来訪者が楽しんでいるその裏で(中編2)
クロスとエリーが見張りを始めておよそ三十分。
その間誰かが近づいた痕跡すらなく、ただ穏やかな時間だけが過ぎ去った。
見張りの間力を抜き、今にも鼻歌を歌いそうな穏やかで楽そうな表情のクロスとエリー。
何だったらその間ちょっとした雑談すらあった。
それを遠目に見れば、きっと見張りをサボっている様に映るはずだ。
何故ならば、見張りというのは一瞬の油断も見逃しも許されない過酷な仕事でそんな気楽に行えるものではないからだ。
だが、彼らはサボっている訳ではなく、当然油断すらしていない。
これが彼らの最も集中出来る手段で、長い時間常に最大限スペックを発揮する方法。
意識を緩めずそれ以外の部分を脱力しているだけである。
常にトップギアではなく普段はニュートラルですぐギアを入れられる様に備える。
それはクロスがかつての仲間達に教わった大切なものの一つだった。
ちなみにエリーはクロスがやっているのを見様見真似で試したら同じ事があっさり出来た。
自分が苦労して覚えた事をあっさり真似されたクロスは才能の壁の様な物を感じたが、自分の従者が優秀になるのは良い事だから特に嫉妬も覚えず素直に褒め喜んだ。
「んー。これで三十五分か。エリー。特に異常なしだよな?」
クロスはそうぽつりと呟くとエリーは首をそっと横に振った。
「いえ。お客様ですよ」
「ん? どこかに現れたか?」
そう言ってクロスは睨む様に望遠鏡を動かすが、特に敵影は見つからない。
望遠鏡の外からかと思っているクロスにエリーは手を横に振った。
「ああいえ。そっちではなく、本当の意味のお客様です」
その言葉と同時に、背後の方からドンドンと戸を叩く音が響き、クロス達が返事をするまでに乱雑に戸が開けられた。
「おーい邪魔するぞー!」
その大きな声にクロス達は聞き覚えがあった。
元気の良すぎる問題児。
青竜門正規門番長で、この里で最初に出会った鬼、己龍雲耀。
乱雑で適当だが竹を割った様なさっぱりした性格だけど、同時に少々好戦的な男。
その雲耀がにこやかな顔でクロスとエリーに挨拶をした。
「よっ」
「よっ。雲耀かー。どした? 仕事は良いのか? 今忙しいだろ?」
「ははははは。俺がお偉いさんの接待に関われると思うか?」
「思わん」
開幕喧嘩を売られたクロスは正直にそう答えた。
「だろ? という訳で俺は暇だ」
「そうかい。んじゃここに来たのは遊びにか? 俺らは当分忙しいんだけど」
そんなクロスの言葉を聞き、雲耀は獣の様な笑みを浮かべた。
「そんなつれない事言うなよ。何が来るかは知らんが、でかい祭りが近いんだろ? 暇なんだよ。楽しい遊びには俺も混ぜてくれよ」
雲耀は独特の嗅覚に近い鋭い感性を持っていた。
激しい戦いが近いという、そんな感性を。
雲耀の言葉にクロスは苦笑いを浮かべ、そっと頷いた。
「ま、お前の使い道としちゃこれが一番正しいかもしれんな。実力も戦い方も良くわかってるし。だけど良いのか? 門番長が正面から最前線の鉄火場に出て。里長に次いで偉いんじゃないのか?」
「おいおい今は里長よりも偉い立場にいるお前がそれを言うのか?」
「……確かにそうだった。俺が言う事じゃねーな」
「ついでにいやさ、門番長ってのは逆に前に出てなんぼの職だぞ。強い奴を後ろの置物にして何とかなる程ここは平和じゃないからな」
「そりゃそうか。……うん。そうだよな。それが普通だよな」
また一つ、人間が魔物に勝てない理由が見つかり複雑な気持ちでクロスは苦笑いを浮かべた。
人間界で貴族として育った者は高等教育を受けられる。
その教育の中には戦闘に特化したものもある為、当然貴族の中にはとんでもない程強い者もいた。
魔法が使える者が、特別な力を持つ者が、特別な武器を操る者達が貴族には多くいた。
だが、その彼らの大半はまともに戦いを経験する事なくその生涯を終える。
人類の中で魔物との戦争を主に担うのは兵士であり、冒険者。
その兵士や冒険者達と比べても、戦う為の教育を受けた貴族達は決して劣っていない。
むしろ幼い頃からの英才教育と才能を徹底的に伸ばした彼らは実戦経験以外は並の冒険者よりも遥かに優れているとさえ言っても良かった。
だけど、彼らの大半ははるか格下のちょっとした魔物排除位しか戦わない。
何故なら、彼らが尊き血の持ち主だからだ。
それを間違いだと言い切るつもりはない。
ないのだが……それでも、強き者が戦い実戦経験を積むというシンプルながら間違いのない真理を実践するこの里を見ると、どうしても心にもやの様な物がクロスの中に残った。
「……ん? どしたクロス?」
「いや……何でもないさ。それでもう一つ、訊ねても良いかい? つか訊ねる」
「ん? 何だ?」
「後ろにいる美女はどこのどちら様? 彼女とかほざいたらちょっと怒りの炎がメラメラと燃え上がるけど」
「はっはっは。これを見て、この様子を見て最初に言うのはそれってのはやっぱりすげぇわお前」
そう言って雲耀は引きつった笑みを見せる。
クロスは首を傾げた。
美女を見たら嬉しいと思って、それがフリーならもっと嬉しいと思って、誰かの彼女なら嫉妬しながら羨ましがりながら褒め称えて。
それがクロスの当たり前だからこそ、それをわざわざ凄いと言われる理由が良くわからなかった。
クロスはちらりと、出来るだけ厭らしくならない様雲耀の後ろにいるエント族っぽい、植物の混ざった姿をしている女性型魔物に目を向ける。
厭らしくならない様に心がけようとはしているが……それでも最初に眼が行くのは豊満なその胸だった。
初対面の女性相手にそういう目を向けるのが失礼な事は、良くわかっている。
わかっているのだが……それでも、そのはだけた様にすら映る着方をした着物の隙間から見える零れそうな大きな谷間から、クロスは目を逸らす事など出来る訳がなかった。
次いで目がいくのは、その綺麗な顔。
玉藍の様などこか妖艶で不可思議な雰囲気を持ち、同時に穏やかで深みのある表情。
まるで全てを見通していそうな――そんな顔。
紙と木だけで出来た傘を持ち、着物を着ているはずなのにやたらと露出が多く、堂々としてそれを隠そうともしない。
茶色がかった緑色の長い髪はところどころ木の葉になっており、同時に人と同様の肌色の肌から木の枝が生え硬質化している。
再度見ても、やはりクロスの感じる印象は成熟した色気むんむんの妖艶で綺麗なお姉さんという感じだった。
例えその植物族の魔物が雲耀よりも強そうな気配を放ち、明らかにこちらを威嚇し挑発する様な力を誇示しこちらを馬鹿にする様な圧を放っていたとしても……それでも、クロスにとって重要なのは力ではなく、その妖艶な外見の方だった。
「彼女じゃないなら紹介してくれ。というかしろ。ああ、彼女じゃないけど嫁とか許嫁とかそういうのだったら笑顔で殴る」
「……いや、それは……うん。こいつとはそういう感じじゃないから安心してくれ。ぶっちゃけ居合わせただけだし。自己紹介は自分でしてくれ。同格なのに俺が紹介するのも変な話だろ」
雲耀の言葉に微笑みながら頷き、その女性は雲耀の横を歩き一歩前に出てクロスの方を見た。
「初めまして」
そう言葉にし、傘を畳んで彼女はそっと頭を下げる。
それでなお胸の谷間が強調され、じっと眼で追うクロス。
その様子を見て、その女性はくすりと笑った。
「それが演技だとしたら……ええ。本当に大したものですね」
「はい? 演技って?」
「その様に、まるで色に目がなくて何も考えていない男性の振りをですよ。これだけ挑発していますのに……そんなつれない態度で堂々とされたら……ええ、少し困ってしまいますね」
そう言って微笑む女性。
その様子を見てエリーと雲耀は苦笑いを浮かべた。
「いや、つっても別にただ力を見せてきてるだけだし。敵意か邪気がないなら別にどうでも。あ、超強いってのはわかるよ?」
「……いえ、失礼しました。元勇者と聞きつい試してみたくなってしまいまして。どうかご無礼を」
そう言葉にし、女性は先程まであった圧の様な物を、自らが強者であるという事を押し付ける様な威圧を止め深く頭を下げた。
「いやいや。お構いなく」
そう言葉にするクロスの目は、相変わらず谷間の方。
その様子にエリーは大きく盛大に溜息を吐き、雲耀は楽しそうに微笑んだ。
「あの……もしかして……演技、とかでなく、素でした?」
女性の言葉にエリーだけでなく雲耀も大きく頷き答えた。
「……十割素です。真に申し訳ありません」
エリーの言葉を聞き、女性は目を丸くした後優しく微笑んだ。
「では改めて謝罪……と、お礼を」
「お礼?」
「ええ。不甲斐ない私達の代わりに働いてくれる事に対しての礼を。申し遅れました。私この白虎門の門番長をさせていただいている扶桑天木神樹と申します」
「……あのさ、もしかして門番長って外部から来た強そうな魔物を試さないといけないみたいな、そんなルールあったりする?」
出会った門番長三体中三体に喧嘩を売られたクロスはそんな疑問を持ちそう訊ねる。
あと一体でコンプだななんて能天気な事を考えながら。
過去やらかした雲耀と今やらかした扶桑はクロスの立場から考えた現状があまりに申し訳なくて、深く頭を下げた。
「強者と聞けば挑みたいと思う様な方々が多いのは確かです。はい……私の場合は少々違いますが……」
「うん。えっと……何て呼べば良い? どこまでが名前で苗字?」
「名前はこう……植物名であり種族名みたいなものですのでで特に名前とかそういうのは……。強いて言えばわかりやすいので扶桑と呼んでいただけたら」
「んじゃ扶桑さんは、さっきまでの様子を考えるなら俺より強いよね?」
「どうでしょう。私などまだまだですから」
そう言葉にする扶桑だが、その顔は決して否定しておらずむしろ自負に溢れていた。
目に見える強さが全て正しいという訳では決してない。
かつての仲間で言うならメリーは一般人程度の強さしか見えないしソフィアは実力の何百倍もの力を出せる為一見では強さは絶対にわからない。
だから一概に強弱は風格、雰囲気ではわからないのだが……それでもクロスは理解出来た。
扶桑と名乗るこの女性は自分より遥か格上の実力者で、過去どころか今の自分と比べてもなお壁がある様な存在だと。
あくまで所感で尚且つ感じられる範囲でだけだが、目の前にいる扶桑はアウラよりも尚上の存在である様に感じられた。
「門番長ってのはな、結構代替わりが多い。下剋上がしょっちゅう来るのは当然だが、任務の都合で負傷や死亡が多いからってのもある。んでついでにいや強弱や数、めんどくささに違いはあるがそれでも総合的に見ると侵略者の実力は四聖門全て同じ位で、消耗率は横並びだな。そんな中で、その扶桑はもう何百年も門番長を続けている。つまり、そういう事だ」
クロスは雲耀の言葉が良くわからず首を傾げた。
「つまり?」
「扶桑は化物」
「もっとわかりやすく」
「俺が挑みたいと思わない位には強い」
「それはやべぇな。ちなみに雲耀。今ここに来てるお客様は扶桑より強いぞ」
「まじかよ絶対挑まねぇ。……いや、逆にそこまで強いとちょっと気になるな」
そんな出会った頃から何にも変わらない雲耀の言葉に苦笑いを浮かべた。
「それで扶桑さん。えっと」
「扶桑で構いません。こちらは何と呼べば?」
「こちらもクロスとでも呼んで下さい。出来たら親しみを込めて」
「いえ。名代様を呼び捨てには」
「俺はその方が嬉しいんですけど」
「そう、なのですか?」
「ええ。こんな素敵な女性とお近づきになりたいってのはまあ、男として当然ですから」
きりって擬音が聞こえそうな決め顔を作りながらそう言葉にするクロス。
それに対して呆れ顔をするエリーを後目に扶桑は微笑んだ。
その微笑みは嬉しいや楽しいでは決してなく、親の様な目線での微笑ましい表情だった事は、クロスにとって少々悔しい事実だった。
「んじゃ扶桑。ここに来た要件は? 門番長としての責務? それとも、やっぱり俺達だけじゃ不安だった?」
「いえ。一つは先程の通り、私の実力を見て貰った上でどう反応をするのか見たいという身勝手な物です」
「そか。それで俺はお眼鏡に適いました?」
「悔しがるか、反発するか、逆に諦めるか。と思っていましたが……気にもされなかったとはちょっと思いませんでした。ですので、ちょっと評価は出来ませんね」
「そりゃ残念。次の機会を待ってますので是非どんどん俺を試してください」
そう、良いところを見せて仲良くなりたいクロスは言葉にした。
自分よりも強い力を持つ相手が挑発する様に力を見せつけ威圧するというのは少々のストレスではない。
特に、自分の力に自負がある魔物からしたら尚の事だ。
だからこそ、扶桑は見てみたかった。
勇者の仲間が、賢者と呼ばれる男が、魔王の名代であるクロスが自分より実力が上の相手に挑発され馬鹿にされた時、どの様な反応をするのか。
権力に物を言わせて自分を貶めるのだろうか。
逆に取り込もうとするか。
はたまた……里の同胞達の様に向き合う事を諦めるのか。
だが、クロスはそのどれでもなく、力を向け挑発した事なんて気にもせず口説く様声をかけてきただけだった。
そもそも、クロスにとって実力が上の相手を目にするなんてのはしょっちゅうだった。
特に前世では勇者の仲間で一人だけ実力不足で生きて来たのだから、一々その程度の事を気にする訳がない。
ついでに言えば、クロスにとって実力が違うというのは本当にどうでも良い事であり、本当に重要な事はそれではない。
目が覚める様な美女が、自分に興味を持ちかかわろうとしてくれている。
それこそがクロスにとって最も重要で、最も大切な事である。
例えそれが馬鹿にされてだとしても、例えどの様に扱われていようと、そこからのワンチャンがあるならそれで良く、そしてそれを狙わない訳がない。
要するにだ、クロスの言葉には今のところ、一切の裏がない。
本当に、言っているそのまま以上の事をクロスは一切考えていなかった。
「……いえ。名代で私の代行様をこれ以上試すのは流石に気が引けます。ただ、お詫びも兼ねて少々恥ずかしいですが、クロスと、望まれる様呼ばせて頂きます」
若干照れる様子の扶桑を見て、クロスはぐっとサムズアップをしてみせた。
「……良いね! ありがとう扶桑。これからよろしく」
「はいよろしくお願いします」
そう言葉にし、扶桑はぺこりと頭を下げる。
今度は谷間が見えない様器用に隠しながらのお辞儀だった為、クロスは少しだけがっかりした。
「ちなみにもう一つの理由はさきほど言いました通りお手伝いをして下さった事に対しての感謝を示しにです。申し訳ないですが私も忙しくあまり時間が……っと、そうでした。少し話しすぎてしまいました。こちらは差し入れです。失礼ですが次の仕事が押してますので私はこれで」
そう言葉にし、扶桑は戸の方に移動した。
「扶桑」
クロスに呼ばれ、扶桑は足を止め後ろを振り向いた。
「はい。何でしょうか?」
「今度ゆっくり話せる?」
「それは、どの様な理由で?」
「綺麗な君と話したい。ぶっちゃけただそれだけ。もちろんそれ以上も望んではいるけど」
「……ふふ。そこまで正直ですと女性の方は引きますよ?」
その言葉にクロスは苦笑いを浮かべ後頭部を掻いた。
「そういう駆け引き苦手だしそもそも俺育ちも悪いからな。もし不快にさせたらごめん」
「いえいえ。では……一区切り付いたら一緒にお茶を飲みましょう。ただし、そちらの従者様も一緒にですが」
「ちょっと残念だけど、それはそれで嬉しいから楽しみだ。じゃ、またその内よろしく」
「ええ。では、失礼します」
そう言葉にし、扶桑はそっと見張り台を去っていった。
「……お前、まじで勇者だな」
雲耀はぽつりとそう呟いた。
「ん? そうだぞ? 厳密に言えば元勇者の仲間だからちょいと違うが」
「いや、そういう意味じゃなくて……まあ良いや。とりあえず見張り……の前に差し入れ食おうぜ。何か食い物だろ」
雲耀の言葉に頷き、エリーは渡された包みを開ける。
そこには竹を利用して作った水筒と竹ひごを使って作られたお弁当箱が入っていた。
ありがとうございました。




