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紅き血に口づけを ~外れスキルからの逆転人生~   作者: りょうと かえ
ディーン王国

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155/201

宮廷の争い①

 数時間の鍛練を終えた僕は、王宮の浴場に向かった。

 汗や汚れを落とし、午後の座学に備えるためだ。


 ぱっとお湯を浴びた僕は、昼食に向かう。

 午後は午後で、予定がいっぱいである。


 しばらくは午前に鍛練、午後は座学という日々を過ごすことになる。

 時間は無駄にできない。


 夜の晩餐会や舞踏会の類いは、ナハト大功からも免除されている。

 今後必要なのは貴族としての人脈ではなく、国を実際に支える能力ということだろう。望むところだった。


 昼食は実に簡素だーー乾いたパンに渋い紅茶、しなびた干し肉である。

 いわゆる軍隊食だ。これに慣れるのも、また訓練になる。


 ……アラムデッド王国に行く前の、ホワイト家の食事なので、全然苦じゃないのだけれど。

 まぁ、イヴァルトで贅沢に慣れた舌を巻き戻すにはちょうどいい。


 丁度食べ終えた頃、食堂にイライザが現れた。彼女の肌はほんのりと桃色に染まり、髪はつやつやと光沢に満ちている。


 彼女も僕と同じように、身を清めたに違いなかった。


「ジル様、座学の場へご案内いたします」


「ありがとう……他の皆は?」


「先に向かっています。座学の場は女性向け浴場の近くにありますので……」


 食事も手早く終えた僕は、王宮の離れにある会堂へとふたりで移動する。

 どうやらそこは宮廷魔術師の管轄のようだった。


 華麗な王宮から、段々と質素で飾りつけのない回廊へ様変わりしていく。

 むせるような香水の匂いは薄れ、湿った土の香りになる。


「ジル様……」


 イライザが足を止め、回廊の壁に退く。

 遠見の魔術を使うイライザは、僕よりもかなり視力が良い。


 目をこらすと、上位の貴族らしき一団が正面から歩いてきていた。

 先頭を大股に歩くのは、見覚えのある20代半ばの金髪の美男子だ。

 黒の礼服と胸に輝く勲章の数々が、彼らの地位を示している。


 このような場合は、相手が通りすぎるまで待つのが礼儀だ。

 僕もイライザにならい、壁に退く。

 さらに胸に手を当て、軽く頭を下げる。


「……ターナ公爵の嫡男、サイネス・ターナ様ですね。お気をつけください」


 イライザが消え入りそうな声でささやく。

 ターナ公爵家はディーン王国に古くからある名家だ。


 領地は広くないが、ディーン王国の要職につける家柄である。僕とは比べ物にならない上級貴族だ。


「……わかった」


 そしてターナ公爵の派閥は、僕を嫌っている。

 正確にはーーナハト大公の方針か。


 ナハト大公は実力主義者であり、身分の高低にはこだわらない。

 ガストン将軍を引き立てたのもナハト大公であり、彼以外にも多くの平民や騎士に兵権を委ねている。

 もちろん、守護騎士に任じられる僕も引き立てられた一人だ。


 しかしターナ公爵の派閥は生粋の門閥貴族であり、ナハト大公の方針を常々批判している。

 当然、僕の扱いについても批難めいているのは聞いていた。


 ……嫌な予感がする。

 王宮内では人の出入りが激しいので、言葉を交わすことはなかった。


 しかし、この離れの回廊には人は極端に少ない。静かに緊張してきた。


 ゆったりとした足音が近づいてくる。

 10歩の距離、5歩の距離ーー。


 足音が、止まる。

 サイネスの一団は目の前にいた。


 意外にもサイネスは親しげに語りかけてきたーーイライザだけに顔を向けて。


「おお……誰かと思えば、イライザではないか」


「……お久し振りにございます、サイネス様」


「隣は……誰であったか? まぁ、名乗らずともよい。王宮で見ない顔だしな」


 白々しくサイネスは言い放った。

 ふざけてる。

 1か月前、王宮にいた時に顔ぐらいは合わせていた。


 しかし、言い返すことは許されない。喋るなと言われているも同然なのだ。


 サイネスはこれ見よがしに、イライザに身体を近づける。


「イライザよ、来月の出陣の話は聞いているか?」


 少し身を引き、イライザが答える。

 サイネスが言うのは、ヘフラン出陣のことだろう。


「……ええ、さわり程度は」


「さすがだな……耳に入っていたか。実はな、俺も出陣するのだ。父上に頼んでかなりの兵を用意してもらう」


「な、なるほど……」


 サイネスは何を言っているんだ。

 まるで口説いているような調子じゃないか。


「それでーーイライザ、そなたを参謀にしてもらえるよう掛け合うつもりだ。光栄だろう?」


 は?

 今、なんて……。


「お戯れを、サイネス様。あなたには父より付けられた有能な方々が、すでにおられますでしょう……私がお側に仕えるまでもありません」


「奥ゆかしいことだ……しかし、俺は本気だ。そなたを連れていくぞ」


 今度は、イライザが軽く息を吐いた。

 精一杯の困惑を乗せて。


「ナハト大公より、隣にいるジル様の補佐をするよう特命を受けております。ご希望には沿えません」


「なんだと!? こいつ……」


 初めてサイネスの意識が僕に向けられたーーと思う。

 憎々しげに、彼は吐き捨てる。


「……子守りとは難儀なことだ。同情するぞ」


 その言葉に、イライザが早口に反論する。

 これまで聞いたことがないほど、苛立ちを含ませていた。


「ジル様は、子どもなどではありません。親はいなくても、しっかりと自立したお方です」


 痛烈な皮肉だ。


「どういう意味だ、それはーー」


 声を荒げようとするサイネスに、彼の側近が素早く耳打ちした。


「若様、次の予定が控えておりますれば……」


「くっ……」


「ナハト大公には我らから、伝えましょう……若様のご要望を」


「……わかった」


 そのまま、サイネスは歩き去っていく。

 一団の姿が見えなくなった時、僕はイライザを見やる。

 彼から受けた屈辱とともに、思いもよらなかった宮廷模様が見えてしまった。


「……イライザ、サイネス様は……」


 イライザは、物憂げに首を振る。


「サイネス様は宮廷魔術師との繋がりを求めているだけです。行きましょう、時間を無駄にしました」


 とても公務に使う人脈だけだとは、思えなかったけれど。

 しかし、安堵もした。


 イライザには、全くそのつもりがなかったからだ。

 それだけが、大きな救いだった。

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