舞う蝶のような①
翌朝、僕たちは支度をととのえて宿舎を出た。
支度中に、イライザが早馬をレイア議員に向かわせている。
特使としている以上、僕たちが動いているのは察しているだろう。
とはいえ、今回は単なる情報収集でも交渉でもない。
ほとんど不意打ちで、入院している患者を見せてもらおうとしているのだ。
「……穏便にいくといいね」
馬車に揺られながら、僕は呟いた。
初対面のときは、雑談程度で終わっている。
もしディーン王国に渡すつもりなら、あのときにレイア議員から言ったはずだ。
「相手の立場や状態によっては、言い出せなかったのも仕方ないかと……」
とはいえイライザも、少し不安そうな顔だ。
「そうだね、他の職員や患者もいる。どこで情報が漏れるかわからないし」
あれこれと話をしている間に、レイア議員の病院へと到着する。
入口には、早馬に行かせた兵が敬礼して待っていた。
レイア議員は、突然の訪問に驚いたみたいだけど、会ってくれるらしい。
よかった、まず第一関門は突破だ。
「……よし!」
気合いを入れて、白い門をくぐる。
中に入ってすぐ、広間にレイア議員が待っていた。
「突然の訪問、申し訳ありません……レイア議員」
レイア議員は、柔らかく微笑んだ。
しかし、笑っているのはレイア議員だけだ。
他の広間にいる職員の顔や身体は、こわばっている。
「いえいえ……ディーンの特使でありますもの、歓迎しますよ。十分なおもてなしは、できないかもしれませんけれど……」
そのまま、客間へと先導される。
前に来たときも思ったけれど、入院患者の家族が面会に使うためか、かなりの広さだ。
「お気遣い感謝します。私も、長居するつもりはありませんから」
僕たちとレイア議員は、席についた。
「あら、そうですか? てっきり、何かよいお話があるかと思いましたが……」
「……多少は、手土産があります」
イライザが、僕の血が入った筒をレイア議員に差し出した。
ラベルが貼ってあるわけではないので、レイア議員から中身はわからない。
でも、このタイミングで差し出した筒だけで、中身を悟ったようだ。
「まぁ、ご丁寧に……これは大切に頂きますね」
大切そうに受けとると、筒を従者へと引き渡した。
「それで、お話というのは……?」
「ガストン将軍から、確かめて欲しいと言われたことがあります……先日はお話ししませんでしたが……。1か月前のことです。ブラム王国の人間が、岸に打ち上げられた件です」
ガストン将軍うんぬんは、嘘だ。
実際には、ガストン将軍からは何も聞いていない。
レイア議員は微笑みを崩さず、
「……どうやら、ブラム王国は相当混乱しているみたいですわ。連合軍と戦いたくないために、脱走する兵がいるのは不思議ではありません」
ある程度、こちらが情報を持っているのを前提にしてきた。
ことさらに隠すわけではないが、それがなにか? という感じだ。
「そうでしょうね……今、イヴァルトへ生存者がいるかと問うのは、無粋でしょう。仮にイヴァルトへ逃げこんだ者がいても、それが誰だかわからないのですから……」
僕は、ゆっくりと首を振る。
いかにもイヴァルトのことを考えている風に。
「もし、これだけなら良かったのですが……イヴァルトにはもうひとつ、重大な疑惑があります」
「……身に覚えがありませんが、それは?」
「大航海に使われる船を建造した疑惑です……噂でも聞いたことはありませんか?」
ぴくり、とレイア議員がわずかに目を細めた。
「ブラム王国から多くの仕事を得ているのは事実ですが、それは…………」
ライラが、言葉を挟む。
打ち合わせ通り、非常に不機嫌そうに。
演技だとわかっている僕たちでさえ、直視できないレベルだ。
「大航海の疑惑は、軽いものではありませんよーー審問の対象です。しかも、イヴァルト全域に渡るのですから」
「そんなことをすれば、大きな反発を招くだけでしょう。強権をもってしても、うまく行きません」
イヴァルトで生きてきたレイア議員は、聖教会の強硬さを知らない。
長年、郊外の教会支部と仲良くやれば良かったのだから、無理もないけれど。
やった、と僕は内心思った。いかにも驚いた風を装う。
「今のは、信じがたい言葉ですね。審問への非協力はそれだけで重罪ですよ? ディーン王国では貴族でも、審問には無条件に協力します」
これは本当だ。
ライラとの初対面では、僕は何もしていないのに苦手意識があった。
そのくらい、審問官には権威がある。
ライラの顔から、笑みが薄れてきた。
悪いけれど、そうでないと困る。
「私には、審問の発動権があります。そしてジル様をはじめとし、審問の協力を要請することもできますーーガストン将軍にも、協力は要請できるのですよ」
ライラからの露骨な脅しだ。
僕が取りなすように言う。
「ライラ審問官、それは……レイア議員は協力しないなんて、言っていませんよね? 脅迫めいた物言いは、それこそ反発を招きます」




