アリスの中の不思議な世界(前編)
結論から言えば、これは最初から最後まで心の勝負だった。
決して届かぬ領域にまで磨いたアリスにクロスは勝てないと思っていた。
だけど、負けられない理由が出来た。
その名を背負ったその時から、誰かを護る戦いは一度だって負けられなくなった。
だけど、そこじゃない。
決定的な理由はそこではない。
負けた理由は結局、愛だった。
クロスへの理解を放棄した。
理解すれば、愛されていると知れば生きる意味を見失ってしまう。
そう本能的に理解しているからこそクロスの理解を全て拒絶し放棄した。
その差。
最初から最後まで、アリスは敵の正体に気付けなかった。
アリスはクロスにではなく、愛に破れた。
手応えはあった。
本当の意味で己の力となった白の力が、アリスの核を完全に貫いた。
もうアリスに生きる方法は――。
「ふざけるな……どうして私が……ごぽっ。し、死ななければならない……。私は……誰よりも……優れ……」
よろりとした動きで、まるで逃げようとしているかの様にクロスとの距離を取る。
緑と赤が織り交ざった様な鮮血が零れ、黒い腫瘍の様な物が堕ちて。
それでも尚、アリスの瞳には強い憎悪のみが宿って――。
「許さない。許してなるものか。お前らだけは……お前らだけは……。くひっ。ひひ……ふぁっ……」
高笑いは消え、空気が零れる。
もうしゃべる余力さえない。
それでも、アリスは最後、渾身の力を込め、はっきりと宣言した。
「――お前らも道連れだ」
直後、アリスの体は本に代わり、クロス達全員を本の中に飲み込んだ。
オルゴールの様な綺麗な音で、何やら楽しそうな演奏がどこからも聞こえて来る。
明るい曲調で、どこか子供向けの様な感じ。
だけど、全ての音が不協和音となっていて、聞く者を不安な気持ちにさせてくる。
少なくとも、目覚めの曲としては最悪だった。
「……ここ……は……」
エリーは目を覚まし、きょろきょろと周囲を見渡す。
何故かクロスとの憑依状態は解除されていた。
いや、何故じゃない。
単純に、クロスが限界だったのだろう。
隣で倒れるシアを揺さぶりながら、状況を考える。
「起きたみたいだね。大丈夫?」
クロスは優しくエリーに声をかけた。
「あ、はい。大丈夫です。クロスさん。状況は?」
「良くわからん。アリスが本になってから、それに飲み込まれて今に至ってる」
「クロスさんは倒れてないんです?」
「ああ。俺とステラは起きたままだ」
「体感どの位経ってますか?」
「一分程度だな」
「そうですか……」
「――何よここ。不気味な曲が頭に響くわね。状況は?」
起き抜けに呟くシアに、クロスはエリーに伝えたと同じ事を伝えた。
それともう一つ。
「後、どうも俺達だけじゃないみたいだよ」
そう言って、クロスはさっき気づいた事を口にして、その方角に目を向ける。
もう二名程、見知った顔の女性が倒れていた。
状況を整理、説明する為、クロスは倒れている全員を起こした。
当然、エリー、シアによる魔力での診察を行った上で。
今この場に居るのはクロス、ステラに加えエリーとシア。
そして追加でアウラとメディール。
正直、どうして二名がそこに居るのかは全くわからない。
そうして状況説明をクロスがしようとして――突然、部屋が真っ赤に染まった。
おどろおどろしい血の様な色となり、音楽はぴたりと止まる。
そして……。
『良くも殺したな。お前らだけは絶対に許さない。……道連れにしてやる……怯え、苦しみながら私の恨みをオモイしレ……』
アリスのそんな悍ましい声が聞こえた後、部屋の明かりは元に戻り、また陽気な不協和音が流れ出した。
「まあ、大体状況は把握出来たわ」
苦笑しながら、メディは呟いた。
「おめでとうございますクロスさん。ようやく成し遂げたんですね」
けろっと平然とした顔でアウラはクロスの微笑んだ。
「やだ。ここに居る皆メンタル強すぎ……誰もケアの必要がない……」
シアは困った顔で誰にも聞こえぬ様、そう呟いた。
クロスはぐるっと部屋の周囲を見渡す。
全ての壁に、壁一面を大きなキャンパスとした様な絵が描かれていた。
子供の落書きの様な絵が四枚。
それそれ違う絵だが、全部に共通点が三つあった。
一つ、全てが子供の落書きの様な絵である事。
クレヨンとかそういう風に書いた、毛糸の様に太い線の少し雑な可愛らしい絵。
二つ、全ての絵の中心に独りの女の子が描かれている事。
緑色の涙を流し、血を吐きながら笑っている少女。
そして三つ……絵柄は可愛らしいが、そこに書かれている物は全て、惨殺現場の様な内容だった。
血が溢れ、首や腕が飛び、建物が壊れ。
全部違う状況だが、全てが殺戮と破壊を記されている事だけは間違いないだろう。
ご丁寧に扉の上にも絵が描かれていて、まるでそんな光景がその先に広がっているかの様な印象があった。
「扉は二つか……」
クロスは呟き、左右を見る。
左は青を中心とした、飢餓の中笑う少女の絵。
右は赤を中心とした、火事の中火をつけて回る少女の絵。
そうして皆の方に顔を向け……。
「それで、どうするのクロス。私達は皆貴方に従うわよ」
メディは皆の意見を代表しそう言葉にする。
正しく言えば、対アリス作戦においてクロスが絶対の物だから委ねるという方が正しいだろう。
ここに居る全員はそれを疑う事はない。
特にアウラは、アリスがどれだけしぶとく生き残っていたのか知っている。
自分が物心ついた時から、アリスはずっと魔王国にとって害悪であったのだから。
「ふぅむ。んじゃどっちに行くかの前に一つだけ言いたい事があるけど、良い?」
皆が頷くのを見て、クロスは一言ぽつりと呟く。
「アリスの話、全部嘘だから信じなくて良いよ」
唐突な言葉に、彼女達はきょとんとした顔をクロスに向ける。
クロスが居たという事。
それその物が、アリスにとっての想定外であった。
「どういう事です?」
エリーは困った顔で尋ねた。
逆にステラは「あー」と納得した様な顔をしていた。
「んーとさ、逆に聞くけど、アリスって自分が死んでから誰か恨みそうなタイプか?」
「はい。がっつりそのタイプですね。自分本位で自分以外どうでも良くて、恨みばかり残しそうな感じです」
エリーは迷わずそう言って、シアとアウラはうんうんと横で頷いた。
「逆だよエリー」
「逆?」
「ああ。アリスはさ、自分以外心底どうでも良いんだよ。どうでも良い相手に心から憎しみなんて向けるか? というか、そんな贅沢アリスにはない」
「じゃあ、私達を巻き添えにするんじゃなければアリスの目的は何なんです?」
「皆を巻き込んだ理由はわからんが、目的は簡単だろ。アリスは何時だって、それを貫いて来たんだから」
クロスはそう断言した。
恨みの為に招いた。
皆殺しの為にこんな場を用意した。
そんなの全然アリスらしくない。
誰かを恨んだり憎んだりするなんて無駄な事に労力を費やすなんて、そんなナンセンスな事アリスはしない。
『生きる為』
アリスにとって目的足りえるのは、それ一つのみである。
アリスは僅かでも良きる可能性があるのならそれに全てを費やす。
だからこそ、クロスにはアリスの嘘がわかった。
もしもクロスでなければ、皆騙されただろう。
アリスの性格の悪さならその位当然と考えただろう。
だから、クロスという存在は最大の誤算であった。
アリスの、本当の最後の手段まで見抜かれてしまったのだから。
「つまり……アリスはまだ生きているという事ですか?」
エリーの言葉にクロスは首を横に振る。
そんな訳はない。
確かにこの手には、トドメを刺したという感覚が残っていた。
「それはない。断言出来る」
「じゃあ……一体……」
「つまり、生き返る手段があるんだろう。何かは知らないけどさ」
「いや、そんな事出来る訳が……」
「確実ではないんじゃない? だから、最後の手段なんだよ。アリスにとっても」
それ以上、エリーは否定の言葉が出て来なかった。
クロスの言葉は思いつきじゃなく、ただ真実を言っている様でしかなかった。
なにせ目の前に居るのは人間から魔物に転生したなんていう、その『絶対にあり得ない』存在なのだから。
「だったら……そう考えたら、私がこの場にいる理由も納得出来ますね」
アウラはぽつりと呟いた。
少しだけ、疑問ではあったのだ。
自分がこの場に居る事が。
ステラが居て、メディがいる。
だったらメリーとソフィアがいてもおかしくはないはずだ。
だがそうではなく、自分が居る。
そこまで恨まれていたのかとも思ったが、そうじゃない。
恨みという目線から外れたら、その理由はそう難しい物じゃあなかった。
「何か気づいたのか?」
「いえ、そう難しい事じゃあないですが、つまり私とメディは供物として選ばれたんでしょう」
メルクリウス、レティシア、ヴィクトアリアの様なやらかす例外を除いた上で、魔力の多い存在。
それがこの二名である。
多少の縁や何か別の理由もあるだろうが、それでも魔力が選ばれた理由である事に間違いはないだろう。
「という訳で、クロスさんにステラさん、シア、エリーを生贄としても尚足りない様な大規模な儀式を行うつもりなんでしょう」
「アウラ、それで誰かを生き返らせる事って……」
「無理ですね。魔力の量や質でどうこうなる問題じゃあありませんし、それ以前にそんな魔法存在しません」
「そうか……」
「ですが……」
「が?」
「何かそれに準ずる事を行おうとしている事は信じます。単純な蘇生ではなく、転生や時間の復元、もしくは……」
「もしくは?」
「……いえ、可能性だけで言っても意味がありません。ただ、クロスさんの推測を全面的に信頼し行動するつもりではあります」
「そか。ありがとう。他に何か思いつく事はある?」
ステラはそっと手を挙げた。
「はいステラ」
「何となく、急いだ方が良い気がする。具体的に言えば、ここは獣の胃袋の中で徐々に消化される様な、そんな嫌な予感」
「うん。随分具体的だけど何かわかるわ。という訳で右か左どっちが良い?」
皆頭の中で『どっちも嫌な予感しかしない』と思いつつも、それぞれマシな方をさっと指差した。
そうして多数決の結果――炎が描かれ燃え盛っている赤の扉の方が選ばれた。
ありがとうございました。
すぐに次も更新します。




