わせてくる。
平坦な調子なのは、変わらない。
それでも、いままでのどの言葉よりも感情がこもっていた。
イライザはそのままチョコレートを飲んでいる。
僕に任せる、ということだろう。
「もちろん、いいよ。長くはいられないけど……」
元々は、解放するつもりだったのだ。
それに道すがら、寄り道にもならない。
「誰だって、家族には会いたいよね」
誰ともなく、僕は口にした。
僕の父親は戦死し、母親も早くに亡くなっている。
家族はもう、妹だけなのだ。
シーラは多分、一生の別れをしただろう。
会いたいに決まっていた。
「んんっ!?」
アエリアが干し肉をくわえながら、ちらちらと辺りをを見回す。
シーラとイライザもほぼ同時に、何かに反応した。
「……周りに、誰かいます」
イライザが声をひそめ、伝えてくる。
ついにヴァンパイアがきたか。
夜とはいえ、こちらも相応の感知力がある。
僕は、かたわらの剣に手をやる。
一気に僕たちの間に、緊張がみなぎる。
その中で、シーラが目を閉じながら立ち上がった。
腕を広げて、迎え入れるようだった。
「……エルフです。取り囲んでいるのは」
エルフなら、穏便にすませなければならない。
僕は小さな声でシーラに指示を出した。
「僕たちに敵意がないことを、伝えられる?」
「……できます」
シーラは目を開くと、ゆっくりと夜空を仰ぎ見た。
歌劇を演じるように、澄んだ声が響く。
「私はオリーブ杖の長の娘、シーラです。わけあって、故郷に立ち戻りました。パンを奪い合うつもりはありません、分け合いましょう」
自己紹介と来訪の目的を、シーラは端的に歌い上げた。
イライザも満足そうに頷いている。
すぐに闇の中から反応があった。
「シーラ……! 本当にシーラですか!?」
抑えこまれた表情、それに焚き火を反射するような金髪だ。
シーラの面影のある女性が、馬に乗って暗がりから姿を現した。
彼女の後ろから、騎乗した数人のエルフが続いてくる。
シーラを知っているエルフ達らしい。
良かった、僕は息を深く吐いた。
「ああ、シーラ……!」
女性が感極まり、口を手でおおう。
まさか、この女性が!?
「母上っ!」
「これは……現実ですか……? 夢では……!!」
答え代わりに、シーラが飛び降りる様に馬から降りた。
いつもの無表情さは、そこにはなかった。
嬉しさを跳ねる体いっぱいで表現して、女性に抱きつく。
女性も、それを力強く受け止めた。
しばらく、誰も身動きをしない。
吹きつける風の音と、馬のいななぎだけだ。
奴隷になって生き別れた娘と再会できたのだ。
二度と会えないのが、普通のはずだった。
それが、会えたのだ。
邪魔する人間はいなかった。
「二度と、二度とは会えないと思っていました……それが、まさか……」
しばらくするとシーラへの力を緩めて、女性が僕たちに向き直る。
「名乗るのが遅れました……私の名前は、シェルムと申します。あなたがたは……」
涙ぐむシェルムが、僕たちの素性を問う。
「ディーン王国のジル・ホワイト男爵です」
ためらうことなく、僕は名乗った。
エルフ達も護衛たちも、一様にぎょっとする。
隠すよりも、身分を明らかにした方がいいだろう。
どのみち通行の許可と食料の件がある。
「確かに、パレードで見ましたぞ」
一団のうちの一人が、声を上げる。
エリスとの婚約パレードを、知っている人がいた。
シーラも、同意するように頷いていた。
意味深に、シェルムが呟く。
そこには大きな戸惑いと決意が混じっていた。
「……まずは、村へ案内しましょう。そこでお話しいたします」
用意を整えてエルフの後ろについていく。
アエリアはエルフが気まずいのか、縮こまっている。
警戒網もそれとなく伝えて、回避しなければならない。
それまでに比べれば、かなりゆったりとした進み方だった。
それでもエルフ達は、モンスターの縄張りをよく把握していた。
シェルムは村長だが村一番の魔術師でもある。
モンスター狩りによく出かけているのだ。
丸一日くらいだろうか、エルフ達と荒野を行くと谷へとさしかかった。
両側は、鋭く切り立った崖だ。
岩肌はむきだしで、草もほとんど生えていない。
砂ぼこりが舞い、黄昏が広がる。
空の下には小さな月が浮かんでいた。
「ああ……!」
シーラが懐かしそうな、感嘆した声を漏らした。
荒涼とした先に、いくつものわらぶきの家が照らされている。
村は谷のなかでも、広がったところに立てられていた。
建家は百はないだろう。
人口は数百人といったところだ。
木造だけでなく、レンガ等もある。
しかし王都で見たような装飾はない。
まだ先の村の入り口には、番人が数人立っている。
入り口といっても門らしきものはない。
乗り越えられるほど、低い木の柵があるだけだ。
「どうぞ、中へ……本当に大したものはありませんが」




