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紅き血に口づけを ~外れスキルからの逆転人生~   作者: りょうと かえ
覚醒と帰還

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25/201

口づけでさよならを

 殴られたかのような衝撃だった。

 クロム伯爵はもう死んだのか。


 どうやって? いや、命じられるのは一人だけだ。

 カシウ王が処断したのだ。


 辺境伯であるクロム伯爵を殺せば、情勢は緊迫するに決まってる。

 それほどカシウ王の怒りは大きかったのだ。


 それよりも信じられなかったのは、死んだクロム伯爵にエリスが会いに行こうとしていることだった。

 エリスは本気で、クロム伯爵を愛していたのか。


 だとしたら、僕は一体なんだったんだ。

 エリスが僕の部屋に来たのは、クロム伯爵との別れのためだった。


 しかもアルマにそう言われたから、だ。

 完全に馬鹿にされていた。


 アルマのことだ、何をしてでもひきとめろと言ったのだろう。

 奴隷の館とシーラのことを考えれば、嫌でもわかる。


 エリスの黒い服は……クロム伯爵を悼むためだ。

 心が僕にない証だった。


「増血薬でスキルの代わりをしてたってアルマは言っていたけど、私にはどうでもいいことだったわ。彼の方が爵位もあって、野心もあった」


 部屋の空気が、凍りつくようだ。

 エリスの声は、不気味に柔らかい。


「ねぇ……私が嫌いになったかしら、ジル……」


 エリスが、ゆっくりと顔を近づけてくる。

 散々、僕が焦がれた顔だった。

 優しい野原の香水が、僕を包みはじめた。


 でもいまや、僕の心は千切れかけている。

 結局、愛されてなどいなかった。


 スキルという運の良さで、手に入れた婚約者の立場だ。

 もとより、没落貴族の僕には出来すぎた話だった。


 それなら、もっと早く断ってほしかった。

 晩餐会での婚約破棄なんかせず、拒絶してくれれば良かったのに。


 いい恥さらしなだけだった。


「……嫌いになりそうだよ、エリス」


 僕自身、口からでた呟きに驚いた。


 エリスの強さが、まぶしかった。

 僕には持てない奔放さも、羨ましかった。

 エリスのためなら仕えるような結婚生活でも、我慢できただろう。


 今ならはっきりわかる。

 全て神が一瞬だけ見せてくれた、夢と幻だったのだ。


 ここに、アラムデッドに来るべきじゃなかった。

 エリスに惹かれるべきじゃ、なかった。


「やっと、私を憎んでくれる?」


 僕の目の前に、エリスの銀髪がある。

 触れることさえ恐れ多かった、婚約者の髪だ。


 エリスが頬を、僕の顔につけた。

 ぞっとするほど、冷たい肌だ。


 反対に、僕の中に怒りと後悔の火がくすぶりはじめた。

 エリスに向けたことのない感情だ。


「エリス、僕には君がわからないよ」


「奪いあって愛しあうのが、私たちヴァンパイアの本質よ。クロム伯爵は、それを理解してたわ」


「……僕には、到底理解できない」


「そうでしょうね……。残念、ね」


 エリスの冬のような吐息が、僕の耳にかかる。

 言葉とは裏腹に、エリスは失望してるわけではない。


 ただ見せつけているだけなのだ。

 エリスと僕の、本当の心の距離を。


「ねえ、今ここで私を抱――」


「言うなっ!」


 エリスの耳元で、僕は声を荒げた。

 わかっている、エリスの安い挑発だということは。


 僕はエリスの両肩を掴み、引き離した。

 エリスは力を抜いてされるがままだ。


 熱が、僕の身体を焼いた。

 どこまで僕を逆撫で、馬鹿にすれば気が済むのか。


 昨夜の今で、嘘でも聞きたくなかった。

 僕がイライザを傷つけたこの部屋では、なおさらだった。


「そんなに、クロム伯爵がいいのか。死んだあの男のために、そこまで出来るのか!?」


「ええ、そうよ」


 エリスが一切の迷いなく、言い切った。

 心の火が、炎になって僕を焼き切る。


「なら……もう、終わりだよ。話すことは、ない!」


 僕は、未練を断ち切るようにベッドから立ち上がった。

 目はすでに覚めていた。


 昨日の夜、婚約破棄以前に全部終わっていた。

 追いすがってもかなわない相手だったのだ。


 後はディーン王国とアラムデッド王国で話し合うだけだ。

 当分、困らないだけの金は手に入るだろう。


 自分にも、プライドがある。

 エリスは騙されてたんじゃない。


 単に、僕が好きじゃなかったんだ。

 身分不相応に好意を寄せた、僕も愚かだった。


「ディーン王国管轄の館に無断で立ち入ったことは、不問にする。帰ってくれ」


「そうね……良かったわ」


 エリスも、ベッドに手をついて立ち上がった。

 その顔には、謝罪や反省の色はない。


 奇妙に、エリスは晴れ晴れとしていた。

 僕が持ちえないものだ。


「……あなたに好かれたままは、つらすぎるもの」


 そういうと、エリスはさっと僕にキスをした。

 反応することも出来ない、早さだった。


 冷たくもなく、人の持つ温かさだ。

 エリスの冷たさが、彼女の魔力によるものだと初めて知った。


 挨拶のような、軽いキスだった。

 別れを告げるものだ。


 そのキスの瞬間に、部屋の扉がものすごい音を響かせる。

 誰かが、蹴破るように開けたのだ。


「ジル様、ご無事ですか!?」


 なんというタイミングだ。

 イライザと護衛が血相を変えて、飛びこんできた。

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