ヘルケルベロスぽんこつ風味
その種族格差は理不尽と感じえない。
クロスは火伏との殴り合いに、確かに勝った。
鬼相手に対して一歩も引かずの殴り合いなんて頭の悪い事をし、その上で全てを振り絞り勝っている。
とは言え、そのダメージは決して少なくなかった。
気絶から二時間程後に目覚め、その後をエリーの魔力を利用した治療を受け、ついでに朱雀街の治療院から傷薬を貰って。
そこまでやっても傷は治り切らず、体はどこかだるい。
いや、傷だけなら粗方塞がっているのだから十分ありがたいし凄い治療を受けたと思っている。
ただ、目の前にいる火伏を見たら格差を感じ得ずにはいられなかった。
何の治療も受ける事なく、全ての傷を完璧に完治し体力すら元に戻っている火伏を見て。
力に優れ、怪我に対してめっぽう強い。
それが鬼という種族。
その鬼の中でも、火伏はより鬼特有のそういった能力に秀でていた。
朱雀門傍にある宿舎。
そこで、火伏はクロスの方に向かい頭を下げた。
「さて、名代殿。此度の事を内々の処理としてくださった事を、それと朱雀街の流儀に合わせて下さった事、心より――」
「他の誰かに見られてるならともかく、内々であるならそんな仰々しい態度はいらないぞ。それに、俺達は楽しんで拳をぶつけ合った仲だ。よそよそしい態度はいらん。喧嘩ってのはそういうもんだろ?」
そんなクロスの言葉に火伏は少しだけ驚いた表情を浮かべた。
「……そう言ってくれるならありがたい。悪いな、そこまで俺達の流儀に合わせてしまって」
「良いさ。堅苦しいよりよほど俺好みだし」
「そうか。次は負けんぞ。クロス」
「正直次は嫌なんだが……ま、挑まれたら返り討ちにしてやんよ。火伏」
そう言葉にするとお互い笑い、拳をこんとぶつけ合わせた。
これだけで、もう友と言える様になった。
友と呼べる間柄となれた。
そんな単純な男同士の間柄に、エリーと桜花は子供っぽいと思いながらも、それでも、羨ましいと感じずにはいられなかった。
「さて……では我が友クロスよ。今からとても面倒で、正直投げ出したいのだが……そういう訳にもいかず。どうしようか揉めている事を話したいと思う。良いだろうか?」
火伏が真面目な口調でそう呟く。
それを聞いて、クロスは頷いた。
「ああ。それは、あれに関する事だろうか?」
クロスは火伏ではなく、全く関係ない方角を見ながら訊ね、火伏はそれに頷く。
「ああ。あれの事だ。なあ、桜花」
呼びかけられ、この部屋にいる全員、クロス、エリー、火伏に見られる桜花達は体をびくんと震わせた。
桜花は縮こまりながら震え、顔を青くしていた。
「は、はい。覚悟は出来ております……」
三体ハモってのその言葉。
それには決死の覚悟……というよりも屠殺場に連れていかれる動物の様な、そんな様相だった。
今回の騒動がどういう内容で、そしてどういった結末となったのか。
それを端的に示すなら、名代という立場そのものが最大の主軸となっている。
内容で言えば、末端とは言え門番に籍を置く者とその配下が朱雀街で不埒な真似事をしたに過ぎない。
だが、その相手は名代であり、しかも副門番長に至ってはその加害者の門番ではなく、あろうことか加害者を庇って被害者の名代を取り押さえようとまでしていた。
蓬莱の里はもう国ではないが、魔王国との関係で一番適切なのは属国支配となる。
その蓬莱の里の門番という重要な立場の物が、魔王国の顔である魔王の代理に無礼を働き、捕まえようとした。
それは、反逆に片足突っ込んだ行為と言っても良かった。
そしてこの問題を適切に処置した場合、二桁単位の首が物理的に飛び、同時に朱雀門そのものの解体となってくる。
クロスの性根そのものは未だ小市民そのものであり、そんな大げさな事態に自分の所為でなるというのは、心臓がきゅーっと締め付けられる様な嫌な痛みを覚える。
だから少しでも軽くしようと考えられたアイディアが、朱雀街の流儀に合わせての、門番長との殴り合いだった。
蓬莱の里内での二度目の喧嘩だからこそ、クロスが望んで喧嘩をしたという宣伝に繋げられる。
大きな騒動を別の大きな騒動で誤魔化すという、無茶苦茶かつ強引な手法。
だけどそれが上手く行き、何とか大事にする事はなくなった。
とは言え、全ての罪が綺麗になくなる訳ではない。
門番に携わる者が名代並びにその配下に働いた無礼。
そののち被害者である名代側を捕らえようとした事。
それだけではなかった。
調べて見たらあのゴブリンの門番のやってきた所業が出て来る事出て来る事。
門番という立場を利用しての悪行三昧。
しかもその直属の監視役であり連絡役であり、更にはゴブリンの提出した報告書類を確認し管理するのは、副門番長の仕事だった。
つまり、現在クロスの友となり大げさにしないという大義名分から許された門番長火伏とは異なり、本当にあらゆる意味で副門番長の桜花は許されていなかった。
「いや、別に何もする気はないし……なあエリー」
その言葉にエリーは不服そうな顔をした。
「別に、この方に対しての恨みは少ししかありません。ですが……本来もっと罰すべき方々がいるのではないでしょうか? そちらの話は聞いていませんが」
若干拗ねた口調のエリーにクロスは苦笑いを浮かべた。
そう、この場にはそのゴブリンの門番も、その部下もいなかった。
「……事後報告で申し訳ありませんエリー様。既に刑は執行しております」
火伏はクロスとは異なり丁寧な口調でそう言葉にする。
若干以上に違和感があり、普段では絶対にこんな話し方はしないとほぼ初対面のクロスでもわかる様な話し方。
だからこそ、それが火伏が出せる最大限の気遣いであるとクロスには理解出来た。
「その刑が死刑であるなら、私は何も言わず納得しますが」
「いえ。追放刑です」
そう、火伏が言葉にするとクロスとエリーは同時に顔を顰めた。
「……重すぎないか?」
「軽すぎませんか?」
同時でありながらも正反対の言葉。
ちょっかいをかけてきただけなのに追放は重すぎると考えるクロスと、不快な思いと名代を馬鹿にした事に対して軽すぎると考えるエリー。
その二人の言葉に頷き、火伏は立ち上がった。
「桜花。ここで待っていなさい。お二方は、私に付いてきてもらえますか?」
火伏の言葉に頷き、クロスとエリーは黙ってその後ろに付き、部屋の外に出ていった。
「とりあえず、火伏様。貴方に対して思う事はありませんし、主であるクロスさんよりも扱いを良くされると居心地が悪いです。どうか普通に、気楽に部下位の気持ちで話してください」
エリーの言葉に足を止めず、火伏は頷いた。
「わかった。エリー殿と呼ばせてもらう。女性に対して呼び捨ては恥ずかしいのでこれで勘弁してくれ」
「ええ。そう言う事でしたら了解します」
「ありがたい。そちらも様ではなく、好きに呼んでくれ。それでだクロス。重すぎるというクロスの考えにまず、否定しておこう」
「……と言うと?」
「あまり言いたくないが、今回のこういう事は初めてでないらしく、そして被害者は出ている。彼女達の名誉の為、これ以上言う事は出来ないが」
クロスは何となく察し、今更に怒りを覚えた。
「ちゃんとぶん殴っておけばよかったな。今からでも追い掛けてぶん殴るか」
「……次にエリー殿。刑が軽すぎると言ったな?」
「ええ。死刑に値すべきと。今でも変わっておりません。むしろ前よりそれを聞き、より一層そう思います」
「……エリー殿は元騎士で、少々の悲劇は見慣れていると思って良いですな?」
「……え、ええ。まあ」
「そうですか。では……実際に見て判断してください。ここです」
そう言って案内されたのは、大きな朱雀門の近くにある、この街らしくない石で出来た円柱状の建物。
砦というには小さすぎて、建造物というには高すぎる。
そんな場所だった。
「ここは何だ?」
「一応牢屋だな。大体が別の用途に使っているが」
そう言いながら火伏は地下に向かった。
見た目以上に地下が深く、くるくるとらせん状の階段を、幾つもの扉を無視して降りて行く。
扉の先から聞こえるくぐもったうめき声、不気味な音。
それらを気にもせず、火伏は更に下に降りていった。
「ああ。先に言っておくが、蓬莱の里としては当然、魔王国の法も破ってないぞ。ちゃんと確認した上で作られているから安心してくれ。何なら後で里長に聞いてくれても良い」
火伏はそう断言する。
その言葉の真意にクロスは気づかない。
エリーと違い、政治という物が、言葉の裏の意図が読めないクロスに気づく事はない。
それはつまり、法律を調べた上でギリギリの何かがここで行われているのだという事に、クロスが気付くわけがなかった。
螺旋階段の途中にある十程の扉を通りすぎた後止まり、火伏は鍵束を取り出してその扉に鍵を差し込み、開けた。
「これを見て、追放刑が軽いと思うのでしたら、どうぞ気の向くまま、追加の沙汰を」
その言葉にクロスとエリーは何も答えない。
どちらも口を開き、完全に絶句していた。
牢屋の前にいる男達はクロス達を無視し、奥の方を見ながら何かを書き記している。
まるで実験材料の様な目で、奥のゴブリンを見ながら。
そしてそのゴブリンは……一言で言うなら原形をとどめて居なかった。
片腕はなくなり、顔はただれ、瞼も角も失い……。
しかもその片腕がない部位は溶けた後があり、血すらも出ていない。
全体で見ると特に焼けた様な爛れた跡が酷く、まるで全身酸を浴びたみたいになっていた。
そしてその表情はこちらを見ておらず、ただただ何かに怯えているだけ。
怯えた様子で、虚空を見つめていた。
体も心も、既に完全に壊れ切っている。
クロスが気絶した時間は精々二時間位。
合わせて三時間程度の再会で、この有様となっていた。
「これは……」
クロスは何を問おうか悩みながら、とりあえずそう言葉にした。
「朱雀門においての追放刑はな、死刑よりも上だ。ちなみに、これの配下も全員一緒に追放して、逃げ帰ったのはこいつだけ。どうなったかは……まあ、そうなったんだろうな」
「逃げ帰ってって……一体……」
「朱雀街の外って、そういう場所なんですね」
納得したらしく、エリーはそう言葉にした。
「ええ。そういう場所なんです」
同情も見えない火伏の言葉。
独り事情がわからないまま取り残されるクロスは首を傾げた。
「要するになクロス。朱雀門の外に、何の準備もなく出るのは死を意味する。それも、ろくでもない、こんな姿になる様なな」
「は?」
「朱雀門の先は制御不能かつ会話不能な魔物の群生地となってる。盗賊やら国やらが相手の他所の門と違い、うちらの敵はそんな獣に近い奴らだ」
「……だから、追放刑が死刑より上なのか」
「そういう事。ちなみにうちにゃ馬鹿が多いから追放刑になる奴は意外と多い。おかげで助かってるぞ。今年の巨大蛙はどうやら毒持ちらしい。それがわかっただけでも、死者を大きく減らせる」
そう言いながら火伏は無残な姿となったゴブリンを見る。
それは生きているというよりも、死んでいないという方が正しかった。
確かに、これを見たら死刑よりも重たいというのは理解出来る。
それと同時に、どうしてこれを見せたのかも。
要するに、見せしめである。
逆らった奴には、被害に遭わせた奴にはこれだけの事をする。
名代に、魔王国に逆らうつもりはない。
そういう意味をつたえる為の、クロスへの見せしめ。
その為にクロス達はこれを見せられていた。
「我が主の称号はご存知ですか? 意図は伝わりましたからこれ以上は」
クロスを気遣うエリーの言葉に火伏は頷き、二人を外に案内した。
「……すまんな。あらゆる物事に容赦をしない。それでようやく、この里は生き残っている。そういう事も知って欲しかったんだ……」
そう、悲しそうな声で火伏は呟いた。
クロス達は戻り、残された桜花の様子を見る。
桜花はすっかり怯え切り、部屋の隅で小さくなっていた。
『門番長がわざわざあの様子を見せたのは魔王国に追従するという意思を示すと同時に、これだけの事をしたから桜花さんに対しての罪を軽くしてという意図があると見ました』
そうクロスはこっそりエリーに伝えられていた。
全ては自分の匙加減。
あらゆる意味で、この女性を好きにして良い状況。
それは、クロスが一番嫌いな状況だった。
「いや、何もしないから。というかこんなに怯えて……可哀想に……」
本当に同情だけで、クロスはそう言葉にした。
「え? か、可愛い!? わかりました。つまりそういう事ですね。ええ……罪を償う為、今晩貴方の元に伽に……」
三体同時に声を揃えての桜花の言葉。
しとしとと泣くそぶりを見せながら、まるで身売りするかのようなその言葉にクロスは慌てて否定した。
「いやいや。そんな事しなくて良いし求めてないから! というかその服装じゃ可愛いとかそういうのわからんって」
桜花三体は、そっと兜を取った。
赤いショートカットで、小さな犬の耳。
兜で潰れぺたんとしたその耳をふるふる頭を振って、三体の桜花は元のピンと立った耳に戻した。
整った顔立ち、桜色に近い赤の髪、犬耳。
普通に可愛かった。
「可愛く、ないですか?」
「いや、三体共にめっちゃ可愛いと思うよ」
「でしょ? ですので今晩その身を捧げに……」
「いやだからそういう事しないから! というか本当に、何もしなくて良いから!」
「何もしなくて? ああ、布団の中で、天井の染みを数えていろ。そういう事ですね……」
「そういう事じゃないよ!? ねぇどういう事なの! というか火伏。止めてくれ色々とおかしいだろ」
火伏はそっと顔を反らした。
「……いや、彼女がそういうつもりならまあ、良いんじゃないかなと」
「そのどうでも良さそうなニュアンスは何だ。部下だろ?」
再度、火伏は顔を反らした。
「ここまで酷いのは初めてだけどさ……、桜花は……思い込んだら聞かない性質だから……」
「今痛い程思い知っているよ!」
そう叫ぶクロスは、誰が見ても必死な形相だった。
「良いじゃないですかクロスさん。好き放題出来る相手が欲しいって言ってたじゃないですか」
「言ってないよ!? というか火に油注がないでエリーさん! そして桜花もどうしてそわそわしてるんだよ何もしないから!?」
桜花はつまらなそうな顔をしてクロスをじとーっと見つめた。
「……何でそんな表情してるの?」
「いえ。得難い経験が出来るかと」
「どんな経験だよ!?」
「……それを口に出して欲しいなんて……。酷い方ですのねクロス様は。ですが望むのでしたら……」
「望まないよ!? やっぱり何も言わなくても良いよ! だから残念そうな顔すんなよ!」
肩で息を吐きながら、非常に疲れた顔でクロスは呟いた。
「もうさ、副門番長の仕事を首とかで良い?」
特に思いつかずそう言葉にするクロスに、桜花は神妙な顔で頷いた。
「はい。行くところもない身にして好き放題にしたい。そういう事なら……受け入れ――」
「やっぱりなしで。降格とかで良いか火伏?」
桜花を無視し火伏に相談するクロス。
それに、火伏は首を横に振った。
「首なら出来るが、降格は無理だ。思い込んだ時こうなる事を除けば優秀で、ついでに部下にも慕われている。だから中途半端な降格は不可能だ。非常に不服だが、部下が納得しない」
「……もう何もしないで」
「それで桜花を納得させられるならそれで良いと思うぞ」
「納得させてくれ火伏門番長様」
「……それは門番長の権限も、俺の能力も遥かに超越している。不可能なんだクロス魔王代行様」
睨み合う様にお互いを見るクロスと火伏。
その後……クロスは盛大に溜息を吐いた。
「じゃ、耳触らせて。もうそれ以上何も求めないから」
そんなクロスの言葉に首を傾げながら、桜花三体はピンと立った犬耳ごとその頭をクロスに差し出した。
ありがとうございました。




