行軍⑤
僕の言葉を聞いてサイネスは含み笑いをした。
その様子に内心で汗をかく。
しまった。
アラムデッドやイヴァルトのことは知られているけれど、《神の瞳》関連については極秘事項だ。
今の言葉は軽率だった。
しかし、目の前の貴族は普通の貴族ではない。
ナハト大公と二分するターナ公爵家の嫡男だ。
どこからか《神の瞳》について知り得てもおかしくはない。
「やはり知っているようだな、これを。ひとつ言っておくが、俺もこの黒い宝石がなんなのかはよくはわからんのだ」
「……そうなのですか?」
見たところ《神の瞳》そのものよりも、宝石は一回り小さい。僕が今持っているレプリカによく似ている。
僕の胸元にある紅いレプリカは、ディーンの大教会に安置してあったもので、聖教会経由で僕に渡ってきた。
その後の調べによると、各地で同様のレプリカが見つかったらしい。ただ、由来がはっきりして最大の宝石は結局、ディーンの大教会のものであったそうだ。
そのため僕が他のレプリカを手に取ることは結局なかった。
試すまでもない、ということだ。
でも報告ではレプリカは紅いものだけだったはず。
色違いの宝石があるとは聞かされていない。
「この宝石はターナ家に伝わってきたものだ。しかし宝物庫の中では、さして重要な品物とは見なされてはいなかった。お前の噂を聞いて父が探させたが、やっと見つけ出したくらいだからな」
ターナ公爵がか。
《神の瞳》について知った上でレプリカを探させたのだろう。
「なるほど……由来は確かなのですか?」
「500年以上前、ブラム王国との戦争で得た戦利品とある。信じるかどうかはお前次第だが」
辻褄はあっているようにも思える。
レプリカは一見、単なる宝石。
《神の瞳》について知らなければ、重要性に気づくことはないだろう。
しかし、黒色の宝石か。
嫌な感じがする。
イヴァルトで会ったベルモは「レプリカには2系統――反死霊術のためのものと、死霊術師が造ったもののふたつ」があると言っていた。
死霊術関連の遺物は慎重に扱うべきだ。
《神の瞳》にしても、人が安易に扱っていいものではない。
レプリカも――僕の紅い宝石だけが例外だ。
ベルモという過去の偉人と接触できたから良かっただけだ。
「信じましょう……。しかし、この黒い宝石はどうされるのですか? できれば預からせて欲しいのですが」
「構わん、好きにしろ。もとはヘフランにいるアルマ卿に渡すつもりであった」
なるほど、アルマは死霊術師について詳しいと見られてる。彼女に見せるために持ち込んだのは、常識的な判断だろう。
僕に先に見せたのは、呼び出されたからか。
本題はこの件ではなかったのだけれど、思わぬ収穫だ。
「ではお預かりします……ただ場合によっては破壊するかもしれません。それは了承してください」
サイネスは僕の言葉を聞いても、驚くことはなかった。
むしろ予期していた反応だったらしい。
「呪われているのか、それは」
「わかりませんが……念のために破壊することも大いにあり得ます」
「……まぁ、好きにせよ」
それだけ言うと、サイネスは身体を翻して天幕から出ていこうとした。
まだ話しは終わっていないのに。
呼び止めようとした僕に、サイネスは振り返り冷たい目を向ける。
「俺はお前を認めぬ。……スキルで成り上がったお前などはな。余人はお前を神に選ばれた英雄と思っているやも知れぬが――門閥貴族の多くは違うぞ」
僕はこれ見よがしにため息をついた。
そんなことは僕が一番わかっている。
《血液増大》がなければ、僕はアラムデッドに婿入りすることもなかった。
《血液操作》がなければ、《神の瞳》を扱えるようにもならなかった。
大陸を救ったのは僕だけれど、ある意味僕ではない。
要はスキルが重要だっただけだ。
僕には抜きん出た武術も魔力もない。
言われなくても、わかってる。
だけど――それは皆、同じだ。
お前だってそのはずだ。
「なら、あなたはどうして貴族たりえるのですか? 公爵という家に生まれついたからでしょう。平民の家に生まれていたら、今ここにあなたはいなかった」
「――っ!」
「私達は同じですよ――貴族の家に生まれて、最初から優位だった。男爵の私でさえ、平民とは比べるべくもない。それもまた神の思し召しではないのですか? それはスキルを得て活用するのと、何が違うのですか?」
「……生意気な男よ」
サイネスはぎりっと歯を食いしばった。
「だが――貴族をそのように解釈するのを聞いたのは初めてだ。お前はやはり、貴族には似つかわしくない。むしろ学者がお似合いよ」
あれ?
てっきり罵詈雑言が飛び出すと思いきや。
意外なほど、サイネスの言葉は静かに聞こえた。
「足を引っ張るような真似はしない。それで、よかろう」
サイネスはそれだけを言うと、今度こそ天幕から出ていってしまった。
僕はその後ろ姿を見送るしかない。
無理にひき止めるわけにはいかないからだ。
残された僕の前には、黒い宝石がある。
「……参ったな……」
難題を押し付けられた気分だ。
しかし、収穫は収穫だ。
情報が欲しいのには変わりはない。
本格的に死霊術師が動き出している今だからこそ、過去の何かでもわかれば足しにはなる。
とりあえず、黒い宝石について皆に相談するしかない。




