世界に愛されし美しき少女/世界を呪う悍ましき怪物
ぶっちゃけて言えば、鏡の試練はミリアにとって滅茶苦茶きつい物だった。
ミリアは人ではなく天使である。
だからだろうか、人にとっての試練となる様設計されたゲームは容易い物ではなく、必要以上に足踏みする事となってしまった。
楽しい過去が繰り返される事は、あり得ない過去が見える事は、テアテラと……亡くなった親友と再び語れる事は、ミリアにとって抜け出せない毒沼であった。
人よりも記憶力に優れる彼女に、幻想の過去は重くのしかかる。
翼を捨て、自らの手で誇りを失ったミリアにその試練は重すぎた
。
だからこそ、僅かであっても彼女は誇りを思い出せた。
もうアイドルには成れない。
天使である自分を捨てたから、天使でさえ居る事も出来ない。
だけど、機械であるが故に人となる事も出来ない。
隣人となる事さえ今のミリアには叶わない。
それでも、そんなに自分にだって出来る何かがあるはずだ。
そんな風に、希望が持てた。
自分が生きる意味がまだあると思えた。
だが、まだだ。
そんな淡い気持ちだけではまだ脱出出来なかった。
決意だけでは届かなかった。
希望に加え、もう一つ。
仮想の空間で、自分が偽物だと理解したテアテラが、背を叩き送り出してくれた。
全てを理解し、自分がもう偽物であると受け入れた上で、ミリアの為を願った。
応援してくれて、抱きしめて、泣きながら、信じてくれた。
例え『自分』の事は信じられなくても、友が信じてくれた『ミリア』の事なら、もう少しだけ、信じよう
そう思いミリアは試練を越え、外に出て……すぐ、自分のすべき事を理解した。
余韻に浸る時間さえなかった。
それは、あまりにも禍々しかった。
相当遠くにいる。
なのに、瘴気と呼ぶに相応しい邪気が肌に纏わりついてくる。
機械生命体である自分がそんな曖昧な物を感じるなんてのはよほどである。
見える範囲の植物の元気がない事も、周辺に獣が全く居ない事も、もしかしたら無関係ではないかもしれない。
どれだけ禍々しい感情を持てばこんな事が出来るのか。
だからミリアは、死地とわかった上で迷わすそこに向かった。
悍ましさとは裏腹に、それはただただ美しかった。
瘴気の中心にいるその姿は、女神だと言われても違和感がない程に。
そう……その存在は翼を持ちし天使と呼ぶよりは、地上に降り立った女神の方が適していた。
だけど、その美しさは自然ではなかった。
完璧過ぎて共感が一切持てない。
作り物の美しさその物はミリアだって否定しない。
それをすれば自分という存在を、かつての行動全てを否定する事になる。
そうではなく、美し過ぎるのだ。
天使とは元々人を導く為、救う為に作られた。
故に美しい容姿を持つ。
そんな天使ともまた今のクィエルの姿は異なる。
例えるならば、彫像。
または絵画の中から抜け出した存在。
あまりにも完璧過ぎて違和感が強く、美しいのに不気味という感想が先に出て来る。
人に似せ作られた天使と異なり、人とはまるで思えない美の怪物。
それが、今のクィエルだった。
クィエルが何を企んでいるのかミリアにはわからない。
ただそれでも、クィエルを放置して良い訳がない事だけは理解出来た。
その瘴気が、その死の気配が、その美貌が、その狂気が、その笑みが、答えを示している。
彼女は、この世界の敵なのだと――。
ミリアは喰われた人形の代用として、土をベースにした人形を作りクィエルにまとわりつかせる。
クィエルに喰われ大きく弱体化した中でもなんとか作り出せる緊急用の人形。
これでも下手な魔物程度なら対処出来るのだがクィエルには無駄だろう。
とは言え、先程の様な完全金属の人形だって一瞬で朽ちたのだから、土人形であっても誤差で大した問題ではない様にも思える。
その位、力量差は圧倒的であった。
思いっ切り殴りつけているのに、微動だにしない。
同じ事をミリアは出来ない……いや、上級機甲天使全員が出来ないだろう。
頭に全力スイング叩き込んでも全く揺れない辺りでスペックの格差を感じられた。
無駄にしかならないとわかった上で、ミリアは人形での攻撃を続ける。
ダメージを与える目的ではなく、相手の情報を取得する為に。
クィエルの異常過ぎるスペックを考えると肉体だけにその質量を収められる訳がない。
だからどこかに本体並びにコアがあると考えての行動であった。
あったのだが……どうもそうではないらしい。
天使としてあまり非現実的な事を言いたくない。
だけど、そのあり得ない結果をクィエルの情報密度が物語っている。
わかりやすく言えば……城下町。
魔王城城下町全て、建造物だけでなく地面さえも含め総てを金属とした状態とほぼ同じだけの質量をクィエルは持っていた。
「貴女……その身体、一体どうなってるの?」
「どう、と言われましても? そうとしか」
「……何をどうしたら、そんなデタラメな質量になれるのか参考までに聞いておきたいんだけど?」
「簡単ですよ。自分以外の天使を全部喰ってしまえば良いんです。貴女のお友達の様にね」
「挑発のつもりだったら、もう少し捻りが欲しいわ」
「こんな風に?」
クィエルは自分の顔をテアテラと同じに変え、『助けて……大好きなヴァーミリアン』と泣きながら呟いた。
「甘く見ても五点ね。貴女に悪口は向いてないわ」
「……本当、ムカつくわね。貴女、さっさと喰おうと思ったけどやめるわ。他の天使達がどうなったか体験させてあげる」
クィエルの胴体が膨れ上がり、獣の頭部に変形する。
更にはみ出て、巨大な鋼の獣が腹から生み出された。
ただし、その獣の下半身はクィエルと繋がったままだが。
カバの様にも見えるしワニの様にも、太ったドラゴンの様にさえ映る。
それは何にでも見える程酷く不格好で、そして不気味であった。
錆びた鉄板や歯車といった部位で肌は構成されている事も考えると、下手くそな子供の工作にも見える。
ただ、口からはスモッグの様な煙を吐き目からオイルを流すその姿はまごう事なきパニックムービーの主役であった。
「もう少しデザインセンスないの?」
「勝手にこの形になるのよ」
「……貴女の性根腐り過ぎじゃない?」
「おかげ様でね。死ね」
口が胴体まで裂けながらミリアに襲い掛かる。
ミリアは人形二体に自分の両手を掴ませ、自分を後ろに投げさせた。
噛みつく牙は二体の土人形を砕き、再びミリアに瞳を合わせる。
即座に襲い来るVOIDを回避しながら、少しずつ土人形を補充し盾とする。
正直、勝機はまるで見えない。
純粋なスペック差があまりにも酷過ぎる。
蟻と象なんて言葉があるがそれ以上。
純粋な差で言えばミジンコと象位の差はあるだろう。
それでも、例えどうしようもなくとも退く事は出来ない。
この世界を愛する天使として、ここだけは逃げてはいけない様な気がした。
途中で自ら攻撃するのを止めて、無数のVOIDに襲い掛かられ、波状攻撃に苦しむミリアをクィエルはただじっと見ていた。
ぶっちゃけて言えば、アリスの真似。
アリスの様に自分は何もせずただ用心だけして、VOIDに適当に命令を出す。
自分に余力を持たせ相手を削り、いざという時の逆転さえ潰すアリスの手法。
とは言えアリスの本質を理解しないうわべの真似なので単なる手加減、またはVOIDだけでどうなるかの実験とも言えるだろう。
VOIDはクィエルの恨みの感情、生者への妬みにより構成されている。
分類上は死者に等しく、死を感染させ恨みの連鎖を起こす。
ホラームービーでおなじみの『幽霊』に最も近い存在と言えるだろう。
スペックは空を飛べない事、足が遅い事、動きが単調な事を除けば、ほとんど上級機甲天使に近い。
そして単調で遅いとは言え容易く回避出来る物ではなく、その上噛みつき一度でも、小さな傷一つでも付けられたらデッドエンドとなる。
そんな物が秒間で何十、何百と製造出来る。
はっきり言ってこの世界最強の兵器であると言えるだろう。
そう……ミリアの様な弱体化上級天使如きにどうにか出来る物ではない。
そのはずなのに、ミリアはVOIDの攻撃を耐え続けていた。
クィエルの用意したVOIDはジャスト二百機。
それ以上でも全然出せるのだが、既に四方を囲んでいる為数を増やしても意味がないと考えそこで停止し他の場所で活動させている。
対してミリアの用意する土人形は大体三体から四体。
VOIDに壊されながら緊急再生成を繰り返している為安定していないが、最低三体は維持している。
たったの三体。
しかもかなり無理しての生成の為性能もかなり下がっている。
それだけで、二百のVOIDから耐え凌いでいた。
実際接触し戦っているVOIDは精々四十程度だが、それでも四十と三というとんでもないレート比であった。
あり得ない事だ。
通常のVOIDでもそうだが今はクィエルが傍にいる。
いつもの突撃しか出来ない状態と違いある程度の指揮を行える状態だ。
そんなVOIDを相手に戦いになる程度の抵抗が叶う?
いいや、出来る訳がない。
性能が高い四十が性能の低い欠陥機三機を押し潰せない。
そんな道理がどこにある。
とは言え実際そうなっているのだから、認めるしかなかった。
ミリアの指揮能力は圧倒的な演算能力を持つクィエルを凌ぐと。
「そう言えば、誰かの記憶にありますね。演算能力による指揮は本職には敵わないと。こういう事か……」
見事という他ない。
全くもって素晴らしい事で……そしてそれ故に憎たらしい。
何故速やかに死なない。
何故私に『生』を見せびらかす。
私はこれほどまでに渇望しているのに、どうしてお前達はそれを平然と持って生きていられる。
憎たらしい、妬ましい。
同じ天使、同じ機械でありながら貴様ら上級と呼ばれる魂持ちが、心底憎たらしい。
「さて、どうしようか……」
この状況に変化を咥える為、クィエルは簡易のシミュレートを行う。
まず、VOID突撃。
それは兵として動かすのではなく、いつものゾンビ戦法でもなく、ただ何も考えずVOID同士擦り潰しながら対象に突っ込ませる強引な強襲。
わかりやすく言えば津波の擬似再現だろう。
ドラゴン相当のパワーを持つVOIDだからこその最悪の一手。
指揮戦が得意な相手に滅法強い純粋たる暴力である。
だが、これは却下した方が良いだろう。
十中八九殺せるが、仕留め損なった時相手を見失ってしまう。
ついでに言えばあっさり殺してしまうのはもったいない。
続いて、VOIDで遠距離戦を行う。
通常ならば不可能だが直接指揮を執る今ならばそれが可能である。
と言っても投石と体内オイルを高圧で射出するだけだが。
だがこれも止めた方が良いだろう。
指揮能力で負けている相手に指揮戦を仕掛けるというのはあまり賢い戦法とは言えない。
場合によっては多少相手が切り返して図に乗るかもしれない。
それはまあ、ちょっとムカつく。
だったら後は……。
「出来たらVOIDで嬲りたかったけど……直接動くしかないわね」
クィエルは意を決しVOIDをミリアから遠ざけ突撃しようとして――無数の光弾を喰らった。
全身に浴びる懐かしい天使の銃撃。
それを行ったのはクィエルではなく、裏切り者達。
空から恐る恐るという様子で無数の下級天使共が、魂を持たぬ癖にそれにさえ気づけない愚か者がそこにいた。
だけどそれはどうでもいい。
そう……はっきり言って魂なき下級共などどうなろうと知った事ではない。
天使と共にアンジェという名のドラゴンが来たけれど、欠片も興味がない。
たかだかドラゴンなど、今のクィエルにとって脅威ではない。
いや、この世界で脅威と呼べるのは、既にアリスのみである。
だから重要なのはそんな事でなくて……もう一人がそこに居るという事実。
彼女達の代表である存在が、そこに――。
『ヴィクトアリア=トリエ・光天使・ヴィッシュ』
彼女が、この場に現われた。
「お前だけは、お前だけはああああああああぁぁぁぁぁぁ!」
気が狂いそうになりながら、クィエルは空に舞うアリアに突撃する。
天使でありながら、理性を捨て、クィエルはただ憎悪と妬みのみを行動原理としていた。
アリアの魔力障壁に阻まれ、破ろうと腕を押し付けながらクィエルは思考を巡らせる。
天使でないのに天使を名乗る傲慢さ。
機人でありながら神であり、そうして多くの人に受け入れられ、万人に――いいや、世界に愛された存在。
彼女の周りには常に愛があり、彼女は常に幸せを享受出来る。
天使としての誇りも、神としての尊厳も、機人としてのあり方も、総てを失わず肯定された、人の子。
全くもって反吐が出て来る。
憎すぎて、頭が真っ白になってしまう。
クィエルは必死に状況を考え様とするが、感情が邪魔をして何も考えられなくなっていた。
こいつだけは絶対に許せない。
妬ましい、欲しい物を全て持っているこいつが、こいつだけが。
機人であり、人間であり、天使である?
許せる訳がない。
クィエルだって、本当は魂を取り戻し正当な天使でありたい。
だがそれはもう二度と叶わない。
失われた物は、命よりも大切な物で、そして二度と帰ってこないからだ。
だというのに、天使でないのに天使を名乗る?
その上天使としての能力まで持っている?
私が焦がれた物を全く無関係な奴が手にして、光天使を名乗っている?
最も欲した天使である事、理想の姿である神である事、愛される人である事。
全てが気に食わない。
ぐちゃぐちゃに壊して、蹂躙して死体の尊厳させも汚してやりたい。
更に、天使にとって上位存在である機人でもあって、守護対象である人間でもある?
欲張り過ぎだ。
その全てを当たり前の様に持って、そして当たり前の様に愛されて……。
つまりところ、クィエルはアリアが誰よりも気に食わなかった。
なにせ『欲しい物を全部持っているから』のだ。
自分の理想の更に先の姿とさえ言っても良い。
クィエルが死ぬ程焦がれ、どうしても手に入らず世界を呪っている物全てプラスアルファをこいつは持っている。
許せない、ああ許せない、許して良い訳がない。
クィエルだって魂を持って、天使であって、皆に愛されたかった。
機人にも人にもちやほやされて、愛されているから愛するという事がしたかった。
そう……クィエルは、誰かに愛を捧げたかった。
だけどその相手はいない。
クィエルは捧げられる事もなければ捧げる事も出来ない。
暗い地の底にいる自分と違って、アリアは天上で全てを手にしている。
何度考えても、どれだけ思考しても、憎しみのループに囚われる。
妬ましくて死にそうになる。
だから……だから……。
「だからお前だけは許せない! お前だけは、絶対に! 絶対に!」
アリアを護る障壁が砕け、クィエルの拳がアリアに襲い掛かった。
ありがとうございました。




