起死回生の一手
朱雀門、朱雀街での交流はクロスにとって非常に新鮮な気分となるようなものだった。
というのも、誰もクロスが元人間である事も元勇者である事も気にもせず、それどころか賢者である事すら気にしない。
その上で、そこらにいるただの魔物としてではなく、とても有名で凄い魔物として周りがとにかくちやほやする。
クロスは小心者で、小市民である。
だからこそ、ちやほやされるというのはとても嬉しい。
それも、虚名ではなく自分自身が。
そんな経験は今までなく、クロスにとって鼻が伸びる程にそれは嬉しい事だった。
知らない誰かから話しかけられて、喧嘩を吹っ掛けられて。
食べ物屋で奢られて、喧嘩を吹っ掛けられて。
門番詰所に呼ばれて乱取り訓練という名前の喧嘩が始まって。
ちやほやされるうちの五割……いや七割が喧嘩を吹っ掛けられるという事態であったがそれでも概ね満足だった。
ちなみに、勝利数は覚えていないが、敗北した数は明確に覚えている。
二度。
一度目は、火伏のリベンジに破れた。
火伏との戦績は今のとこ三戦二勝一敗。
勝ち越してはいるが、それでも負けというのはどこか悔しいものがあった。
もう一つは全く知らない朱雀街の住民。
ただの住民だが予想以上に強く、その上完璧に油断をしてしまい敗北を喫した。
地味にだが、普通に悔しくて、伸びた鼻がぺっきりと折れ、その日クロスはいつもの訓練を少し念入りに行った。
朱雀門、朱雀街以外の周辺もクロスはエリーを連れてデート感覚で探索した。
流石に朱雀門周辺ほど極端な場所はなく、そちらでは喧嘩を吹っ掛けられる事はなかった。
食事や街並み、特色は四聖門で異なり、そこまで大きな里ではないにしては特色豊かで色々と楽しめた。
そんな里巡りをして過ごす事、一週間。
楽しい時間は過ごせた。
だが、目的は果たせていない。
この里をどうにか出来る様な案を、クロスは思いつく事が出来なかった。
玉藍が急須でお茶を入れているその横で、クロスは本を読んでいた。
玄武門付近で購入した本で、内容は歴史や風土について風変りな物を纏めた物。
早い話が噂話を集めたゴシップ物である。
「……ぎょくらんー。ここに書いてる殺生石って本当にあったのー?」
ぐだーっとした空気を醸し出すクロスの言葉に玉藍は微笑んだ。
「はい。ありましたよ」
「だよねー。ある訳……え!? あったの?」
「はい。ありましたよ確かに。もうありませんけど」
「まじかー。本当に書かれている様な物騒な石だった?」
そう、クロスは改めて記述されている文章を確認する。
殺生石という石は、大きさは漬物石位で傍に寄る者を全て殺していった、そんな呪いの意思を持つ石。
そんな内容が面白おかしく極端に記述されていた。
「そうですねぇ……。正直に言えば、そこまで物騒ではなかったですよ。性質が悪かったのは事実ですが」
「と言うと?」
「見えない斬撃や打撃に呪殺? らしき謎の力を使って周囲の魔物を殺すのですが……まあ、正直皆殺す事が出来る程強くはなく、ただ弱い魔物だけを殺すようなものでした」
「はー。つまり強い魔物には無害と」
「無害という訳ではないですが、腕をちょっと斬られるとか、頭に小石が当たった位しか感じません。相手が弱い程、威力が増す。そんな面倒な石でした」
「それって魔物じゃなかったの?」
「はい。魔物ではなく、そういう石でした」
「んで、その石は今どうなってるの?」
その言葉に、玉藍は頬を掻いて困った顔を浮かべた。
「えっとですね……その……」
「ん? 聞いたらまずい話なら聞かないけど」
「いえ。そう言う程の事ではなくて……まあ、ちょっと私その時怒ってまして」
「怒って」
「はい。その石にちょっと。ですので……その……」
「その?」
「叩き割ってしまいました」
「ふむ。叩き割った」
クロスの復唱に、玉藍はどこか恥ずかしそうに顔を反らした。
「うん。まあそういう事もあるよね」
深く突っ込むのも野暮……というか怖かったのでとりあえずクロスは同意しておいた。
「はい。ありますあります。ちなみに欠片は何かに使えるかもと言う事で先代魔王に贈りました。後は知りません」
「そかー。んじゃこの本ってのはあながち嘘だらけって訳じゃないのか。ねね、こっちに書かれた忍者ってのは本当に――」
「いません」
真顔で、真剣な様子で、玉藍は答えた。
「え? いやそんな強く」
「いません」
「えっと……」
「その様なもの聞いた事もありませんし存じておりません。ですのでいないんです」
「あの……玉藍様? あの……」
「いないんです。仮にいたとしても、私達はいないと言い続けなければなりません」
「……まじで? ……そうか……まじなのか……。うん。わかった。忍者はいない。もう言わないよ。ごめんな」
クロスはその玉藍の様子に納得したそぶりを見せ、真剣な顔で頷き、そう約束する。
土地を治めるにあたって綺麗事だけで済む訳がなく、必ず触れてはならない部分というのがある。
そして、それが、これだったのだろう。
そんなクロスの反応を見た後、玉藍は表情を緩め小さく噴き出す様に笑った。
「冗談ですよ」
そう呟く玉藍に、クロスはぽかーんとした間抜け面を晒した。
「え? ……そっか冗談か。……ん? どっちが冗談? え、いないってのが冗談で本当はいるって事?」
「さあ? どうでしょうかね?」
そう言ってくすくすと笑う玉藍。
面白がる様子は見せているが、これ以上聞いても答えてくれそうにない様な、そんな雰囲気だった。
クロスは苦笑いを浮かべ、小さく溜息を吐いた。
「すっかり、この味のお茶にも慣れたなぁ」
砂糖を入れない独特の風味のお茶。
紅茶が当たり前であったクロスには少々以上に馴染みのないものだったが、気づけばお茶をすすって飲むのが当然と思う程には、口に馴染んでいる。
それだけ長くここにいた……というよりは、単純にこれはこれで美味いのだと気付けたからだろう。
「お粗末様です。……色々、ありがとうございました」
「ん? 色々って?」
「桜花さんの事です」
「ああ。別に気にしなくて良いよ」
そう言ってクロスは微笑んだ。
クロスが足と喧嘩で稼いだ情報を使い、桜花の罰則である朱雀門の素行調査は予想以上にあっさりと完了した。
二十人の違反者を多いと見るか少ないと見るか、それは知らないしそれを考えるのは桜花やクロスではなく、里長の玉藍や門番長の火伏である。
これで桜花の罰則代わりの業務は終わり、無罪放免となる。
だから約束通り、桜花は里長の仕事を手伝う様になった。
たった魔物が一体増えただけ。
エリーを含めても、たった二体。
それでも、たった一体で全てを行っていた時よりは各段にマシな状況だった。
「ですから……だからこそ、無理はあかんよ?」
柔らかい表情で、玉藍はそう言葉にした。
「無理なんて別に」
「でも、無理しようと思ってるんちゃいますの?」
その言葉に、クロスはすぐには返事出来なかった。
「……すまん。何も思いつかなかった。諦めるつもりはない。ないんだが……」
諦めたくはない。
諦める気はさらさらない。
ただ、この里を救う方法を、クロスは全く思いつかなかった。
そりゃそうだ。
玉藍が必死に年単位で考えていた事を、余所者のクロスがそんなあっさりと思いつくわけがない。
そんな事は当然であるが、同時に玉藍にはもう一つ、分かっている事があった。
それは、たとえ無理な事であろうと、クロスという男は釘を刺しておかないと他者の為にどこまでも無理をする、そんな馬鹿な男だという事をである。
「ええんよ。頑張らんといけへんのは、あてらの方。よそ様があんまり張り切り過ぎたら、あてらの立つ瀬があらへんようになる。せやろ?」
そう言って、玉藍は微笑んだ。
それにクロスは何も答えない。
答えられる訳がない。
出来る限りの無理を繰り返し、その上で諦めた様な目をする玉藍に対して紡ぐ言葉を、クロスが持ち合わせている訳がなかった。
「……それでは、夜も更けて参りましたし、そろそろお暇致します。ではクロスさん。おやすみなさい」
口調を戻し、優しい微笑を浮かべ、戸の前に立ち玉藍はぺこりと頭を下げた。
「ああ……。おやすみ」
「はい。また明日」
そう言って微笑み、玉藍は急須や茶器を手にクロスの部屋を後にした。
それと入れ替わりに、エリーがクロスの部屋に入って来る。
まるで示し合わせた、というよりは、気配を読んでタイミングを伺っていたのだろう。
「失礼します。蓬莱の個室ってノックし辛いですよねぇ」
ドアではなく、引き戸である事を理由はエリーはそう呟き微笑んだ。
「ノックがあまりない文化……だったのだろう」
ドアがある家もそこそこあり、徐々に文化が混じりつつあるのを見ながら、クロスはそう呟いた。
新しい建物はどこか魔王城周辺の様な雰囲気で、古い家屋は昔ながらの雰囲気で。
アンバランスだけど、どこかバランスも取れている。
蓬莱の里とは、そういう街並みだった。
「エリー。さっきな、玉藍に無理するなって言われたよ」
「あらあら。まあクロスさんは無理する様に見られたんでしょうねぇ」
「ははははは。じゃあエリー。無理をするなって直接言われた俺が今、何を考えているかわかるか?」
「『良い女の為にする無理は無理じゃない』って感じですかね?」
きりっとした決め顔を作り、クロスの真似をしながらエリーはそう答える。
似てはいないが、軽薄そうな雰囲気だけは良く掴めていて、クロスは困った様な笑みを浮かべた。
「惜しいな。正解は『無理するなって言葉を困って苦しむ美女に言われたら、無理をしたくなるのが男ってもんだ』だな」
「はいはい。何時もの事何時もの事」
「そう、何時もの事だな。エリー、いけるな?」
その言葉に、エリーは頷いた。
そう、クロスはどうしたら良いかなんて思いつかないし、考える事も出来ない。
クロスには、蓬莱の里を救う方法なんて思いつくわけがない。
それが自分の事だからわかっているクロスは、最初からエリーに丸投げした。
クロスには無理でも、エリーなら出来ると信じて。
どんな無茶でも、どんな苦労も厭わないから、何か方法を考えてくれと、クロスはエリーに全てを託し、そしてエリーは持ち帰って来た。
その方法を、その手段を。
「ローリスクミドルリターンの案と、ハイリスクハイリターンの案。一応二つの案を用意させていただきました。いえ、用意したというよりは玉藍様の案をお借りしただけですが」
「どゆこと?」
「玉藍様が考えに考えたけれど実行出来なかった没案。そのうちの幾つかは、玉藍様には無理でも、クロスさんの立場なら出来るものがありました。つまり、そういう事です」
「なるほどね。んでエリー。そのリスクってのは、どこの誰が受ける、どんなリスクだ」
「リスクの対象は全てクロスさんです。例え失敗しても、蓬莱の里には一ミリも損は出ません。ただし、クロスさんには最悪の場合命すら失う覚悟をしてもらいます。というか、そういう案以外クロスさん認める気ないでしょう」
「おお、流石エリー。俺の事を良くわかっていらっしゃる」
その返しにエリーは苦笑いと溜息で答えた。
「はぁ……。お褒めに与り何とやらと。では内容の説明を。まずローリスクミドルリターンの方ですが――」
「ああ、そっちは良い。ハイリスクハイリターンで構わん。俺のリスクだけなら最大限被る。というか、それ位しないとうまくいかないだろ? 俺達がしようとしてる事ってのは」
「了解しました。では敬愛なる我が主。ハイリスク、ハイリターンの案について説明を……」
そう言った後、エリーはクロスに何をすべきか説明した。
それは、クロスですら理解が容易い程簡単で、単純な作戦だった。
クロスが理解出来る様かみ砕いた部分もあるにはあるが、それ以上にただ単純である。
大きな力を動かして、動力にし、流れを作り、立て直す。
経済とか内政とか、そういうもの全てに無知なクロスですら、これが成功すれば蓬莱の里を立て直す大きな力になると理解出来た。
ただ、だからこそ、その大きな力を動かすリスクはクロスが考えるよりも遥かに大きいものだった。
完全成功すれば、蓬莱の里を救うどころか魔王城以上に発展させられる可能性すらある。
だが、失敗の内容次第では何も変わらず、ただクロスの命を失うだけ。
そして、その可能性も十分以上に高かった。
「どうします?」
そんな、わかりきったエリーの問い。
それにクロスは微笑んだ。
「明日から動く。準備をしてくれ」
その言葉にエリーは微笑み、仰々しく、騎士として主に対し向ける最大限の敬意を込め、頭を下げた。
その翌日、クロスとエリーは大勢の見送りを背にし、蓬莱の里を後にした。
『すぐ戻る』
そう、言い残して。
ありがとうございました。




