突進
カバの瞳からはこちらに反応している様子がない。僕は違和感を覚えた。
さっきもそうだけれど、カバは傍若無人に振る舞っている。
僕達を敵視している風でもない。
電撃の魔術は放ったが、それだけなのだ。
それでも、こいつの存在感は他とは比べ物にならない。
無視するわけにもいかない。
ライラの拳がカバの背骨を打つように叩きつけられる。
肉を打つ衝撃音が響くが、ぐらりとカバの背が揺れるだけだ。
ちらりともカバはライラを見ない。
僕も跳躍の中で、血の剣を振り下ろす。
カバの顔面に正面切っての一撃だ。
しかし、分厚い表皮で剣は止まってしまう。
少しも切れ込みが入らない。
異常な硬さだ。
僕はそのまま、カバの足元に着地する。
「ぬおおおぉぉ!」
ガストン将軍が気合いをこめて、斧でカバの足を横薙ぎにする。
ガストン将軍の腕力からすれば、大木もへし折る一発のはずだ。
それでも、まるで歯が立たない。
いや、いくらなんでも不自然すぎる。
確かにクラーケンも人智を超えた化物だったけれど、このカバもそうなのか。
だとすると、とても敵う相手ではない。
でもガストン将軍の前に姿を現してるのは、どういうことなのか。
今も、カバはたたずんでいるだけのように見える。
「……ジル様、考え事ですか? 何か良い手が……?」
連撃の構えに入るライラ。
彼女の声にも、カバへの不審が混じっている。
こんなにも手応えがない例は、他にあっただろうか。
ある、そうだ。
ネルヴァの時も、こんな風に手応えがなかった。
死霊術の気配は感じないし、効果があるかはわからない。
それでも今のままだと手詰まりだ。
「一つだけ……ある」
僕は血の鎧の胸元を開ける。
ライラから預かった《神の瞳》のレプリカは、僕の首にかかっていた。
僕は血に濡れた手でレプリカに触れた。
意識を割いて、力を込める。
淡く紅い光が夜の闇を照らし出す。
ぐりるとカバが首を回して、足元にいる僕を見た。
睨まれている。
カバの青い瞳が僕を射抜いていた。
まずい。直感した時には、僕は駆け出していた。
一瞬遅れて鼻息荒くカバが、足を震わせて動き出す。
ずしりと鳴動する音に続き、明らかに僕を狙って歩き出していた。
「な、なんだ……!? 突然ッ!」
ガストン将軍の陣へと連れていく訳にはいかない。
僕は身体を震わせ、モンスターの群れへと向かっていた。ライラも並走する。
「何を……したんです!?」
「レプリカを起動させただけだよ……それだけなのに物凄い反応だ!」
ずんずんと響く音が、カバが僕に迫っていることを示していた。
振り返ると全身から怒気を発したカバが、一直線に突進してくる。
他のモンスターを踏み潰しながらだ。
「どうするんです、ジル様!?」
「河に行くしかない。陣へは引き返せない!」
「……仕方ありませんね」
ライラは手を差し出し、繋ぐように促してくる。
目の前には河から上陸してきたモンスターがいる。
当然、そのまま通してくれるわけはない。
さらには背にびりびりと魔力の波動を感じる。
「魔術も……!」
一目散に走った方がいいものの、振り返らずにはいられなかった。
怒る青いカバの身体から、電撃が槍のように放たれる。
間一髪、僕はライラの手を取る。
身体がぐんと軽くなり一気に跳躍する。
いままで僕が走っていたところが焼け焦げ、直線上のモンスターが雷撃に撃たれる。
さきほどの広範囲の魔術とは違い、一撃でも当たれば致命傷だろう。
「呼吸を合わせて下さい!」
「ああ、もちろん……!」
ただ神聖魔術と血の鎧の併用は、僕にはまだ出来ない。
ぼろぼろと血の鎧が剥がれ落ちる。
僕とライラは疾風のように走っている。
その後ろから、カバが猛然と向かいながら雷撃の槍を連射していた。
しかし、発動まで一瞬の間がある。
神聖魔術で反射を高めている今なら、なんとか回避できる。
電撃の槍が通り過ぎるたび、モンスターが貫かれ絶命する。
立ちふさがるモンスターが電撃で死んでいくので、邪魔は逆に入らない。
「もう少しだ……!」
飛行騎兵に乗っていたので、河までの距離は把握している。
水流のざわめきが大きくなり、泥水の臭いが鼻につく。
空から一騎、イライザが降下してくる。
「ジル様……どうされるおつもりですか!?」
空から僕の挙動を見ていてくれた。
経緯の説明はいらないようだ。
「河に落とす……! 飛び込むから、河の上を飛んでいてくれ!」
「またそんな無茶を……!」
イライザは嘆息しながら上空へと舞い上がる。
もう大河は目の前だ。
最後の緑の大ガエルを横にかわすと、大河の淵に出た。
宵闇と雨に覆われ、果てしない濁流の対岸はわからない。
すぐ後ろにカバが突撃してくる。
またも魔力の波が放射される。連射のせいか、初めの頃よりも波が弱まっている。
それでも防御できるレベルじゃないけれど。
ぱりっと音が鳴り、電撃が来る。
イライザが旋回しながら、僕の目の前を横切ろうとしていた。
「飛んでッ!」
ライラが大地を蹴るのに合わせて、僕も血を踏み台になんとか飛び出す。
僕の中の歯車が噛み合い、ライラと共にイライザの飛行騎兵へと飛びつく。
これまでで一番《血液操作》と神聖魔術を一緒に使えた気がする。
カバはーーそのまま止まることなく河へと沈んでいった。
身体の半分が大河に飲まれるとき、雷撃がそのまま放たれる。
自滅行為だ。茶色の水面が弾け湯気が立つ。
カバはそのまま全身が河へと消えていった。
浮き上がっては来ない。まだ手を繋いだままのライラが呟く。
「……死んだのですか」
僕の胸にあるレプリカの光は、弱まることなく輝いている。
「わからない……けど、多分やり過ごした」
飛行騎兵は三人分の体重を支えるようには育てられていない。
段々と高度が下がっていく。
岸に戻りながら、僕はカバの魔術の跡を見る。
結局20体近くのモンスターが雷撃の魔術で死んでいた。
「奴も魔力を大分使った。……仕切り直し、だと思う」
すでにカバの嵐のような魔力の気配はない。
モンスターもあらかた、仕留め終わったようだ。




