前代未聞のVIPゲストが訪れた(後編1)
「お楽しみいただけたでしょうか?」
ヴァールはその声の方に振り向き、そっと微笑んだ。
「ええ。おかげ様で楽しませていただいたみたいです」
そんなヴァールの返しに声の主である玉藍は少し困った様な笑顔を浮かべた。
「お子様だけでなくヴァレリア様自身もお楽しみいただければもっと良かったのですが……力不足で申し訳ございません。ああ申し遅れました。ここから先は先程の夜風に変わり蓬莱の里の長を務める私玉藍がお相手致します」
そう言って玉藍はゆっくり頭を下げた。
「……いえ、私はそういうのは」
「ええ。存じております。ですので、此度はそういう事のお相手が出来ない私がこの場に来させていただきました。ですので、ご安心下さい。代わりにどれだけ望まれても、そういうのは別の方が務める事になりますが」
その言葉にヴァールは安堵したような穏やかな笑みを浮かべた。
「なるほど。ええ、確かに。里長がそういう事をする訳にはいきませんものね」
「……ええ、そうですね。確かに私、里長ですからね」
玉藍は何故か楽しそうに微笑み、新しい盃を用意しお酒を注いだ。
「頂きます」
ヴァールは言われるままに盃を取り、そっと傾ける。
それは、今までの酒とまるで異なり、ヴァールは目を見開いた。
美味いとか不味いとかそういう事ではなく、ただ単純に度数がとんでもなく高く喉にかき鳴らす様な衝撃が轟いた。
「これ……私じゃなかったら大事になってません?」
これを水と思って飲めば他種族ならきっと噴き出すだろうなんて思いながらヴァールがそう言うと、玉藍は微笑んだ。
「この位でも、純血の方々にはまだ水の様なものでは? 痛みなどない酒に酔えない。ではないですか?」
「おや。その素振りを見ますと、もしや私以外にもどなたかと出会った事が?」
「ええ。少々昔に」
ヴァールはその答えに少し驚いた後、優しく微笑んだ。
「その時の事をお話願えませんか? 同族の話は私達にとってなによりの娯楽ですから」
「もちろんです。あれは……いまより二千年、いえ三千年位前ですかね……。すいません。ちょっとうろ覚えでして」
「わかります。五百年より前の事って何となくしか出て来ませんよねぇ」
ヴァールは同意する様に頷き微笑んだ。
「そうなんですよねぇ。それで、丁度この里に迷い込んだ方がいらっしゃいまして。確か……白金と名乗っておりました」
「ふむ。その名前の方を私は存じないですが……」
「あら? ではもしや詐称でしたか?」
「いえ。純血を名乗る様な命知らずはいらっしゃらないと思いますのでたぶん偽名なのでしょう。良くあるんです。何となく自分以外の名前を使って旅をするというのは私達にとっては」
「なるほど。ちなみに、お酒の好きな方で度数五十以下のお酒なんてのはただのお水で、本物は百を超えてからいかに辛く苦しく美味くするかとおっしゃっていらっしゃいました」
「……ああ。何となく、どなたかわかりました。ええ、その方でしたら間違いなく純血です」
「それは良かったです。白金様は今どこに……」
ヴァールはそっと首を横に振った。
「……そうですか。もう一度来ていただいた時用に、とびっきりのお酒を用意していたのですが……」
「亡き同胞に代わり、私がお礼を言わせて頂きます。ありがとう。彼に良くしてくれて」
「いえ。……供養という訳でもないですが、せっかくのご縁ですしそのお酒どうですか?」
「遠慮しておきます。彼の為に用意した酒はちょっと……。飲むと恨まれそうですし、何より強すぎてたぶん味がわかりません」
「ですよね。用意しておいた私もあれはお酒と呼ぶより着火剤と呼ぶべきだと思ってますし」
そう言ってくすくす笑う玉藍にヴァールは釣られ笑みを零した。
「今更なんですが、里長として私はヴァレリア様に深くお礼を申しておかないとなりませんよね」
静かに盃を傾けこれからどう過ごそうか考えていたヴァールは、盃を置いて玉藍の方に目を向けた。
「はて。お礼を言われる様な事をした覚えはありませんが?」
「おやそうですか。では三度程誰も倒した覚えのない襲撃者の残骸が発見されたのはどうしてでしょう」
「さあ。どうしてでしょう? ただ、私は三度ではなく四度じゃないかなと思っています」
その言葉に玉藍としても少し予想外だったのか、少し驚いた後申し訳なさそうに深く頭を下げた。
「ありがとうございました。ただ、知らないという事ですのでこれ以上は申しません」
「ええ。そうしてください」
ヴァールは変に押し入ってこない上胡麻も擦ってこない事を喜び、上機嫌に盃を手に取った。
「ちなみにですが……クロスさんは連絡なしのその四度の敵壊滅騒動を我が里の謎の隠密集団忍者であると思って大変興奮しておりました」
ヴァールは飲んでいた酒を噴き出し咽そうになった。
「そ、それは……ふふふ。じゃあそういう事にしておいてください。その方が面白そうですから」
「わかりました。そういう事にしておきます」
「ええ。ところで、忍者って本当にいるんですか?」
「さあ。それは私の口からは何とも」
そう言って玉藍はいたずらっ子の様に笑い、何時もの様に明確な答えを避けた。
「お礼という訳ではないのですが、お酒の肴に一曲どうでしょう?」
そう言って、玉藍は琵琶を持って見せた。
「ほぅ。良いですね。とは言え、腐っても吸血鬼で純血。私共は芸術には少々煩いですよ?」
そんなヴァールのちょっとした挑発、ハードル上げを気にせず、玉藍は微笑み受け流した。
「ええ。もちろん承知です。芸者でなくなった私がわざわざ出しゃばって来たのはこれが理由の一つでもありますので……どうぞごゆるりとお楽しみください。
そう言葉にし、琵琶を構える玉藍。
それを見てヴァールは盃を片手に目を閉じた。
それは大昔の唄、語り継がれる教訓、多くの者が知るこの里では有名な話。
ありきたりで、陳腐で、子供に聞かせると退屈という声が飛び出る様な内容。
ただし、それを玉藍が唄うと作り物の話とは思えない程物語は真に迫り、またヴァールが聞く事により話の重さは一気に跳ね上がる。
それはそんな唄――。
それは、人魚の肉を食べてしまった女性の話――。
始まりは、ただの飢え。
飢饉により空腹で飢え、食べる物がない中、その女性はつい魔がさして、網にかかった人魚の肉を食べてしまう。
それにより、女性の体は不老不死の身となった。
健康で頑強で、そして傷付いても治る体。
体が弱く飢えてやせ細っていた女性はその体を大層喜び、その力を苦しむ皆の為に使おうと考えた。
誰かの為に生きていきたい。
誰かの役に立って生きたい。
そう考えた末の選択。
そして、それからの女性の人生は栄光そのもので、間違いなく幸せの絶頂期だった。
飲まず食わずで動けるその体を使って多くの魔物を救い、幸せにし、その女性は褒め称えられた。
皆に感謝され、迫害などされず大切にされ、そしてその果てに、愛し合う男と出会えた。
誰も飢えない環境を作り上げてその中で子供を残し、皆で支え合って生きていく。
それは、間違いなく幸せの頂点だった。
だが、……女性が幸せなのはそこまでだった。
夫が死んだ。
寿命だった。
女性は悲しんだ。
子供が死んだ。
また寿命だった。
女性は悲しんだ。
それでも、女性はまだ生き続けた。
生き続けなければならなかった。
長い時間は女性の悲しみを癒し、そして新しい夫を作った。
子供を作った。
だけど女性はまだ死ねず……また、夫に、子供に先に死なれた。
悲しかった。
だけど、最初の時よりは、悲しくなかった。
それを繰り返す度に、大切な誰かを失う度に悲しさは薄れていき……最後には、誰かを愛するというそんな当たり前の気持ちすら忘れてしまった。
長く生き過ぎた女性は、普通に生きる事すら出来なくなってしまっていた。
世界は何も変わっていない。
誰かが生まれ、死ぬ。
それは自然の摂理である。
変わったのは……女性の方。
人魚の肉を食べてしまった時から、女性は世界から外れてしまっていた。
喜怒哀楽という気持ちを感じる事が薄れていき、日々感情が死んでいく。
退屈を苦痛と思う事が徐々に増えていき、生きている訳ではなく、ただ死んでいないだけで惰性となり切った生涯。
過去が輝かしかったからこそ……女性の心が傷を増やしていった。
大きな幸福もなく、堕ちる様な絶望もなく……その日々は、ただ乾くだけの日々。
ある日、女性は最初に愛した男の事を思い出そうとしたのだが……その顔どころかいつどんな出会いをしたのかすら思い出せない。
そして、それに悲しむ事すら出来なくなった自分が、酷く惨めな存在に堕ちた様に、感じた。
他の誰かがこれを唄ったところで、それに大した意味はない。
所詮長く生きた事のない者にその悲しみは、その苦痛はわかりえないからだ。
他者から見れば永久とも言える時を生きた玉藍だからこそ、その唄には多くの意味が、感情が込められていた。
生きる事が、渇く事。
餓える事に怯えず、消える事を望み、日々を地獄と感じる事。
そんなシンパシーを唄に、声に感じたヴァールは、玉藍の方をじっと見つめた。
「……君は、私達と一緒の様だ」
「いいえ。貴方がたほど私はまだ生きておりません。ただ……自分はこの里では一番長生きなのは確かですね。ですから……ほんのわずかですが、その気持ちはわかると思います」
そう言って、玉藍は悲しそうに微笑んだ。
その笑みは、仲間達が良くしていた笑み。
笑うしかない悲しみの笑み。
悲しい気持ちを押し殺し誰かの為に作る笑み。
その曲が、その玉藍の生き方が、ヴァールに一筋の涙を流させた。
共感か、同情か、憐憫か。
歓喜か、友情か、愛情か。
何を玉藍に感じたのか、自分でもわからない。
わからないが、ヴァールの片目は涙をほんの一滴だけ落とす。
孤独と消失による苦しさ、辛さ、寂しさ。
そんな気持ちの涙。
それが決して悪い物ではないと、ヴァールは知っている。
本当に怖いのは、悪いのは、悲しむ事ではなく悲しめなくなる事。
枯れ、渇き、飢えを忘れる事。
生きる事に、意味や意義が見いだせず惰性となって行く事。
その人魚の肉を食った女性の様に。
そんなヴァールが、純血種がただ歌を聞いただけで涙を流せる程感情が動いたというのは、奇跡にも近い。
悲しむ事が出来る分だけ、今、確実に、ヴァールの心は癒されていた。
「同族の事を除いて、こんなに心が揺さぶられたのは久方ぶりですね……」
「純血の方でも満足行く演奏でしたでしょうか?」
若干挑発的に尋ねる玉藍にヴァールは苦笑いを浮かべ頷いた。
「ええ。そうですね。認めるのが悔しいなんて感じる位には良い演奏でしたよ」
「ありがとうございます」
玉藍の勝ち誇った満足そうな顔を見て、ヴァールは悔しいと同時に深い感謝と、感動と、そしてその技量に対しての尊敬の心を覚える。
自分の中にある様々な感情がまだ残っていた事に、死んでいなかった事にヴァールは少し驚いた瞬間だった。
「アンコールは募集していますか?」
「ええもちろん。どの様な曲をご希望でしょうか? そこまで上手ではありませんが、『ぴあの』や『ぎたー』など一般的な楽器での演奏も出来ますよ?」
「いや。楽器も曲も君の得意な物で構わないよ。ただ、今度は明るい曲が聞きたい。暗い曲を聞くと気持ちが滅入るからね」
滅入る程の気持ちすら持っていなかったヴァールの言葉に微笑みながら頷き、玉藍は幾つかの曲を披露した。
鬼を退治する鬼の話。
勇者と一騎打ちする英雄の話。
ドジでおっちょこちょいな吸血鬼親子の話。
輝かんばかりの美しい海の話。
玉藍が演奏をする間、ヴァールは盃に手を付ける事すら忘れる程真剣な顔でそれらの曲に聴き入り続けた。
ありがとうございました。




