カバ
ずしりと大地が揺れた。
揺れるたびに泥とモンスターの血肉が混じる、不快な響きがする。
すでに戦いが始まってから夜へとなっていた。
雨と暗がりで、モンスターの群れを見通すことはできない。
それでもーー魔力の波と大気を伝う存在感が、確かに予感させる。
一歩ごとにそれが近づくにつれて、鳴動は大きくなっている。
鳴り響く音が、それが巨大であると告げていた。
見れば、鉄盾隊も周りのモンスターも動きを止めていた。
それまでの喧騒が静まり始め、雨音がざぁざぁといやに強く不気味に耳に入ってくる。
中空にモンスターの青い瞳が浮かぶ。
それの瞳だ。
並のモンスターの二倍の高さにある。
まるで青色の松明のように、ゆらりと上下しながら近付いてくる。さながら建物の二階から、灯りが掲げられているに等しい。
濡れた巨体が段々と明らかになる。
それは、巨大な赤紫の肌をしたカバだ。
ぎょろりと青い瞳を動かし、カバは僕達の陣を見つめていた。
魔力の波動は針山のように鋭く、僕の感覚を刺している。
「やはり奴か……来ていたか!」
ガストン将軍が叫び、クロスボウを構えて射つ。
「どうじゃ……!」
これまでモンスターの肌を貫いてきた矢は、カバの頭部へと飛びかかる。
カバは少しも動じず、鼻先で矢を受け止めようとする。カバの眼前に魔術の盾が一瞬、中空に浮かんで消えた。
鈍い金属音が鳴るものの、全くクロスボウの矢は刺さらない。
鉄板に弾かれたかのように、矢はひしゃげて落ちる。カバは平然としている。
「信じられない……!」
飛行騎兵も相手が相手のために、手を出せずにいる。
今のところ恐ろしい威圧感以外に、カバは何もしていない。
ただ、歩いて河から上がっただけだ。
カバの青い瞳が燃え上がり、細められる。
「来るぞい!」
ガストン将軍のかけ声に、とっさに防御する。
カバから放たれた魔力がばちりと弾け、稲妻のように走り抜ける。
間違いなく、電撃の魔術だった。
青白い閃光がカバの肌から、足元へと放たれる。
そのまま周囲をなめ尽くすように、電撃が爆ぜる。敵味方関係なく、巻き込んでいた。
「ぐっ……! 無茶苦茶なやつだ!」
つんとした痺れが全身を駆け抜けた。
まずい、僕の血を逆流して電撃が流れ込んでくる。
《血液操作》している限り、避けられない。
頭がくらくらする。
痛みよりも麻痺がひどい。身体に力が入らなくなる。
しかし致命傷にはほど遠い。
本気でないのか、雨のせいで拡散しているせいかもしれない。
だけれど集中が維持できない。
僕の作った血の壁は崩れて、液状化し始めた。意識がぶれているからだ。
上空の飛行騎兵も魔術でカバを攻撃するものの、効果があるようには見えない。
多分、このカバの魔力はかつて戦った大司教級の強さだ。
宮廷魔術師の魔術でも有効打にはならない。
残るは近接攻撃しかない。
ガストン将軍が大斧を持ち、構えている。
ライラが戻っていれば心強かったけれども。
「……大物ですね」
「ライラさんッ!? 向こうは……」
かたわらにはライラが立っていた。
肩で息をしているが、目立った外傷はない。
モンスターの青い返り血が所々についているくらいだ。
それよりも全身から放たれる殺気の方が凄い。
「まだ終わってはいませんが、とてつもない気配がするもので……加勢に来ました」
「わかった……僕も戦う」
僕は立ち上がり、血の流れを制御する。
モンスターの群れは僕達よりも近くから電撃を食らっている。
今のところ、モンスターの群れが仕掛けてくる様子はない。
カバはゆっくりとモンスターを踏みつけに近づきつつある。
もうあと少しで血の壁へと到達する所だ。
有無を言わさぬ威圧感に、絶大な魔力。
僕はアラムデッド王都で対峙したクラーケンを思い出さずにはいられなかった。
いままではいつの間にかいなくなったりしたようたけれど、仕留めるに越したことはない。
血の壁から血の鎧へと意識を切り替えて、僕は血の鎧を身にまとう。
ついでに血の剣も作り出し、構える。
「ほうほう、剣に鎧とな……! ジル様も前に出なさるか!」
ガストン将軍は貴族ではなく、戦場に生きる騎士だ。戦えるものが立ち上がるのを止める男ではない。
「ジル様、危なくなったら下がってくださいね」
ライラが疾風のように駆け出す。武器は持たず、飛び跳ねるようにカバへと立ち向かう。
「おお、なんという健脚! 負けてはおれん!」
ガストン将軍も腰に力を入れて、大岩が転がるような突進を仕掛ける。
ぶつかる物全てを打ち砕く力強さがある。
(血よ……僕の身体を動かせ。限界を超えて……!)
僕も踏み込んで走り出した。
カバの目の前には僕の血が広がっている。
すでに戦場の血の量としては十分すぎる。
意識を滑らせて、血の壁から足場を生み出す。
ライラはすでにモンスターの群れに一撃を食らわせ、カバの斜め後ろに回り込んでいる。
死角から頭部へと殴りかかるつもりだ。
ガストン将軍はカバの脚を切り落とさんと、一直線に突っ込んでいる。
僕はガストン将軍を追い越し、血の壁から血を繋いで飛びかかる。
人間離れした跳躍も、血を操作してバネが飛び出すようにすれば可能だ。
三方向から一斉に、僕達は攻撃していた。




