ポゼッション
『憑依』
名付けるならば、そうなるだろう。
本質が肉の器ではない精霊であるが故に出来る他者との完全同一化、同化現象。
己という存在を『意思』以外全て相手に差し出す究極の自己犠牲。
だけどそれは、己を捨てる覚悟では決して起こり得ない。
それが発現するのは自己犠牲でも愛でも奉仕でもなく……ただ強い目的を叶えたいという意思があって。
クロスによってアリスの美しさを理解し、ステラによってクロスの愛を知り、そしてそれ故にエリーは己のすべき事を理解する。
主が看取るその手を共に。
あれだけ酷い目に遭われたというのに、エリーもまた、アリスに焦がれるファンの独りとなっていた。
だから、今のエリーはクロスの本当の意味での騎士となっている。
自分本位の忠誠心でも、主の為の自己犠牲でもなく、己が意思を持って主の傍に立ち、同じ目的を果たす為その手を支えるという意味において、今エリーは本物の騎士であった。
襲い掛かる剣を切り払い、一足にて飛翔ぶ。
その跳躍は音速を越え、滑空と呼ぶに等しかった。
あれだけ遠かったアリスとの距離が一瞬で縮んでいく。
この手がアリスに届く。
そして剣を構え本当の戦いを始めようとして――アリスの笑みに、気が付いた。
どすっと身体に衝撃が走り、クロスの動きが止まる。
直後、眼に光が走る様な激痛が全身を駆け巡った。
その背に、足に、腕に、魔力で出来た棘が突き刺さっていた。
「そ、そんな馬鹿な!?」
エリーは叫ぶ。
確かにエリーは今ステラのサポートに回っているからクロスにのみ集中している訳ではない。
だけどクロスとは常にリンク状態であり、その視界は共有している。
精霊の瞳が扱えるクロスの目とエリーの目、そろって魔法を見逃すというのは、絶対にあり得ない事であった。
「怖い。……ああ怖い。いきなりパワーアップって本当貴方は主人公ね。ふざけてるわ。他人の努力を何だと思ってるのかしら。全くだけど……ええ、だけど……」
くすくすと笑い、そして、アリスは囁く様に呟いた。
「だけどそれ――もう一回見てるから」
クロスの前に再び宙に浮く魔力の剣が現れる。
ただし、今度は二本。
クロスは身体に突き刺さる棘を魔力放出で押し出し肉体を治癒しながら剣を構えた。
「もしかして――まだ余力ある感じ?」
痛みと困惑で顔を顰めながら、ちょっと冗談気味に尋ねた。
アリスはただ微笑むだけ。
ただ、演技であっても笑う程度には、どうやら余裕があるらしい。
マジックニードル。
精霊の目さえも誤魔化すそのトリックは実の所簡単な物である。
魔法発動の際の波長が見えない。
それは当然である。
魔法はずっと昔に発動しているのだから。
クロスが部屋に来るよりもずっと前に発動し、部屋に仕込んでいた。
事前に発動し、魔力の痕跡を隠す様高度な隠蔽を施し部屋の中に設置する。
要するに、最初の最初から、魔法を作った段階、設計段階で精霊瞳にさえ見えない様にしてある。
もっと言えば、憑依状態のクロスを相手として戦う事を、アリスは最初から想定していた。
その為に、数万というマジックニードルを部屋に仕込みずっとその状態を維持し続けていた。
それは数万という手を同時に固定する様な作業であり、アリスとしても決して簡単な事ではなかった。
それでも、アリスはそれを実行し続けている。
万を超える魔法の罠をこの部屋に配置し続け、全てを完全に掌握していた。
クロスはアリスの怪物たる所以を思い出す。
これだけ足掻いたというのい、未だアリスの底は見えなかった。
クロスを狙う二つの浮かぶ剣。
その原理は二刀流に近い。
二本ある故に一本がどの様な状況でも自由に動け、常にカウンターを狙ってくる。
限りなく防御寄りな戦法。
また通常二刀流には多くの欠点が伴うが、この戦法にそれは当てはまらない。
例えば、本来の二刀流は片腕で剣を持つ為動きが制限されるが、宙に浮き魔力で操作している為それが全くない。
それどころか身体という制限全てが撤廃されている為、一本は正面一本は背後なんて酷い事まで出来てしまう。
二刀流というよりも、剣士が二体になったと考える方が自然であった。
通常の魔法使いなら、一本の剣を操るのが精々。
だというのにアリスはステラに一本クロスに二本を同時にかつ完全に操り、魔法まで使ってまだ余力がある様子だった。
「はっ!」
腹に力を入れ一閃。
シンプルかつ単調な、何でもない剛剣の一振り。
単なる力任せの一撃であっても精霊憑依状態かつ吸血鬼化した今のクロスのそれは必殺技に等しい。
アリスの魔力を注いだその剣はあっさりとへし折れ霧散する。
だがその振りの隙を縫い、もう一本の剣がクロスを襲って……そしてクロスが防御している間に再び剣が生み出されまた二本を相手に。
一本を壊してももう一本を相手にしている内に戻って、そしてまた一本を壊してももう一本が邪魔をして戻って……。
この繰り返しにクロスは付き合わされていた。
一本ならば、容易く処理出来る。
実力自体は既に勝っている。
なのに二本になるとどうしようもない。
戦略、戦闘技術、共に負けていた。
その合間にも同時に魔法も襲い掛かり、痛みという精神ダメージがクロスに蓄積していく。
単なる精神ダメージでもワンミスで死ぬ状況で精神的疲労の蓄積は案外馬鹿に出来ない。
というか、どうして痛みを中心にした魔法を使っているのか今更に理解した。
精霊にとって精神ダメージは、肉体ダメージよりも損害は大きい。
その為憑依状態時に痛みのダメージは肉体以上に治り辛い。
最初からアリスはここまで想定して戦っていた。
クロス達の逆転の一手は、驚く程あっさりと潰され再び不利な均衡状態に引き戻された。
「……ううむ。きつい」
つい、口から不満が零れた。
一本の剣を壊してもすぐに再生成され一歩も前に出れない。
二本同時に壊そうと狙ってもバラバラに動く。
あんまり大きく移動すると魔法の針がやたらと飛んで来る。
下がったら、アリスとの距離が離れたら、もう出来る手段がなくなる。
つまり、八方ふさがりであった。
アリスの企み通りに。
宿敵が、理解出来ない化物が、生存戦争の相手が、思い通りに踊っている。
アリスは久方ぶりに心から楽しいと思った。
だけど、油断はしない。
油断して失敗する事程馬鹿馬鹿しい事はない。
どれだけ完璧な作戦をしても油断という一パーセントは全てを台無しにする。
だから、アリスは誰が相手でも何を相手もしても決して油断しない。
一パーセントでも死の確率が上がる行動ならば、どれほど苦難の道であろうとも歩んでいく。
そうやって、アリスは生きて来た。
楽しい事がなくとも、生きているだけで苦しく痛くても、ただ独り孤独であろうとも。
『生きる事』
それよりも優先すべき事など、何一つアリスにはなかった。
だから油断しない。
クロスが息絶えるその瞬間まで。
楽しいという気持ちに、アリスは蓋をした。
精神的油断によるミスは絶対にない。
クロスという男を最大限に警戒し、絶対好き放題動かさない。
定期的にステラを攻撃し自分の身だけを護る事に集中する状況ではなくさせる。
完璧である。
完璧に、クロス対策は成功している。
だから――それを見落とす。
正しく言うならば、見落とすというよりも過小評価。
クロスに意識を割きすぎて、アリスは過小評価していた。
その、エリーのイカレ具合を。
「前例はあったんですよね」
小さな声で、だけどアリスに聞かれても良い様にエリーはステラにその肩の上から声をかけた。
「前例?」
「はい。前例。だからそう特別な物じゃないんです。とは言え……説得は大変でした。今でも正直不安定で……使わずに済むならばそうしたかった位です」
「えっと……何の話?」
「うーん。そうですねぇ……愛の話? もしくは私の忠誠心の話? 後は性癖とか……まあ、色々?」
「……私、天然とか抜けてるとか言われるけど、それでも言っている事の意味がわからないって事はわかる。それ、私じゃなくて普通の人でも良くわからない話だよね?」
「そうですねぇ。色々複雑ですし私もまあ随分無茶しましたし。ただ……大切な事でもあります」
「大切な事。この状況を僅かでも改善出来るとか?」
「試さないと何とも……。後、試して失敗したらクロスさん爆発して死にます」
「えぇ……」
「でも、試すべきだと思うんですよねぇ。どう思います?」
「私に聞かないでよ」
「でも、ステラさんの命でもありますし」
「……エリーがしようと思って実行して、それで死ぬなら文句はないよ」
「おや。何故ですか?」
「だって――エリーは誰よりもクロスの事を考えてるでしょ? 狂信者と呼ばれる位に」
「……ふふ。そうですね。誰よりもなんてそんな……。でもステラさんに言われるなら本当にそうかもしれません。では……クロスさんに聞いてみましょうか」
『失敗したら爆発して死んじゃいますけど、切札使います?』
エリーからの交信はとても頭が悪い物だった。
ただ……断る事が出来ない程に浪漫を感じる内容でもあった。
失敗したら爆死という辺りも含めて。
「……ああ。そうだな。俺がどうしようもなくなったら、手を貸してくれていたもんな」
「一体何の話よ?」
エリーとステラの会話を聞いていたけれど、それでも訳がわからずアリスは尋ねた。
「そうだな。これが正真正銘最後の手段って事かな。さ、何でもやってくれ!」
クロスからの了承を聞き、エリーは閉めていた自分の心を解放した。
憑依……再憑依。
もう一つの魂が、エリーに憑依した。
爆死という言葉の意味を、クロスは即座に理解する。
なにせ心臓が跳ねたのだ。
比喩でも何でもなく、本当に。
パンっと自分が風船の様に破裂してもおかしくはなかった。
身体の内側から訳がわからない程の魔力が溢れていく。
エリーと同化した状態ともまた違う。
それより尚強く、尚濃い。
自分の身体が一秒、いやそれより短い時間で急速に作り変えられていくのを感じられた。
自分の身体に何が起きているのかわからない。
ただ、今の自分は魔力の爆弾と呼ぶ程高濃度の魔力を帯びている事はわかる。
なにせたったの一秒弱とは言え、あのアリスが攻撃を躊躇ったのだ。
その位、あり得ない程の魔力でかつ暴発寸前の状況だった。
こんな物個人が持てる量ではない。
エリーでさえ膨大な魔力を帯びているのにそれよりも更に桁が二つ三つ違う。
魔力に身体を犯されているとさえ感じる程だ。
とは言え……クロスはあまり抵抗する気は起きていない。
その魔力が嫌な感じはしないし、エリーの策でもある。
更に言えばここまでしないとアリスに勝てないとも思える。
むしろ、これでダメなら素直に死のう位の気持ちでさえあった。
そう思っていると――あり得ない痛みが、身体に走った。
痛みに強いはずの自分が、気が狂いそうと思う程の強烈な痛み。
――あ、失敗かこれ。やっべ死にそう。
これまで感じた事のない純粋な激痛にクロスは蹲り、その痛みの原因である左目を抑える。
だが、すぐに痛みは消え去る。
代わりに、違和感だけが残って。
別に左目が見えなくなった訳じゃあない。
むしろ、何もかもが見えすぎて気持ちが悪くなってきた。
「貴方に制御は無理よ。だから私が制御する。ほら、力を抜いて」
聞き覚えのある、だけどここにいないはずの声。
それに従い力を抜くと、左目の違和感も大分薄れてきた。
ただそれでも、やはり見えない物が見える様にはなっていた。
具体的に言えば、今まで全く見えなかった設置し隠蔽されているマジックニードルが、どうして今まで見えなかったのか思う位くっきりと。
「ありゃ。随分面白可愛いお顔で」
クロスはアリスを見てそんな事を口走る。
あわわとでも言いそうに口を開き、だけどどこか青ざめて。
笑ったらいけないとは思うけれど、不憫可愛いという言葉が出て来る位に可愛かった。
そうしてアリスが慌てながら見ているその目線の先に、クロスは目を向ける。
そこには先程声をかけてくれた、シアがいた。
ただし、随分ちんまりとした姿で。
具体的に言えば、今のエリーと同じ位の頭身。
ほとんどデフォルメぬいぐるみ状態で、クロスの肩にちょこんと座っていた。
「んでシアさんや、どういう状況これ?」
「あんたは深く考えなくても良いわ。どうせわからないし。……ぶっちゃけ私も良くわかってない。エリーの差し金だし。だからまあ……私の力も上乗せしたと思ってたら良いわ。私もその位のニュアンスで動くから」
「なるほど。シンプルで良いね」
クロスは微笑み頷いて――アリスに目を向けた。
ありがとうございました。




