期待外れと思う程度には特別だった貴女
隔離された狭い空間。
そんな中に閉じこもっていても、アリスはその事象を確認出来た。
きっと今頃、世界中で歓声が上がり拍手喝采が起きている事だろう。
世界中から襲撃者である死の化身VOIDが消え、僅かに残っていた洗脳天使も殲滅される。
つまり、世界に平和が戻って来たのだ。
その瞬間を、つまりクィエルの死をアリスは感じ取っていた。
――結局、思ったよりも全然役に立たなかったわね。
正直、期待外れだった。
クィエルだったらもう少しやれると期待してしまっていた。
当初のアリスの計画では、クィエルが何人かクロスの大切な人を殺し、それをクロスに伝え怒りや憎しみを煽り、もしくは死にたくさせるという物であった。
いや、場合によったらその程度では済まない。
クィエルはあちらの世界そのものを壊していた可能性さえあった。
それだけのスペックを持っているはずだった。
それも想定しての、この隔離空間だった。
これはアリスが生み出した擬似的な隔離空間。
単なる世界の隙間である。
だが同時に世界という因子そのものがこの空間には書き加えられている為、あちらの世界が滅んでもこの世界はそのまま維持出来る。
あいつがやり過ぎて世界が壊れて連鎖で死ぬのだけは御免だ。
なんて事まで想定していたというのに、蓋を開ければ一方的な敗北で終わってしまった。
しかもそれで得られた情報なんてのは、『ミリアに指揮をさせるな』というわかっていた教訓と『クロスの裏奥義とやらの完成系が見れた事』程度。
たったそれだけ。
他の手札だったならば、こうは思わない。
二つも情報を抜いてくれたのなら万々歳と思うだろう。
だけど、クィエルは特別だった。
その能力も、その悪意も。
世界のどこにも居場所のない彼女ならばと……アリスは心の底では期待してしまっていた。
――結局、使わずに終わったわね。
アリスにとってクィエルを無条件に信じている様な存在ではなく、むしろ潜在的な敵でさえあった。
彼女の恨みは生者全て、故にアリスも含まれている。
更に言えば彼女の恨みはアリスにさえ届きえる可能性があった。
だから当然、クィエルが敵となった時の対策も取ってある。
クィエルにこっそりと仕込んでいた、自壊因子。
もしもの時用に仕込んでいたそれは、完全に無駄に終わった。
小さくこっそり、溜息を一つ。
役立たずと吐き捨て、どうでも良いと切り捨て。
そうして、アリスにとってクィエルは過去となる。
だけど……それでも……アリスにとってクィエルは、確かに特別であった。
初めて、自分と対等に成れるかもしれない存在だった。
敵としても、味方としても。
クィエルの失敗によって、アリスの作戦が変更となる。
もうこれで心を折るという方法が難しくなってしまったからだ。
世界の破壊者が攻撃して駄目だったのなら、そちらの方はもう事実上不可能と言っても良い。
その程度は、クィエルをアリスは信じていた。
だから――まどろっこしいのはこれで終わり。
アリスの作戦の根本から心を折るという要素が取り外され、単純な殺害に方針がシフトされた。
戦闘開始からおおよそニ十分。
ステラはそれをただ、見ている事しか出来なかった。
クロスの背が、あまりにも遠い。
援護する事さえも出来ない程に。
追いつこうと必死に藻掻いても、その背はどんどん離れていく。
理由はわかっている。
呆れる程に単純だ。
ただ、実力が足りていない。
クロスはアリスに近づく事は出来ず、未だに遠隔操作の剣一本に苦戦している。
だけど、その場で足踏み出来る程度には戦えていた。
実力の半分程度であると想定される遠隔操作での剣相手に五分という限りなく絶望的な状況でも、戦いになっていた。
だけどステラは違う。
たった一本の剣に良い様にされて、追い詰められる様に徐々に後退している。
だから、クロスの背が遠ざかっていく。
しかも、それだけじゃない。
アリスの武器は剣だけでなく、操る剣ともう一つ厄介な物があった。
剣戟の音を響かせ、必死に一歩でも前に出ようとする。
宙に浮く剣に斬撃を叩きつけ、稼がれた距離を少しでも返そうと、必死に、ただ必死に剣に命を込めていく。
そんなステラの背を、魔力の針が襲ってきた。
そう、これだ。
これがアリスのもう一つの武器。
直径ニ十センチ程の長さの、視覚するのが難しい非常に細い針。
『マジックニードル』
「しっ!」
短く叫び、ミーティアがステラの背後にある棘を渾身の力で切り払う。
ステラとミーティアは揃って焦りを感じる憎々しげな表情を浮かべた。
ミーティアの性質は生命体よりも魔法に等しい為、一瞬で現れ消えられる。
だから、本来ならばクロスの援護が出来る優秀な手札であった。
クロスの一手となるはずだった。
その手札が、ステラを護る為に使われてしまっている。
ステラの所為で、クロスはただ独りで戦うハメとなっていた。
マジックニードル。
これは極めて一般的な魔法……のはずである。
そのはずなのだが……何かがおかしい。
単なるマジックニードル、魔法の攻撃程度ならステラもクロスも苦戦しない。
このマジックニードルは普通と違い、感知する事が出来なかった。
概念的な能力とかそういう事ではなく、何故か直前まで撃たれた事に気付けない。
魔法を放つ時に感じる魔力波長や攻撃の際に現われる敵意。
魔力的な物から感覚的な物まで、あらゆる感知が一切無効化される。
何時もステラを助けて来た超常的とも言える『勘』さえも機能しない。
まるでそこに存在しないかの様に、気配が希薄であった。
とは言え幻覚ではない。
襲われる直前には、それが魔法であると感じ取る事が出来る。
クロスの方も探知が出来ておらず常に直撃し続けている。
クロスが持つ数多の感覚でさえ反応出来ず、それこどろかクロスを助けて来た『死線』での感知も出来ない。
まあ後者の理由は単純で、この攻撃に当たった所でクロスが死ぬ事はないからだが。
このマジックニードルに、そこまでの威力はなかった。
だからこそ、厄介なのだ。
何の気配もなくどの様な探知をする事も出来ず、突然どこからともなく発動し身体を貫く。
しかも刺さった箇所で変形し、ウニの様に無数の針に変化する。
身体をズタズタにするというよりも、ただ痛みを誘発する為に。
ぶっちゃけて言えばその効果はただ痛いだけ。
だけど、その尋常ならざる痛みで少しでも動きを止めたら、その時点で終わりを迎える。
アリスが痛みに怯む様なわかりやすい一瞬の隙を見逃す様な相手だったら、今この場に彼女は存在していない。
避ける事は出来ず、痛みを防ぐ事も出来ない。
だから、出来る事はただ耐えるだけ。
そうやってクロスはただ痛みに耐え続けながら、一切の集中を切らさずその場に踏ん張っていた。
昔無茶をして痛みに耐性が付いたクロスだからこそ耐えられるのであって、もしそれ以外の誰かが同じ事されたならまず間違いなく耐えられない。
それほどの痛みにクロスは晒されていた。
これに耐えられるのは、クロスを除けば後は感覚遮断の出来る機械組かメリー位だろう。
そしてもう一つ。
確かに、このマジックニードルはあまり強い魔法ではなく、刺さっても痛いだけで済む。
だけど、それを正しい意味にするなら、少しばかり意味合いが変わって来る。
このマジックニードルは(アリスの使う魔法にしては)あまり強い魔法ではなく、(クロスならば)刺さっても痛いだけで済む。
つまり、痛いだけで済むのはクロスだからであり、耐久面の肉体スペックは貧弱寄りなステラだったら、僅か一発でも致命傷になり得る。
その所為でミーティアはクロスの援護が出来ず、ステラの傍に待機せざるを得なかった。
実力が、違い過ぎる。
何時の間にか、その背は随分と遠くになってしまっていた。
既に知恵とか勇気とか工夫とか、そういう類でどうこうできる範疇ではない。
ただ足手まといにしかなれない。
だからこそ、ステラは自分が行うべき最適解を理解していた。
斬撃の極地を持ってこの空間を破壊し、この場から速やかに離脱する事。
足手まといならばいなくなれば良い。
考える必要もない位の解決策である。
その単純な事を実行しようと行動を開始したその瞬間……遠く遠くにいるはずの、アリスがステラに目を向けた。
無表情の、だけどじとっとしたねばっこい瞳。
それは、獲物をじっと待つ獣のそれと同じ物だった。
ぞわっとした恐怖と同時に、猛烈に嫌な予感が襲って来る。
それは恐怖や嫌悪ではなく、もはや予言の粋。
死線を見る事が出来ずともそれが境界線であると判断出来る。
直感さえもが止めろと叫んでいる。
その一歩を通り過ぎたら、もしも、ステラが離脱に踏み出していたら、確実に殺されていた。
どういう方法なのかまではわからないが、ステラはそう確信出来た。
身体が芯から冷える様な恐怖。
それは間違いなく、死の予感であった。
ステラは理解する。
自分がここに来た事から逃走を考える事まで含め、全部がアリスの罠。
足手まといとなる為だけに自分はここに招かれた。
しかも、今も含め全ての内心を見透かされている。
随分遠くにいるのに、たった一本の玩具に翻弄されているのに、それでも尚、アリスはそんなステラにさえ欠片程の油断も持っていなかった。
アリスに一切の慢心はない。
アリスに一切の拘りもない。
ただ、勝てれば良い。
ただ、クロスを殺せたらそれで良い。
だからこそ、それが最も容易い勝利条件であるステラの殺害に重きを置かない訳がなかった。
アリスに狙われているのにも関わらずステラが生きているのは、クロスの足を引っ張っているから。
クロスもまた自分がギリギリの中でも必死にステラの援護をしている。
存在するだけで邪魔となっているからこそ、ステラは今、生きる事が許されている。
それが屈辱的で、申し訳なくて、だけどどうしようもなくて……。
完全なるがんじがらめの中、笑うどころか泣く事さえ、ステラには出来ずにいた。
ありがとうございました。




