大河、闇、雨⑤
「おお、天使様……!!」
バルハ大司教が感極まった声をあげる。
対して、僕は愕然としていた。
「まさか、このタイミングで……!!」
イライザがふらつきながら、近づいてくる。
「ジル様……!」
水面から浮かび上がるカバは、大きく口を開け、咆哮した。
腹に響く低音だ。身体の芯が激しく揺さぶられる。
カバが港に巨大な足をかけたとき、その足元からモンスターが這い出してきた。
ナマズのモンスターや、ブルーリザード……ガストン将軍の陣で戦ったモンスターだ。
いや、それだけじゃない。
見回すと様々な波止場から、モンスターが上陸しつつあった。
たちまち、近くからも遠くからも悲鳴が上がる。
「う、うわぁぁぁ!! モンスター……!? どうして街に!?」
「助けてくれ……!! あちこちからだっ!」
港の揺れは小さくなっている。
しかし、状況は深刻だった。すでに港の周囲はパニック状態だ。
聖宝球に守られているはずのイヴァルトでは、あり得ない光景だった。
しかも港に立つのは、通常のモンスターより倍は大きいカバだ。
奴が放つ威圧感も、心臓を鷲掴みにせんばかりだった。
単なる市民や船乗りに耐えろ、と言っても無理な話だろう。
「ジル様、ひとまずお引きなされい! ここでは混乱に巻き込まれますぞ!!」
ガストン将軍と鉄盾隊が、素早く武器を構えて並び始める。
「ガストン将軍……!!」
ガストン将軍は、アゴヒゲを揺らしながら言い聞かせるように語る。
陣の時と違って、ガストン将軍は僕に後退を促す。
「ジル様、こやつらの足止めはお任せあれ! どうか、お退きを!」
「そうです、ジル様……この場は一度、体勢を……!」
隣に駆けこんできたイライザが、僕を諭す。
わかっている、何を優先すべきかは。
とにかく、バルハ大司教だ。
転がっているバルハ大司教に素早く駆け寄り、首根っこを掴む。
「おい……!! イヴァルトを滅茶苦茶にするつもりか!? 生まれ故郷だろう!」
バルハ大司教は頭に袋を被せられたまま、肩を震わせて愉快そうな調子で反論してきた。
引っ張ろうとする僕に、抵抗してくる。
「主が再誕した折りには、どうせ消えてなくなるのだ! いまさら惜しむと思うのか!」
バルハ大司教がーー今度は、カバへと狂信を隠さずに呼び掛けた。
「天使様、憎き敵はここにおりますぞ! 鉄槌を! 雷をォォ!」
カバの厳めしい青い瞳が、僕を見据える。
知性があるかどうかわからないけれどーー瞳は野生の憤怒で満たされている。
それだけで、僕は総毛立つ。
来るーー!
紫の巨体から、槍のように鋭く魔力が放たれた。
雷の槍がガストン将軍を飛び越えて、的確に僕を狙う。
間一髪、僕は飛び退いた。
神聖魔術が活きたーー雷の槍が激しく弾ける。
まさに、槍が叩きつけられたのだ。
拘束されていたバルハ大司教に、逃れる術はない。
「あがががっ……!! 天使様……私はまだ……!?」
苦痛を叫びながら、バルハ大司教は雷に撃たれていた。痙攣し、衣服は焼け焦げていく。
「まだ…………私は……」
そのまま、ぴくりとも動かなくなる。
まずいーーけれど今、抱えて移動できるほどの余裕がない。
カバは鼻息荒く、魔力を再度集中させる。今度は足元に魔力が集中している。
「ジル様……!」
イライザが僕の肩に身体を寄せながら、地面に両手を当てる。
カバの魔力が膨れ上がり、炸裂する。広域への電撃魔術だ。
イライザの周囲に緑の光が陣となって沸き上がる。
広がる電撃の攻撃力はさほどでもない。緑の陣に雷撃は弾き返される。
ガストン将軍たちは、魔術の鎧で耐えているようだ。まだピンピンしている。
「でも……大司教はダメか……!」
バルハ大司教は今度も雷撃をまともに受けていた。おそらく、もう助からない。
しかも、街中でいきなり広がる雷撃を放ったのだ。市民たちも倒れ、混乱は深まるばかりだ。
また時間が経てば、カバは大河へと帰るのだろうか。
しかし、それではーー延々とイヴァルトは襲われ続けることにもなりかねない。
せっかく捕らえたバルハ大司教を、始末されてしまった。
悔しさに、唇を噛み締める。
このまま、ディーン王国には戻れない。
でも、考えなしに僕が突っ込んでもカバは倒せないだろう。
「……すぐに戻る、ガストン将軍!」
イライザを伴い、僕は不本意だけど一時後退する。
振り返るとガストン将軍が斧を高く掲げていた。
気にするな、とでもいうように。




