結末を変える為に(前編)
玉藍の一日は仕事に始まって仕事に終わる。
その地位は既に国でないにしろ、魔王国よりある程度以上の独自裁量が与えられているのだから、やる事は普通の属国と大差ない。
そう、蓬莱の里が国扱いである以上、多くの民が暮らしている以上、正しく管理、運営しなければならない。
そして幸か不幸か、玉藍はそれだけの能力を持ってしまっていた。
玉藍が出来ないのなら、正直それで問題はなかった。
多少能力が低かろうと、代わりの誰かが里長をやるだけなのだから。
だが、彼女は出来てしまった。
全部、自分だけで出来てしまったのだ。
だから、彼女は独りで今も頑張り続けていた。
例え、里としての終わりが見え、自分の代で全てが終わりそうであっても。
そう、彼女はたった独りで、仕事が全て出来てしまった。
出来てしまったからこそ、仕事は全て、彼女に回ってしまった。
全ての責任と仕事を独りでこなす、あまりにも重く、辛い立場。
それでも、彼女は泣き言一つ言わず、その地位を投げる事もなく淡々と毎日を仕事で終わらせていった。
ただの遊女でしかなかったはずの彼女が里長となったその原点は何か。
それは『遊女』の幸せだった。
今でこそ硬玉屋は国の元締という立場にあるが、当時はどこにでもあるただの遊郭でしかなかった。
芸も食も、色のおまけ。
そんな男の為だけのどこにでもある場所の一つ。
そんな場所だから、幸せでない遊女は少なくなかった。
逃げたくても逃げられない、逃げる場所もない。
男から見たら極楽。
だけど、女から見れば、ただの地獄。
その悪循環を変えたのが、当時ただの遊女でしかなかった翡翠だった。
他の遊女に話術を授け、芸を磨く事を覚えさせ、誇りを持たせ。
そしてどうしても現状を受け入れられない遊女には、引退させて裏方に回す様上に頼み込んで。
だから最初翡翠は上から心の底から憎まれた。
うっとうしいただの遊女が自分達の裁量に踏み込んで来る事は、怒りを覚える事以外の何者でもなかったからだ。
とは言え、その上の怒りは三か月程でなくなった。
理由は単純、結果が出たからだ。
わずか三か月で苦しんでいた遊女達は誇りを持ち、芸で楽しませる事の喜びを覚え。
遊女の数が減ったにもかかわらず売り上げは三割程伸びて、評判は今までの三倍以上に良くなって。
そりゃあそうだ。
嫌々相手されるよりも、嬉しそうに楽しんで相手してもらった方が男も嬉しいに決まっている。
それはそういう内情でなく、ただ数字で見るだけでも業績がうなぎ登りに上がる最中だとわかる程に経営状況が改善されたとわかる程だった。
結果さえ出せば、上は何も言わない。
言う訳がない。
むしろくるっと手の平を返し、翡翠を遊女の代表として積極的にその意見を取り入れるほどだった。
それが翡翠の始まり。
硬玉屋主次代玉藍の始まりであり、そして蓬莱の里長玉藍の始まりだった。
だから、ただ遊女の皆が幸せだったら良かった。
仲間が笑顔になれたら良かった。
ただ……それだけだったのに……。
玉藍は、確かに為政者としての能力を兼ね備えてしまった。
それが彼女の幸せであったかと言えば……。
今日も玉藍は独りで黙々と山の様な書類を精査していた。
こんこんこんと、ノックの音。
仕事の追加を呼び出す不快な音ではなくて、親し気な、そんな音。
その音に気づき、玉藍は首を傾げた。
「あれ? どなたか来客する予定でもありました? ……まあ良いです。どうぞ」
若干大きめに、迎え入れる声を主が出すと、男女一組が中に入って来た。
蓬莱の里の来賓者クロスと、その従者エリー。
二人はぺこりと頭を下げた後、にこやかな笑顔を浮かべた。
「今、忙しかったでしょうか?」
エリーの言葉に玉藍は首を横に振った。
「いえ。大丈夫ですよ」
嘘である。
抱える書類の山を見て一目でわかる通り、忙しくない訳がない。
より正しく言えば、忙しくない時は存在していない。
一週間位前、クロスの元に夜行った時でさえ、比較的仕事が少ない日でかつ事前に仕事を頑張ってようやく作った時間である。
だがそれは逆に言えば、玉藍には忙しくない日は、時間は存在しないという事でもある。
だからこそ、別にここで多少遅れた位で何かが変わる訳がない為時間があると言っても間違いではなかった。
「じゃあ、ちょっと相談しても良いか?」
クロスの言葉に玉藍は頷く。
珍しく真面目な様子である事から、玉藍は何を言おうとして、そしてどんな結末なのか、大方予想が付いていた。
「ああ。この一週間、とりあえず色々な場所を見て来た。ついでに馬鹿なりに本を読んでこの辺りの事も学びながら」
その言葉に玉藍は苦笑いを浮かべた。
馬鹿なりに、この辺りの本を読んでみた?
それはあまりにも謙遜が過ぎるのではないだろうか。
言葉はともかく、この辺りに普及された本は独自の文章を築いている。
蓬莱ではなく、東国の頃から、いやもっと前から伝わる文化形態として。
それをあっさり読み解いておいて、自分を馬鹿と呼ぶのは謙遜を通り越して嫌味である。
事前に勉強をしたにしても凄いが、おそらくそうではない。
この短期間で覚えたという事だ。
であるならば……クロスは言葉や外見通りの存在ではないという事。
名代に選ばれる何かがやはりあったのだろうと、玉藍は察した。
「そんでさ、やっぱり俺にゃ、何も思いつかなかったわ」
何のことを言っているのかわかった上で、玉藍は訊ね直した。
「何が、でしょうか?」
「この蓬莱の里をどう救うかだよ」
やっぱり。
その言葉を飲み込み、玉藍は頷いた。
そう、分かっていた事である。
現状は何も悪くないのだ。
自画自賛になるが大きな問題なく真っ当に運営出来ている自負がある。
それでも、収益が減ってきている。
国として、衰退が始まっている。
それはもう、どうしようもない事であり根本的な対処方法は一つしかない。
本当の意味で属国に、経済も含めて魔王国に見てもらうしか、もう救われる道は残っていない。
少なくとも玉藍はそう長い時間をかけて諦め、結論を見出していた。
だから、この後に続くクロスの言葉は、予想していなかった。
「だからさ、教えて欲しいんだ」
「何を、でしょうか?」
「玉藍ならさ、ここを助けようと一杯アイディアを出して来ただろう? 今までのそれを教えて欲しいんだ。恥ずかしながら俺じゃなーんも思いつかなくてな。参考にしたい」
その言葉に、玉藍は茫然とした。
「え? まだ諦めてなかったんですか?」
そんな、ついそんな本音が飛び出す位には、玉藍にその問いは予想外だった。
「当たり前だろ? 諦めるには早すぎるさ。という訳でアイディアぷりーず。玉藍ならたぶんそういうの紙に残してるだろうってエリーが言ってたしあるだろ? それとも見せられない系の書類だったりする?」
「え……ええ。まあ。用意してますし見せるのも良いです。ただ……ちょっと倉庫の奥にいかないといけませんので私の仕事が一区切りつくまでは……」
「まあそうだよな。今こうして邪魔してる訳だし。エリー、玉藍の手伝い頼めるか?」
「もちろん我が主様。玉藍様。どう見ても重要でない案件まで抱えておひとりでこなしているご様子。これでも多少は内政に自信がありますので、機密以外の仕事を回していただけないでしょうか?」
「え……え、ええ。もちろんそれは、助かりますけど……」
予想外が続き、おたおたとする玉藍。
その様子を見て、クロスとエリーは小さく微笑んだ。
「うん、そういう服装も意外と似合ってるね」
暇になったクロスの言葉。
クロスに内政はわからない。
クロスに書類仕事を任せてはならない。
となると、玉藍の仕事のキリがつくまで、クロスは暇と言う事になる。
だから玉藍とエリーが仕事をする様子を遠目に眺めながらそんな言葉を呟いた。
「え? 私でしょうか?」
そう言って玉藍は自分を指差し、クロスは頷いた。
「うん。着物とかも良いけどさ、その恰好も凛々しくて可愛いなーって」
そう言ってクロスは再度、玉藍の恰好を見る。
黒一色で背広にも似た形状の服に長めのスカートと裏地が赤のマント。
それは帽子こそ被っていないが、その恰好はどこか軍服の様に感じる、そんな恰好だった。
「ありがとうございます。これは魔王国の方々に私の為に特別に用意して頂いた服装です。一応軍事国家ですので威厳ある服装を、と御厚意で頂きました」
「軍事国家なの?」
「ちょっと違いますが形式が軍事国家ですね。門番がそのまま軍の位置に来て、そしてその上に私がいますので」
「ほほー。なるほどね。防衛が最重要だからそういう運営方式になって、んで外から見たら軍事国家に見えると」
「そういう事です」
そう返し、微笑んでから玉藍は書類の処理に戻った。
クロスはニコニコと微笑んだ後、そっと足音を殺し、エリーの傍に移動した。
「どんな様子だ?」
その言葉に、エリーは言葉ではなく紙に書いてクロスにその答えを見せた。
『やばい』
たったそれだけ。
エリーにしては珍しく砕け切った言葉。
だからこそ、本当にやばいのだとクロスも理解出来た。
その後、エリーはそのヤバイという内容も文章化していった。
ここにある書類は、全て本来トップではなくその下や回りがやる様な仕事。
里長としての、トップの立場としてやる仕事はとうに終わりその上で玉藍はこれを自分でやってしまっている。
ようするに、内政官がまったく育っていない。
正直、自分達だけじゃ全く終わりが見えない。
それを読んでから、クロスは質問を書き込んだ。
『それと蓬莱の危機は関係ある?』
『全くないです。むしろ玉藍様じゃなかったら十年以上前に滅んでいますね』
クロスは苦笑いを浮かべた。
「能力があるっていうのは、良い事だけじゃないんだなぁ」
自分が無能であるからこそ、クロスはそう強く実感した。
『という事で、玉藍様の仕事負担を減らす策を思いつきました。やってみませんか?』
文章でそう書いた後、エリーは何かを企む様微笑む。
それを見て、クロスも同じ様な笑みを浮かべ頷き……しばらくすると、クロスはそっとその場を後にした。
「あれ? クロスさんは? 厠ですか?」
気づいたらいなくなっていたクロスに玉藍がそう言葉にした。
「いえ。ちょっと用事があるようなので」
そう言って、エリーは曖昧な笑みだけで答えた後、すぐに書類地獄に戻る。
確かにエリーは多少なら自信があった。
実際魔王国内でもそこそこで良いなら内政絡みでも外交絡みでも重要なポジションに付けるだけの能力を持っている。
だが、そのエリーでさえこの終わりの見えない書類の量はちょっとどころではない想定外であり、これを単独で毎日こなしてきた玉藍にちょっとした尊敬と、最上位に匹敵する同情を覚えた。
ありがとうございました。




