アリスの本気
彼/彼女は静かに紅茶を口にする。
部屋の外から聞こえる鋭い金属音を耳にしながら、それに触れないまま。
これが最後の時間だと、彼/彼女は理解していた。
彼はその音を心地よく感じていた。
美しく、無駄のない動きから繰り出される刃の音。
培ってきた努力では決して為せない、天性の才能故の物。
同じ技量であるのなら、努力した者の方が美しい。
そういう声はあるが、誰よりも努力したクロスは逆だと思っている。
天性の才で磨かれた物は、無駄も歪みもない。
故に、美しい。
だからこそ、外から聞こえる最愛の願いの剣は舞う様に美しく、流れ出る音もまた演奏の様であった。
彼女はその音を忌々しく感じていた。
予想はしていた事ではあるが、やっぱりふざけている。
何の理解もなく隔離空間を認識し、あまつさえ切断出来るなんてのは一体どういう理屈だ。
言葉にするなら『空間断裂を切断する』なんてチープな物で、はもはや真っ当な人間に出来る事じゃあない。
重ねて来た努力ではなく、天性の才能故の芸当。
剣士としての彼女は雑魚同然だが、道具としての彼女は相当に面倒である。
だからこそ、この空間を切り開く鋼の音、無数の斬撃による騒音が憎たらしかった。
せっかくお友達ごっこしていたクィエルの、最後に淹れてくれたお茶の味が濁ってしまうじゃないか。
イメージで例えるなら、風船だろう。
閉じていた空間が強引に斬り込まれ、はじけ飛ぶ。
最後の斬撃を打ち込んだ時、ステラはそう感じた。
そして純白だけの空間が広がった。
空間断裂が、その為の防護障壁が、様々な罠が、総て斬り裂かれた。
アリスの作った空間が全て、無に帰した。
だけど、そこは元の世界ではなかった。
壁は見えない。
空もない。
全てが虚無で、総てが白。
認識出来る者は床という名前の足場のみ。
現実であって現実でない、アリスの生み出した擬似世界。
その第二の形。
全ての罠が壊された。
想定内である。
用意した罠は内側に向いた物であった為外部からの刺激に限りなく弱い。
最初から概念を切断出来るステラに通用する様な代物じゃなかった。
というか、元々この状況に持ち込むまでにクロスが襲って来た時の対策として作っていた物である為、使われずとも役目は十分に果たしている。
ステラが入って来た。
想定内……というかこれはアリスにとって絶対条件である。
アリスとしての最悪は、クロスとの一騎打ち。
実力的に負けるつもりはさらさらない。
だけど、嫌な予感しかしない。
運命の流れがそう導いているから、きっとそうなれば殺される。
そもそも理外の化物と二人っきりなんてのは御免だった。
だから、それだけは絶対に避けたかった。
同様として、ステラとの一騎打ちも。
クロスとステラと同時に相手にする事こそが、最も無難で最も安定して戦える。
時間に関してだけは完全に想定外。
一週間程予定が前倒しになり、使えなくなった策も幾つかある。
とは言え、大した問題ではない。
大筋はアリスの考えた流れに添っていた。
『他全員を排除して足手まといのステラだけを連れた状態のクロスと戦う』
これが通れば、後は誤差とさえ言える。
勝利を確信しているとさえ言って良いだろう。
とは言え、それはあくまで作戦としての話。
生きたいと願うアリスにとって死を彷彿とさせてくる彼らと相対する現状は、ただただ恐怖でしかなかった。
心臓がばくんばくんと震えている。
死神の鎌が見えて来そうだ。
常日頃から恐怖している死が、すぐそこにまで来てしまっているという錯覚に陥る。
胃液が逆流しそうになる。
肌に痛みが走り何もない部位から出血する。
発熱し意識が朦朧としそうになる。
抑えていた体調不良が、どさっと襲い掛かって来ていた。
アリスは誰よりも臆病で誰よりも怖がりである。
だけど同時に、それを克服するだけの心も。
それは勇気とさえ言い換えても良いだろう。
誰よりも勇気があったから、恐怖を閉じ込め今日まで生きて来れた。
震える手を止め、高鳴る心臓を抑え、平常心に戻す。
魔法でも能力でもなく、単に気持ちを切り替えて。
そして、戦う準備を始めた。
「やっと……やっと終わる。やっと私の因縁に蹴りが付けられる」
そう、小さな声で呟き、魔法を発動させた。
「クロス、無事!?」
空間を叩き斬った後ステラは叫んでクロスの隣に立ち、アリスに向かい剣を向けた。
「ああ。ありがとう。そして状況はわかる?」
クロスは微笑みながら、相棒を抜き力強く構えた。
ピュアブラッドモードとなりステラの服装は黒くなる。
クロスが全力で戦うつもりだと理解出来た。
「今から本気で戦う位しかわからないよ」
「十分過ぎる!」
クロスは剣を抜きアリスに突撃して――死の気配を察知し即座に足を止める。
その直後に、ブンっと何かが素早く移動する音が聞こえ、クロスの首をかすった。
音と感覚的に刃物。
もう一歩前にいたら、きっと首は落ちていただろう。
気づくのが、ギリギリになった。
あまりにも濃厚過ぎて、感覚が鈍っていた。
この白い世界が真っ黒に感じる程、無数の死線があちこちに彷徨っていた。
今日程死の線が見えた日はなかった。
死んだ時でさえも、ここまでではなかった。
「クロス、大丈夫?」
「ああ! これは……」
クロスは自分に襲い掛かってきた『それ』を確認する。
それは、『剣』だった。
長めのショートソード、短めのロングソード、そんな感じの剣がふわふわと自発的に浮いている。
かと思うと切っ先がクロスに向き、そのまままっすぐ突っ込んで来た。
クロスはトレイターで襲い掛かって来る剣を弾こうとする。
だが思ったよりもその力は強かった。
ただ浮いているだけの癖にまるでオーガが振り回しているかの様な怪力で、鍔迫り合いとなり押し込まれようとしていた。
「……くっ!」
一歩下がり、相手の剣を受け流す。
それでようやく、剣は離れた。
ちらっとステラの方に目を向ける。
ステラも宙に浮く剣を相手に戦っていた。
「……この魔法、アレだよね?」
その戦法に心当たりのあるステラの言葉。
これまで誰もアリスの本気とは戦った事はない。
だから何が来てもおかしくないし驚かない。
だけど、これは色々な意味で想定外というか、これが本当にアリスの全力なのかという疑いが消えない。
それはクロスも同じ感想だった。
なにせ今アリスが行っている魔法はとても有名な物であり、そして同時に致命的な欠点が存在するのだから。
それをアリスが知らない訳がない。
だけど……それは、その意味は……。
本質に、クロスは辿り着く。
アリスの事を誰よりも見て来たからこそ、その本質、その意味に。
クロスは顔を青ざめさせた。
確かに、ステラの考えは間違いではない。
今アリスの使っている魔法は現代では誰も使わない欠陥品の魔法である。
代用だったりアレンジした場合だったもあるが、これはそうじゃない。
遥か昔に使われなくなった、言葉通りの欠陥魔法。
だからこそ、アリスがその戦法を使っている意味に、実用化した理由にクロスは気付いてしまう。
それはどんな一撃よりも心をへし折ろうとする、絶望そのものだった。
『魔法で刃を操り前衛を用意する』
それは魔法使いであるならば誰もが一度は考える事だろう。
魔法使いは純粋なる火力役であり、前衛が存在する場合とそうでない場合では大きな差がある。
高度な呪文程詠唱や準備に時間がかかる為、足止めがなければ魔法使いは本領が発揮できないからだ。
いや、極一部を除いた大多数の魔法使いは前衛なしでは役立たずであるとさえ言っても良いだろう。
だから、魔法使いにとって前衛はなくてはならない重要なパートナーである。
だけどそう考える者ばかりではない。
魔法使いはエリート思想である者が多く、それ故非魔法使いである前衛を肉壁と思い見下す。
同様に、前衛は魔法使いを普段は何もしない置物と思い見下す。
そういった風に互いを尊重しない間柄というのは決して珍しい物ではない。
そして互いに互いを見下すのならば、必ずとある問題が生じる。
そう……金銭問題である。
魔法使いは基本的に金食い虫である。
ただでさえ道具の出費や維持に金がかかるというのに、もし魔法研究を行うのなら更に必要となる。
そんな状態で前衛に賃金を払いたいと思う奴がいるだろうか。
逆に、命懸けで身体を張っている前衛が普段役立たずな魔法使いに対し多めに金銭を払いたいだろうか。
ただでさえ臨時パーティーでは問題が起きるのに、魔法使いと前衛の間では金銭トラブルとなる可能性が非常に多かった。
だから、その魔法は編み出された。
魔法使いが前衛を魔法で用意し、その間に本命の魔法を用意する。
前衛などという馬鹿の為に金を払う必要がなくなる、画期的な魔法。
とは言えそれはバニラアイス乗せハニートーストよりも甘い考えであった。
魔王国では現在、この手法を『禁術』として指定している。
それは危険であるが故の禁忌という意味ではなく、ただ『無駄』であるからだ。
この魔法は育てる価値はない。
この魔法は極める意味がない。
この魔法にかけた時間は、無駄である。
現代魔法理論では、そう判断されている。
理由は幾つかあるが、わかりやすい部分で言えば『本末転倒』である事だ。
一般的な魔法使いが刃を操った場合、一本操るのが精々である。
ただ魔力の刃を飛ばすだけならば別だが、前衛と同じ役割を持とうとすればどうしてもそれだけの集中力、魔力を使う事となる。
一本刃を操ればそれにリソースの大半を注がれるという事である。
それはつまり……魔法使いとしてもうこれ以上何も出来ないという事。
本命の魔法を放つどころじゃなくなる上に、出来た事は劣化前衛程度。
劣化前衛となる位ならば、魔法で金策を行い本職の前衛を雇った方がよほど対費用効果は高い。
という訳で、本末転倒という言葉が似合う位にはこの魔法は欠陥品であった。
それでも、後衛が前衛の能力を持てるという一点において価値はあるだろう。
そう考えた魔法使いだって当然居た。
だから、禁術となったのだ。
独りの偉大なる魔法使いを失う事になったが故にそう結論付けられ、そしてそれは今世になっても尚変わっていない。
その禁術となる致命的欠点は、アリスでさえ克服出来ない様な大きな物であった。
かつて、独りの偉大なる魔法使いがいた。
彼は魔法の研究者として最先端に位置する者、今で言えばアウラフィールの様な魔法使いであった。
彼は高い戦闘力を持っていたがそれはあくまでおまけであり、本職は魔法研究だった。
彼は多くの魔法を魔法使いの為に、諸政の為に、民の為に、世界の為に編み出し続けた。
だから、彼自身研究が失敗しても良かった。
別に強くなる必要はないからだ。
百が一でも成功し、その魔法が実用化出来たらそれで良い。
そういう誰かの為になる事をする研究者であったから、彼は市政において高すぎる評価を得ていた。
彼はこの魔法を研究した。
もっと気軽に扱えれば多くの魔法使いが助かる。
貧乏な研究者や冒険者の魔法使いの地位向上に繋がる。
そう思い、必死に研究を重ね――彼は完成させてしまった。
魔力にて剣を生成し、自由自在に操り前衛として戦う事の出来る技術。
一流の剣士に匹敵する能力を持つ魔法を、彼は完成させたのだ。
そうして――偉大なる独りの魔法使いを失う事となった。
馬鹿馬鹿しい位に単純な落とし穴が、そこにあった。
本当に、理由は単純明快なである。
『直接操った方が強い』
魔力を使い遠隔にてわざわざ剣を常時操作する位なら、そりゃあその二本の腕を使った方がよほど快適に剣を操れる。
しかも二本の腕を使えば、魔法を扱う余地だって残る。
そんな訳で偉大なる魔法使いであった彼は、後世まで歴史に名を残す超偉大なる魔法剣士となってしまっていた。
彼の犠牲により、最終的な結論が打ち出される。
遠隔操作する位なら直接斬った方が早いし強い。
無理に前衛やる位ならなら前衛を雇えという、至極当たり前の結論が。
この事実は魔物にとっては割かし有名な事であり、メディどころかクロスやステラも知っている。
だから、ステラはアリスがこの魔法を使って来た事に『あれ?』という疑問を持っていた。
欠陥魔法が本気というのは正気とは思えない。
だから、これはアリスの本気ではなく手加減か様子見か何かの罠かとステラは考えた。
そうじゃない。
これは紛れもなくアリスの本気の戦い方であり、本命の戦法。
まごう事なき、本気である。
クロスは、その答えを理解出来ていた。
現在、クロスとステラはアリスの遠隔操作する剣を相手に大体対等に渡り合っている。
二本の剣はクロスとステラを解体せんと宙を舞っている。
押し込まれもしていないが、アリスの元にも辿り着いていない。
大体、同じ位の実力だと言えるだろう。
遠隔操作の魔法である為、アリスの命が危険にさらされる事はない。
また魔力にて生成された刃である為、魔力が切れない限り無限に生成出来る。
何なら剣を一、二本くらいは増やす事も出来るだろうし、アリス程の腕前なら剣を操りながら同時に魔法を扱う事も出来るだろう。
アリスとはそういう規格外なのだから。
それでも、リソースの大半を剣操作に使っているからそこまで強力な魔法は使えないが。
そう……命の危険にさらされないというだけでアリスの選ぶ戦法としては非常に正しい。
正しいのだが……一つ、逆説的にこの戦法が通用する為の理由が、アリスがこれを本命の戦法とする理由の裏が存在する。
遠隔操作にて剣を操る魔法は完成したとしても、通常技量の半分程度が限度。
それが、偉大なる魔法使いを失い判明した歴史的事実。
それを踏まえると……アリスは剣士として誰よりも圧倒的格上だという事を意味してしまう。
現在、アリスの操る遠隔操作での剣はクロス、ステラと対等な戦いとなっていた。
だとするならば、単純計算でも二倍、クロスとステラを同時に相手にしている事を踏まえると四倍位だろう。
アリスが直接剣を握れば、最低でも今より四倍強いという事になってしまう。
アリスは間違いなく、魔法使いとしても最上位である。
少なくとも、実戦型魔法使いとしては世界最高峰だろう。
同時に、剣士としてもクロスとステラを合算しても足元に及ばない程の高みにアリスは立っている。
そんな事実が、クロスに見えてしまった。
近づく事さえ出来ず、そして近づいたとしても勝つ事は出来ない。
それは、クロスが絶望するに十分な理由だった。
クロスが気づいた事を、アリスは気付く。
アリスはその事実を肯定する様、穏やかな微笑をクロスに見せた。
今回に限ってだが、自分の情報が、事実が知られる事は都合の良い物であった。
最初からアリスの目的は、クロスが自死を選ぶ程に心を折る事なのだから。
ありがとうございました。




