偽りの拮抗
そう――その理不尽には前例があった。
エリーとシアの多重憑依、人の身でありながら神の力を引き継ぐ不遜たる傲慢。
それはこの現実に存在しているからこそ試す事が出来、そして不可能であると切り捨てられず叶った。
ヴィクトアリアという神であり機械であり人という三位一体となる存在。
そんな、あり得ざる前例。
アリアが居るのならば、人であり精霊であり神となる事も不可能ではない。
アリアが居たからこそ、その奇跡はこの場に舞い降りた。
とは言え、事はそう簡単な事ではない。
ただ奇跡だと叫んで済ませられる程わかりやすい状況ではないからだ。
特に、シアはエリー程イカレていない。
シアの感性は割かし自己犠牲気味でおかん気質ではあるが、非常に真っ当なそれである。
故に、クロスの意見に同意する事なんてとてもではないが出来ない。
愛しているから殺し看取りたいという発想さえ狂っているというのに、それを自分達を苦しめる世界の敵相手に行う。
どこをどう同意すれば良いというのだろうか。
良くも悪くもシアには受け入れがたい考え方であった。
だからシアはクロスと同調、つまり憑依をする事は出来ない。
そう、本来はそんな事出来る訳がないのだ。
だが……。
エリーは考えた。
精霊として上位である己と、神に至ったシア。
どちらの力の方が強いだろうか。
どちらの方がよりクロスの強化に繋がるだろうか。
主の役に立てるだろうか。
その答えは、考えるまでもなかった。
例え自分がいなくても、シアの方が間違いなく役に立つ。
そうしてエリーは……自分をリレーポイントとするなんて考え得る限りで最も無茶な発想に思い至った。
つまり、クロスin憑依エリーin憑依シア。
ツインではない。
主従というクロスとエリー。
精霊同士というエリーとシア。
二つの繋がりをエリーは無理やり、あり得ない程強引に連結させた。
直接憑依出来ないからこその多重連結憑依であった。
だからだろうか。
色々な意味で想定とは異なった事となっている。
一番大きな違いは、単純な足し算で考えたより遥かに魔力が生じ、溢れ零れていた。
これだけは、失敗し爆発四散さえも想定していたエリーでも誤算であった。
自分を媒体としてシアを繋げるという精霊二体での憑依。
それによる戦力向上が足し算ではなく掛け算となったのは。
更に言うなら、累乗計算での掛け算だった為にちょっとという言葉なんて笑える程にクロスという存在は跳びぬけてしまった。
少しばかり、元に戻れるのかと不安となる位に。
神の権能である機械の左目。
魔力を水の様に当たり前に操る精霊の能力。
エリーという底なしに等しい魔力タンクに注がれたシアが持つ信仰。
今のクロスは完全に人間を止めてしまっていた。
実力だけで言えば、機人の領域にさえ足を踏み入れている程に。
「見えてる?」
クロスの問いにステラは小さく頷いた。
クロスが持つ機械の瞳を通じて見られる世界。
その視界は共有され、ステラも正しく認識していた。
ステラの目には別に特別な力がある訳ではない。
ただ、その目と才能はそれを認識するに十分な才覚は持っていた。
「うん、もちろん。だから、借りるね?」
「好きなだけ持ってけ」
クロスの許可を得て、ステラは白の魔力を借り受け刃に乗せて剣を振るう。
認識さえしてしまえば、見えたら、ステラに斬れない物はほとんどなかった。
それは、これまで見えなかった。
アリスがあらゆる手法を用いて隠蔽し設置していたマジックニードル。
ステラはそれを容易く斬り裂いた。
斬撃を重ね、眼にもとまらぬ連撃が千を超えた辺りで、クロスに与えられたオーダーを達成する。
クロスに当たる可能性のあった、クロスとアリスとの間にありクロスの方に向いていたマジックニードルを全て破壊する。
見えてしまったら対処は容易かった。
けれど、それはそれとしてステラは壊しながら意図せず変な笑いが出ていた。
アリスは一体どれだけ魔法を設置し、それを並列で管理し続けていたというのだろうか。
千を超える数の設置魔法を壊したというのに数が全然減っていない。
おそらく、全体の一割にも壊せていないだろう。
剣を三本生成し全部を独立稼働させ近接でクロスとステラを苦しめながら、尚数万という設置魔法を同時に管理していた。
理解すればするほど、アリスという存在が化物なのだと納得出来てしまう。
だからもうステラは笑う事しか出来なかった。
それでも、道は開けた。
クロスとアリスを妨げる物を排除され、まっすぐ繋がる道を。
再び現れる剣をクロスは切り伏せ、そして――。
ガギィンと、これまでと明らかに異なった、ひときわ大きな剣戟の音が一つ。
「ようやくご対面出来たよ。アリス」
鍔迫り合いの最中、クロスは微笑んだ。
その漆黒の剣は遠隔操作ではなくアリスの手に握られていて――アリスの顔は、一際険しい物となっていた。
怒りとも憎しみとも、憎悪とさえも見える程に――。
戦いが始まる。
今までの様な一方的な狩りではなく、互いに命を奪う距離に立つ本当の戦い。
クロスとの対面によってようやくアリスはそこまで追い詰められた。
己が手に剣を持ち、己の命をかけ勝ち取らなければならない程に。
遂に、クロスによってアリスは死というリスクを背負わされた。
その決戦の様子を見て……。
「嘘でしょ……」
エリーは呟く。
それはあり得ない事だった。
多重憑依により乗算倍々式に戦力を強化した今のクロスは文字通りの桁違いである。
肉体は超越し、精神世界さえも超え、もはや次元さえも異なっている。
その刃は大陸を斬り、その力は山を動かす。
比喩ではなく、実際にそれが出来る。
神の世界に足を踏み込み、その力も古今無双と呼んで良い。
文字通り神話の世界の力を全力で振るっている。
そのクロスを相手にしているのに……アリスは相対していた。
世界さえも斬り裂くその刃を受け止め、世界を動かす力を受け流し。
完全に拮抗している。
険しい顔で、憎悪を秘めた顔で、怯えた目で……だけど、クロスを相手に一歩も引いていなかった。
そんな訳がない。
一個人でそんな事出来る訳がない。
その力の制御を行っているエリーだからわかる。
この力は、星さえも破壊出来る力だ。
だからこそ、エリーにとって目の前に繰り広げられる光景は、生涯忘れられない程の悪夢であった。
絶対にあり得ない。
そんな事起きる訳がない。
今のクロスは、我が主は誰にも及ばない力を持っている。
だというのに……。
「ううん。違うよ、エリー」
ステラはぽつりと呟いた。
もう追いつく事も出来ない遠い世界の戦い。
それでも、ステラは少しだけ良い目でその現実を捉えていた。
アリスの表情は非常に重く、苦しそう。
対してクロスは真剣でまっすぐだけど、前を見据えている。
だけど……。
「ステラ、何が違うんですか?」
「拮抗してない。……僅かにだけど……」
そう、実力差は僅か。
僅かにだが、確かに、クロスが押されていた。
頂とも言える領域に至った一刀、純粋たる理想の一撃。
全ての無駄を省き完全に効率化したとも言える縦の一閃。
クロスから振り下ろされる刃をアリスは容易く下から受け止めた。
激しい剣戟の音と同時に放った衝撃が消え、クロスの剣が慣性を無視しぴたりと止まる。
受け止められたというよりもそれは勢いが殺されたと表現した方が良いだろう。
振り下ろされた刃の衝撃を完璧に殺し切りゼロとする。
そんな事クロスは出来ないし出来ると思った事さえない。
それはつまり、クロスの技量がアリスのやっている事を理解出来ない程圧倒的に及んでいないと示していた。
血反吐を吐き、命を削って磨き上げた努力とステラより受け継いだ才能。
その上で強敵と死のしのぎを削って完成させたクロスの剣技は、そえでも尚アリスに遠く及んでいなかった。
だけど、今はまだ実力はほとんど五分……。
「インドラの矢!」
吐血したたる口で、アリスは叫ぶ。
術式省略により放たれる灼焔の雷鳴。
朱く燃え盛る炎が雷の様な挙動でクロスに襲い掛かる。
その雷鳴をクロスはトレイターを振るい、切り払う。
精霊の力を帯びる今のクロスなら魔法だろうと物理的な灼熱だろうと、何なら雷でさえ切り伏せられるだろう。
だがクロスが魔法を対処するその間に、アリスは距離を取り呪文を詠唱していた。
最初から容易く対処される事位アリスも理解している。
ただ、一秒程の時間が欲しかっただけである。
アリスの口から囁かれる言語は完全なる未知の物であった。
既存の言語とはまるで異なり、何を言っているかどころか本当に言葉なのかさえ怪しい程。
そんな歌の様な詠唱が終わった後、アリスはクロスに向けて剣で魔法陣を描き、そしてそれは放たれた。
「勝利の星霜矢!」
無数の雷を宿しながら魔法陣より現れたのは光で構築された、たった一本の矢。
それを見て、クロスの脳裏に即座に死が浮かぶ。
たった一本の矢なのに震えがくる程の圧を感じる。
この世界を滅ぼすだけの力を秘めている様にさえ思える程に。
だから、心よりも早く身体が勝手に動いた。
両足を地に付け、女神クロノスに加え愛する女神シアに祈りを捧げ、気合を一つで後はもう出たとこ勝負。
光よりも早く襲い掛かるその矢に、クロスは光よりも早く斬撃を放ち合わせた。
光が炸裂すると同時に爆心地に収束し、再び強烈な輝きを放つ。
音はない。
だけどそれは、光そのものの爆発であった。
そうして爆心地にいたクロスは、全身火傷に晒されたボロボロの姿となっていた。
「化物め」
アリスは苦々しく吐き捨てる。
あれは星々を矢の形状とした物。
つまりさっきの光の収束は小型ではあっても銀河の収束消滅に類似する働きだった。
膨大な魔力とついでに数か月程という若干の寿命を犠牲にする、アリスの持つ中でも最大火力の技の一つ。
それに晒されながら五体満足に生きている。
しかも背後のステラに被害が行かない様一部を切り崩した上で。
全くもって化物としか思えなかった。
「そりゃお互いさまじゃないかっと」
一呼吸おいて気合を一つ。
精霊の力の応用でクロスは負傷をさっと治し剣を構えた。
「本当化物ね。理不尽過ぎて嫌になる」
そう呟くアリスにクロスは向かって行き、容赦なく斬撃を放つ。
命を削る為、殺す為、まっすぐに襲い掛かる刃。
アリスは避けず、真っ向から受け止めてみせた。
その方が安全であると判断して。
剣技はアリスが圧倒的。
魔法も当然。
だけどクロスは精霊の力、全てを見抜く目、何より圧倒的な身体能力でそれを補っている。
磨き上げた技術と、暴力的なカタログスペック。
生きる為に蓄積し続けた知恵と、愛する者より授けられた神の瞳。
故に、互いのスペックは互角と言っても良い。
ここまでやってようやく、クロスはアリスに実力で相対出来た。
実力もまたほとんど互角。
だけど、全く差がない訳ではなかった。
フェイントを織り交ぜたクロスの斬撃を知識と経験、圧倒的な剣技によりアリスは対処する。
アリスのフェイントをクロスは愛にて理解し躱す。
何度か繰り返した後、互いに理解した。
フェイントは無駄であると。
そして真っ向での剣のぶつけ合いに移行される。
真っ向と言っても、アリスにとっての真っ向勝負であり、容赦なく転移からの奇襲や不意打ち、ステラ狙いを繰り返すが。
クロスの方もアリスに好き放題させない為、距離を取られたら魔力の矢を剣先から放っている。
クロスの能力ではなく、ただ有り余る魔力を固めトレイターを媒体とし放つだけの物だがそれでも理不尽過ぎる魔力から放たれた一撃である。
十分、アリスを殺すだけの威力を秘めていた。
クロスの相棒、愛剣である『デイライトトレイター・ルビー』。
その最大の能力は万能の変身でも頑強さでもなく、所有者の理想そのものである事。
最強の魔剣とは何か。
その正しい答えを知る者は存在しない。
いや、そんな答え存在しないと言った方が真実に近い。
武雷という最新の魔剣が現れた以上、これからも魔剣は誕生する。
故に更新される魔剣に最強なんて物は存在する訳がなく、それを断言出来るのは世界が本当の意味で終焉を迎えた時位だろう。
だけど――最高の剣ならば別である。
それならば、今も存在する。
最高の剣、それは持ち主にとって最適な剣を表す。
僅かな違和感もなく、重量、長さ、バランスが全て所有者に最適解となる剣。
完璧な形に主に適応した、たった独りの為だけに用意された特注品。
最適化され、所有者の剣技が最も生きる状態。
これ以上ない程気持ち良く剣が振るえると言い換えても良い。
数ミクロの誤差も許されないバランスを持ちながら、体調による誤差も修正してくれる。
所有者を剣士として完成させる最後のピース。
それこそが最高の剣。
トレイターは、クロスにとってその『最高の剣』となる。
クロスの技量を最大限引き出す形状、重量でありながら、その上でクロス以外には決して使えない。
全てがただクロスの為だけに調整され続ける。
故に、本来実力が拮抗するならば、最高が勝利への差となる。
完璧な剣とそうでない剣の差は紙一枚分程度の差に過ぎない。
だが、その紙一重こそが勝負の最後を分ける決定的な差となる。
理想が実現する最高の剣は拮抗を崩すに十分な力を持っている。
そのはずだった。
だけど、そうはならなかった。
アリスはトレイターの様な剣を所有していない。
そもそも神造兵装が己の心を消してでも完成を目指したからこそトレイターは理想の剣足りえる。
他者を信じないアリスに神造兵装は絶対に答えない。
では何故そこが差足りえないかと言えば……アリスは他者に委ねる事なく己が手で理想を実現しているからだ。
最高の剣を――。
『生死非非想の剣』
アリスが持つ漆黒の刃は宙に浮かべて戦っていた魔法と同じく、己の魔法にて生み出された剣である。
ただし、あの時と異なり刃渡りは短く刃の厚みも薄いが。
アリスの魔法は単なる剣を作るだけの魔法であるのは真実である。
だが、それは究極と呼べるまでに磨き上げ、完璧と呼べる程己に適応させている。
つまりアリスは身長、体重を含めたパーソナルデータに加え日々の体調等々、あらゆる己に携わる要素を実数値にて正しく認識し、その上で『今の自分』に最適化した剣を生み出す事が出来た。
つまり……トレイターが、ルビーが己を生贄に捧げクロスに差し出した奇跡と同等の事をアリスは常に行い続けているという事である。
自分自身の体温から脈拍、筋繊維の状態まで全てを確認しそれを情報として精査し一分一秒単位で更新して剣を調整している。
そんな本来人には決して出来ない事をアリスは一切の改造を施さず魔法と自前の頭脳のみでコンピューターが行うのと同等の調査、情報処理を行い続けていた。
その能力は、体調管理は、元々剣を作る為にではない。
ただ、アリスはそこまでしなければ生きられなかっただけである。
とは言え、副産物であっても何でも、アリスの剣もまた最高の剣であり、トレイターと並ぶ事に代わりはない。
両者の剣に差は全くなく、共に最良最高の剣である。
互いに理想の剣を持ち、互いに理想を打ち付け合って――。
だからもし……もし差が出るならば……。
――やっぱりか。
クロスはそう納得する。
自分を出し切った。
自分に関する全てが力を貸してくれた。
そしてその上で尚追いつけなかった。
アリスという存在は、自分よりも高みにる。
アリスの方が強い。
そう、クロスは受け入れてしまっていた。
だけど、その結果を前にしたクロスの感想は、納得であった。
ほんの僅かな差。
その差は、心による物なのだから――。
ありがとうございました。




