特別であるその理由
それは、既に状況に流される事しか出来なくなったステラだからこその疑問だった。
これまでで最も手応えがなく、最も活躍出来ない最悪の戦い。
クロスを殺そうとしているアリスの手の平の上から抜け出せない。
一分一秒事に死に近づいていき、遠くない終わりを感じる。
ステラはただ、足手まといとなる為だけに生かされていた。
クロスの足を引っ張る事で生存が許され、クロスの邪魔をする為だけに生きている。
積極的に殺しに来られる訳ではない。
あくまでステラはこの戦いでオマケ扱いである。
かといって油断したら一瞬で命は刈られるだろう。
そのアリスの構い具合の塩梅が絶妙で、ステラは完全に無能の置物となっていた。
自分だけならばさっさと自害してしまいたい程度にはどうしようもなくて、だけどそれを取る事は絶対に許されなくて……。
だから、ただ状況に流される事しかステラに出来る事はなかった。
あれだけ近くに感じていたその背が、もうあんなに遠い。
その遠くの憧れを見ながら、ふと思う。
何故、クロスは戦えているのだろうか――。
ぶっちゃけて言えば……実力は全然足りていなかった。
それはステラだけでなく、クロスもそのはずである
。
ステラも相手にしている浮いているだけの剣。
これは見た目こそ情けないがその動きはこれまで見たどの剣士よりも高みにあった。
鋭い斬撃、技術による切り崩し、流れを作る一連の動き。
それは恐ろしい程に真っ当な格上の剣士の動きであった。
才能に溢れるステラでさえも真似できないと確信出来る程にその壁は分厚い。
その上で、その剣は人体構造という制限さえも受けていない。
縦横無尽に達人の剣が飛んで来るそれはステラとメリーを足して割らない程度にはえげつない物であった。
それに加えて回避不能のマジックニードル。
クロスの相手に出来る範囲を遥かに超えていた。
そう、実力で考えたらクロスは既に殺されていなければおかしい。
だというのにクロスは剣相手とは言え真っ当に戦えていて、しかもステラへの援護までする余裕があった。
とは言え……何時もの事と言えば何時もの事でもある。
クロスがアリス相手に実力以上の力を発揮するのなんて。
アリスの狙いを予言し、ピンポイントで潰し、アリスのデザイアを無視して行動する。
ついでに言えば死の概念と化しているアリスの『死』さえも当たり前の様に無効化している。
何ならクロスとステラはアリスに死の概念が宿った事さえ気づいていない。
アリスにとってクロスは理不尽そのものであった。
ここでステラはもう少し深く考えてみた。
どうして、そんな事が起きているのか。
クロスだけ一体何が特別なのか。
まず、生まれや能力ではない。
確かに特異ではあるが、それが何か影響を与えているとは思えない。
戦い方……も関係ない。
練度や身体能力はともかく、剣を中心の万能戦法はステラと大差ない。
相棒、デイライトトレイター。
それは関係があるかもしれない。
あれは持ち主に最適化する剣。
所有者が最も扱いやすい重量、形に変形するという剣士にとっての理想の一つ。
その差はきっと土壇場の粘り強さに大きな影響を――。
いいや、そうじゃない。
アリスに関して全般で機能しているのだから、戦いに関わるという細かい問題ではない。
戦闘そのものではなく、恐らく関係するのはもっと根本、その在り方。
クロスという男そのものの『何か』が、実力以上の下駄を履かせる事に成功している。
「……いや、実力以上とかじゃなくて……どっちかというと……」
そう……クロスが強くなっているのではない。
逆に、アリスが弱くなっていた。
もっと言えば、徹底的な合理主義であるアリスの行動がクロス相手の時だけ無駄が多くなっている。
予測されるから違う行動を取るにしてもおかしい。
ステラの目から見ても、クロスに対してのアリスの行動が最適解であるとは思えなかった。
――つまり……その原因は私でも理解出来る様な物という事?
もしもステラが全く理解出来ていないのなら、アリスの行動が正しく見えてクロスがおかしく見えるはずだ。
だが、今の戦いはクロスが正しく見えアリスが間違っている様に見えている。
という事は、ステラにとっても正しく、そして理解出来る事が『クロスの特別さ』のはず。
だけどステラは別にアリスに強い訳ではなく、それは結局クロスだけで……。
難しく考え過ぎて、ステラは自分が何を考えているのか良くわからなくなってきた。
だから簡単な部分だけを纏めて考え直そうとして……。
「――あっ」
あっという間に、答えに辿り着いた。
それは、その答えは――この世界で辿り着けるのはきっとステラだけである。
クロスに愛され、クロスを理解し、クロスと共に生きる決意をした。
クロスの傍に寄り添い、そのファミリーネームを共にしこれからを歩む事を願った。
普通の花嫁に誰よりも憧れた、その隣に立つ事を誰よりも焦がれた。
ただ、クロスを愛した。
そんなステラだからこそ……クロスの異常性、特別さに気が付いた。
「クロス。貴方は……」
「ん!? 何ステラ!? どうしたの!?」
本当に小さい声だったのに、クロスは気付き叫んだ。
ステラはきょとんというか茫然というか、そんな顔でクロスに言った。
「……貴方は、もしかして本当に馬鹿なの?」
そうとしか言えなかった。
そうであるとしか、思えなかった。
それが事実であるのなら、本当にもうただの馬鹿……いや、単なる大馬鹿野郎である。
「そうだよごめん! でも馬鹿なのは誰よりも知ってるだろ!?」
はっきりと、そうクロスは断言する。
ステラの妄想が事実であると、クロスははっきりと答えた。
「……ははっ。そうだね。うん、知っているよ。きっと誰よりも……」
わかった、わかってしまった。
だけど、それはわかってもどうしようもない事だった。
それを真似する事などステラには出来ない。
それ自体は特別な事ではなく誰でも出来る事である。
だけど同時に、それをアリスに出来るのはこの世界でクロスだけでもあった。
アリスのデザイアにひっかからない理由。
アリスの事を誰よりも理解出来る理由。
アリスに対し強く、アリスは彼を理解出来ない理由。
全て繋がっていた。
答えはたった一つであった。
アリスのデザイアはネガティブな感情を共有する事で発現する。
もっと言えば、感情を相互にリンクする事が最初のキーである。
だから、クロスには効かなかった。
アリスにネガティブな感情をクロスが持つ事はなく、クロスサイドから送られる感情はアリスにだけは絶対に理解出来ない。
また、アリスに対しての理解力が高いのも、ただ誰よりもアリスの事を真剣に見ていたから。
アリスの事を尊敬し、尊重しているから。
アリスを殺す事だって、憎しみや怒りでも生存戦争でもない。
共に生きられない事は事実だが、クロスが殺す事を覚悟した理由は『自分だけが憎しみ以外でアリスを終わらせられるから』である。
そう――つまりはそう言う事。
『クロスはアリスを愛している』
ただ、それだけが理由であった。
「まじで!? そうだったの!?」
ステラの考察、それが感覚にて伝わりクロスは慄いた。
衝撃的な考察であった。
ステラの考えを否定している訳ではない。
ただ、そこまで深くは考えていなかっただけである。
だけど確かに、言われてみたら納得出来る。
アリスを殺す事は使命であると考えた。
それは、それが出来るのは自分だけだからだ。
あれだけ美しい彼女が、誰よりも純粋なアリスが、ただ憎しみの中終わるのは悲し過ぎる。
そう思っていた。
だからまあ納得であった。
自分はアリスを愛している。
もちろん、それは男女のそれとして。
気が多い男である事はわかっている。
はっきり言ってロクデナシだ。
だけどそれでも、クロスは自分の、女を見る目だけは確かであるという自負がある。
美しい彼女達に囲まれていたからこそ、それだけは絶対の自信があった。
「独り言? 是非とも独りの世界に入って閉じこもって下さい。そしてそのまま死ね」
アリスの言葉にクロスは微笑んだ。
「心配させて悪いね。大丈夫。ちょっと悪だくみしていただけだから」
アリスは顔を嫌悪に染めた。
アリスは焦りを感じ続けている。
一分一秒でもこいつと同じ空気を吸いたくない。
少しでも早く殺し自由に成りたい。
その気持ちを抑えながら、冷静に行動している。
それでも焦れているのは、クロスの実力で想定すれば、計画は既に終わっているはずだからだ。
実力も鑑みずにステラを庇い、そうして終わっているはずだった。
なのにまだ戦いは続いている。
確かに、有利にはなっている。
その実感がアリスにはある。
相手の方が消耗が激しい。
戦う事に相手との戦力比は広がり、相手のミスも増えてくる。
つまり予定内、時間は完全にこちらの味方。
だけど、計算外であるのは確かである。
だから、イライラが募っていく。
クロスが特別な事は嫌な程知っている。
むしろ特別だからこそ、これだけ丁寧に戦っている。
それでも、早く死んで欲しかった。
早く死ね、この世からいなくなれ、私を解放しろという気持ちがアリスの中に濃く渦巻いていく。
理解出来る訳がない。
愛そのものを把握出来ないアリスに、クロスは絶対理解出来ない。
だからアリスにとってクロスは、ただ悍ましい化物であった。
ステラはクロスが理解出来ない理由を別の方面で解釈していた。
理解出来ないのではなく、理解する事をアリスが本能的に拒絶している。
理由は、愛されているという実感はきっとアリスを弱くするから。
自分がそうだからこそ、わかるのだ。
これ程まで愛されてしまったら、思われている事を受け入れたら、もう良いやと云う気持ちになってくるのだ。
だから、アリスは愛を受け入れられない。
誰にも愛されず生きているアリスにとって、その愛は致命の毒。
アリスは一ミリでも生への渇望が緩めば死んでしまうという環境で生きいる。
病への対抗は気迫と根性なんて無茶をしている今も尚それは変わっていない。
だからもしその愛を受け入れてしまえば……生きる事が叶わなくなる。
生きる理由がなくなってしまう。
本能的にそれを理解するからこそ、アリスはクロスを理解しない。
ただ拒絶する事しか出来ない。
クロスという男の馬鹿さを理解する事は叶わない。
これは単なる妄想だが、あながち間違っていないとステラは思っている。
自分が愛されているからこそ、そう考えられた。
「何か今、すげーステラにムカついたんだけど、何か変な事というか、酷い事考えなかった?」
クロスに言われ、ステラは口を噤んだまま首を横に振って誤魔化した。
ありがとうございました。




