出立⑥
「もちろんだよ、イライザ」
努めて優しく言った。
不安がらせることのないように。
「…………私の父親についてです。私の親については、あまりお話したことはありませんでしたね」
イライザはぽつりと、小さな声で語り始めた。
「イライザと母君は、父君で苦労されたと言っていたね…………」
「そうです……母は、中級貴族の出身でした。とはいえ姉も複数おり継承権もなく、行儀見習いとして、ある貴族の奉公に出ていたそうです」
貴族では、ままある話だった。貴族は長子相続が基本だ。
次男次女以降は、どうしても行き場をなくしがちになる。
ひどい場合は穀潰しみたいな扱いを受けて、厄介払いされてしまう。
多分、イライザの母親もそうなのだろう。
女性の場合は事実上の結婚相手探しとして、奉公に出ることはよくある。
「私の母は、奉公先で父と出会いました……。母は私を産みましたが、父は結婚することを拒んだようです」
淡々と飛ばし飛ばしに、事実だけを述べるイライザ。
それがこの話が、どれほど彼女にとって不快かを物語っていた。
悲しいけれど、このようなケースも珍しくない。
立場を利用して女性を弄ぶだけの貴族も、確かに存在してしまう。
「…………それから?」
「母は実家を勘当されました。お金は父の家から入ってくるので困りはしませんでしたが、母は現実に耐えられなかったようです。……今も親切な親戚の家で、静かに寝ています」
目を伏せ唇を引き結ぶイライザは、僕が言葉を発する前に続けて、
「母から父のことを聞き出すことは不可能でした。そのことに触れようとすると、暴れて手がつけられなくなるので……。親戚も教えてはくれませんでしたし」
「……………………」
中途半端に僕が、何かを言えるだろうか?
母は幼い頃亡くなったけれど、立派な父が僕とフィオナにはいた。
イライザがいたのは、僕とは全く違う世界だった。
イライザの口振りには、ありありと父と――間違いでなければ母に対しても嫌悪があった。
父に身体を安易に委ねたイライザの母に、だ。
家族を呪ったことも嫌ったこともない僕には、想像さえも難しい。
「でも、生まれてからずっと途切れることなくお金は入ってきました。宮廷魔術師になってから知りましたが、多分とても裕福な貴族でしょうね」
「……そうだね」
多分、その通りだろう。
母娘が暮らして行ける金額。イライザが宮廷魔術師になるための勉学の費用も。
かなりの余裕がなければ父側の家族も、黙ってはいない。
認知していない子どもにもそれだけのお金を渡せるのは、上級貴族並の収入がなければ無理だろう。
そして、僕は気付いた。
宮廷魔術師は王宮に勤めるため、必然的に顔が広くなる。
これまでは推測さえ無理だった父親探しが……進展したのか?
「見つかった…………の?」
「いいえ、確かなことはわかりません……。ただ……そうでないかと思う方は見つけました」
イライザは顔を上げて、僕の瞳の奥を見通そうとしていた。
僕の心にあるのは、痛みだった。
想像の苦痛だった。
ここまでの流れで――もし名乗り出られるような人物なら、すでにイライザはそうしているだろう。
つまり、簡単には親子関係を確かめることも出来ない人物だったのだ。
イライザの心痛。
それは愛する人の苦悩に他ならない。
僕も……苦しくなる。
「ターナ公爵です」
「…………そう」
衝撃だった。
言葉を、一瞬失ってしまう。
でも、それだけだった。
愛する人の何かが変わったわけではない。
単に、僕の知らない物語があった――それだけのはずなのだ。
そして、僕の知らなければならない物語があるだけのはずだ。
「全くの、見当違いかもしれませんが……ジル様はターナ公爵にお会いになられたことは?」
「……挨拶を交わしたことは、ない。すれ違ったくらいだ」
「彼の髪は、私と同じ水色です」
「…………ライラは、そんなことは言わなかった」
僕は少し前に、ライラがサイネスとターナ公爵に会って大立回りをした話を思い出した。
彼女なら、ターナ公爵の髪の色にも当然、気が付いていただろうに。
あえて、そこには触れなかったのか。
「でも、ライラは言っていたね……。ターナ公爵は強い魔力を持った貴族だと」
「ええ、青い髪の貴族なら……それこそディーン王国には何十人といるでしょう。でも、宮廷魔術師を輩出できるような魔力の家系となると……。母には、魔術師の素養はありませんでした」
「つじつまは合う、か……あれ、でもそうすると……?」
「そうです、サイネス様は私の……異母兄、かもしれません」
僕はついに絶句した。
なんと……いや、そうか。
ターナ公爵もサイネスと同じように、女性に見境がない性質だったのか?
サイネスの妻の多さを考えれば、若かったターナ公爵もそうであった可能性はある。
そしてサイネスは当然、イライザとターナ公爵の関係を全く知らないのだろう。
でなければ、さすがにイライザに言い寄ることはしないはずだ。
もっとも、やはり真実はわからない。
ターナ公爵にとっても、名乗り出るつもりはないのか。
あるいは、そもそもが見当違いなのか、どうかさえ……。




