今を生きる貴女
ここにきて、クィエルは己の勘違いに気が付いた。
考えてみれば、これ程馬鹿な事はあるまい。
考えての時点でもう矛盾が顕わになっている。
クィエルは今まで自分の事を機械の集合体であると捉えていた。
上級機甲天使のほとんどを喰らった。
下級天使の大半も弄び喰らってきた。
中級と、そのついでに天使の拠点、所謂『生産施設』も喰らい、その機能を取り込んだ。
だからこそ、クィエルは単独でVOIDを生産し続けるだけの能力を持っている。
つまるところ、クィエルという存在は機械の複合体である。
単独での戦闘機能を持つ移動型大規模生産工場に等しい。
そう思っていた。
だけど、そうじゃなかった。
工場は憎しみで稼働しない。
機械は憎しみを溢れさせない。
天使は、感情に身を委ねない。
溢れ出る瘴気は憎しみを糧に無限に増幅される。
アリアに対しての憎しみがクィエルをより悍ましく、より歪な姿に変えていく。
何てことはない。
クィエルはアリスと出会ったその時から、天使でも機械でもなくなって……単なる『憎しみの怪物』に堕ちていた。
アリスの望み通り、世界を憎悪し破壊する怪物に。
全身にドス黒い瘴気を纏い、クィエルの姿が黒化していく。
基本一色で、瞳あたりの部分だけが錆びた赤に鈍く輝く。
膨大な靄は湯気の様で、同時にスモッグの様でもある。
はっきり言えば、穢れそうで触れたい様な容姿ではなかった。
奇しくも、その拳はメルトレックス形態のアリアに似ていた。
蛇腹状の甲殻に覆われた様な、そんな姿。
ただし、クィエルのそれは龍の鱗ではなく毒蛇の様な悍ましさがあったが。
アリアに拳が襲い掛かる前に、アンジェがアリアを押しのけカバーに入る。
そして、拳に拳を合せ殴り込んだ。
殴った後で後悔した。
合わせるなら拳ではなく、両腕か足であったと。
クィエルの拳に触れた瞬間アンジェの拳は砕け、肘から先が消失する。
即座に、アリアは神聖魔法にてダメージを留めアンジェの腕を治癒し元の状態に戻す。
その後にアリアは再び魔法障壁を張り、クィエルの前に立った。
「アリア引いて。こいつの狙いは貴女よ」
腕の痛みに顔を歪ませながら、アンジェは呟く。
だけど、アンジェの前に立つアリアは首を横に振るしかなかった。
「わかってます。だけど、引けません!」
狙われている事などその怒りを見ればわかる。
だけど、いや狙われているからこそわかるのだ。
ここで自分が引けばどうなるか。
自分がもし逃げたら、その時敵が何をするかを――。
アリアはどこまでも真っすぐで、純粋なまま。
綺麗な物しか知らない様なその瞳が、クィエルの劣等感を更に刺激した。
「……憎たらしい。ああ本当に憎たらしい……。憎い、憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い……」
恨めしい、羨ましい。
そう口にする事が恥ずかしくて、恨みだけが外に出て、惨めさだけが内に残って。
そうして感情は暴走し、より強大な呪いを出力する。
機械でも、魔物でも、ましてや人でさえない。
もはや魔導機文明という枠さえもクィエルは超えていた。
「――そう。お前は、そうなのか……」
クィエルはアンジェを見ながらそう意味深に呟く。
アンジェはアリアを庇う様に身構えた。
ミリアと天使達はVOIDとの戦闘に入り横槍を入れる余裕もない。
だから、いやだからこそ自分だけだとアンジェは考えた。
アリアを護れるのは自分だけなのだと。
アンジェの中にあるのは罪悪感である。
この惨状の何割かはアリスに協力した自分の所為だ。
だから、少しでも罪を注がねばならない。
誇り高いドラゴンだからこそ、アンジェはそれを決して違えない。
死んでもアリアを護る事。
それが二度と誇れぬ己が定めた、護るべき誓いであった。
それを、クィエルは理解する。
ただの天使ならば、ドラゴンの『誇りを命よりも貴ぶ考え』は中々に理解出来ない。
その上でアンジェはドラゴンとしても少々風変りで、更に状況も非常に複雑である。
理解する事は自身以外には難しいだろう。
だけど、クィエルは最も大切な部分を一瞬で把握した。
心の怪物となった彼女は、『相手が何を一番大切にしているか』を理解出来た。
汚す為に。
「……だったら、これがきっと一番面白いかな」
クィエルはぽんっと少し間抜けな音を立て、魔力の弾丸を生み出す。
炎の様な形状の黒い靄を放つ、人の頭位の大きさの球体。
それをクィエルはむんずと掴み、ボールの様に投げた。
馬鹿じゃない。
正直そうとしかアンジェには思えなかった。
適当に生み出した魔力の球体は、特に何の工夫もないのに物質化する程圧縮されている。
魔力とは本来目視さえ出来ない物だというのに。
全くもって馬鹿げている。
無駄に綺麗なサイドスローで投げて来た事もついでに何かむかつく。
魔力が渦巻き、空気をうねらせ、周囲の視界を捻じ曲げる。
単なる魔力であるのに、自分達のブレスさえもあれは上回っている。
こんな物当たったら、肉体さえ残らない。
だからこそ、アンジェは避けられなかった。
避けたら、その後ろにいるアリアに――。
「ああああああああぁぁぁ!」
咆哮と共に、真なるドラゴンの形態に。
そして全身全霊で受け止めようとして――。
「そう。そっちを選ぶの。じゃ、ばいばい」
とても悍ましく、クィエルは囁いた。
球体が触れた瞬間、ぱちんと弾ける。
そうして、アンジェは音よりも早い速度で遥か後方に吹き飛ばされた。
最初から、殺すつもりはない。
死が救いとなる相手を殺してあげる程、今のクィエルは温くなかった。
アレがアリアに当たれば、アリアは間違いなく死んでいた。
それは間違いない。
それならそれで良かったけれど、もう一つ思惑があった。
アンジェの心を砕く為の、もう一つの思惑。
『あいつがヒーコラ言って戻って来た時、護るべき相手がぐちゃぐちゃにされていたらきっと愉しいだろう』
だから、アンジェは殺さずに、絶対間に合わない距離に吹き飛ばした。
自分の策略が、嫌がらせが誰かの涙を生み出す。
そう考えたら、ゾクゾクッとする愉悦を感じるには居られなかった。
「さて……それじゃあ……」
邪気が、瘴気が、悍ましい負の感情があふれ出す。
あまりにも瘴気が濃すぎて全身を覆う鎧の様になっていた。
「次は貴女――いえ、もう少し仕込みましょうか。下ごしらえをどれだけ丁寧にするかで料理の味は変わるのよね? 私は知らないけど」
そう呟き、クィエルは天使達の方に目を向けた。
基本的にだが、下級機甲天使とは自分勝手な存在である。
自己中心的な部分が強いとも言って良い。
自己中心的な部分が強い天使が苦しい難民状態となり、しかも相手は圧倒的格上かつ一目で嫌悪感が湧き出て来る悍ましい敵。
そうなるとどうなるか。
当然、動きが相当悪くなる。
VOIDに近づかない様にして空から引き撃ちするのは良い。
だけど、逃げ腰過ぎる上に纏まりがない。
おかげで未だにVOIDは一機たりとも落ちていない。
元々大した戦力でもないのに役立たずこの上なかった。
とは言え天使皆がそうではない。
大体八割程がビビって逃げ腰になっているが、残り二割は違う。
残り二割はもっと性質が悪い。
なにせ、自分が死ぬ事を全く恐れないのだから。
むしろ戦って死にたいとか考えているのだろう。
天使としての矜持かアリスへの恨みか、はたまたダイナミックなだけの自殺志願者か。
理由は様々だろうが、今にも地上に降りそうな天使もいる。
どっちにしても役に立たない。
命を大切にしない奴が戦場で役になど立てる訳がない。
そんな天使達をクィエルは舌なめずりしそうな目で見ていて……アリアは、一瞬で状況を理解しゾッとした。
「逃げて! いや、逃げろ! 命令だ!」
アリアは天使達に叫んだ。
大半の天使は安堵と共に後退する。
だが二割は残った。
残ってしまった。
命令の意図を読み取れず、殿になるなんて馬鹿な考えを持って。
天使がバラバラになり、アリアが顔を真っ青にする。
そんな現状を、ミリアは地上でVOIDを相手にしながら見ていた。
状況は良くない。
だけど、最悪ではない。
まだ自分がいるのだから。
アンジェの代わり程度ならば自分はこなせる。
戦闘力は到底及ばないがサポート能力なら決して負けていない。
自分が合流し、アリアをサポートしクィエルを戦闘不能にする、もしくは離脱する。
そう考えアリアの元に合流しようとして――ミリアは見てしまった。
その瞳を。
アリアが自分を見るその瞳は、あまりにも力強かった。
言わなくても、言いたい事がわかってしまう。
わかりたくないのに、知らないフリをしたいのに、それさえもその瞳は許さない。
残酷なまでに、アリアは慈悲深かった。
『残りの天使の護衛をお願い』
クィエルの狙いはもうわかっている。
逃げ纏う天使を背後から殺す。
素直に撤退なんてさせる訳がない。
だけど同時に、それは本気ではない。
『遊び』
クィエルは今、娯楽代わりに天使を殺そうとしている。
天使の悲鳴をミュージック代わりに聞き、アリアの苦しみに愉悦を味わおうとしている。
だけど、それはあくまで『遊び』だから護衛でも居れば天使は守れる可能性は高い。
アリアの方を見た後、天使の方を見る。
決意を込めたアリアと異なり、天使は何も考えず逃げようとしている者と覚悟もなく死のうとしている者の二極化が起きていた。
ミリアの気持ちは単純である。
『アリアを護りたい』
本当にそれだけ。
アリアは自分のファンになってくれた存在である。
そうでなくともこの世界において非常に重要な要素を持っている。
未来の為にも勝つ為にも、アリアを護る事は最も正しい選択肢である。
対して、天使を護るという選択肢は良い事が何もない。
この後に及んでヘタレ死を恐れる天使と、死ぬ事が怖くないとばかりに突撃しかしようとしない馬鹿天使。
こんな奴らを護った所で何にもなる訳がない。
能力的にもそうだが、心情的にもあまり好めない。
こんな奴らを護ったところで百害あって一利なしだろう。
そう、こんな選択肢選ぶ価値さえない。
本物の黄金と偽物の鉛どっちを選ぶみたいな物で、もはや選択肢でさえない。
感情的にも現状的にも未来的にも選ぶべきは決まっているのだから。
アリアの目が見える。
縋る様な、祈る様な、そんな目が。
天使を見捨て、アリアを選ぶ。
その選択が出来る程、ミリアは心を鉄とする事が出来ない。
天使もアリアも助ける。
それが実現出来るのは、英雄と呼ばれる存在のみ。
自分はクロスの様には成れないと、ミリアはここで『理解』した。
心が折れたと言っても良いだろう。
そもそもの話だが、前提が違う。
選択肢があるのは今を戦う人類のみで、ミリアに選ぶ権利はない。
それが……ああそれが、ミリアとアリアの、明確な違いなのだろう。
ヴィクトアリアは生きていて、ヴァーミリアンはそうではない。
その差。
ミリアは――確信が持ててしまった。
この選択は、きっと生涯後悔する物になると。
「お前達も引きなさい! 足手まといよ」
そう叫び、ミリアは自ら殿となって残った天使を退避させた。
離れていきながら、誇らしそうに頷くアリアの顔を、ミリアは泣きそうになりながら最後まで目に焼き付けた。
ありがとうございました。




