シリアスはTシャツが全部どっかに持って行った
「何よ……何なのよアレは!?」
アリスの叫びは、子供がダダを捏ねる様だった。
とは言えアリスの精神年齢が幼くなる程に、シアという存在は理不尽であった。
あれは駄目だ。
存在していい物ではない。
あれは自分よりも高位の存在で、自分を殺しうる存在。
不気味で理解出来ないクロスは別として、それ以外では最も恐ろしい存在となり果ててしまった。
クロスを天敵とするなら、あれは上位種。
生物としての階級が異なる化物で、睨まれたら生きてはいけない。
観測者共とかいう上から目線の屑と同じ類の物。
だけど、観測者共と違う点が一つ。
最悪な事に、非戦協定を結んだ観測者共と違い、アレとは既に敵対してしまっている。
故に、アリスにとってシアは最悪だった。
微笑むクロスにアリスは叫んだ。
「知っていたな!? あんな物を……アレが何かわかっているのか貴様は!?」
「まあな。俺の嫁だぞ?」
自慢げにクロスは答える。
ぶっちゃけ何もわかっていない。
何であんな事が出来るのか、どうしてそこまでアリスが怯えているのか、それさえもわからない。
いや、過大評価し過ぎて混乱しているアリスよりはまだ、クロスの方が理解していると言えた。
シアは確かにとんでもない事をしでかしたが、それは一時的な物で、火事場の馬鹿力に近いとクロスは気付いている。
確かにクロノアークは救われた。
だが逆に言えばそれだけであり、アリスに対し直接危害を加える様な術は持たない。
アリスが慌てる程の事ではまだないはずである。
ただまあ、そんな事どうでも良い。
シアが凄かろうとそうでなかろうと、アリスが混乱してようがしてなかろうが、正直言えばあまり重要な事ではない。
重要なのは、ただ一点。
『ようやく、アリスを上回った』
信じた意味があった。
いや、それ以上だ。
この状況は、全てを手の平の上とするアリスの予定調和を越えた。
その価値は計り知れなかった。
この状況をどう生かすべきか。
そんな事を考えていたら、ふとクロスはある事を思いついた。
――もしかしたら……。
まあ無理だろうとは思いつつも、クロスは試しにシアに念を送ってみる事にした。
精霊として強化されたのなら、そして結びつきが強いシアならもしかしたら……。
とは言え本当にもしかしたら程度で、期待さえしていないが。
――むむ。
――むむむ。
――むむむ……。
まあ当然だが、そんな簡単に何とかなる物ではなかった。
とは言え今クロスはアリスに対してドヤ顔で『知ってましたー』みたいな顔をする事以外にやる事のないから、もう少し頑張ってみた。
『可愛い可愛い俺の女神様ー。声を聞かせてー』
『女神は止めい!』
普通に脳内返信があって、クロスは噴き出しそうになった。
「……何かあったの?」
ほんの一瞬のクロスの変化に気付きアリスは不審な目を向けて来た。
「いんや別に」
「……嘘ね」
「そうだな。で、それが何か?」
「……クソが!」
憎々しそうに叫ぶ。
追及したってわからない。
なにせこの世界でクロスという存在こそアリスにとって最もわからない悍ましき怪物なのだから。
だから何か怪しい素振りがあったとしても、憎々し気に叫ぶ事しかアリスには出来なかった。
絶対有利。
それは間違いのないはずである。
まだ逃げ道は消えていないし、手駒が消耗した所で痛くもかゆくもない。
一番厄介なクロスは封じたままだし、シアの底もそれほど恐ろしくなさそうだと気付き始めた。
だけど、それでも……そこに見える未知が、不安と恐怖が、アリスを次なる一手を封じる要因となっていた。
『もしかしたら』
その一言が、アリスにとって毒となり体を巡っていた。
『そんで、そっちで何があったんだいシア』
『あんま言いたくない。少なくとも今は』
『……そか。嫌な事があったんだね』
『……うん。とっても。だからせめて少しでも報いたいと思うんだけど……』
『ど?』
『ぶっちゃけるね。私もう大した事出来ないわ。半分見栄張ってる状態。この交信さえクロスの信仰パワーで賄ってる感じ。それもそうそんな出来ないかな』
『こんなに愛してるのに』
『知ってるわよ馬鹿ありがとう。だからよ。愛と信仰は別なんだから。……そうね。せっかくだから最後に一つだけ』
そうしてシアはクロスへのアシストとアリスへの嫌がらせを兼ねた最後の言伝だけを残し、交信を切った。
「あー。そろそろかな。アリスさんやアリスさん」
「……何よ?」
「最新の、そして俺の女神様から伝言だ。『お前が踏みにじった命、その代価を払え』だって。何したか知らんが龍の逆鱗に触れたな」
『龍の逆鱗』
それは普段のクロスなら絶対に使わない様な言葉である。
基本的に良い言葉でないからだ。
その言葉そのものが龍にとって侮辱となる部分さえある、非常にデリケートな種族的問題と差別を兼ねている。
だけど、今のシアにその言葉は決して不足ではない。
龍と言う言葉さえも、今のシアには届かないのだから。
怒りと、憎しみと、そして恐怖から、アリスは真っ赤な顔でぷるぷると震えた。
つまり、シアはこの状況を予測していたのだ。
この、自らが神となりクロノアークを守護する二大女神体勢となり逆転するこの瞬間を。
だから旅立つ前にクロスに、このタイミングで伝える言伝を残した。
クロスが怯えなかったのも、今平然としているのも、予定調和だから。
元々神であり、隠していたのだ。
なんて卑怯な奴らなんだ。
恥を知れ。
アリスはそんな事を考えながら、今後の作戦を練り直す。
ぶっちゃけ全然違うのだが、アリスはそう確信していた。
誰よりも臆病なアリスの長所が、敵をこれでもかと過大評価してしまっていた。
「それにさ、これは言伝じゃないけど……」
「何よ!? まだ何かあるの!?」
「いやまあ大した事じゃないんだが……あいつらを舐めない方が良いぞ?」
「知ってるわよ。例え雑魚であっても神を舐める程私は愚かじゃないわ」
「いやいやアリスさん。勘違いしてますよ?」
「は? 何が勘違いよ」
クロスはにやっと笑った。
それはさっきまでのハッタリとは違い、本当の笑み。
少々底意地の悪いが、それはそれは楽しそうな顔だった。
「ヤバいのは別にシアだけじゃないぞ?」
あの時、クロスはシアを信じていた訳ではない。
シアでなく誰かが何とかしてくれると信じていた。
誰が何をするかクロスだって予測がつかない。
アルパカーなんてキワモノで天使を圧倒した馬鹿だっていたのだから、どこから何が飛び出して来るのか把握出来ている奴はあの国の中にだっていないだろう。
だからこそ、『誰か』が『何か』をしでかすという事だけは確信が持ててしまう。
今のクロノアークは、文句なしのびっくり箱なのだから。
マリアベルの発明は間違いなく世界を救っている。
今彼女の才能を認めない者はおらず、彼女程の才能を持つ者もいない。
だが、そんな彼女を好む人が多いかと言えばそんな事はない。
彼女の目は良くも悪くも発明にのみ注がれてきた。
相手の人格など考慮せず、相手の努力も見ようとしない。
更に言えば、彼女が望むのは何時だって『新しい発明』である。
それを目指さない者を彼女は平然と切り捨てる。
彼女の視野は深いが、代わりに限りなく狭い。
傍若無人なふるまいを常に行える程度には、彼女は人を見ようとしてこなかった。
マリアベルラボラトリー。
それは多くの発明、兵器を生み続け、同時にインフラを維持するクロノアークの要。
だけどその下位メンバーは、マリアベルに切り捨てられた同然の扱いでもあった。
文明水位を引き上げたマリアベルはまごう事なき救世主であり、多くの民から感謝されている。
だが同時に、彼女は多くの物から嫌われてもいた。
彼女が嫌われるのは嫉妬も多い。
だが、決してそれだけではない。
差別を助長し改善しない彼女を、差別される者が嫌わない訳がなかった。
彼女自身が、差別を生み続けた。
マリアベルに悪意がある訳ではない。
ただ、人付き合いが壊滅的なだけである。
ヴィラがどれだけ苦労した所でそれは変わらない。
結果、彼女は敵を作り過ぎた。
その利権を独占し、自由気ままに生きて、憎しみを拾い集め過ぎた。
場合によれば血を見る事になっただろう。
とは言えその場合は血の対価を払うのはマリアベルではなく、彼女と敵対した者となるが。
確かにヴィラはそこまで優れた剣士ではない。
天使を相手にするには少々力不足で、VOIDを相手に出来る程高い能力を持っていない。
だがそれは比べる対象が悪いだけであり、クロノアーク内の非戦闘員が相手だったら何体いようと物の数ではない。
かなりギリギリの状況であった為、ヴィラもある程度は覚悟していた。
マリアベルの為に悪となる覚悟を。
だが、その覚悟が必要となる事はなかった。
マリアベルには大きな幸運が一つ起きていた。
そして同時に、大いなる不幸も一つ。
大きな幸運は単純。
マリアベルを憎む者、切り捨てられたと感じた者、不当に追い出された者。
その全員を救った者が居た事である。
彼女の名前はエルダ・ネルソ。
マリアベルラボラトリーの実質的ナンバーツーである。
彼女自身別に発明に詳しい訳でもなければ魔導機文明技術を理解している訳でもない。
ラボメンの中では最下位争いしている程度の知識しか持っていない。
だけど、彼女は素人らしいが同時に鋭く流用しやすいアイディアと何かよくわからない運で数多くの発明を世に出してきた。
アルパカーみたいなちょっと奇妙奇天烈摩訶不思議な物ばかりだが。
エルダははっきり言って無能である。
ちょっとばかし動物が好きすぎたりファッションセンスが絶望的だったり男性との距離感を取るのが下手でガチ恋勢を大量に生み出したりと色々ポンコツである。
少なくとも発明家としては下の下である事に間違いはない。
だけど、エルダがマリアベルに絶対に勝っている部分を三つ持っている。
一つは容姿。
絶世の美女と呼んでも良いだろう……私服のセンス以外は。
一つは生真面目さ。
無能ではある。
だが、無責任では決してない。
少なくともこうしてマリアベルラボラトリーに巻き込まれ働きづめになる程度には貧乏くじを引く事に慣れている。
一度も逃げたいと思った事はなく、部下の管理には常に細心の注意を払い続けて来た。
もっと言えば、マリアベルの迷惑に誰よりも巻き込まれ、それでもと成果を残す程度には生真面目である。
そして最後は……人当たり。
彼女はマリアベルと異なり空気が読めた。
マリアベルに無能と判断され追い捨てられた者が居れば次の場所を与えた。
マリアベルを憎む者が居ればマリアベルから遠ざけカウンセリングを用意した。
泣く者が居ればその原因を聞き一緒に悩んだ。
マリアベルと違い、エルダは部下に対し酷い事も無責任な事もしなかった。
成果が出たらしっかり褒め、出来なかったら叱らず失敗原因をレポートに纏める様に伝えた。
無理であるというなら撤回し、出来ると言えば多少の無茶でも聞いてくれた。
マリアベルによる無茶ぶりからも部下を護り、どれだけせっつかれても被害は全部自分で受け、部下を庇い続けて来た。
まるで心の傷が見えていたかの様に、エルダは部下の心を護ってきた。
才能ありきのマリアベルとは反対に、チーム一丸オールフォーワンである事をエルダはモットーとした。
正しく言うなら、自分で仕事が出来ないから部下におべっかを使うしかなかったともいうが。
実際エルダはただ必死だっただけで特別な事は何もしていない。
無能である事を必死に隠しながら部下の成果にただ乗りして来ただけとも言える。
だけど、部下から見ればエルダはまごう事なき光であった。
マリアベルと言う傍若無人に立ち向かう唯一の人。
強く、正しく、美しく、優しいという理想の美女。
Tシャツがダサイ事を除けば完璧である慈愛の女神でさえあった。
だからこそ、これはマリアベルにとって大いなる不幸なのだ。
エルダのラボにいる者は大なり小なり皆マリアベルを憎んでいる。
例えエルダに救われたとしても恨みが消えた訳ではない。
エルダに対しての扱いが酷くより恨みを募らせた者さえいる。
このラボに居る者は現状に対し誰も納得していない。
自分達の扱いは良い。
だが、エルダへの酷い扱いには絶対に許さない。
自分達の光を汚すあいつは闇か何かだ。
そう……納得なんて出来る訳がなかった。
エルダがマリアベルの下であるという事に。
つまり――反逆である。
「ついに来たぞ。我らの誇りを示す時が!」
「そうだ! 今日まで我らは耐えて来た。あの悪逆非道なるマリアベルの支配により苦渋を舐めて来た。だがそんな日は今日までだ!」
「そう。今日こそ我らはエルダ様の価値を認めさせ、その名を刻むのだ!」
「故に、ここに誓おう! 今ここに我らはマリアベルラボの名を捨て、エルダラボを名乗る!」
そしてラボメン全員が、何故か用意された玉座に座るエルダを見た。
「くぅでたぁである!」
きりっとした顔で、エルダはそうとだけ言う。
能天気過ぎて、状況がまるでわかっていない。
だから『くぅでたぁ』が『クーデター』だという事さえ気づいておらず、ただそう言っておけと言われたから言っただけ。
エルダは部下が一生懸命だからと、何も考えず頭パッパラパーのまま応援しているだけだった。
「そう、クーデターである! 我らはここを自分達の物とする! 誇りと共に取り戻すのだ!」
わーわーと大歓声があがるのを、エルダはぱちぱちと拍手して喜んだ。
「くぅでたぁである!」
言葉の意味はわからないが、言葉の響きは気に入っていた。
まあ、物騒な事を言っているがぶっちゃけ単なる独立である。
更に言うならエルダメンバーがこの反逆はマリアベルの不幸だと思い込んでいるだけであり、マリアベルにとって不幸要素は一ミリさえ存在していなかった。
「さあ、エルダ様発案の元、新兵器を今ここに!」
叫び、皆はエルダの方を目を向ける。
エルダを腕を組み、うんうんと頷きながら、ボタンのスイッチを押した。
「くぅでたぁである!」
ちょっとあほっぽい部分もまた、部下からは神聖な様に見えた。
それでも、『意気YOYO』という文字と共に描かれ踊っているアザラシのTシャツだけは、流石の部下も受け入れられないが。
ありがとうございました。




